●番外編 アイリッシュ・モルト 6
「あらまあ、ウィルフレッド! なんて気が利くの……美味しそうなお菓子!」
魔法小路の店から持ち帰った焼き菓子を見て、レディ・アリシアは歓声を上げた。
「愛を確かめる日に、わたくしに捧げ物をしたあなたのこと、わたくし忘れないわ。忍んでも、忍んでも、つい零れ落ち、美しい貴婦人のもとにさまよいいでる恋心。吟遊詩人が素敵な歌に仕立ててくれるわよ!」
「やめてください」
げんなりした風にウィルフレッドは言った。詩人の歌がどれだけでたらめかは、今までの経験から身に染みている。関わりたくない。
「例の店の菓子か? 魔法小路にありながら、魔法の出てこないという」
ミストレイク侯ロード・アランが問いかけた。
「はい。出てくるものは、菓子と飲み物ぐらいです」
「宝の持ち腐れですね。せっかくの魔法小路であるのに。その店の主は何を思って、そんな店を開こうと思ったのやら」
侯弟デイヴィッドが言う。
「さあ」
ウィルフレッドの返事に、彼は眉をしかめた。
「そうして、どうにも理不尽です。なぜ、入れるのがウィルフレッドだけなのです。わたしなら、使えるだけの力を探す。利用できそうなその店も、店主とやらも、使い道はいくらでもあるし、考えつく。
だと言うのに、……なんてのんきなんです、サー・ウィル。あなたときたら、食べて飲んで来るだけ!」
歯がゆい、とぼやいたデイヴィッドに、ロード・アランが太く笑った。
「デイヴィッド。おまえは賢い。俺よりもな。だが、いかんぞ。魔法小路は、人の手が触れて良いものではない。
あれはな。ただ、そこにあるだけで意味があるのだ。そうしてそれだけで、人には十分なものなのだ。
それがわかる者を、たまに引き入れる。わが騎士、ウィルフレッドが招かれるのは、これが何も考えておらんからだ。」
その言い方だと、俺の頭が空っぽだという意味になりはすまいか。と、ウィルフレッドは思った。
「けなしたわけではないぞ、わが騎士よ。おまえはわが剣であり、盾であろう。剣にも盾にも、重要なのは使い手の度量。そのものの頭は第一のものではない。ま、俺にも誇るほどの頭はないがなあ」
ロード・アランが言って笑った。
「そういうわけでな、デイヴィッド。われらは駄目だ。領主として、貴族として、力あるものは利用しようと、どうしても考えずにはおられん。ゆえに、われらは招かれぬ。
そうしてこやつは、こやつであるがゆえに招かれる。
だが、それで良いのだ。われらはミストレイク。知恵と知識を磨き、勇気と屈せぬ心を持って、今まで生き延びてきた。そのような一族だ。そのような民だ。
手っ取り早く魔法を使って、楽をしようなどと思えば、そこからわれらの衰退が始まる。この領土も崩れ行くだろうよ」
ロード・アランの言葉に、デイヴィッドは神妙な顔をし、「はい」とうなずいた。
「わかっております、兄上。わかってはいるのです。しかし、……どうにも惜しい。そう考えずにはいられないのです。あの場所には知識があり、力がある。そうとわかっていながら、手が出せないとは」
「手に入らぬからこそ、輝くものもある。魔法小路は人の世のものではないのだ。物語のまま、置いておけ。
そのように余裕ある態度を見せる。それが、領主一族の男子としての、ひいてはミストレイクの一族としての、
ロマンというものだろう!」
「最後の一言で台無しです。わが君」
思わず突っ込むウィルフレッド。
「アランは、それで良いのよ。策略やらなにやらは、わたくしたちが考えるわ」
口をもごもごさせながら、レディ・アリシアが言った。
「良い事を言っているようですが、つまみ食いをしながらですか」
「ほほほ。細かい事は気にしちゃダメよ、サー・ウィル。ほんと、美味しいわあ」
「そんなに美味しいですか」
「デイヴィッドも食べてみなさいよ。どうやって作っているのかしら」
「ああ、本当に美味しいですね、義姉上!」
二人して、絶賛つまみ食い中。わが道を行く侯爵夫人と、嬉々としてそれに付き合う侯弟に、遠い目をしながらウィルフレッドは、平和だな、と思った。
そこでふと、ミストレイク侯の趣味の「ロマン集め」、怪しい物ランドと化している棚の上の、謎の人形に目が行く。
一番良い場所に絹地を敷いて置いてある、白目を剥き出し、でろーんと舌を出している、不気味な人形。
「なんだ、どうかしたのか、ウィルフレッド?」
じっと見つめる騎士に気づいて、ロード・アランが訝しげな顔をした。
「マイ・ロード。あの人形ですが……どのような由来があったのでしょうか」
「人形? どれのことか……ひょっとして、あれか?」
振り向いたロード・アランは、不気味な人形を手に取った。
「それ確か、愛を守護するお守り人形よね。すごい顔だけど」
気づいたレディ・アリシアが言う。
「子どものころは、呪われそうで怖かったですよ」
デイヴィッドの言葉に、ウィルフレッドは眉を上げた。そんな昔から、この領地にある品物だったのか?
「ふむ。これはな。わが一族に代々伝わる、由緒正しいお守り人形だ」
「………………これが?」
疑わしげな目を向けてしまうウィルフレッドに、アランだけでなく、デイヴィッドもうなずいた。
「まあ、驚きますよね。でもそうなんですよ。初代のミストレイクの身を守り、愛を守った人形です」
「そうなのですか?」
「うむ。まあ、伝承だがな。ここを見ろ。傷があるだろう」
ロード・アランが見せた人形の腹部分には、斬りつけられた傷と、それをつくろった痕があった。
「一族に伝わる話ではな。わが祖先は、はるか彼方にある妖精の国の姫君と恋に落ちたらしい」
「そうなのですか?」
「うむ。だが、姫君と別れを余儀なくされてな。まあ、われらは人だ。いろいろと違いがあったのだろうよ。
その時に、姫君がこの人形を渡したのだそうだ。愛の形見としてこれを受け取ってほしいと」
物語は美しい。
なのになぜ、白目を剥いた人形。姫君、裁縫が下手だったのか。
「美しい話よね。人形は……まあ、ちょっとアレだけど」
レディ・アリシアも、さすがにフォローしきれないらしい。さりげなく、人形から目を逸らしている。
「それで」
「うむ。それでな。姫君が言うのには、命の危機にある時に、これが助けになる。だから、これを持てと言ったのだそうだ。
その時は二つあったらしいのだが、今、わが領地に伝わるのはこの一体のみだ」
こんな人形が二つもあったのか。とウィルフレッドは思った。並んでいたら、さぞ不気味だっただろう。
「事実、祖先が命の危機に陥った時に、この人形が身代わりになった。死んだと思ったのに、傷がなくなっており、代わりに人形が真っ二つになっていたそうだ。
この縫いあとは、その時のものよ」
ウィルフレッドの感想にはかまわず、ロード・アランは続けた。
「以来、祖先は姫君の愛を忘れることなく、子孫にこの人形を大切にせよ、感謝をささげよと言ってきかせた。それで、今に伝わっておる」
ウィルフレッドは人形を見つめた。
はげしく白目を剥いた怪しい表情。
舌をでろーんと出し、顔全体やら体全体やらに、不規則な縫い目がついている。
大切にしろと言ったのは、たたられそうで怖かったからではないのか。そっちの方が信憑性がありそうだ。手放せば、なんだか夢枕に立ちそうだし。
「兄上がロマンにはまったのは、この人形の物語がきっかけでした」
デイヴィッドの言葉にウィルフレッドはうなずいた。
「なるほど。結果として、強力に子孫にたたっていたわけですね」
「たたる? 何がだ」
「いえ、なんでも。力強いお守りであったのだな、と」
首をかしげたロード・アランに答え、ウィルフレッドは眉間にしわを寄せて人形を見つめた。俺が苦労するのは、おまえのせいか!
「別れたあとも、恋しい男の身を守り続けるなんて、愛のお守りとしては確かに力があるわね。姫君も、さぞ心残りだったのでしょうね……」
レディ・アリシアが言う。ロード・アランは「そうだな」とうなずいてから、ウィルフレッドに目をやった。
「しかし、これがどうかしたのか」
ウィルフレッドは何か言いかけてから、それをやめた。首を振る。
「いえ。実は、この焼き菓子を持ち帰るのに、対価を求められまして」
「ぬ? この人形は渡せぬぞ」
「ああ、いえ。対価はもう、支払っております。その、……麦わらとハーブで、愛のお守りを作らされました」
「あらあら。サー・ウィルフレッドの手作りのお守り? まあ。それはまた希少価値な品だこと!」
レディ・アリシアが笑った。
「おれ、あ、わたしの作る品に何か価値があるとも思えなかったのですが……三つ、作らされました」
「そうか。で、それがどうかしたのか?」
ロード・アランの問いに、ウィルフレッドは息をついた。
「いえ。その時に、……そのう。その人形に似たものを、見たのです」
三人が、ん? という顔になった。
「これに似た人形か?」
「はい」
「あらまあ。では、こちらで行方不明になった人形は、魔法小路に行っているのかしら」
「さあ……」
「そうかもしれませんよ、義姉上。伝承では、一体は炎に巻かれて焼けてしまったとありますが……人手を渡って、魔法小路に行きついていたのかもしれませんね」
デイヴィッドの言葉に、そうなのか、とウィルフレッドは思った。
「デイヴィッド。それは、やっぱり初代さまの伝説?」
「ええ、義姉上。初代さまだったか、その育ての親だったか忘れましたが。取り囲まれて、絶体絶命の状態で火を放たれたのですよ。小屋だったか、砦だったかに。
焼け死ぬと思ったら、生き延びたそうです。その代わり、お守りがなくなっていたと」
「まあ」
二人の会話を聞いていると、ロード・アランが言った。
「わが一族の伝説が、魔法小路に生き延びているというのは、なかなかに心をなぐさめるな。初代さまも喜ばれるだろう」
ロード・アランはていねいな手つきで、人形をそっと元に戻した。
「まあ、なんだ。この人形は、実をいえば、役目を果たし終えておるのよ。もう力の片鱗はない。だが、言ってみれば、愛の形見のようなものだ。だから、ここに飾っておる。一族の受けた恩を忘れぬようにな」
「初代さまは……どのような方、だったのでしょうか」
「さてな。いろいろと伝承はあるが。知恵と知識の豊かな男であったとか。たぐいなき剣士であったとかな。
ただ、この人形は、最後まで大切にしていたらしい」
「愛の……形見ですか」
棚の上で、白目を剥いた人形は、不気味な様子で斜めに傾き、鎮座ましましている。
「知りたくなかった……」
無表情にウィルフレッドはつぶやいた。うちの領主一族が初代から、趣味に問題があった、などとは。
* * *
領主夫妻とその弟の前を辞したウィルフレッドは、足早に自分の部屋に向かった。騎士団長である彼には、城の中に自室がある。
中に入ると、扉を閉める。周囲をうかがい、一つ息をつくと、自分の荷物をまとめて入れてある、無骨な衣装箱の蓋を、そっと開けた。
中には、白目を剥き、舌をでろーんと出した怪しい人形。
『対価として、サー・ウィルご自身の手で、愛のお守りを作っていただきます』
店主は、そう言ったのだ。そうして、四苦八苦して麦わらを編み、渡されたハーブやリボンを編み込んだウィルフレッドに、この人形を渡して寄越した。
『ちょっともらいすぎな気がしますので、これをどうぞ』
なんだ、この呪いの人形は。とその時は思ったのだが……。
「やはり、同じ人形……」
ロード・アランの所にあった怪しい人形と、瓜二つだった。不揃いな縫い目まで同じだ。
これは、焼けて消えてしまったという、もう一つの人形なのだろうか。しかし。
これを渡した時、店主は言った。
『大切にお持ちください。いつか、サーご自身か、サーの大切などなたかの命の危うい時に、一度だけこれが身代わりになるでしょう』
それまでは、人に見せずにしまっておいてくれと。そう言われた。
これが伝承にあるもう一体の人形なら、効果はなくなっているはずだ。ミストレイク初代の命を救ったのだから。
なのに、店主は効果があるという言い方をした。
なぜだ?
「しかし……見れば見るほど不細工だな」
しばらく考えていたがわからず、ウィルフレッドは結局、考えることを放棄した。人形を持ち上げ、つくづくと見る。
「だれが作ったか知らないが。趣味の悪い魔法使いか、妖精だったのだろうよ。まあ、良い。これは、ここに置いておこう」
手放したら呪われそうな気がするし。
人形を戻すと蓋を閉め、ウィルフレッドはそれきり、人形のことを忘れる事にした。自分は騎士だ。騎士に必要なのは、主君への忠義と、騎士としての腕。運や多少の才覚も必要だが、それが第一だ。
決してまじないや、魔法ではない。
* * *
おばばがねぐらに帰ると、とんがり帽子の小人が「ゆうびん、ゆうび~ん!」と言いながらやって来た。
「なんじゃ」
「ゆうびん、でーす。『ただの茶屋』のあるじどのから。受け取りをお願いしまーす」
ほい、と渡された物を受け取り、小人のためにクッキーとミルクを用意してやると、飲み食いしてから立ち去った。
「おや。お守り……おお。あの無骨な騎士どのの手作りか? なんとまあ、不器用じゃのう。形がひんまがっておるではないか」
布の袋に入っていたそれを取り出し、おばばは苦笑した。
「したが、……あたたかいのう。あのものの心根が伝わってきやる」
懐かしい。と思った。
これと同じものを、毎年作ってくれた男と少年がいた。
男は、少年を守る騎士だった。少年は、ただ一人生き延びた、とある一族の後継者だった。
彼らはここでしばらくの時を過ごし、……そして、元の世界に戻っていった。
無骨で、不器用で。でも温かい。そんな男たちだった。
「約束を破ったおまえさんたちの事なんぞ、もう知らぬわい。勝手に生きて、勝手に死によって」
そう言いながら、おばばは胸元のブローチをなでた。
「人の世の盛衰は、われらには、うたかたのもの。したが、おまえさんたちには、何よりも重要なものであった。それはわかっていたのだがな。のう、ミストレイクの。
おまえさんたちの子孫は生きて、生きてあるよ」
ヴァレンタインの夜が更ける。
* * *
「カカオにウィスキー、カカオにウィスキー♪ おっとな~な味の紅茶が好き~♪
あら? なにこれ」
自分の部屋にいたティラミスは、適当な歌を歌いながら、紅茶の袋をごそごそしていた。そうして、それに気がついた。
「編んである。手作り?」
麦の茎を使って編まれた、丸だかハートだか良くわからないもの。
「こんなの入ってたっけ。あ、メモがついてる」
『ヴァレンタインのギフト。おまけです。紅』
おまけかあ、とティラミスは思った。
「なんかカワイイ。ゆがんでる所があったかい感じ」
ふふっ、と笑うとティラミスは、その飾りを壁にかけてみた。
「うん、なかなか良いじゃなーい♪」
しっかりと編んである飾りは、なぜか仏頂面の騎士を思い起こさせた。
「なんか、……これ持ってたら、健康になったり、頑丈になったりしそう」
そう言ってからティラミスは、明日もがんばるかー! と伸びをした。
* * *
ヴァレンタインは愛の日。時を越え、祝われ続けた、永遠を願う優しい日。
空には星、部屋の壁には手作りの飾り。
そして、ほんのりとただよう、お茶やスパイスの香り。
ほんの少しの、優しさの魔法がそこにある。
お守り、と訳されるものにもいろいろありまして。
チャーム、アミュレット、タリスマンの三種類あります。
チャーム…縁起をかつぐ感じのもの。持っている本人が、見たらちょっと気分よくなる、ぐらいのもの。小石や羽など、小さなものが多い。幸運を招くもの、との意味合いが強い。ある品物を、本来の目的に使用せず、チャームとして扱うこともある。(だれかにもらったコインや、馬の蹄鉄など)
アミュレット…ちょっと効果があるかなあ。という感じのもの。何かのまじないや、文言が入っている。その目的の為に人の手が入って、細工されている。厄除けの意味合いが強い。
タリスマン…強力なお守り。マジックアイテムと言って良い。神々にささげられた、という意味合いを持つ。
ウィルさんが編んで作っていたのは、自分たちの心を込めて(←)編むタイプのものだったので、アミュレットにしました。
人形は強力なんで、タリスマン。白目を剥いていても、タリスマン。