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イトウ・スチール・カムパニー  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
11/18

異世界みたいなアメリカのモンテベロ

 1910年1月28日、金曜日。午後5時19分。


 冬の短い日は既に沈み、ロサンゼルスの空には深い群青色の残照がわずかにへばりついている。


 サード街(E 3rd St)の北側に建つ、古びたレンガ造りの三階建て雑居ビル『モレッティ・ブロック』。一つの大きなレンガ造りの建物の内部を壁で区切り、複数の区画を収容する形態を「コマーシャル・ブロック」と呼んでいた。


 その一番左には独立した内部階段があり、ショットガン・スタイルと呼ばれる細長い五つの貸店舗の間には、ビルを支える四本のレンガ柱が屹立している。


 四店舗目の間口は、アコーディオン式金網 (ボストウィック・ゲート)で厳重に閉じられていたが、五店舗目の間口だけは左側へ押し込まれ、右端に5フィート (1.5メートル)ほどの隙間を作っていた。


 かつてイタリア系のモレッティ氏が築き、今はユダヤ系のゴールドバーグ氏が所有するそのビル――。


 二つの店舗を隔てていた内部の壁が取り払われ、代わりに前後の仕切り壁が据えられた半屋外の空間、元「五店舗目」の内部に、エジソン電球の心許ないオレンジ色の光が灯った。


 一部だけ開いた金網の前には、モンテベロのマツイ農園 (Matsui Berry & Vegetable Farm)から来た馬車が、主の帰りを待つように静かに佇んでいる。


 月曜から木曜までは朝一度の汚穢(おわい)回収だが、週末の休みを控えた金曜日は、朝夕二回の回収が常となっていた。



 イトウ家のような初期の移民が、リオ・ホンド川沿いの肥沃な堆積土を手中に収めてから十数年。


 1892年、熊本から妻チヨと渡米したススム・マツイは、もはや川沿いに空き地を見出すことはできなかった。


 洪水のリスクを逆手に取った彼は、西へ1.5マイル (2.4キロ)ほど離れた「モンテベロ・ヒルズ」の斜面、水はけの良い砂礫の地を選んだ。


 川沿いの凍てつく霜を免れるその高台は、繊細な「ブラックベリー (Blackberries)」や「ラズベリー (Raspberry)」を育むのに最適だった。


 10マイル (16キロ)の道程を経てリトル東京へ届けられる鮮烈なベリーの甘みは、直卸しを可能にするマツイ農園の看板となった。


 長女テルコが働く『モレッティ・ブロック』周辺の飲食店や、日系人向けの八百屋 (Groceries)へ、新鮮なベリーの直接納品も行なっていた。


 副産物の「セロリ (celery)」と「カリフラワー (cauliflower)」も、当時、日系農家による全米シェアの独占が始まる冬野菜だ。



 さらに、昨年、ナインス街 (E 9th St)とサン・ペドロ街 (San Pedro St)に開設されたばかりの巨大市場「シティー・マーケット (City Market of Los Angeles)」に、卸売の軸足を移し終えていた。


 それまでのロサンゼルス・プロデュース・マーケット (Los Angeles Produce Market)などの中心的な市場は白人資本に支配され、激しい日系排斥運動や市場での買い叩きといった、不当な扱いを受けていたからだ。


 むしろベリー類は、イトウ家のイチゴよりも傷みが早い性質ゆえに、卑劣な買い叩きの対象になりやすい側面があった。


 市場に到着した日系農家の馬車に対し、白人の仲買人たちはわざと検品を遅らせたり、「今日は供給過剰だ」と嘘をついて数時間放置させる。


 ベリーから果汁が染み出し始める (リーキング)と、仲買人は「ゴミ同領だ」として、生産コストを大幅に下回る二束三文の価格を提示してくるのだ。


 農場へ持ち帰れば全て腐って廃棄になるため、農家は泣く泣くその価格で売るしかなかった。


 日系人や中国系、イタリア系などの「非主流派」が出資して作った新市場のシティー・マーケットへ軸足を移すことは、白人仲買人による搾取から脱却するための「経済的抵抗」だった。


 ただ、イトウ家はこの新しい波に乗ることはできなかった――。




「後ろ、通りまーす!」


 黒いトーク帽 (Toque)を被ったフローレンス・テルコ・マツイの、寒さを弾き飛ばすようなハキハキとした声が響く。


 1月12日に入社した十七、八歳の一期生三名。その一週間後に入社した十六、七歳の二期生四名。テルコはその七名のうちの一人、十六歳の若き「社員」だった。


 採寸して仕立てられた『ISC』女性社員の制服――。男装と見紛う黒い三つ揃いのスーツと白いワイシャツに身を包んだテルコの左胸には、全身でたった一つだけのポケットが配されていた。


 そのジャケットにはボタンもボタンホールもなく、黒いサスペンダーに黒い革靴、そして黒いクラバットのみが添えられている。


 ボタンという「留め具」を一切持たないにもかかわらず、ジャケットはテルコの激しい動きに吸い付くように沿い、不自然な皺ひとつ寄せていない。



 リトル東京の腕利きの職人が、イチタロウの指示のもと、布を人体に直接あてがう「立体裁断」という未知の手法で作り上げた、いわば第二の皮膚になっていた。


 その左胸のポケットには、機械的なまでに冷徹な規律を感じさせる「アクチデンツ・グロテスク」体で、『ISC』のロゴが金糸で刺繍されている。


 彼女は低いカートを巧みに操り、特注のゴムパッキンで厳重に密閉された市販の15ガロン――約57リットル――のバケットを運び出そうとしていた。


 そのバケットの底では、3.2ガロン (12.11リットル)の尿が揺れている。テルコの腰からぶら下がる豆絞りの手拭いも、同じリズムで揺れていた。


 いつしか、女性社員たちは各々(おのおの)が腰に手拭いをぶら下げるようになっていた。


 それは、機能性を度外視し、あまりにデザインを優先しすぎたイチタロウの敗北の証でもあった。



 テルコの後ろには、三基の改良型アーストイレ (Dry Earth Closet)が並んでいる。


 その寸法は、幅3フィート (91センチ)、奥行き5フィート (152センチ)、高さ8フィート (244センチ)。快適性と省スペースを両立した設計だ。


 ただ溜めるだけの不衛生なバケットトイレ (Pail closet)とは違い、排泄のたびに土や炭を被せるアーストイレは、当時としては先進的な試みだった。


 奥に女子用二基、手前に男子用が一基。その間には、大鋸屑や腐葉土、消し炭を詰めた袋に加え、乾燥した「茶殻」、木酢液(もくさくえき)の消毒スプレー、予備のバケットなどが整然と棚に収められていた。


 石炭酸 (フェノール)の鼻を突く臭いは、母キヨの死に様を思い出させるからと、イチタロウが忌避した結果の設えだ。


 そんな『未来の知見』が凝縮されたアーストイレの空間上部には、真鍮網の細かい大きな明かり取りが設けられていた。


 ハエ一匹たりとも侵入を許さぬその厳重さは、当時の「公衆衛生上の危害 (Public Nuisance)」に対するイチタロウなりの回答でもあった。



 ――ロサンゼルスにおける衛生環境の議論において、日系人だけが「不衛生」というプロパガンダに晒されていた状況には、明確な人種的偏見と政治的意図が介在していた。


 白人主流派にとって、日系人を単に「経済的脅威」と呼ぶよりも、「公衆衛生上の危害 (やっかい者)」と呼ぶ方が、リベラルな進歩主義者や当局を動かしやすかったからだ。


 サード街を挟んだ南側の黒人居住区も同様に、過密居住と設備の老朽化に苦しんでいたが、彼らは「排除すべきライバル」ではなく「隔離すべき対象」と見なされ、日系人ほど執拗な「清掃・退去キャンペーン」の標的にはならなかった。


 このため、下水道網が整備された地域では、腸チフスやコレラの蔓延を防ぐ名目でアーストイレの使用が規制され始めていたが、イチタロウの作り上げたシステムは、それら既存の規制を嘲笑うかのような清潔さを保っていた。



 今月7日、イチタロウはロサンゼルス市公衆衛生当局へ出頭。


 職場環境の改善策として、「好気性細菌による分解」「防虫構造」「農家との正式な回収契約」の三点を提示した。


 彼は、整備の遅れた不完全な水洗式トイレ (Water Closet)よりも、管理された改良型アーストイレの方が遥かに衛生的であると主張。


 リトル東京では、大家が本来水洗トイレを設けるべきスペースを惜しみ、強引に貸室へ回している。その結果、一つの水洗トイレを四十人で共用せざるを得ない窮状があった。


 そんなトイレを清掃する暇などあるはずもなく、不衛生な環境での女子社員の待ち時間は「無駄の極み」である――。


 それがイチタロウの言い分だった。



 当局による書類審査と、契約先の農家および資材提供元の木材場への事前照会を経て、イチタロウが提示した「資材調達から廃棄物回収に至る一連の効率的な運用 (エフィシェント・オペレーション)」の確実性が証明された。


 同月18日、サード街134番地を訪れた検査官は、実際にクランクを回しての消臭効果と真鍮網の防虫性能を確認し、「馬糞の散らばる表通りより清潔である」と断じた。


 そして同月21日、水洗化推奨地域における「コルク抜き型スクリューの改良型アーストイレ」の特例使用許可証 (Permit)が、異例の速さで発行された。


 アメリカ全土を覆う進歩主義 (プログレッシビズム)の熱気が、その背中を押したのは間違いなかった。




 その改良型アーストイレの便座の穴 (落下点)は、奥の壁から1.5フィート (45センチ)ほど離れた位置に据えられ、その直下には、車輪付きの台座に乗った処理槽バケットが収められていた。

 

 二十四時間で汚穢(おわい)回収されるバケットの中の大鋸屑、腐葉土、消し炭は、「堆肥化 (コンポスト化)」より「視覚的な遮蔽と初期消臭」を重視していた。

 

 特筆すべきは、その攪拌(かくはん)機構だ。


 二本のコルク抜き型スクリューは、壁側の斜め後方からバケット内へと突き出している。排泄物は攪拌軸に触れることなく「何もない空間」を落下し、バケット底のおが屑や消し炭の中へと没する。


 便座上部の正面ハンドルを回せば、内部のベベルギア (傘歯車)が小気味よい音を立てて回転を伝え、スクリューが音もなく汚物を覆い隠していく。



 鋳鉄製のメス側に、鋼鉄のオス軸が数インチ噛み合う「スクエア・ドライブ (角軸)」のジョイントは、遊び (ゆとり)を大きく取ってある。


 多少バケツが歪んでも回転し、摩耗しても「タロー (牛脂)」を差せばスムーズに動き、バケット交換時には、スクリューを便座の斜め後ろ上方にある空間にシュッと引き抜けた。


 軸が汚物で汚染されることを物理的に排除したこの設計こそが、イチタロウの誇る『未来の知見』だった。



 一時間おきに、排泄物が通過する小さなファンネル (漏斗)は、落とし紙を挟んだブラシと純石鹸水のスプレーで徹底的に洗浄される。


 虫の侵入を防ぐゴムパッキンがなされた便座の蓋の下には、悪臭の元凶となる尿と便の混同を避ける「ドレイン・オフ・システム」が備わっていた。


 前面の金属レシーバーで分離された尿は、一時間ごとのトイレ清掃時に「人力」で回収される。その三基分の尿を合わせた重みなど、農家育ちの十六歳の少女にとっては造作もない。


 テルコは慣れた手つきで、密閉バケットへと移し替えられた「黄金の液体」を外の馬車へと運び出していった。




「張り切りすぎてぶちまけるなよ、お嬢ちゃん (Doll)」


 守衛室の影から、大柄な警備員、ジェームズ・"ジム"・キャラハンが、ひどく鼻にかかったニューヨーク訛りで軽口を叩いた。


 その「お嬢ちゃん (Doll)」という呼びかけは、彼なりに「これなら怒られないだろう」と歩み寄った上での、精一杯の愛想だった。


 キャラハンは、ニューヨークの過酷なスラム街、ファイブ・ポインツで育ったアイルランド系移民二世だ。


 1898年の米西戦争ではアメリカ陸軍としてキューバ戦線の硝煙を潜り抜け、退役後はフィラデルフィア市警に奉職。だが、より高い報酬を求め、全米に名を馳せるウィリアム・J・バーンズ探偵社 (William J. Burns National Detective Agency)へ転じていた。


 粗暴な一面はあるが、どこか冷めた眼差しを持つこの大男は、主にストライキ現場の「威圧担当 (Reserve)」として各地を転々としてきた。



 一昨日の朝、初めて娘たちのズボン姿を目にしたキャラハンが「よぉ、ハナタレ共 (Kids)」と片手を挙げた瞬間、空気は凍りついた。


 この時代、女性がズボンを履いているというのは、ジャンヌ・ダルクの故事と大差なかった。それは単なる装いではなく、公序良俗に反すると見なされることもある、警察の取り締まり対象ですらあった。


 当時、ニューヨークやシカゴなど、アメリカの多くの都市には「異性装禁止法」が存在した。


 公共の場で女性が男性の服 (ズボン)を履くことは、それだけで「不道徳」と断じられ、警察に連行される可能性を常に孕んでいた。


 かつて法を守る側の警官だったキャラハンにとって、その姿は「保護すべき未熟な存在」――すなわち、無意識に「ハナタレ共 (Kids)」として分類されるべきものだった。


 しかし、ニューヨークのファイブ・ポインツでは日常的な挨拶に過ぎなかったその言葉は、ここロサンゼルスでは通用しなかった。


 拳を握り、制服のシワ一つない背筋を伸ばして詰め寄る七人の「ズボン姿の東洋人」に、戦場を潜り抜けた大男も、流石にたじろぎ後退(あとずさ)りするしかなかった。



 キャラハンの故郷において、「お嬢ちゃん (Doll)」や「可愛こちゃん (Dolly)」は決して蔑称ではない。


 それは「身内の可愛い娘」や「タフな環境で健気に生きるおなご」へ向けた、荒っぽい敬意を込めた親称だった。


 前回の「ハナタレ共」で猛抗議を受けたため、彼なりに「女性として扱い、少し敬意を混ぜて歩み寄った」つもりで使っていた。


 彼は彼なりに、彼女たちを「一人前の女性」として扱い、不器用な挨拶を投げかけた。


 だが、ロサンゼルスの進歩主義の中で育つ彼女たちにとって、その言葉に彼が込めたような温かな響き (ニュアンス)など微塵もない。


 キャラハンは、救いようもなく残念な男だった。




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