表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イトウ・スチール・カムパニー  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
17/18

異世界みたいなアメリカのメイン街 その1

 1910年3月16日、水曜日。午後1時半。


 このわずか十年間で、ロサンゼルスの人口は三倍へと膨れ上がった。


 だが、その熱狂の伏線はさらに四半世紀以上も前まで遡る。三十年前にはわずか一万人規模だった地方都市が、その後の十年間で五万人へ、さらに次の十年でその二倍の十万人へと到達した。


 つまり、この三十年間で人口を三十倍にまで爆発させた計算になる。これが荒野を摩天楼へと変貌させた魔法の正体だった。


 その原動力は、柑橘類の香りのする地に足のついた農業ではない。


 地下から噴き出す世界一の産出量を誇る漆黒の原油。背後の山脈に眠る金銀の採掘、そして、際限のない人の波が引き起こした空前絶後の不動産開発だ。


 南カリフォルニアの野心家たちの合言葉は、常に「サンフランシスコに追いつき、追い越せ」であった。


 ギルデッド・エイジ (金ピカ時代)を象徴する北カリフォルニアの都や、大陸横断鉄道を牛耳る「ビッグ・フォー」といった鉄道王たちの巨大な影。


 それらを一気に振り払い、乾いた砂塵の舞うこの荒野に新たな富の王座を築こうとする「人口爆発 (ブーミング)」のうねりが、街の隅々にまで行き渡っていた。


 馬車のいななきと、産声を上げたばかりの自動車の排気音。それらが世界最大の路面電車網の軋む音と混ざり合い、ロサンゼルスは、プログレッシブ・エイジ (進歩主義時代)の巨大な怪物へと脱皮しようとしていた。



 そんなロサンゼルスにおける金融・商業の心臓部はメイン街にある。


 しかし、都市の重心は西へと脈動を続け、メイン街からスプリング街へ、さらにはブロードウェイ街へと急速に移動しつつあった。


 その時代の移ろいを見分ける方法は驚くほど簡単だ。


 夜の帳が下りたとき、通りを彩る電気街灯 (エレクトロリア)の一柱に灯る、ガラス製グローブの数を数えれば事足りた。


 古き良き中心地であるメイン街の電気街灯では、二連か三連グローブの夜に怯えるような灯り。


 一歩西のスプリング街へ足を踏み入れれば、その灯火は五連グローブへと増え、夜の影を押し返していった。


 そして、全米で最も明るい通りとまで称賛されたブロードウェイ街に至れば、街の野心と勢いを体現するタングステン電球が、七連グローブの中で燦然たる輝きを放っている。


 それはもはや夜を拒絶する、別世界の光景であった。


 いままでのエジソン電球の暗いオレンジとは違う。その鋭く、白く、透き通った輝きは、夜の闇を容赦なく切り裂いていた。


 東海岸のニューヨークと同じく、その「グレート・ホワイト・ウェイ (偉大なる白き道)」が放つタングステンの輝きは、野心に乾いた男たちの心をも和らげ、陶酔させるほどの魔力を持っていた。


 この光の階梯こそが、ロサンゼルスが古き地方都市の殻を脱ぎ捨て、近代都市へと脱皮していく進化の過程そのものであった。



 そのメイン街とフォース街の交差点の南西角。そこにある建物の東向きが、F&M (ファーマー&マーチャント・ナショナル・バンク)の正面になる。


 民間資本の銀行だが、連邦政府の厳格な監督下にある「国立銀行」だ。それは政府に預託した国債を担保に、自らの銀行名を刻んだ「独自の紙幣」を発行する特権を有することを意味していた。


 同じ区画内だけでも、六階建てのロサンゼルス証券取引所や、十一階建てを誇るジャーマン・アメリカン貯蓄銀行といった高層建築が林立している。


 その中にあって、五年前に落成したばかりのこの建物は、あえて高さを追わなかった。ギリシャ・ローマ神殿を模した新古典主義様式の石造り二階建て。


 その威容は、一等地を贅沢に占拠する単一店舗であり、その「国立銀行」の名称にふさわしい、揺るぎない権威の象徴でもあった。


 重厚な入り口の看板には「資本金150万ドル、剰余金および利益180万ドル」という数字が誇らしげに掲げられていた。ロサンゼルスで「最古かつ最大」の銀行。


 その名は、この街の信用そのものであった。



 そんなF&Mの東側正面や北側の道路は、常に自動車や荷馬車で混み合っている。


 そこに、東隣のロサンゼルス街から四番街を直進してきた一台の白いビュイック・モデル10「ツーリング」が現れた。


 メイン街との交差点、対向するイエロー・カーとすれ違いざま、小気味よいUターンを決めて銀行の北側に滑り込む。


 その小柄な車体を、するりと路肩の隙間へ収めると、車道側の助手席から飛び降りた男が鋭い視線で周囲を警戒し始めた。


 現れた東洋人の男に、行き交う通行人たちが好奇と警戒の混じった視線を投げかけ、足早に通り過ぎていく。


 東洋人は運転手と短く言葉を交わすと、護衛を引き連れ、巨大なコリント式の柱と三角形のペディメント (破風)がそびえる入り口へ向かった。


 自身の巨躯が落とす影に沈んだ東側の重厚な扉の向こうへと、彼らは吸い込まれるように消えていった。




 F&Mのロビーで、イチタロウは預けていた三冊のパスブック (預金通帳)の返却を待っていた。


 22フィート (6.7メートル)はあろうかというロビーの中央には、巨大なアーチ型の天窓が配置され、長方形の室内全体を柔らかな自然光で満たしている。


 天井から吊り下げられた重厚な照明器具、精巧な手すりを備えたロッジア (開廊)には、ヴィクトリア朝からネオクラシカルへと移ろう時代の装飾が随所に施されていた。


 その天窓を見上げ、格子状に並ぶガラスの枚数を数える。縦横四枚の十六枚で一つの正方形。


 それが横に一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ。今度は、縦に一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つに……。



「イトウさんはいらっしゃいますか?」


「はい、私です」


 テラー (窓口係)の声に、イチタロウは手を上げながら立ち上がった。


 その視線の先、美しく装飾された真鍮製の格子 (グリルワーク)越しに、西側のカウンターの後方を望む。そこには銀行という概念を明示するように、巨大な金庫が備えつけられていた。


 この時代の金庫は地下に隠すようなものではなく、顧客の信頼を勝ち取るための最も雄弁なショーピース (看板)だった。


 ISCの週給支払日は水曜日だ。そのため、毎週水曜日の午後1時半頃になると、イチタロウは給与分の金貨や銀貨を受け取りにF&Mへ足を運ぶ。


 ここ西海岸では、いまだ紙の手形や紙幣よりも、手のひらにずっしりと重い金貨の輝きが信奉されていた。




 当時、企業は一定期間ごとにパスブックを銀行へ預ける必要があった。


 それを銀行のブックキーパー (帳簿係)が、その期間に決済された小切手の支払い分をまとめて記入し、キャンセル (使用済み)のスタンプを押された小切手の現物と一緒に袋に入れて返却する。


 これを「パスブック・バランシング (通帳照合)」と呼ぶ。前世のように、引き出しのたびに窓口で通帳へ記帳する習慣はまだ一般的ではなかった。



 受け取ったイチタロウの仕事は、銀行から戻ってきた通帳や小切手の束を、自社内の「キャッシュ・ブック (現金出納帳)」や「チェックスタブ (小切手の控え)」と突き合わせ、一セントの狂いもないか照合することだ。


 将来的に業務が拡大すれば、専任のブックキーパー (事務員)を雇用し、オーディター (外部監査人)を招くか、パブリック・アカウンタント (公認会計士)に依頼しなければならなくなるだろう。




 一冊目は、イチタロウの個人口座。


 これは彼自身が管理している。かつてイチゴ畑を売却して手にした4250ドルを入金するために作ったものだ。


 二冊目は、ISCの「入金専用」口座。


 これもイチタロウの手元に置き、ニューヨークの代理店から振り込まれる売上の入金確認のみを行っていた。


 三冊目は、ISCの「支払・経費用」の出金口座。


 これは将来的に通帳照合を任せるため、ブックキーパー (事務員)へ預ける予定の通帳だ。



 二冊目と三冊目の口座開設にあたっては、英独仏の通信販売会社五社のニューヨークの代理店たちが、その「口利き」を買って出てくれた。


 彼らの強力な紹介状 (レター・オブ・イントロダクション)がなければ、新興の日系企業がF&Mの重厚な門を叩くことなど叶わなかったはずだ。


 この三冊の通帳に対応する小切手帳 (チェックブック)は、イチタロウが自社の金庫に厳重に保管している。必要な分だけを一枚ずつ切り離し、自らサインを施して会計担当に渡せばよい。



 「通帳を持つ会計士」と「小切手にサインする経営者」。


 この両者を物理的に切り離す内部統制こそが、膨張を続けるISCの資産を守るための、イチタロウなりの防護壁であった。


 この時代のブックキーパー (事務員)という職種の危うさは、単なる計算ミスでは済まされない。


 横領が露見してマフィアやギャングに消される例は枚挙にいとまがないが、あろうことか、暗黒街の連中から金をかすめ取って報復されるような不敵な輩さえ、この街には溢れていたのだ。



 実際、いまやISCの入金口座には、ニューヨークの銀行を経由し、枝葉を滴る雨滴のごとくドルが流れ込み始めていた。


 主力製品である「一体型ルナ・スチール中型包丁」の、通信販売会社への卸値は一丁1.5ドル。これを欧州五社のカタログでは、本体価格2.10ドルで掲載する。


 付随する消耗品も抜かりはない。ホースハイド (馬革)を用いた専用の木台付き革砥が60セント。酸化クロムを配合した専用研磨ペーストが20セント。


 極めて硬度の高いルナ・スチールを既存の天然砥石で研ぐことは、熟練の研ぎ師ですら困難を極めるからだ。



 この専用ペーストの成分構成については、先のアレクサンドリア・ホテルでの会合にて開示済みだ。英独仏の三カ国が共同で量産体制を整える手はずになっている。


 これらを揃えたセット価格2.90ドルのところ、特別カタログ価格として2.85ドルを提示した。


 さらに継続的なリピート需要として、貼り替え用の交換レザーを40セント、追加ペーストを20セントで用意している。


 年一、二回を想定した「通信販売会社認定工場」への研ぎ依頼は一回15セント。2.85ドルの初期投資でこのメンテナンス・システムを導入すれば、数年で元が取れるという「家計の合理性」を説いた。


 欧州市場における「2.1ドル」という小売価格が放つ衝撃は、想像に難くない。



 イギリスでは、約8シリング7ペンス。これは熟練工の一日半分の賃金に相当する。


 9シリングを切る価格設定は、中産階級の家庭にとって「実用的な高級品」という揺るぎない地位を約束するものだ。


 ドイツでは、約10.5マルク。ベルリンの熟練工が三日間、汗して稼ぐ給与に匹敵する。


 一生モノの「ルナ・スチール」がこの価格で手に入るという提案は、質実剛健を尊ぶドイツの家庭を驚愕させるに違いない。


 フランスでは、約13フラン。中堅官吏の数日分の食費に等しい。


 だが、継ぎ目のない一体成型がもたらす「絶対的な衛生」は、パスツール以降、フランス全土で高まりを見せる公衆衛生思想に合致し、価格を凌駕する価値として熱狂的に迎え入れられるだろう。



 本体を安く売り、替刃の継続購入で利益を吸い上げるジレットの商法を、単に模倣したわけではない。


 これは、英独仏の有力通信販売五社を介した、ISC製「ルナ・スチール」による世界規模のサブスクリプション (定額保守)モデルの構築であった。


 欧州五社は、本国のみならず自治領や海外植民地、さらにはアメリカ、中南米、清国、日本に至るまで、全世界に「外部研ぎ依頼用」の認定工場を整備することで合意に達している。




 1910年秋冬号で十二万丁、翌1911年春夏号で十二万丁。計二十四万丁という数字を提示してもなお需要を飲み込みきれず、先方からは既に年間生産百万丁という途方もない数字が打診されていた。


 これに対し、ロサンゼルスの鉄鋼三社との仕入れ交渉は、2月2日の時点で一丁あたり20セントから15セントへの引き下げを完了させている。


 このスケールメリットにより、梱包資材費や輸送費、保険料を含む総原価は、一丁あたり23.63セントから18.71セントへと劇的に低下した。


 ニューヨークの代理店からF&Mへの送金は、二週間に一度、火曜日に電信で届く。一パーセントの手数料を差し引かれ、水曜日か木曜日には現金化される手はずだ。


 2月16日の初回から数えて四回目となる今日。毎回二千三百四丁の納品分として振り込まれる額は、2,911.57ドル。


 その総計は、11,646.28ドルに達していた。



 


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ