第十七話・理非の沙汰(C)
「クルミ!」
クルミの喫茶店にフヂナが飛び込んできた。
「フヂナ? どうして霞町にいるんだよ? 同次郎はどうしたのさ」
フヂナはクルミの足元までくると、そわそわして落ち着きのない様子で周囲を見回していた。
「同次郎さまがどこにもいないんだよ!」
「なに言ってんだ。あいつは船にいるはずだろ?」
「いないの!」
「じゃああいつらの本部だろ。これから大仕事があるらしいしな。静町にいたらなにかわかっただろうに、もうあそこ入れないぞ」
クルミはコップを洗い終えると、棚から封筒を取り出した。
「ところが、あいつはさすがだな。おまえがここに来たら渡せってさ」
「同次郎さまが?」
「そう。中身は見てないけど、これからどうしたらいいか書いてあるんだと思うよ。あいつは抜け目ないからね。なにか考えがあって姿をくらましたに違いないさ」
フヂナはなれない手つきで封筒を開けると、急いで手紙を開いた。
(あれ?)
クルミは疑問に思った。フヂナがこれだけ取り乱したところを見たことがなかったからだ。
今もそうだ。不安でいっぱいの顔をして、必死に手紙を読んでいる。
どうしても気になって、悪いこととは思いつつも、フヂナの持つ手紙を覗き込んだ。
―――
フヂナへ
黙って行くことを許してください。一人残してしまうことを許してください。
私にはじつに重要な仕事があるのです。これは、私にしかできないことでしょう。
このような形で貴方に手紙を綴ることがあるとは思ってもいませんでした。ですから、この機会に、私が貴方に望むことを記しておきたいと思います。
貴方は貴方なのですから、本来は貴方の思うままに生きればいいことです。ですが、私は一つ、貴方に期待していることがあるのです。
それは、誰かのために生きられる人間になってほしいということです。もっと言えば、なれるであろうと思っているのです。
命令してはいけません。威張ってはいけません。そして、妥協してはいけません。調和を、すべての人に。
貴方は一人の人間です。だから、人の中で生きなさい。そして知りなさい。人がいかに愚かで、いかに愛おしい存在なのかを。
次に会うのがいつになるのかはわかりませんが、どうか待っていてください。
この仕事がすんで、あなたのもとへ帰ってこられたとき、あなたのずっと行きたがっていた遊園地に行きましょう。
朱塔 同次郎
―――
クルミは愕然とした。
手紙の内容こそまともなものであるのだが、これは文面どおり受け取っていいものではない。
朱塔らしくない。決定的なまでの異物感があるからだ。
「同次郎さまぁ……」
フヂナは手紙を抱きしめるようにして泣き出してしまった。フヂナにはわかるのだ。この手紙は朱塔が別れを記している。
「ハンス! 大変だ!」
扉から飛び込んできた血だらけの男の顔を見てクルミは自分の甘さを悟った。
男は影の七星のメンバーだ。今は拠点のビルにいるはずである。
朱塔が鉄ヶ山とヨモギを会わせた後、ヨモギを送ってここに戻ってきた。
離れるべきではなかった。
朱塔のもとか、ヨモギのもとか、七星の仲間か、どこかに行くべきだった。いや、すべてまとめて合流すべきだったのだ。
朱塔は他のガーディアンとは違う。ならば、ダリア隊は朱塔のような存在ではないのだ。
いつかの時、霞町のこの自分の店にやってきたヨモギとチホのことを思う。後でやってきた知人こそが『黒い鷲』であることも知らず、ただ恐怖に立ち向かおうとした少女たち。
「フヂナ、その血だるまを頼むよ! あいつはあたいに任せな!」
クルミは赤い髪を掻くと、慌てて店の奥へと向かう。
引き締まった体を墨色の服にねじ込み、頭に中折れ帽を被せた。
フッケバインは飛び立つ。禁忌の象徴は不穏な風を巻き起こし、不吉な空を飛ぶように地を疾走した。
収束していく。棄てられた者達の庭で、この世に二つとない命達が、まぎれもない人の意思によって寄り合わされていく。
蛇だ。蛇が互いの尾を食らっている。
その先にあるのは消滅ではない。限界だ。均衡だ。
さらにその先があるとしたのなら、お互いを貫き、貫いた先をも食らい、伸びた螺旋の紐と化すだろう。
だが、そうして形になってこそはじめて人は思い知る。生というものが、ただそこにある事実でしかないということを。




