緋村による推察
語り終えた僕は、さすがに喉の渇きを覚え、そこで初めてお冷に手を伸ばす。暖房が効いているお陰で少々温くなっていたが、得意になって推理を披露した直後だった為か、さほど気にならなかった。
「質問したいことがあるんだが、構わないか?」
「ああ」頷きつつ、半分ほど中身の減ったコップを置く。「僕に答えられる範囲なら」
「事件発覚後に、藤堂が嵌めていたビニール手袋だが、犯行時にしていたのとは、別の物ってことでいいんだよな? 血は洗い流せたとしても、さすがに同じ手袋を嵌めたまま、ハンバーグの仕込みを再開したとは、考え辛い」
なかなか鋭い質問だ。僕は再び頷き返す。
「そのとおり。先輩に訊いたら、血を洗い流した上で、裏返しにして丸め、服の中に隠し持っていたそうだよ。で、チョコを取りに自室に戻った時、ついでに荷物の中に押し込んだ──幾ら警察の捜査とは言え、即座に私物を調べられることはないだろうと踏んで、そんな行動を取った、と言う設定らしい」
その他にも、筆者直々に補足してもらっていたことが、幾つかあった。
まず、藤堂が被害者の生死を確かめることなく部屋の前を去ったのは、対馬がいつ戻って来るかわからい状況だったから。犯行があったと思われる時間、キッチンを離れていたことが露見すれば、それだけで疑われてしまう可能性は高い。藤堂としては、できる限り対馬よりも先にキッチンへ帰還し、ずっとそこにいたかのように、振る舞う必要があった。
それから、藤堂が犯行に至った経緯について。そもそも、廊下に彼女を呼び出したのは、クレアの方だったそうだ。
キッチンには、リビングに続く物の他に、直接廊下に出るドアがあった。対馬が父親からの電話に応じる為に出て行ったあと、クレアはそちらのドアの戸口から、藤堂を手招いたのである。
すぐに済むだろうと踏んだ藤堂は、両手にビニール手袋をしたまま、彼女の呼び出しに応じた……のだが、その予想は裏切られてしまう。
他ならぬ、藤堂自身の手によって……。
──と言ったことが、解答編では語られるとのことだった。
「動機はやはり、恋愛絡みのことなのかな」
緋村が意外な言葉を呟く。
確かに、動機は恋愛絡み──藤堂の一方的な嫉妬によるものだと、筆者から聞かされていたのだが……。
「どうしてわかったんだ?」
「『わかった』ってことは、合っていたみてえだな。──これも単なる勘でしかないが、ただ、般若の面が凶器だったからな。形状的にお面の置物と言うのは都合がよかった、ってのもあるんだろうが、わざわざ『般若』にしている以上、そこにも何か意味がありそうだと思ったんだ。
そもそも、本来般若ってのは、仏教用語で『全ての物事の特性を見抜く深い智慧』を意味している。が、これが面となると意味合いは全く変わり、『深い嫉妬』や『恨み』の篭った女の表情になる。つまり、強い憎悪を抱くあまり、鬼と化した女性の顔を、表しているわけだ。──この鬼女の貌を『般若の面』と称するようになった由来については、諸説あって、般若坊と言う名の僧侶が拵えたからだとか、または『源氏物語』の葵の上が、六条御息所の生き霊に取り憑かれた際、般若経を読んでこれを撃退したからだとも言われている」
急に饒舌になった──それもネットの百科事典サイトのようなことを言い出した為、僕はしばし呆気に取られてしまう。この頃はまだ、緋村が該博な人間であることや、唐突にその知識を披瀝する癖を有していることなど、知らなかったのだ。
むしろ、どちらかと言えば寡黙な方だと思っていたくらいだったので、ある種の豹変のように感じられた。
「ちなみに、能面において、鬼女になりきれていない状態の顔を『生成』、完全に鬼と化し、蛇のような形相となった状態の顔は、『真蛇』と呼ぶそうだ」
そこまで脱線したところで、ようやく僕を置き去りにしていることに気付いたのだろう。
緋村は仕切り直すように、話を戻す。
「とにかく、動機としては、そう言うのが一番扱いやすそうでもある。
それに、事件の発生した日は、ちょうどバレンタインだった。おそらく、被害者は本当に、チョコを用意して来ていたんじゃねえかな。で、手洗いに行ったあと、キッチンで夕食の支度をしていた藤堂を廊下に呼び出し、出窓の前で立ち話をした。そして、ついでにチョコを取って来る為に、自室に戻ろうと踵を返した──ところへ、般若の面を投げ付けられたんだ。もしかしたら、藤堂は伊勢原に想いを寄せていたのかもな。だから、留学生に想い人を取られたくなくて、思わず強硬手段に出ちまった。──かなり雑な気はするが、動機としてはこんなところだろう」
僕は、先ほどとはまた違った理由から、呆気に取られていた。合っている。彼の語った内容は、何もかも、筆者の先輩に明かされた真相と同じだった。凶器に般若の面を採用したのも、バレンタイン・デーの件を差し込んだのも、この「かなり雑な」動機の伏線にする為だったそうだ。
「どうかしたか?」
「いや、別に──君は、よっぽど勘がスルドいんだな」
「じゃあこれも正解なのか。今日はいつもより調子がいいみたいだ」
適当なことをぬかしつつ、片頬を吊り上げて笑う。今になって思うと、この時点ですでに、皮肉屋の片鱗が垣間見えていたようだ。
もっとも、当時の僕は、彼が素人探偵としてだけでなく、皮肉屋としても一級であることさえ、知らなかったのだが。
「確かに、絶好調みたいだね。──なら、そろそろ君の番にしようか。あのダイイング・メッセージはどうやって解けばいいのか、教えくれないか?」
犯人がわかったあとも、あえて先輩には確認せず、宿題として持ち帰って来た謎である。もし本当に解けたのだとしたら、大したものだ。
僕はどこか試すような気分で、回答を促した。
「いいぜ。けど、正直なところ、さほど自信があるわけじゃねえから、話半分に聴いてくれ」
そう前置きをしたのち、緋村はまたしても、僕の予想していなかった言葉を口にする。
「作中でも示唆されているように、被害者の残した『Mc』は、『斜陽』に登場する『M・C』とは、一切関係がない」ここまでは、僕にも理解できた。「それどころか、そもそもあのダイイング・メッセージには、実はまだ続きがあったのさ」
ダイイング・メッセージを取り扱ったミステリとしては、特に珍しくはないケースではある。書き終える前に被害者が力尽きるなどして、メッセージの意味が通じなくなってしまうと言うのは、割とよく使われる手だ。
しかし、本当に今回の場合も、このパターンが当て嵌まるのだろうか? 半信半疑のまま、緋村の解説に耳を傾ける。
「被害者は、本当はもう一文字、アルファベットを書き残すつもりだった。たったそれだけで、犯人の正体を告発することができると、そう考えたんだ。……が、しかし、最後まで書き終えるよりも先に、彼女は死んでしまい、不完全なメッセージが残ってしまった」
「最後の一文字には、何が来るはずだったんだ?
「大文字の『D』だ」
特にもったい付けることもなく、簡潔に答えを言われ、少々面食らう。自信はないと言っておきながら、どこか確信を得ているような口振りだった。
いったい何を根拠に、そのような結論に至ったのか。そして、それら三つのアルファベット──「McD」が、どのようにして藤堂桜へと結び付くのか。
僕は、再び緋村に尋ねる。
すると、寄越されたのは、何とも予想の斜め上を行く推察だった。
※
翌日の午後。
僕は澄んだ冬空の下、K駅前の煙草屋の近くに設置された喫煙スペースにいた。と言っても、僕自身が煙草を吸うわけではなく──そもそも、この時はまだ未成年だが──、ある人物の一服に、付き合っているのだ。
そして、何を隠そうその人こそが、『MとCに関するいくつかの推察』を執筆した、文芸学科の先輩──矢来須和子さんだった。
「へえ? じゃあ、あのあとちゃんと解けたんや。ダイイング・メッセージも」
須和子さんは、キャメルの煙越しにこちらを見返し、悪戯っぽくえくぼを拵えた。
彼女は僕や緋村の二学年上の三回生で、鮮やかに染め上げられた金髪と、両耳に空けたシルバーピアスがトレードマークだった。我が大学の文芸学科では、マイノリティに属するタイプだろう。
また、基本的に服装はボーイッシュな物を好んでいるらしく、この日は白いセーターの上に、裾の短いライダースジャケットを羽織っており、下は濃灰色のデニム、その先の両足には、無骨なブーツを履いていた。比較的シックな出で立ちであるが、だからこそ、首に巻いた海のように真っ青なマフラーが、いいアクセントになっている。
「僕じゃなくて、芸企の同期が解いたんですけどね。──あのダイイング・メッセージには続きがあって、本来なら被害者は『McD』と書き残すつもりだった。……ここまでは、合ってますか?」
「合うてるよ。──それで?」
「じゃあ、この『McD』は、何を示しているのか……」
僕は首を巡らせ、ある場所へと視線を向けた。須和子さんも、同じようにそちらを見る。
僕たちが目を向ける先にあるのは、作中のK駅前にも存在するらしい、マックの店舗。そして、その屋根には、英語で書かれた店名の白い文字が、立体的に浮かんでいた。
「被害者が書き残したかったのは、マックの店名の、最初の三文字だったんですね?」
それが、緋村の口にした答えだった。
マックの店名は英語表記だと、頭の「M」と三文字目の「D」が大文字で、その間──二文字の「c」は小文字となっている。クレア・ペナーはこの「McD」を書き残すことで、犯人の正体を伝えようとしていたのだ。
容疑者の中で、マックと関係がある人物は、駅前の店舗でアルバイトをしている藤堂桜しかいない。
また、昼食のシーンでわざわざ「差し入れ」について触れていたのも、各登場人物のアルバイト先──対馬は今は何もしていないそうだが──の情報が言及されたのも、この答えを導き出す為の伏線だったのではないか──と、緋村は語っていた。
「大正解。その子が推理したとおりや。どう? なかなか斬新なダイイング・メッセージやと思わん?」
須和子さんは誇らしげな表情で、紫煙を吐き出した。確かに斬新ではあるのだろう。ダイイング・メッセージの答えがマックの店名だなんて、前例があるとは思えない。
しかし、驚くと同時に……なんと言うか、酷い肩透かしを食らったような気分にさせられたことも、事実だった。『斜陽』の「M・C」を指しているのではないかと、それぞれ意味を考察し、疑心暗鬼に陥ってさえいた登場人物たちが、なんだか気の毒だ。
「ちなみに、なんでわざわざマックの頭の三文字で犯人を伝えようとしたんか、わかる?」
「え? ええっと、それはたぶん、犯人の名前のイニシャルだとか読み仮名が、他の人間と被っていたから、じゃないですか?」
これも、緋村の受け売りだった。
「そのとおり。──そもそも、クレアちゃんは留学生で、日本語を話すぶんには問題なかったけど、書く方はまだ不得手やった。せやから、ダイイング・メッセージには、慣れ親しんだ母国の文字を使うことにしたわけや」
こちらに関してはまだ、自然な発想だと言える。自身に残された時間がわずかであることは、被害者にもわかっただろうし、犯人がトドメを刺しに来る可能性も、十分に考えられた。
「当然、なるべく少ない文字数で犯人を伝えられた方が、都合がいいわけやけど……イニシャルの『S・T』にすると、対馬早希と全く同じになってまう。
かと言って、苗字や下の名前を直接書こうとした場合、最後まで書ききれんかったら、これもこれで、ややこしいことになりかねん。藤堂は最初の『To』が冬馬と同じやし、桜は早希と三文字も被っとるからな」
さらに言えば、カタカナやひらがなを用いた場合も、同様の事態が起こり得る。一応、「サクラ(さくら)」であれば、二文字目に辿り着きさえすれば、「サキ(さき)」と間違われるおそれはないが……それでも、やはり不慣れな日本語では、時間がかかりすぎてしまうと判断したのだとか。
「そう考えると、案外理に適っとるやろ?」
「まあ、確かに、そんな気もしなくもないですけど……」
「うーん、ビミョーな反応やなぁ。これでも一応、自信作やってんけど」
不満げに笑顔を曇らせた須和子さんだったが、すぐに「ま、ええわ」と切り替えるように言い、短くなったキャメルを、灰皿に投じた。
そして、自らの脚に立てかけるようにして置いてあったギターケースを取り上げ、肩にかける。
「じゃ、うちは練習があるから、そろそろ行くな」
須和子さんは、《GIGS》と言う名の音楽サークルに所属していた。これからその練習をする為に、天王寺にあるスタジオへと向かうそうだ。
「そうや、今度のライヴ、よかったら観に来うへん? チケット代、安くしといたるから」
「はあ、じゃあ、都合が合いそうなら……」
「何やったら、そのまま入部してくれてもええで?」
喫煙者らしからぬ白い歯を零して、須和子さんは笑った。僕もつられて笑いながら、「都合が合えば」と、再び繰り返すのだった。
それから──ギターケースを背負って駅へ向う彼女を見送ったのち──、僕は一人、帰路に就いた。
初めのうちは、まっすぐアパートの自室に帰るつもりだったが、歩いている途中で気が変わり、《えんとつそうじ》に寄って行くことにする。もし緋村と会えたなら、彼の推察が見事的中していたことや、先ほどの須和子さんの解説を、聞かせてやろうと考えて。
やはり薄暗い店内に入ると、そこにはすでに、緋村の姿があった。前日とは違い、ちゃんといつもの四人がけの席で読書をしていた彼は、すぐに文庫本──『斜陽』だ──のページから顔を上げ、
「よお」
酷くおざなりな挨拶を寄越して来たその声は、心なしか以前よりも、気安げに感じられた。




