第20話「掠り傷でも許さない」
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時間にして、一日も掛からず。王都は目の前だ。凍えるような寒さを耐えた先で辿り着いた草原は天国のようだったとは、エレジアの後日談である。
「クソが」
第一声はそれだった。呪うように、責めるように、震えながら吐き捨てられた言葉をクラヴィスはケラケラと楽しそうに見た。
とにかくエレジアは寒いのが苦手だ。それをまったくこれといって事情を説明する事なく、悪だくみを見抜いたルヴィが黙って翼を広げたのだ。まさかとは思っても、やめろと言う前に高く持ちあげられては暴れようもない。
一方、クラヴィスはと言えばさも当然とばかりにルヴィの体にしがみついて長時間耐えきったのだから、たった一度ですっかり慣れたものだった。
「ウフフ、速かったでしょ。夜に着いたってのも最高じゃないの」
「知るかボケ、てめえが大魔族だとしても憎たらしくてたまらんわいのう」
「……? あんた、今変な喋り方しなかった?」
「────ン、そりゃ気のせいだろ。俺様はいつもこんな感じだが」
「そっか……。ごめん、ただのデジャヴだったみたい」
ルヴィが両手を小さく振ったのに、なんともスッキリしない気分だったが、エレジアは気にしない事にした。
「ならいいがよ。とにかくさっさと行こうぜ」
「うむ、行こう。おそらく私たちを襲った連中も出し抜けたはずだ」
空の旅は圧倒的な速さで王都まで辿り着いた。人間であればとても耐えきれないが、クラヴィスたちは幸いにも枠組みから逸れている。足止めのつもりが彼女たちにさらに早く王都へ戻る手段を与えてしまったと気付くのは、王都で全てが解決した後であってもおかしくなかった。
彼女たちが正門を前に歩いてやってくるのを見て、馬車はどうしたのだろうと門番は不思議がりながらも「お通り下さい」と無条件で町の通行を認めた。王都ではクラヴィスを知らない者など誰もいない。救国の大英雄。竜殺しの魔女。呼び名は数あれど、彼女がクレスクントの強い支持者である事は証明されている。
「町の様子は特に変わらんようだ」
「暗示も程々って感じね。進んではいるみたいだけど」
「ン、オレは知らねえが平和そうではあるな」
三人はひとまず目立つのを避け、勝手知ったる庭もかくやの足取りで裏道を歩き、最初に向かったのは王城ではなく希望のロッソだ。犯人の姿を確かめる前に立ちよって、無事であるかどうかの確認がしたかった。
店構えは特に傷が付くような事もなく、店内も静かなものだ。普段と変わらないマスターが立っていて「いらっしゃいませ」と小さく視線を寄越すだけ。
クラヴィスが状況を尋ねると、ちらと奥の部屋の扉を見た。
「私は、あなたがこの店に来たとき最初に言いました」
「一切の面倒事には関わらない、だったな」
「今回がまさにそれです、クラヴィス・ディ・アウルム」
マスターの男はグラスを拭きながら、淡々と告げた。
「数刻前、ここへ何人かローブを着た方々が訪ねて来ました。あなた方がいない隙を狙い、私に『店を壊されたくなければ従え』と。ですので、最初は数度断りましたが中に入れるしかありませんでした。……すみません、お力添えできず」
決して裏切ろうとしたわけではない。だが彼にとっては店を守る事が最優先。逃げ場のない店内で暴れられては困る。何者かはハッキリと分からなかったが、自分だけではフィーリアを守れないと判断して差し出すしかなかった。強い罪悪感に普段から一線引いた彼でさえ謝罪の言葉を口にした。
だがクラヴィスは焦るでもなく、穏やかに小さく手をひらひら振る。
「いい、いい。気にするな。どうせ連れて行ったって事は、死んじゃいないさ。私たちが戻ってくるのも想定して強い暗示に掛けるか、あるいは人質にでも取るつもりなんだろう。複数人ってのは驚いたが」
店を出る前、マスターに指をくいくい動かす。
「酒をひと瓶くれ。金は────」
「代金は結構です。今回の件のお詫びという事で今後とも贔屓に」
投げられた酒瓶を軽く受け取って、ニヤリと笑う。
「ご期待に沿うとも。今後とも頼りにさせてもらうよ」
店を出てすぐ、ルヴィが不安そうに尋ねた。
「ねえどうするの? このまま王城へ押しかける?」
「ああ、正面から堂々と入る。暗示に掛けられてようが邪魔した奴は蹴り飛ばす。気絶するくらいは大目に見てもらう事にしよう。それからフィーリアに怪我のひとつでもあったら……うむ、そうだな」
コルク栓を簡単に引き抜いて、指で弾き飛ばす。
ぐいっとぶどう酒を飲んでから、口元を手で拭った。
「────そのときは全員、死んでもらおう」
相手がどんな交渉をしてこようが関係ない。フィーリアに掠り傷でもあれば、即座に首を刎ねる。竜殺しの英雄といえども、その根底にあるのは仲間に対する強い意識であって、敵対する者にとって彼女ほど優しくない存在はいない。
傭兵でも、まだ貢ぎ物さえあれば見逃してくれる事もあるだろう。敵国の兵士であっても、命乞いをすれば情けを掛けてくれるかもしれない。だが、クラヴィスにはそのどちらも意味を成さない。むしろ逆効果だ。
生かすと決めたら生かし、殺すと決めたのなら確実に殺す。
「さ、私たちに喧嘩を売った馬鹿共の顔を拝みに行くとしようか」




