第十四話・追憶の音色(B)
鉄ヶ山はある場所に呼び出されていた。
ある場所とは、ヨモギとチホが七星の人間に攫われそうになっていたあの町はずれの道である。
暗くて、街灯からも影になっている奥まった道。
この場所から、鉄ヶ山の戦いの日々は加速していったのである。
だが、近い過去の思い出にひたることもない。
「一曲、どうですか?」
一人の男が鉄ヶ山に話しかけてきた。手には一本のギター。
「こんな場所でギター弾きか」
「かれこれ30年やっております」
見た目以上に老いた口調である。
その方が味が出るからだ。そういう芸風なのだ。
「こんな時勢でもやってるのか」
「いやなに、この国はずっと乱れてますからね。知らないのは、ほれ、あなたのようなお若いのぐらいのものですよ」
鉄ヶ山は、ギター弾きの落ち窪んだ目の先に、彼の人生を見た気がした。
「フフフ、フフンフフンフフフン、フフンフフフン――」
鉄ヶ山が鼻歌でなにかのメロディーを奏で、少ししてギター弾きが音を合わせ始めた。
「私は一人の人だ。生きている」
ギターに乗せて鉄ヶ山は歌った。
「しかし私には私しかいない」
誰にでもなく、どこにでもなく。
「私が見る世界は素晴らしいが」
ひどい声で、小さな声で。
「誰もその世界を欲しがりはしない」
音程もないような歌を、歌う。
「ああ、ああ、ああ、朝と夜」
ギター弾きは悲しげに曲を奏でる。
「麗しいのはこの世界」
この曲は映画で使われていたものだ。家族を殺された男が復讐に走る、そんな安いつくりの映画だ。
見るべきところのない、くだらない映画。
しかし、荒唐無稽で、おかしく、なにより曲が良かった。
古く、誰もが忘れてしまった映画。
「私が湛える愛は、地に満ちて、ひとそよぎの風にも眠っている」
鉄ヶ山の声ではない。道の角にある柱から歌が聞こえてきた。
「私が見る世界は素晴らしいが、誰もこの世界を欲しがりはしない」
朱塔が歌いながら柱の陰から現れる。
「ああ、ああ、ああ、水と石。麗しいのはその世界」
ギター弾きがギターの腹を叩いてリズムをとる。
「あの人達の世界は素晴らしいが、私は偽りの世界を欲しがりはしない」
詩でも詠むかのように二人は歌い続ける。
「飛び交う歓喜の音も、芳しい麝香も、静寂に勝る魅力はどこにもない」
この歌はかつてガーディアンで流行っていた曲だ。
「ああ、ああ、ああ、朝と夜。麗しいのはこの世界」
向こう見ずだった者達が好んだ曲。
「ああ、ああ、ああ、水と石。麗しいのはその世界」
ガーダーが、お互いを慰めるために好んで歌われた曲。
朱塔がギター弾きに金を渡し、鉄ヶ山には紙を見せる。
いまにもなにか起こりそうな仰々しい二人の表情。異様な雰囲気にギター弾きの男は去っていった。
「鉄ヶ山慎之介、貴方に対して拘束指示が出ています。職務放棄及びガーディアンに対する反逆行為、ならびにテロ容疑によるものです。当官の第一目標として、内容の相違に関わらず、この指示を強行します」
「オレは呼び水だったんだな。ムツを殺させ、その対応という名目でおまえ達は細歩に進出する。オレは敵の目を欺くための捨て駒として使われる……だがな、敵も味方も同じだぞ。おまえ達はオレと同じ理由でガーディアンの敵になるんだからな」
「……鉄ヶ山衛視、貴官を拘束します」
少し離れた場所にあるトラックに向かいながら朱塔は鉄ヶ山と話をした。大半は謝罪だった。
鉄ヶ山の指摘どおり、朱塔ははじめから鉄ヶ山を捕らえる役割を背負っていた。そして、現状の王制に対抗するためにその立場を利用したということだった。
拘束し、罪を背負わせることは変わらない。しかし、以降の生活は保証しよう。それが朱塔からの一方的な提案だった。
鉄ヶ山は納得するわけがない。朱塔のバックについている嘉島についても言いたいことが山ほどある。
だが、もう、鉄ヶ山には抵抗する気力はなかった。
朱塔の思惑どおりに事は進んだ。朱塔は、百戦鬼というジョーカーを、鉄ヶ山本人よりもはるかにうまく扱って見せたのである。
***
「質問があります。あなたは知っているのでしょうか? ご両親が狙われた理由を」
「知りません。覚えていません」
「そうですか……あなたのご両親は、貴き出だったのですよ。ところが、彼らは王制に反対した。つまり、王都からすれば裏切り者だったのですね」
「…………」
「動禅台はそういう人間が多数存在していたのです。ガーディアンが動禅台にいたのはそういう理由からでした。表向きは、ね」
「実際は、開門計画とかいうものの一環だったって最近聞きました。超能力者かなにかを生み出すための計画だと」
「そういう解釈で問題ありません。ガーダー、つまり感応剤依存型人造能力者第一世代の試験と、サンプル確保のための作戦。双方ともが開門計画の一環でした。完全マインド能力者ラジアンテクスを目指すためにあの動禅台は起こったのです。鉄さんは、それを知っていました」
「底の知れた計画だったんですね」
ガーダーに連れてこられた部屋で、ヨモギは朱塔に会っていた。
ダリア隊はあっという間に細歩全域に配置され、その中で朱塔は静町を預かっていたのである。
人々はむしろ積極的に彼らを迎え入れた。
あの本条との戦いの際、小規模ではあるが深刻で本格的な戦闘がいくつもの場所で同時に起こっていたのだ。
一方的な襲撃を行ったのは、本条達正式なガーディアンだった。隠密に、しかし大胆に侵攻するガーダー達は、残るサンプルの回収に向かって、地理的にも戦略的にも有利な場所を武力でもって制圧しようとしたのである。
静町では七星残党や自警団が戦ったが、他の場所では対抗する術はほとんどなかった。
それらの場所で本条の部隊を迎え撃ったのが朱塔の部隊。いや、嘉島杉光が率いる新生ダリア隊だったのである。
そして、この頃世間を賑わせていた一連の事件の全貌が彼らによって知らされた。
人攫い事件は城砦事件によって区長疑惑に変わり、そして、続いて起こったガーディアンの襲撃。これらは、王都主導のもと、ガーディアンによって遂行された開門計画ゾ号作戦だった。
この事実から、ダリア隊は、朱塔達は、細歩の味方であると認識されたのだ。
「もういいです。はやく会わせてください」
ヨモギは冷たい表情で話の終わりを告げたが、朱塔はとりあってはくれなかった。
「この後、ちゃんと会わせますよ。ですが、できるならもう忘れた方がよろしい。鉄ヶ山慎之介という男は、じきに死にますからね」
「そんなに悪いんですか? 具合」
「ああ、いえ、そういうことではありませんよ。たしかに予後も最悪でしょうがね。それより観念としての話ですよ。彼はもう死ぬ以外ないんです。真の絶望に向かって進んでいますからね。こうなるともう死んだも同然です」
「どういう意味です?」
「人間は希望をなくしては生きていけない、などとよく言いますが、そんなことはありませんね? 欲望がありますから。なんらかの望みがあればそれだけで人間は生きます。とりあえずはね? 望みは目的になりますから。そして、人はゼロからでも望みを見出せる生き物です。根拠のない、期待と欲望が形成する妄想じみた望みを」
「……」
「さて、鉄さんは絶望的といえる状況のなか戦い続け、絶望的と言える条件のなかで生きてきました。それは強い望みがあるからです。では、その強い望みとは――目的とはいったいなんでしょうか?」
「…………」
「簡単ですよ。清算です。彼は自分の内にあるツケを清算したいんです。しかも、その払わなければならないツケの大きさというのは、彼が勝手に決めたものです」
「ツケ? なんの、ですか?」
「やっぱり気づいていませんでしたね? あなたは彼のことを何一つわかっていません。彼は、ここで償わなければならないことがあるのです」
「そんなことありません! あの人はみんなのために戦って、それで傷ついて……! あの人の、信念を超えた執念でみんなは救われた……ここにだって、あの研究所から助け出された人がいます! 罪をかぶせたのはあなた達じゃないですか! 裏切って! いまさら捕まえて!」
「違います。私が言っているのは『フォール』についてではありません。そして、不足なのです、それではね。言うつもりはありませんでしたが、彼自身も自分を万死に値すると思っていますよ。本人の談です」
「なにをしたっていうんです? あの人になんの罪があるって言うんです!?」
「それは本人の口から聞いてください。ただ、彼の目的は、自分の良心に従い自身を万の刑に処すこと、です。実に愚かですねぇ」
「そんな……」
「彼はね、良心に取り憑かれてしまったんです。彼は良心によって生きており、良心によって死ぬのです。それはもう、確実に」
「わたしは……」
「今から鉄ヶ山慎之介に会わせます。ユリア=トーレンや四柳保にも会わせていません。本人が望んだための特別な措置であることをお忘れなく」
黙りこむヨモギを見て、朱塔は少し心もとない声で言葉を足した。
「ヨモギさん、これは勝手なお願いですが……できるならば、彼のことを受け入れて……これが最後になるでしょうから」
朱塔にしては珍しく迷っているようだった。
どう話すべきか。何を話すべきか、いや、自分が何を話せるというのか。そういう迷いのようだった。
「……いえ、うまく言えませんね。忘れてください」
その者は雪呉竹の群雀、止まりては発ち止まりては発ち。飛べなくなったら地に眠り、発てなくなれば土に還る。
鉄ヶ山と会えば、何かが消え去ってしまう。ヨモギはそんな予感がしていた。
だが、ヨモギはまだ少女だ。淡い思いが期待をうんでしまう。不安と苛立ちがそれを際立たせて、余計な思考を塗りつぶしたいがために、心を躍らせようとしてしまうのだった。