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其は微笑みの代価  作者: 千代田 定男
第三章 復讐者
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第十九話・あをの軌跡 前編(A)

 細歩にばら撒かれたファントムは意思を発しはじめていた。嘉島杉光の心をもった獣達は、これより、人類にとっての新たな災厄となる。

 ダリア隊に賛同した者達は、はじめ、なにが起こったのかわからなかった。

 『細歩の奥の手』と教えられていた異形の兵器達が、自分達を囲いはじめたのだから当然である。

 静町で起こっている出来事が、細歩全域ではじまっていた。

 王都からは軍、内からはファントム。

 理不尽、不自然、無意味。そして熱狂。

 ユリアや四柳の懸念していた、カンパニーを軸にした動乱の独楽がついに回り始めたのである。

 まるで祭りである。これはおぞましい祭りなのだ。隔離地域があるという時代が内包する喧騒を象徴する祭りなのだ。

「私は一人の人だ、生きている。しかし私には私しかいない。私が見える世界は素晴らしいが、誰もその世界を欲しがりはしない。ああ、ああ、ああ、朝と夜。麗しいのはこの世界」

 どこかから歌が聞こえる。

「私が(たた)える愛は、地に満ちて、ひとそよぎの風にも眠っている。私が見える世界は素晴らしいが、誰もこの世界を欲しがりはしない。

ああ、ああ、ああ、水と石。麗しいのはその世界」

 仮面の戦士達が歌っている。

「あの人達の世界は素晴らしいが、私は偽りの世界を欲しがりはしない。飛び交う歓喜の音も、(かぐわ)しい麝香(じやこう)も、静寂に勝る魅力はどこにもない」

 霞町で、静町で、名を忘れられた町で、羽化する精神があった。

「ああ、ああ、ああ、朝と夜。麗しいのはこの世界」

 嘆きの歌声ではない。

「ああ、ああ、ああ、水と石。麗しいのはその世界」

 二枚舌と呼ばれることも覚悟した、茨の道に飛び込む勇者達の歌声だ。

 人々は見た。回り始めた巨大なジャイロを止めるため、己の体を摩擦にさらすガーダー達を。それは、命を捨ててでも目的のために敵を倒す、『敢死必倒』を継ぐ者達の姿だった。


***


「来たか」

強烈な視線だった。

 嘉島の視線はこの世のものとは思えないほどに邪で、見た目の異質さも相まって、この場に羽化した滅びの虫のようでさえあった。

 だが、鉄ヶ山に怯えはない。仮面に灯った暗く儚い青い灯火を揺らめかせているだけだ。

「これはさだめだ。策を巡らせ尽くしたならば、偶然をも紡いで、事象はやがて運命性をも帯びるようになる」

「相変わらずほざく。それはただの遷延(せんえん)した野望だ。それよりも、あんたは殺すぞ、バケモノ」

 嘉島は不気味な生物の顔を歪めて笑う。

「バケモノか……そう呼びたければそう呼べ。好きに扱うといい」

 嘉島のぎょろりとした目が、鉄ヶ山の空けた壁を見る。

 瞬間、光の弾丸が嘉島目掛けて飛び込んできた。

 迫る光弾を跳躍でかわすと、壁にべたりと張り付き、確かめるように体を振る嘉島。

 クルミだった。ひどく興奮した息をしている。

 クルミを呼んだのは鉄ヶ山だった。朱塔の残していったルートエッジを使うであろうクルミに、牡丹が敵の本拠地であることを通信で残したのである。

「おまえか! おまえが同次郎(あいつ)を! 兄さんを!」

 クルミは絶え間なく銃を打ち込む。倒れた朱塔を見て血が上っているが、十分に狙えている。クルミの実力は発揮されているように見えた。

 ところが、どうしても嘉島には当たらない。意に介さないどころか、楽しんでいるかのように光弾と遊んでいる始末だ。

 嘉島には見えている。クルミの動きも狙いも、思考さえも。

 一瞬の隙をついて、嘉島がクルミの顔を撫でた。

 クルミは避けたつもりでいたが、その頬には深い傷ができていた。

 嘉島とクルミの間にある差は、単なる戦闘力の差というものではない。クルミでは嘉島には絶対に勝てないのだ。

 澤本の血。中和剤によって効力を失ったとはいえ、澤本の血はいまだにクルミの中に影響を残してしまっていたのである。支配されないだけマシなのだ。

「待て」

 鉄ヶ山がクルミに向かって歩き出す。

 嘉島はククッと喉を鳴らすと、距離をとって動向を見守りはじめた。

「止めるなフォール! あれは! あいつだけは!」

「敵だ。倒さなければならない。だが、おまえじゃ勝てない」

「それでも、あたいは! あたいだって!」

「オレの役目なんだ」

 反論しようとしてクルミははっとした。

(こいつは……)

 鉄ヶ山は、百戦鬼は、抗おうとしている。

 鉄ヶ山はエゴイストだ。誰にも寄り添わない。生き方を変え、すべての中心を他者に置いても同じだった。周囲を力でねじ伏せて、自己を押し通す。

 結果ではなく手段のために生きる。それが百戦鬼だ。だから百戦鬼だったのだ。

 それが、もがこうとしている。足掻こうとしている。

 これは、鉄ヶ山が鉄ヶ山であるための戦い。

 鬼ではなく、人としてあるための戦い。

 誰を言い訳にもしない、自分との戦い。

 いつの時代の、どんな人間も迷い込む、生への問いかけ。


「この子を」


 目を瞑ったヨモギ。あの美しい紫の瞳を見ることはできない。

 いや、いままでも、これからも、鉄ヶ山はヨモギの瞳を真に直視することはできないだろう。あの、自分がフォールであると明かしたときでさえ、鉄ヶ山はヨモギの瞳に怯えていたのだから。

 代わりに、腕に抱いたヨモギの重さを、喉を震わせながら噛み締める。

 独りよがりにここまで来た。悲しませて、泣かせて、疲れさせて、人形のようにぐったりとしてしまったヨモギをクルミに預ける。あの日のように。

 クルミはヨモギを抱えてその場から去る。


(あたいは、逃げるのか……)

 逃げたいわけではない。逃げたくないわけでもない。どちらでもない。

「行け」

 背中に投げかけられた鉄ヶ山の言葉が、まるで朱塔の言葉であるかのようにクルミには思えた。

 振り返ったクルミは、ぐったりとした朱塔の傍に鉄ヶ山が立っているのを見た。


・・・


「舞台が、整ったな。さて……」

 嘉島が愉快そうに手を上げる。

「人命を伴う貢献の強制」

 一歩進み、指を一本あげる。

「強欲による権力への希求」

 また一歩と一本。

「崇高な革命者」

 三つの指を立て三歩来たところで、歩みは止まる。

「すべて、どこかで聞いたワシに対する評価だ」

 弾くように、何かを捨てるように指を解く。

「どうだ鉄ヶ山、おまえもそう思うか? ワシがそういうことを考えるような、上等な人間だと思うか? 朱塔のように、ワシが真の王制、哲人政治を目指していると思うか?」

「いいや。あんたの目的は混乱を起こすことそのもの。死と破壊だろう」

「ああぁ、そうだ百戦鬼ぃ。おまえだけはワシのことをわかっていると思ったよ。なにせ、おまえはワシと同じだからな。破滅願望がある」

「あんたはとっくの昔に壊れていた」

「そう。いつの頃からか、ワシは願ってやまなくなったんだよ。この世の破滅をな。なにもかも滅んで、消えてなくなってしまえばいい。新しい時代などいらない。終わりでいい。終わりがいいんだ」

「あんたのそれにも理由があるはずだ。なにかに根ざしている」

「かもしれないな、自覚もある……だが、それがどうした? その原因は、戻らないもの、覆しようがないものだ。結果も同じだ。いまこうあることがワシの正解なんだよ。おまえもそうだろう? 史上九番目のフォール」

「あんたには具体的に話す義務がある。偽りの宣言や見せ掛けだけの宣告でこれだけのことを仕出かしたのでは、自己満足でしかない。それでは完結しない」

「完結はする。意図など知らせる必要のないことだ。義務もない」

「それでは旧来の世界と同じだとは思わないのか? 下水の蓋を開けて見せねば、生活の側面はわからない。あんたの破壊衝動は、そういった、埋もれているものを掘り起こそうとするもののはずだ」

「んん、ああ、一理、あるな……いいだろう」

 嘉島は歪な手を下ろし、直立不動で話し出した。

「カンパニーどもは、自分達は完全なクローニーキャピタリズムを完成させたなどと思っているようだが、それは違う。これほど儚くて脆い世界はない。ワシのやろうとしていることこそ真の閨閥だ。世界のすべてをワシで埋め尽くす。世界を混ぜ返し、混和し、均一に、均質にするのだ」

「どうしてそんなことを実際にしようと思った?」

「確信したからだよ。一つ聞こう。命は消耗品にしていいものか? それとも大切にせねばならないものか? 百戦鬼、おまえはその狭間でもがいてきた。極論ならば持っているはずだ。聞かせろ」

「……大切なものを消耗するから価値あるものをうみだせる」

「おう、朱塔とは逆だな。あいつは、消耗品を大切なものとして扱うことで価値あるものにする、という考えだ」

「理屈はいい。絶対的に貴重なものだと考えなければならないものだ。さもなければ、誰もが誰をも死なせてしまうようになる。わかりきったことだ」

「そうだ。どれだけ各論との矛盾があっても、概論はそうしなければならかった。長年そうだった。だが、それは間違いだ。建前からが間違いなのだ」

「答えをあんたが決めるというのか?」

「ワシではない。サンプルだよ。おまえが大切にしているあの娘が教えてくれた。あれは、我々よりもよほど命を語る資格があるはずだ。あれを連れてこさせたのは、そういう意味もあった」

「なに?」

「あの娘、最後には諦めたんだよ。縋ることも、求めることもなく、ただ、己の思う倫理だけを抱きしめて死のうとしていた。おまえが来なければ、納得したと、満足したと言い訳をして、ただ死んでいっただろう。魂が生きることを望んでいるにも関わらずな」

「どういうことだ? なにを言っている?」

「諦めのない死など存在しないということだ。死は生の中にあるものだ。つまり、人は必ず最後には諦める……どんな人間でもだ。生に失望するんだよ」

「失望?」

「ふははっ! そろそろついてこれまい? だから完結に教えてやる……命は、他者は、環境は、無価値だ!」

「それを、志乃原さんが、答えた?」

「聞いたわけでも答えたわけでもない。ただ、そういう回答が出たのだ。その回答に従って、ふさわしい世界をワシが作りだしてやろう」

 鉄ヶ山はどうにもおかしいと感じた。嘉島に感じるこの無邪気さはなんだ。

「どうして……そんな答えを選んだ?」

「サンプルに聞け」

「そうじゃない。そんなことは関係なく、否定することはできたはずだ。すべては主観――」

「主観が世界を決める。世界を恨むのは、自分がそう見ているからにすぎない。おまえ、まさかそんな幼稚なことを言うつもりか?」

「だが、間違いではない」

「では、そうしようか。そうした場合、とるべき選択は二つだ。この疑問を、諦めず、棚上げしないとしたときには、たった二つの選択肢しかない。わかるか?」

「まさか、まさかあんたは!」

「自分が消えるか、世界が消えるか、だ! そう! ワシは! 世界の方が消えることを望む!」

 鉄ヶ山が苦い顔をしているのがわかったのか、嘉島は胸を張って両腕を広げた。

「ハハハ! だからワシはシンプルに言ってやっているのだ!」

 世紀の大発表でもするかのように、嘉島は猛々しく叫んだ。


「世界よ、滅べ、と!!」


 嘉島の笑い声がこだました。

 究極を言えば、主体感覚という現象、つまりクオリアの原因は永遠に解き明かせない。原因や意味があるのかもわからない。すべてはただそこにある事実でしかないからだ。

 だが、マインド能力があったならば、少なくともクオリアの意味は広がる。意味が広がれば、そこに付随して解釈も広がる。

 命についても同じで、命という現象に意味を求めたのが、ただの知性によるものなのか、

事実意味を持っていたのかを覗き見る顕微鏡になりうるはずだ。

 だから、マインド能力は開門計画などに使われるべきものではなかった。人が人として向き合わねばならないものだった。

 それを理解できていたのは嘉島だけだった。

 カンパニーも、鉄ヶ山も、朱塔も、澤本も、わかることができなかった。研究者であるユリアすら、その真の重要性を理解できてはいなかっただろう。そして、能力者達でさえも。

 しかし、当の嘉島は、それを使って世界を呪ってしまったのだった。

 この戦いはそれですべてだ。

 嘉島というのは必然なのだ。嘉島こそが結果なのだ。嘉島は、省みない道の先にある終着点だ。

「破壊じゃない、充溢だ! こいつは、世界の充溢を、本気で……!」

鉄ヶ山の感じていた嘉島への不快感は、原始宗教に見られるような二元論のごとき思考と、そこに対しようとする無邪気な衝動だった。

 こうなったならば、嘉島は否定にしか傾かないだろう。


「そこでだ、百戦鬼。一つ提案がある」

「まだ、なにを?」

「ワシと来い」

 嘉島の軽々しい言葉が鉄ヶ山を逆なでする。

「おまえはワシと共に来る資格がある。権利がある。澤本の血を受けろ。ファントムを支配しろ。そんなボロボロの肉体など今すぐ捨てて、おまえとワシとで世界に満ちようじゃないか」

 身震いする鉄ヶ山は、否定の声すら出せなかった。

「勘違いするな? 同意しないことに同意しろと言っているのだ。ワシとおまえは澤本を核にした一つの頭脳となり、ファントムという体で永劫の戦いを演じるのだよ。それこそワシの究極の理想だ」

 鉄ヶ山は、怒りながらも、内心、嘉島の主張に一定の理解を示していた。鉄ヶ山は冷徹だからだ。

 実に嘉島らしい提案だった。自分を怪物に。世界を怪物に。敵も味方も怪物に。

「時間がないぞ。『向こうの光』が赤みを帯び始めている。おまえの命ももうわずかだ」

「答えはノーだ」

「では、貴様を倒し、無理にでもそうさせてもらう」

 嘉島は笑った。

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