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イトウ・スチール・カムパニー  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
10/18

異世界みたいなアメリカの一体型中型包丁

 1910年1月27日木曜日、午前10時30分。


 ロンドン、ヘイマーケット (Haymarket)。カールトン・ホテルの厨房は、正午のランチョンに向けた、「風のない嵐」の渦中にあった。


 同系列で開業わずか四年のザ・リッツ・ロンドンに、最も「ファッショナブルで革新的なホテル」の座を譲ったとはいえ、オーギュスト・エスコフィエにとって、1899年の開業以来、このカールトン・ホテルは揺るぎない自身の拠点 (ディレクトゥール・ド・キュイジーヌ)である。


 彼の料理を求め、世界中の王侯貴族や富豪が美食の巡礼に訪れる。


 隣接する国王陛下劇場 (His Majesty's Theatre)とともに、ここはまさにウエスト・エンドの社交界を司る心臓部だった。


 その厨房の(あるじ)は、定位置から一歩も動かず、鋭い眼光だけで「厨房旅団 (ブリガード・ド・キュイジーヌ)」を統率している。軍隊さながらの分業体制のもと、料理人たちは密やかに、かつ規律正しく持ち場を死守していた。



 季節は冬の最盛期。


 調理台の上には、羽を毟られたばかりの野性味溢れるライチョウやキジ、泥の香りを纏った黒トリュフが山と積まれていた。


 エスコフィエは、これら重厚なジビエのローストを主軸にしつつも、パースニップ (サトウニンジン)やビーツといった根菜を洗練されたヴィネグレットで和えた「サラド・ディヴェール (冬のサラダ)」を添えることで、フランス料理をより軽やかで知的なものへと変革しようとしていた。


 しかし、その硬質な表情の裏側で、彼の心は千々に乱れてもいた。


 一週間前から続くパリのセーヌ川の増水。泥流に沈みゆく故郷の惨状は、電報を通じて刻一刻と届いていた。かつて彼が魂を吹き込んだリッツ・パリの厨房は、今ごろ暗い泥水に呑まれているのではないか。


 そこへ、場違いな一人の男が現れた。



 盟友セザール・リッツの使いである。


 リッツは数年前から健康を損ない、第一線を退いていたが、いまだに「ホテル王」としての威光を失っていなかった。


「ムッシュ (Monsieur)、リッツ氏より言伝です。ハロッズから届けられたこの試作品について、貴方の意見を仰ぎたいとのことです」


 差し出されたのは、革のケースに収められた一丁の包丁だった。「錆びにくい」という触れ込みだという。


 エスコフィエは、ケースの隙間から覗く、異様に光り輝く金属製の柄に眉を顰めた。そこには、見慣れぬ『ISC』という刻印が穿たれていた。


 (「錆びにくい」包丁だと? この忙しい時に、リッツは何を……)


 思わずエスコフィエは舌打ちをしそうになった。



 リッツが華やかな接客と演出の給仕形態 (セルヴィス・オ・ゲリドン)を担い、エスコフィエは合理的かつ芸術的な厨房組織 (ブリガード・ド・キュイジーヌ)の統制という確立された分業スタイル。


 彼にとって厨房は聖域であり、外部からの安易な介入は、己の統率権への侵犯に等しかった。だが、その包丁を引き抜いた瞬間、エスコフィエの長年の常識は音を立てて崩れ去った。


 刀身に映っていたのは、驚きに目を見開く自分の顔だけではない。背後の厨房の喧騒までもが、磨き抜かれた鏡のように鮮やかに映しとられていた。


「……鉄の匂いが、しない」



 エスコフィエは、白身魚やフルーツといった繊細な食材に「鉄の匂い」が移ることを、何より忌み嫌っていた。その彼が、この未知の金属から一切の金臭さ (グー・メタリック)が発せられていないことに、本能的に気づいたのだ。


 完璧な重心バランス。掌に吸い付くような冷徹な感触。この全金属製の一体型包丁は、この世のものとは思われない。


 エスコフィエは一度、深く目を閉じた。


 そして、その魔術的な刃を静かにケースへと戻すと、軽く頭を振ってから再び眼前の戦場へと意識を研ぎ澄ませた。


「今はいい。……終わってからだ」


 巨匠の低い声が、沸き立つ蒸気の中に消えた。




 その日のランチョンが終了し、喧騒の余韻が冷めやらぬ厨房。


 総料理長 (シェフ・ド・キュイジーヌ)でもあるエスコフィエは、実務の核心を担う副料理長 (スー・シェフ)や、各部門を統べる部門シェフ (シェフ・ド・パルティ)たちを一堂に会させた。


 エスコフィエが下した異例の招集に、厨房の精鋭たちは緊張の面持ちで居並んでいた。


 厨房の壁面は白いタイル張りとなっており、(まばゆ)いタングステン電球の下で、厨房全体が明るく清潔感のある白銀の世界のようだった。


「皆、これを見よ」


 (きら)めく樹氷のような包丁を全員に見せつけてから、エスコフィエは試し切りを始めた。



 まずは完熟したトマト、次いで瑞々しいタマネギ。


 鋼の包丁であれば、酸に触れた瞬間に刃先から腐食が始まり、タマネギの強烈な硫黄臭が金属と反応して、あの忌まわしい濁りを生む。


 だが、この鏡面の刃はどうだ。タマネギの細胞一つ一つを潰すことなく、紙よりも薄く切り刻んでいく。


 刺激臭が揮発する暇さえない。涙が溢れる前に作業は終わり、まな板に残されたのは、真珠のような光沢を放つ微細な断片だった。そして刃身には、曇り一つない。



 次に、エスコフィエはフランス料理における薄切りの極致――向こう側が透けるほどの精密な断裁を披露すべく、芯まで冷やし固められた『牛フィレ肉』の塊を手に取った。


 生半可な包丁では、脂が固まった冷えた肉に刃が滑るか、逆に肉を潰してしまう。


 炭素鋼の包丁にとって、肉の酸や血液は天敵である。触れれば即座に酸化が始まり、肉に「血の味 (グー・ド・サン)」にも似た金属臭が移る。それが料理人の抗えぬ宿命だった。


 しかし、この鏡のような刃は、肉の繊維を完璧に分断しながら吸い込まれるように流れる。現れた断面は宝石のように深紅に輝き、金属の匂いは微塵もしない。


 エスコフィエは、己の内に湧き上がる戦慄を隠せなかった。



 驚くべきは切れ味だけではない。使用後の手入れは、布巾で一拭きするだけで元の神々しい輝きへと戻るのだ。


 通常、料理人は肉や鳥の脂を落とすため、熱湯の入ったボウルと布巾を何度も往復させ、時間を浪費する。


 だが、この一体型包丁は、ただの一拭きで、その忌々しい手間を過去のものとした。


 当時の調理において、最も時間を奪っていたのは「切ること」そのものではなく、「包丁の状態を維持すること」だった。


 酸に触れれば数分で切れ味が落ちる炭素鋼を使い続けるため、大量の野菜を刻む傍らで、見習い (コミ)たちは何度も何度も汚れを落とし、研ぎ直すことを強いられてきた。


「……信じられん」


 巨匠の呟きに、居並ぶシェフたちが息を呑んだ。



 この包丁の導入は、彼が心血を注いで築き上げた軍隊的組織「厨房旅団 」の根幹を揺るがすことを意味していた。


 毎朝、指を黒く汚しながら行われていた「錆落としと研ぎ」という重労働が、一夜にして消滅する。


 その膨大な余暇は、若き料理人たちがソースの真理を学び、盛り付けの美学を磨く時間へと転換されるだろう。料理人の育成スピードは、これまでの倍以上に跳ね上がる。


 もし、この『ルナ・スチール』製の包丁が厨房を埋め尽くせば、仕込み時間は三割以上短縮される。エスコフィエは、その圧倒的な合理性に震撼した。


 そして何より、金属臭という雑音から解放された「味の純粋化」。


 その到達点に思いを馳せたとき、巨匠は目眩がするほどの革命の予感に打たれていた。



 これまで、フルーツソースや酢を用いた一皿は、料理人にとっての静かなる苦行であった。食材の酸が鋼に触れた瞬間、目に見えぬ微量の鉄分が溶け出し、鮮やかなソースを無残に濁らせる。


 繊細な風味の奥底に忍び込む、あの特有の「血のような味」。それが、抗えぬ「当たり前」として数世紀もの間、厨房を支配してきたのだ。


 しかし、この鏡面の刃は、その歴史を無慈悲なまでに塗り替えた。


 試作された「イチゴのテリーヌ」は水晶のような透明度を保ち、「柑橘を添えた薄切りの冷製仕立て (Froid)」からは、鉄の匂いに遮られない果実本来の鋭いアロマが鮮烈に立ち昇る。


 一本の刃物が、これほどまでに食材の本質を高める (ルルヴェ)など、誰が想像できただろうか。



 さらに、この一体型中型包丁は、衛生管理 (イジェーヌ)における概念革命でもあった。


 匂い移りを防ぐため、魚・肉・野菜用と厳格に包丁を使い分け、その都度洗剤で洗い、火に当てて乾かす……。そんな旧時代の強迫観念じみた手間は、もはや過去の遺物だ。


 継ぎ目のない「清潔さ」への全幅の信頼こそが、生野菜のサラダや、新鮮な肉・魚を冷製で供する料理への心理的障壁を取り払う。そして、フランス料理を瑞々しい未知の領域へと押し上げていくに違いない。


 エスコフィエの野心は、既にロンドンの境界を越えていた。パリ、マドリード……各地に広がるリッツ・ホテルの全厨房を、この眩いばかりの鏡面で統一する光景を、彼は既に幻視していた。


「……これならば、客の目前で果物を剥くことさえ、至高の芸術となる」


 彼は独りごちた。



 果実の酸で瞬時に錆び、黒ずむ鋼の包丁では、デザートの準備は裏方の「隠すべき仕事」でしかなかった。


 だが、この永遠の輝きを保つ刃があれば、熟練の給仕長 (メートル・ド・テル)が華麗に演じる肉や鳥の切り分け (デクパージュ)に加え、鮮やかなフルーツカッティングをも、眩い舞台 (アン・セーヌ)へと引き上げることができる。


 シャンデリアの豪奢な光を乱反射し、銀器のごとくキラキラと輝く刀身。


 客席を彩るその銀色の煌めきと、吸い込まれるような切れ味の鮮やかさは、美食を締めくくる最高の余興 (ディベルティスマン)となるだろう。


 エスコフィエは、この冷徹なまでに美しい「新時代の銀」が、厨房の壁を突き破り、大英帝国の、ひいては世界の食卓そのものを制覇する未来を、確信を持って見据えていた。



 ところが、エスコフィエにとって耐え難い事態が判明した。


 製造元が生産するのは中型包丁のみ。しかも、それが手に入るのは、1911年発行のハロッズ春夏号カタログの発売前後からだという。


 そして、彼を激怒させたのは、1910年秋冬号から通信販売 (メールオーダー)されるにもかかわらず、どんな上得意様であっても、その号では事前の取り置きが一切なされないと聞いた時だった。


 (通信販売? ハロッズは、この包丁の価値をわかっているのか?)


 エスコフィエの頭の中には、既に新しい料理 (ヌーヴェル・キュイジーヌ)のアイデアが奔流のように溢れ出していた。


 「冷製フルーツ・アスピック (煮こごり)」の中に、この鏡面の刃で向こう側が透けて見えるほど薄く切った鴨の胸肉を閉じ込める――そんな、色彩と味覚の極限を追求した芸術的な一皿が、今すぐにでも実現できるというのに。



 その一方で、彼の脳裏には、自身の著作である『料理の手引き (Le Guide Culinaire)』を大幅に改定しなければならなくなるという、もう一つの革命の予感がよぎっていた。


 この包丁があれば、熟練のシェフでなくとも、ジャガイモやタマネギを紙のように薄く切ることが可能になる。


 これにより、「グラタン・ドフィノワ」のような、精密な切り方を要するフランスの伝統料理が、一般家庭の定番メニューへと昇格するだろう。


 エスコフィエには試すまでもなく理解できた。



 従来の鋼の包丁では、ジャガイモは切るそばから澱粉が酸化して黒ずむため、すぐに水にさらす必要があった。それでは、グラタンのとろみを生むための澱粉の粘りや、素材本来の甘みが失われてしまう。


 だが、この「ルナ・スチール」なら、水にさらさずとも白いまま焼き上げることができる。素材の純粋な味を、特権階級だけでなく、広く家庭の食卓へともたらす革命。


 これからは、電気照明という太陽に月を映したような刃がなければ、英国の家長たちがその甲斐性を示す肉の切り分け (Carving)という儀式さえ、もはや成立しなくなるに違いない。


 再びケースに収められ、回収された一体型中型包丁の形をした穴が、エスコフィエ自身の心の中にぽっかりと空いたようだった。


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― 新着の感想 ―
スライサーやピーラーやメンチマシンとかにも需要ありそう。
かつて仏レストランで働いていた時、何種類もの銅鍋を毎晩ヒーヒー言いながら磨いていたことをふと思い出しましたw アレも中々面倒でしたが、この時代は包丁ひとつにも大変な手間が掛かっていたんですね。そういう…
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