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イトウ・スチール・カムパニー  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
18/18

異世界みたいなアメリカのメイン街 その2

 午後1時53分。


「イトウさん、どうかしましたか?」


 突然、大理石の床に響いていた足音を止めたイチタロウに、同行していたヘイワードが声をかけた。


 水曜日は、イチタロウにとって「銀行の日」である。


 月に一度、この時間になると、彼は記帳を終えた三冊の通帳を受け取りに現れる。


 二週間に一度、ニューヨークからの電信送金を確認し、払い出された20ドル金貨を地下の貸金庫へと静かに収める。


 それが旧貨のリバティ・ヘッドであれ、新貨のセント・ゴーデンスであれ、金の含有量には違いはない。意匠の美醜などは価値の多寡に関わらぬ瑣末な事象に過ぎないからだ。


 そして毎週、週給支払日に備えた現金を揃え、各口座間の資金を移動させる。


 その用件を済ませると、ブロードウェイ街からセカンド街の手前へと車を回させた。


 シティ・ホール (市役所)近くに店を構える「ピッグン・ホイッスル (Pig 'n Whistle)」か「クリストファーズ」へ寄るのが常だった。



 「ピッグン・ホイッスル」の重厚なマホガニーの扉を開ければ、壁一面に張られた面取りガラスの鏡が、シャンデリアの眩い光を幾重にも増幅させて客を迎え入れる。


 右手のソーダカウンターには、磨き抜かれた真鍮と大理石で構成された、精密な自動機械を思わせるソーダファウンテンが鎮座していた。


 アイスクリーム・ソーダを頼めば、銀製のホルダーに収まったグラスの中で、弾ける炭酸水と琥珀色のシロップ、そして白球のようなアイスクリームが静かに溶け合っていく。


 その冷たい甘味を堪能した後、「お土産」の包みを手にサード街にあるISCの工場兼倉庫へと戻る。


 これが、水曜日の鳩時計、イチタロウの行程であった。



「いや、見かけない顔だなと思いまして」


 イチタロウの視線の先、三月中旬の柔らかな日差しが差し込むロビーには、場違いな一団があった。


 壮麗な格子窓が落とす春の影の中に、数人の男たちが切り取られている。彼らは銀行の豪奢な天井を見上げ、感嘆と品定めが入り混じったような視線を注いでいた。


 漏れ聞こえてくるのは、通訳の英語と、それに混じる聞きなれた外国語、日本語だ。


「彼らは日本人ですか?」


 イチタロウは無言で頷く。その瞬間、男たちの一人がこちらの存在に気づき、迷いのない足取りで近づいてきた。


 傍らにいたヘイワードが、イチタロウの前に身を躍らせる。


 雇用主を護る盾となるその動きに、近づいてきた男は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに愛想のよい笑みを浮かべ、流暢な――しかしどこか事務的な――英語で語りかけてきた。



「失礼、こんにちは。失礼ながら、あなたは日本人の方とお見受けしますが?」


 イチタロウは、ヘイワードの肩越しに男を真っ向から見据えた。その瞳には、懐かしさも同胞意識も欠片ほども宿っていない。


「いいえ。両親は日本人ですが、私は合衆国の市民です。……お望みなら、日本語でも構いませんよ」


 完璧な英語で返された拒絶に近い自己紹介に、男は一瞬、虚を突かれたように沈黙した。


 だが、すぐに相手が「使える」人間であることを見抜いたのだろう。男は満足げに頷くと、今度は洗練された東京の言葉に切り替えて、慇懃に頭を下げた。


『はじめまして、浅野良三と申します。現在、父に同行して日本から視察に来ているのですが……もしよろしければ、少しお時間をいただけないでしょうか?』


 日本語に切り替わった瞬間、傍らに立つヘイワードにとって、その会話は意味をなさない「音」の連なりへと変わっていった。




 浅野良三は、浅野総一郎の次男になる。


 1910年当時、1ドルは2円。日本の国家予算がようやく3億ドルに届こうかという時代である。


 そのなかで、浅野系企業が掲げる公称資本金の総額は、1,000万ドルから1,500万ドルという、一民間資本としては途方もない規模に達していた。


 その双璧を成すのが、太平洋の波を蹴立てる東洋汽船 (公称650万ドル)であり、近代建築の礎を築く浅野セメント(公称250万ドル)であった。


 だが、この「公称資本金」という言葉には、明治という時代特有の危うい虚飾が潜んでいる。


 それは額面上の数字に過ぎず、実際に出資金のすべてが払い込まれているわけではない。当時の日本の商法では、資本金の四分の一さえ払い込めば、銀行であれ事業会社であれ、堂々と営業を開始することが認められていた。


 日本の金融界を見渡せば、その「張りぼての巨大さ」はより鮮明になる。



 公称資本金の順位をつければ、1,000万ドルの三井を筆頭に、華族の資産を預かる900万ドルの十五銀行。500万ドルの第一、三菱、安田、住友……。


 さらに250万ドル台の第百、三十四、山口、浪速といった顔ぶれが並び、日本の経済を牽引する「十傑」を形成していた。


 昨年、三井銀行が株式会社化に伴い出資金全額の払込を完了させたのは、極めて稀な例外であった。


 資本の蓄積が乏しい弱小国日本にとって、投資家の負担を抑えつつ、見かけ上の巨大資本を作り上げて大規模産業に投下するこの制度は、苦肉の策であり、同時に近代化を急ぐための知恵でもあった。


 銀行のみならず、鉄道、海運、紡績といった「巨大装置産業」のすべてが、この未熟な資本の砂上の楼閣の上に築かれていたのである。


 浅野良三がイチタロウに向けた視線には、こうした「国家を背負って立つ特権階級」としての自負と、それを支える資本の重みが凝縮されていた。



 日本の銀行が掲げる公称資本金は、一見すれば壮大だが、その内実はあまりに脆弱であった。


 自己資本比率は極めて低く、米国の厳格な「国立銀行基準」には遠く及ばない。それどころか、規制の厳しいカリフォルニア州などの州立銀行基準に照らせば、営業許可すら下りない代物だったのである。


 米国の「国立銀行 (ナショナル・バンク)」は、その全額を連邦通貨で払い込むことが鉄の掟として義務づけられていた。文字通り、実体の伴わない数字は一銭たりとも許されない。


 その一方で、州法に依拠する「州立銀行」の中には、法の目をかいくぐる歪な手法も存在した。過大評価された特許や、価値の定まらぬ原野を現物出資として充てがい、帳簿上の資本金だけを肥大化させる。


 米国の鉄道王たちや、巨大資本USスチールが振るった不名誉な手口――「水増し資本 (ウォータード・ストック)」の影が、そこには色濃く差していた。



 日本で唯一、1,000万ドル全額を払い込んだ三井銀行でさえ、この巨大な金融大国においては、ようやく「中堅」の端くれに指をかけたに過ぎない。


 同行していた父・浅野総一郎は、この米国の分厚いドルの壁を目の当たりにし、焦燥にも似た確信を抱いていた。


「日本も中途半端な銀行を乱立させるのではなく、資本を集約して巨大化しなければ戦えない」


 折しも米国では、長年守られてきた「一銀行一店舗主義」の煽りを受け、全米に散らばる銀行の数は数万から、あるいは十万の大台に届こうかという勢いで膨れ上がっていた。



 当時の日本における普通銀行すべての預金量をかき集めても、わずか7.5億ドル。


 特殊銀行である横浜正金銀行が資本金1,200万ドルを誇り、外国為替を独占して世界と渡り合っているのが現状だ。


 外資導入の窓口である日本興業銀行も、資本金875万ドルの国策銀行として、普通銀行とは一線を画す別格の存在として君臨していた。


 民間銀行に目を転じれば、その「小ささ」はより顕著になる。


 最大手の第一銀行ですら預金残高は3,200万ドル。三井が2,700万ドル、第百が2,500万ドルと続き、安田が1,700万ドル。


 その後を三菱1,550万ドル、住友1,500万ドル。三十四1,400万ドル。山口1,100万ドル。十五1,050万ドル。浪速950万ドルといった顔ぶれが追随していた。


 

 だが、ここ合衆国の基準は、その常識を根底から覆す。


 「一銀行一店舗」という厳しい足かせを嵌められた米国の国立銀行。その一角、ここロサンゼルスの「F&M (ファーマーズ・アンド・マーチャンツ)」だけで、その資本金は150万ドルに達する。


 さらに驚くべきは、積み上げられた剰余金と利益が180万ドル、預金額は1,300万ドル、総資産は1,600万ドルという、一店舗としては異常なまでの厚みであった。


 自己資本比率は常に15%から20%という、日本からすれば驚異的な健全さで推移している。


 何より、全米規模で見れば地方の一拠点に過ぎないこの銀行が、たった一つの店舗だけで日本の普通銀行預金ランキングの「第八位」に相当する資金力を有しているという事実。


 ロサンゼルス最大のこの銀行ですら、カリフォルニア州全体で見れば四番手に甘んじており、辛うじて全米にその名を知られる程度の「地方銀行」に過ぎない。



 カリフォルニア州、ひいては米国西部の金融を牛耳る巨頭たちの数字は、日本のそれとは次元を異にしていた。


 筆頭は「ウェルズ・ファーゴ・ネバダ」。資本金600万ドル、預金量3,200万ドル。総資産は4,500万ドルに達する。


 次いで「バンク・オブ・カリフォルニア」が、資本金400万ドル、預金量2,700万ドル。その総資産3,800万ドルと続く。


 三位のファーストが、資本金300万ドル、預金量1,300万ドル。その総資産1,800万ドル。五位のクロッカーが、資本金200万ドル、預金量1,100万ドル。その総資産1,500万ドル。


 これら上位四行の本拠はいずれもサンフランシスコにある。四年前の大地震によって街は倒壊し、炎に包まれた。


 人口がここロサンゼルスへと流出した後もなお、彼らは揺るがなかった。


 南北戦争後の「ギルデッド・エイジ」から蓄積された莫大なオールド・マネー (旧家)の底力が、歴史の重みとともにそこには厳然として存在していた。



 だが、真の「怪物」は東海岸、ニューヨークにある。


 全米五傑と呼ばれる国立銀行にいたっては、もはや数字の桁そのものが違っていた。


 全米一位「シティ」の総資産は2,8億ドル。二位「バンク・オブ・コマース」が総資産2,1億ドル。三位「ファースト」が総資産1,5億ドル……。五位の「ハノーバー」ですら、1億ドルの資産を軽々と計上していた。


 戦慄すべきは、その合算値である。


 ニューヨークに拠点を置くこれら上位五行の総預金量を合わせれば、約6.6億ドル。当時の日本国内にあるすべての普通銀行の預金総額、約7.5億ドルに肉薄する。


 日本全国の何千という銀行が、血を吐くような思いで国民から集めた資本のすべてが、ニューヨークの、わずか五つの建物の中に収まる預金量と大差ないのである。


 しかも、それらはすべて「一銀行一店舗」を貫く国立銀行であった。


 支店網という触手を広げることもなく、ただ一つの窓口で、一つの国に匹敵する富を吸い上げ、循環させていた。



 浅野総一郎ら一行が、この時期に敢えて米国へと乗り込んだのには、国家の命運をも左右しかねない三つの至上命題があった。


 第一の矢は、ウォール街の膨大な資金を日本へ引き込むことだ。


 当時の日本は、近代化の骨格たる鋼材の多くを欧米に依存していた。だが浅野は、単なる「買い手」に甘んじるつもりは毛頭ない。


 世界初の10億ドル企業として君臨する「USスチール」から製品を輸入する一方で、その裏側にある製造技術、そして莫大な資本そのものを日本へ移植しようと目論んでいたのだ。


 彼は米国の銀行団を前に、臆することなくこう説いた。


「日本に巨大な製鉄所を築けば、それは米国の石炭や鉄鉱石にとって、東洋最大の揺るぎない顧客となるだろう」


 単なる輸入業者を脱し、米国の資本的パートナーという対等な地位を勝ち取る――それが浅野の描く戦術であった。



 第二の矢は、ロックフェラー率いる「スタンダード石油」との、エネルギーの覇権を巡る交渉である。


 「石炭から石油へ」。時代の潮流がいまだ黒い煙の中にあった頃、浅野はいち早く次代の燃料革命を予見していた。東洋汽船が誇る「天洋丸」などの大型客船に、世界でも先駆的な「重油専焼缶」を採用したのもその現れだ。


 この巨大な鉄の鯨を動かすための血流――重油のバルク (一括)供給契約を結ぶこと。それは単なる燃料確保に留まらず、日本国内における石油利権を独占し、エネルギーの支配権を握るための布石に他ならなかった。



 そして第三の矢、これこそが「金融王」J.P.モルガンとの同盟であった。


 東洋汽船が太平洋を渡りサンフランシスコへ着岸した際、その乗客や貨物を、一刻の停滞もなく米大陸横断鉄道へと繋ぐ「陸海一貫輸送」。その実現のため、浅野はモルガンの絶大な影響下にある「サザン・パシフィック鉄道」との提携を画策していた。


 当時、米国では排日運動の火の手が激しく燃え広がっていたが、浅野は「ビジネスに国境はない」という冷徹なまでの合理的精神を旗印に掲げた。


 モルガン系の資本を深く抱き込むことで、日本の商船隊を米国の心臓部たる鉄道網と直結させる。排日の嵐をもねじ伏せる、強固な日米経済の鉄鎖を構築しようとしていたのである。




「昨年、渋沢さんの『渡米実業団』がロサンゼルスを訪れていましたが……。貴方もまた、新たな訪問団の一員なのですか?」


 イチタロウの口から出たその問いに、良三の眉がわずかに動いた。


「いやいや。渋沢先生らの一行とは性格が異なりましてね。我々は身内だけの、ごく小さな所用ですよ」


 良三は即座に、この男に声をかけたのは「失敗」であったと結論づけた。


 良三たちがロサンゼルスに立ち寄った目的は、サンペドロ湾の「埋立・港湾事業」の視察にある。


 将来の日本、あるいは浅野の版図を広げるため、浅野総一郎の熱心な希望によるものだ。



 金庫室から現れ、精悍な白人の護衛を従えた、一見すれば学生のような風貌の若者。その静謐を湛えた「目」に、良三は無意識に同類、あるいはそれ以上の何かを期待したのかもしれなかった。


 聞けば、両親を相次いで亡くし、カリフォルニア大学工学部を休学。今はリトル東京の片隅で、吹けば飛ぶような町工場を細々と営んでいるという。


 境遇は同情に値する。しかし、この男の言葉には、母国日本と、そこに住まう日本人との間に、明確で冷徹な一線が引かれていた。


 何より、日本の至宝たる渋沢栄一を「さん」という凡庸な敬称で片付けたその一点において、良三は確信した。


 この男は、日本人が等しく持つべき「敬意」を、どこかへ捨て去ってきたのだと。


 良三の価値観において、イチタロウはもはや「同胞」の枠から外れた、理解不能な「異邦人 (エイリアン)」であった。


「では、これで失礼する」


 もはや言葉を重ねる必要はない。良三はイチタロウに背を向けた。



 


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― 新着の感想 ―
浅野「万札様やぞ、先生つけんかい
そもそもイチタロウは「両親は日本人ですが、私は合衆国の市民です」と言ってるのに、「この男は、日本人が等しく持つべき「敬意」を、どこかへ捨て去ってきたのだ」なんて思われても…顔が日本人だからといって同胞…
なんか勝手に期待して勝手に失望して去って行ったな
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