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イトウ・スチール・カムパニー  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
13/18

異世界みたいなアメリカでの操業開始

 午前8時。


 壁時計の秒針が直立した瞬間、一期生のヘレン・キヨコ・フジモトによる高く澄んだ声が響き渡る。


「集合! 整列!」


 中央の作業台で雑談していた女性社員たちが弾かれたように立ち上がり、瞬時に南北のラインへと整列する。その全員がズボンの上から(くるぶし)まで隠すロングの巻きスカート姿だ。


 ソファから立ち上がり、彼女たちと正対したイチタロウは、その顔ぶれを見回した。


 今日の晴れ舞台を意識してか、七人の髪型はいつもより艶やかだ。額の上を高く盛るポンパドールや、側頭部をゆったりと膨らませるギブソン・ロール。


 詰め物や付け毛を駆使した流行のスタイルが、朝の光とタングステン光に縁取られている。


 本来ならば、彼女たちのような工場労働者、ましてや未熟練労働者がしていい髪型ではない。


(……だが、この格好では、ただの給仕かバリスタのエプロン姿にしか見えないな)


 全員が腰から手拭いをぶら下げているのは、当時の女性服の宿命――巻きスカートに「ポケット」という実用的な機能が存在しないためだ。


 当時の労働者階級では、大きなポケットのエプロン姿が定番だった。



 イチタロウは一呼吸置き、こう切り出した。


「午前8時、就業時間です。本日只今(ただいま)を持って、『ISC (イトウ・スチール・カムパニー)』の本格操業を宣言します。

 ……では、予定通り記念写真を撮りに屋上に上がりましょう。写真館の主人が上で待っています」


 左端の内階段まではわずか72フィート (22メートル)。


 この短い距離を、彼女たちが「ズボン姿」で路上に出て移動するわけにはいかなかった。それではすぐに街中の騒ぎとなり、格好の日系人叩きの口実を与えてしまう。


 ISCの船出を祝うはずの写真が、女性のズボン着用という「決定的な証拠 (スモーキングガン)」となっては本末転倒だ。


 下手をすれば、今日という日が操業開始日ではなく、廃業への引き金を引く記念日になりかねない。



 イチタロウは、用意していた38ポンド (17.2キロ)もの重量があるカメラ専用運搬箱を肩に担いだ。


 箱に収められているのは、12センチのカール・ツァイス (Carl Zeiss)を組んだ全長32インチ (81.3センチ)に及ぶ「大口径・単目的用」カメラボディだ。


 撮像体である乾板マガジンを敢えて切り離し、レンズ、シャッター、そして精密マウントのみで構成された鏡筒は、もはや南北戦争時の12ポンド山岳榴弾砲の趣すらたたえていた。


 米国の名門アルヴァン・クラーク (Alvan Clark & Sons)、ジョン・ブラシア (John A. Brashear)を退け、ドイツ製カール・ツァイスの天体望遠鏡レンズに決まったのは、中古市場に「死体」が転がっていたからだ。



 1906年のサンフランシスコ地震で鏡筒がひしゃげ、ラック・アンド・ピニオン (ピント調整機構)も壊れた12センチのアポクロマート「Bタイプ」。


 それは、来たるべき1910年のハレー彗星回帰を見据え、広視野写真観測のテスト用に特注された焦点距離800ミリの逸品だった。


 鏡筒と架台が一体となって価値を成す当時、それらが破壊された望遠鏡は、観測家にとって「修復不能なジャンク」に過ぎない。


 通常なら新品で300ドル、中古でも140ドルは下らないレンズが、わずか50ドルの捨て値でイチタロウの手に入った。


 赤・緑・青の三波長を同一平面に結像させるこのアポクロマートと、ルナ・スチールの鏡。この融合こそが、「色収差」という概念そのものを過去へと追いやる。



 女性社員たちも、22ポンド (10キロ)ある真鍮製の土木用大型ギア式三脚や、積み重ねた椅子、そして大小十箱のマガジンを運び出していく。


 大きいマガジンが、幅・奥行き共に11インチ (28センチ)、高さ9.8インチ (25センチ)の三箱。


 小さいマガジンは、幅・奥行き共に7.9インチ (20センチ)、高さ7.1インチ (18センチ)の七箱。


 マガジンは二種類。一つはシャッターを開放したままピントを追い込むための共用マガジン。もう一つは、三色のパンクロマチック乾板と二枚のハーフミラーを内蔵した大小二つの撮影用マガジンだ。


 一箱の撮影用マガジンには、手札判 (横8.2センチ、高さ10.8センチ)とキャビネ判 (横13センチ、高さ18センチ)の乾板が三枚づつ収められていた。


 エッチング加工を施したルナ・スチールのハーフミラーは、朝夕の低い色温度に合わせて光量を赤へ50%、緑・青へ各25%と最適に分配する。これにより、分光感度の異なる三枚の乾板の露光時間を、物理的に「同期」させる。


 光を三分割しても、12センチの大口径が取り込む光量はなお暴力的であった。


 2026年の知見とルナ・スチールの魔法が生んだ、三色分解カメラ。


 それはISCの船出を記録する、唯一無二の「目」となる。




 午前8時17分。


 雨季のピークにあたる2月のロサンゼルスには、昨日の快晴を引き継ぎ、一点の曇りもない青空が広がっていた。


 内陸の砂漠地帯から吹き下ろす乾燥した夜風と、日中に海から這い上がる湿った潮風。その二つの気流が入れ替わる「凪」の時間だ。


 この貴重な晴れ間は、本来なら界隈の主婦たちが屋上の場所取りに血眼になり、洗濯物が鈴なりになるはずだった。


 レンガ造りの三階建て『モレッティ・ブロック』は、南向きで幅100フィート (30.5メートル)、奥行き41.3フィート (12.6メートル)。高さは35フィート (10.7メートル)もある。


 ロサンゼルス街に近く、二、三階建てが並ぶこの界隈では絶好の物干し場だった。


 ところが、今朝の広々とした屋上に残るのは、一本だけの洗濯物ロープ。その唯一のロープでさえ、東南東から西北西へと斜めに伸びている。


 そのロープには、東南の角に据えた「大砲」カメラから、朝顔の蔓つるのように85フィート (25.9メートル)の長さの電球用ケーブルが絡みついていた。


 ケーブルは、『エジソン蓄電池A-4』五個と電磁石 (ソレノイド)を組み合わせた、イチタロウ自作の電気式シャッター・リリースだった。



 重厚なギア式三脚の上で、アリ溝 (ダブテール)レールを介して、撮影用マガジンと精密な一体構造を成すそのカメラの(たたず)まいは異様だった。


 本体後方には、三色の乾板を飲み込んだ9.9ポンド (4.5キロ)のキャビネ判マガジンが4インチ弱 (10センチ)も突き出し、重心を後ろに預けた獲物を狙う砲身のような威容を湛えていた。


 総重量69.9ポンド(31.7キロ)に及ぶ巨躯(きょく)――。


 その砲身は、85フィート (25.9メートル)先の被写体、二列十人の男女を静かに射程に捉えている。


 手札判の画角では彼らの姿が構図を埋め尽くし、一回り大きなキャビネ判を選択すれば、リトル東京の冷え冷えとした朝の情景が、その背後にうっすらと露呈することになる。



 三脚の三つの脚先には、それぞれ古新聞と5インチ (12.7センチ)四方の板が、緩衝材として慎重にあてがわれていた。


 屋上の水勾配をつけた床面は、野地板の上にロジン紙を敷き、タールを浸潤させたフェルトを五層に重ね、その上から溶解したタールを流し込んで砂利を撒いた「ビルトアップ・ルーフ」だ。


 そのまま重たい「大砲」で狙いをつけると、夏場は溶けたタールと砂利を押しのけて防水層を突き破り、冬場の今ではガラスのように脆くなったタールを叩き割って雨漏りの原因になる。


 板を敷くのは、単なる足場の安定のためではない。


 そんな「大砲」カメラのピントは、イチタロウが合わせることになっていた。



 屋上の北西角には、幅6フィート (1.8メートル)、奥行き12フィート (3.6メートル)、高さ8フィート (2.4メートル)のペントハウス (屋上階段室)が建物の壁からせり出すように立っている。


 そのレンガ造りのペントハウスと高さ1フィート (30センチ)のパラペット (手摺壁)に囲まれた一角に、特設の撮影スタジオが姿を現した。


 床一面には、椅子の高さを揃えるための古新聞が敷き詰められ、その上を20フィート (6.1メートル)四方の灰色の壁紙が覆っている。


 これは単なるレフ板ではない。カラー撮影において、黒ずんだタールと乱反射する砂利の床は、被写体の肌色を濁らせる最悪の背景となるからだ。


 幅18インチ (45.7センチ)の壁紙を15枚、小麦粉糊で丁寧に繋ぎ合わせて3ドル。


 その継ぎ目のラインは、被写体である十人の並びに対して斜め四十五度の鋭いアクセントを加え、平面的な屋上に奥行きという魔法をかけていた。



 河野写真館の主人、トクザブロウ・コウノに与えられた役割は、フォトグラファーというよりは「点火手」に近かった。


 カメラの射線から外れて、左斜め前20フィート(6メートル)の被写体十人の視線を「大砲」カメラに誘導し、電球ソケットを改造した特製スイッチのつまみを捻る――ただそれだけだ。


 同じ構図のカラー写真を、キャビネ判で一枚、手札判で二枚。


 その三回が終わるたびにコウノは「大砲」の射線へと入り、自前のカメラ『センチュリー・ビュー二番』を被写体の15フィート (4.5メートル)前に据え直す。


 そこからようやく、大八切判 (横16.5 センチ、高さ21.6 センチ)の白黒写真を二枚撮影する。


 三つの構図で、合計十五回のシャッター。



 もちろん、前段の「スイッチを捻るだけ」の作業には、拭いきれない居心地の悪さがつきまとっていた。


「先生! 手札判、二枚目の準備ができました!」


 助手のユウ・マツモトが暗幕から顔を出し、「大砲」のマガジン交換完了を告げる。「大砲」の影は、その高さの四倍近い長さにまで引き伸ばされていた。


「わかった! ……はい、皆さん! 向こうのカメラのレンズをしっかり見てください!」


 コウノは気を取り直し、椅子に座った四人と、その後ろに直立する六人の表情に意識を研ぎ澄ませた。彼らの影も足元から左後ろへと流れ、背後のレンガに焼きついている。


 狙い澄まして、つまみを一気に捻る。


 指先にはバネが弾ける「カチッ」とした硬い衝撃。直後、接点から「パチッ」と青白い火花が散り、冬の乾いた空気の中にオゾンの焦げた匂いが漂った。




 二週間前、メイン街 (N Main St)の河野写真館を訪れたイチタロウから、出張撮影の依頼を受けたコウノは、手渡された「撮影計画書」を一瞥して危うく鼻を鳴らしそうになった。


 計画書には、撮影現場となる『モレッティ・ブロック』の詳細な見取図が描かれ、カメラの据え付け位置から被写体の配置、果ては古新聞を敷く荷物置き場までが念入りに指定されている。


 南向きの建物は、正確には南西南を向いている。その朝夕の低い色温度を、直射日光ではなく『斜光 (サイドライト』として取り込み、被写体の陰影と立体感を強調すること。


 ペントハウスの壁に沿って壁紙を敷き詰めるだけで、カメラの射線に対して、その境目が自動的に四十五度のパースペクティブ (絵画的奥行き)を描くこと。


 失敗の許されない出張撮影なら、被写体の正面から満遍なく光を当てる『順光 (フロントライト)』が鉄則だ。


 影は立体感を生むが、一歩間違えれば表情を塗り潰す大博打になる。


 そんな高度でリスキーな「芸術作品」を、一分一秒を争う撮影現場で計算に入れようなんて、素人の浅知恵というほかなかった。



 そこまでなら、几帳面な若者の分を弁えない「こだわり」として受け流せた。


 だが――。三つの構図に対して各五回ずつシャッターを切るという、分単位の「進行時刻表」まで添えられているのはいただけなかった。


 写真は光の芸術だ。雲の流れ一つで露出は変わり、現場の空気を見て瞬時に判断を下すのがプロの領分である。そんな杓子定規な計算で、生き生きとした一瞬が切り取れるはずがない。


 2月のロサンゼルスは雨の季節なのだから。



 さらに不可解だったのは、人員の動線計画だ。


 後列左右に控える二人の白人――バーンズ探偵社の男たちは、一階で目を光らせるもう一人の白人警備員と入れ替わりながら撮影に臨むという。


 彼らは写真に納まる数分のために、わざわざ建物の一端にある階段を往復する羽目になるのだ。


 写真一枚のために、なぜこれほどまでに不自然で厳格な「持ち場」の交代が必要なのか。


 それはもはや記念写真の体裁を借りた、何らかの「軍事作戦」のようでもあった。


 当時のロサンゼルスでは労働争議が激化しており、資本家が探偵社を雇って「軍隊並みの規律」で施設を固めることは珍しくなかったが、従業員が未成年の女子七名に過ぎない小会社でこれを行うのは、明らかに「異常」であった。


(こんなことは警察や合衆国正規軍でもしないだろう。大手の探偵社というのは、これほどまでに執拗なものかね?)


 店内のドアベルを鳴らして去りゆくイチタロウの背中を見送りながら、コウノは誰に聞かせるともなく独りごちた。




 その「撮影計画書」で一番の問題なのは、カラー写真を撮影するレンズそのものだった。


 焦点距離800ミリ――天体望遠鏡用の、12センチを誇るツァイス・アポクロマート「Bタイプ」。


 その巨大なレンズを活かすためには、被写体との間に85フィート(25.9メートル)もの距離を置かねばならない。


 風景や人物撮影の王道、同じ口径の『テッサー・シリーズⅡb』であれば、焦点距離は540ミリでの事足りるはずだ。


 これなら、28フィート (8.5メートル)ほど被写体に近づいて撮影することができる。


 そのレンズ価格は、新品なら270ドル、中古でも180ドルは下らない逸品だが。



 それに比べれば、50ドルのジャンク品の天体望遠鏡レンズなどは、いかにカール・ツァイスの名を冠していようと、写真用としては「旧世紀の代物」に過ぎない。


 天体用レンズは、中心から同心円状に激しく歪んでいく19世紀半ばの『ペッツバール・レンズ』と同じ宿命を背負っている。


 周辺が流れるようにボケるその特性は、集合写真には致命的だった。


 さらに、前列左から三番目の人物に、十字マークの入った5インチ (12.7センチ)四方の「ターゲット・ボード」を持たせてピントを合わせるという手法も、フォトグラファーの常識からは逸脱していた。


 85フィート (25.9メートル)以上も先の、そんな小さな的で完璧なピントを得るなど、およそ現実的とは思えなかったのである。



 通常、この距離でピントを合わせるには、暗幕を被り、巨大なピントグラス (曇りガラス)に投影された像を、ルーペで舐めるように確認しなければならない。


 逆さまに映る被写体の瞳にピントの「山 (ピーク)」が来るまで、どれほどの時間を奪われるか知れたものではなかった。


 そう高を括っていたコウノだったが、屋上に現れた彼らの動きは、精密な時計の歯車のようだった。まるで訓練された劇団員のごとく淀みなく椅子を並べ、「大砲」を据え、その傍らには九つのマガジンが美しく並べられた。



 そして、85フィート (25.9メートル)という遠大な射程をものともせず、イチタロウは瞬く間にピントを合わせてみせたのだ。


 その光景を、コウノはただ呆然と眺めるしかなかった。


 イチタロウが用いたのは、暗幕に顔を埋める従来の方法ではない。マガジンの背面に装着された「フォーカス・アイピース」――天体望遠鏡譲りの高倍率接眼鏡を覗き込む、全く異質のスタイルだった。


 それは、フォトグラフィ(写真術)という「職人の感」の世界を、幾何学的な「光学の計算」へと塗り替える、冷徹なまでの進化の過程であった。




 午前9時2分。


「予定していた写真撮影も無事終えることができました。これから朝礼の続きを行います」


 イチタロウが一歩下がると、キヨコが壁際の蓄音機へと歩み寄り、静かに針を落とした。


 エジソン・ホーム・フォノグラフ、モデルC。本来の二分用ギアだけを排し、特注の四分用ギアを二重に組み込んだその機体は、三分強の『ラジオ体操』の専用機へと変貌を遂げていた。


 針が蝋の海に潜りゆく特有の摩擦音 (サーフェスノイズ)さえ聞こえないまま、突如として一期生リリー・ユリコ・ヤマモトの深い低音 (コントラルト)が居間に鳴り響く。


『それでは、足を揃えた良い姿勢をお取りください。――The Daily Exercises, Number One. (ラジオ体操第一)』


 ユリコの声は、当時の録音界に君臨していた女王エダ・ジョーンズを彷彿とさせる完璧な滑舌と、蓄音機の性能を限界まで引き出す豊潤な響きを備えていた。


 ピアノを弾くのは、大家の長女である十四歳のハナ・セトだ。練習中にイチタロウの拙い打鍵に耐えかね、自ら志願して鍵盤の前に座った少女である。


 だが、そのピアノの音も、ユリコの声も、聴く者の耳に「異常」を疑わせるに十分だった。



 それは蓄音機特有の、あの鼻にかかった頼りない音ではない。


 ユリコの喉が震える微かな振動、ハナがペダルを踏み込んだ際の木の軋みまでが、あたかもそこに実体として存在するかのように、鮮烈に再現されていた。


 セト家の居間 (パーラー)での録音に、イチタロウが持ち込んだ『ルナ・スチール』製の録音針を用いた必然の結果だった。


 当時の技術では刻みきれずに潰れてしまうはずの、ピアノが放つ鋭い倍音。


 それら高周波の情報のすべてが、ルナ・スチールの圧倒的な剛性とバネ性によって、蝋管の壁面へと精密に彫り込まれていた。


 標準的な銅や軟鋼製の録音針であれば、刻むそばから先端が丸まり、摩擦熱で歪んで音の輪郭をぼやかしてしまうだろう。


 しかし、極めて硬く、かつしなやかなルナ・スチール針は、ユリコの低い声の震えも、ハナの鋭い打鍵も、何ひとつ取りこぼすことなく刻印していったのだ。


 元となる「溝」が完璧であれば、再生に使うのがエジソン社純正のサファイア針であれ、使い古された安価な再生針であれ、音の鮮度は損なわれない。


 再生された空気はこもることなく、目前で生身の人間が歌い、弾いているかのような錯覚を生み出した。


 ユリコの深い低音が響き渡るたび、開口部直径21.5インチ (54.6センチ)を誇る十二枚のエナメル鋼板が戦慄(わなな)き、巨大な朝顔ラッパの音圧に呼応するように、部屋の空気までもがビリビリと激しく震え出した。


 録音針としてのルナ・スチールは、当時まだ市販さえされていなかった、硬いだけのダイヤモンド録音針を遥かに凌駕していたのである。


 『呼吸に合わせて腕を上に引き上げます』


 怪我防止のため、八人全員が指先まで神経を研ぎ澄ませ、真っ直ぐに伸ばしていく。


 ピアノの旋律とユリコの「指示」が流れる中、イチタロウと一緒に席を立ったヘイワードは、右端の窓から朝の路地を静かに眺めていた。


 先月十七日の朝礼から始まったラジオ体操は、ここISCにおいて、すでに誰にとっても疑いようのない「日常」となっていた。


 最後の一音が消え、蓄音機の針が溝を外れて空回りする、乾いた音だけが残った。



 1月12日に入社した一期生三名と、その一週間後に入社した二期生四名。


 十三日間の新人研修、二期生に至っては一週間も経っていない。そんなわずかな期間で、イチタロウが彼女たち七名の骨身に一番刻みたかったこと。


 それは、ISCの『社風』となるべき、2026年の企業文化だった。


 ラジオ体操が終われば、挨拶と体調確認。服装・装備の点検を経て、声を揃えての安全唱和。さらには生産状況や危殆(きたい)報告の共有へと、淀みなく進行していく。


 標準作業の徹底を期し、「今日の作業の急所 (コツ)」を一つだけ再確認する。


 整理・整頓・清掃・清潔・しつけ――日本語のまま導入された「5S」や、絶えざる改善(Progressive Refinement)の意識が醸成され、最後は持ち回りの三分間スピーチで締めくくられる。



「では、二十四時間以内に起きた、『良かったこと』や『新しい発見』を、十五秒程度で、お互いに話し合ってください」とキヨコの指示が飛ぶ。


 生産性は「発言のしやすさ」に比例する。脳をポジティブな状態に書き換えてから作業に入ることで、視野が広がり、人為的ミスは激減するのだ。


 ローテーション通り、イチタロウも一期生メアリー・シズコ・タナカと「グッド・アンド・ニュース」を交換する。


「……一番良かったことは、無事に今日という日を迎えられたことかな」


 腕組みをしたイチタロウが照れ隠しにそう切り出すと、シズコは堪えきれずに爆笑した。その明るい声につられるように、他の女子社員たちの間にも笑いの連鎖が広がっていく。


 空虚な「よかった探しのポリアンナ」や、場を冷やす「皮肉」は、ここISCでは厳禁だ。


 それらは聴く者の脳をネガティブな影に沈め、集中力を削ぐ毒でしかないからだ。



 女子社員全員が笑いながら作業台の席に着くと、「黙祷! 十秒!」キヨコが号令をかける。


 一転して静寂が支配した。


 目を閉じ、深く呼吸を整え、これから指先が行う作業のプロセスだけを脳裏に描く。雑念を払い、精神のスイッチを「生産」へと切り替えることで、操業直後の魔の時間帯に起きる事故を未然に防ぐ。


 「終了! 作業開始! ご安全に! (Safety First!)」


 「ご安全に! (Safety First!)」


 唱和が完了するまで、わずか十五分。彼女たちは迷いなく、自分の作業へと取り掛かった。



 このわずか十三日間の研修期間には、2026年のタイムマネジメントとチームビルディングの真髄が凝縮されていた。


 「集合!」の号令から整列完了までの数秒。蓄音機の針を落とすタイミング。指差し確認の鋭い動作。これらすべてが秒単位の設計に基づき、動作の無駄を削ぎ落とすべく彼女たちの肉体に叩き込まれている。


 「5S」や「カイゼン」という概念を、単なる効率化の知識としてではなく、「なぜそれが必要か」という哲学の域まで一期生に浸透させ、それを「共通言語」として二期生を教導させる。その連鎖こそがイチタロウの狙いだった。


 雇い主の面前で「自分の意見」を述べ、ミスに繋がる「危殆報告」を臆せず行う。階級社会の風潮が色濃いこの時代において、それは本来、震えるほどの勇気を要することだ。


 だが、それを「ISCの当たり前」にまで昇華させるための心理的壁の打破と、揺るぎない信頼関係の構築に、イチタロウは心血を注いだ。


 来年、三期生が入社してくる頃には、一期生や二期生が自ら「ISCの作法」を伝承していくだろう。


 イチタロウが言葉を尽くさずとも、キヨコやシズコの凛とした背中が、2026年の文化を物語る生きた教科書となっていくのだ。


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― 新着の感想 ―
感想に「て?」とありましたが始めは意味がわからなかった。感想欄を読んでたらただの言葉足らずの親切で少しほっこりした 
本文の前の部分に「て」がありますよ
面白いです、続きも楽しみにしてます。
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