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3 朔

 六年前のその冬、主は花嫁を迎えた。


 人の子の、花嫁。


 裕福な家に生まれながら、複雑な身の上のため里で孤独な生を送っていた娘だった。

 主と惹かれ合い、世界を渡ることを選んだ。

 暮らした場を後にする時、彼女は誰にも告げず独り人の世を去った。



 そんな彼女を、忘れることが出来なかったと言う。一度だけ触れた、娘の優しさを。


『―――あなたに、お願いがあるの!』


 青風を捕らえた幼い少女は、彼の両手を握って願った。

 春に咲く、白い花。

 人の世を去った娘が昔、綺麗だと言った花を。

 冬の神に嫁し、もう春の花を二度と手にすることが出来ない彼女に、その花を届けて欲しいと……。



 後になって、一度、訊いてみた事ことがある。 

「主の花嫁は、お前に何を与えたのか」、と。




 * * * * *



 耳に爽やかなささめきと共に、風が草原を吹き抜ける。

 同族たちの私語(ささめごと)を耳にしながら、青風は若草の香りに身を任せていた。


「―――昨日も、言えなかったな」


 吐息と共に呟く。

 よもや、己がこんなに情けない性だったとは。

 考えているとますます情けなくなり、青風は頭を抱えながら草の上で寝転ぶ向きを変えた。


 青風たち精霊は、種族や位に関わらず、どの者も四つのいずれかの王に仕えている。

 春王、夏王、秋王―――そして、青風の主である、冬王。

 こう呼ばれる彼の王たちの名は、担いと共に継承される称号に過ぎない。王はそれぞれ個を表す真名を持っている。そして、その真の名を知ることが出来るのは、王に許された者のみ。


 なぜなら、真名は強力な〈呪〉となるからだ。


 これは王だけに言えることではなく、青風たち高位の精霊にも当てはまる。

 精霊は、真名を決して明かさない。

 その精霊が、自らの真名を明かす。

 その行為が意味するところは――― …………、


「ってゆーかさぁ、馬鹿なのにも程があるよね。嫁取り作戦大失敗。せっかく母様からいただいた髪飾りを、そのままお使いみたいに渡しちゃうんだから」

紫芳(しほう)、可哀相よ。お馬鹿さんをはっきり馬鹿って言っちゃ。せめて、すっとこドッコイくらいに収めといてあげましょ」

綺姫(きき)は優しいなぁ。青風のヘナチョコ心も一瞬で癒されちゃうに違いないね」

「だったら良いのだけど。あぁ、それにしても本当にヘタレよね。わたくしだったら伴侶には絶対に選ばないわ、こんな殿方」


 きゃっきゃと頭上で交わされる無邪気かつ悪意に満ちた会話に、青風はがばっと跳ね起きた。

 髪に草を張り付かせたまま振り返ってみれば、ぺたりと草原に座る、揃いの水干を着込んだ二人の童の姿。

 葉に包んだ美味そうな草餅を、暢気に仲良く分け合って食べている。

「お、お二方! 何故ここにいらっしゃるのですか!?」

 青風の問いに、ふわふわと波打つ真珠色の髪が印象的な少年が、紫紺の目をくりくりさせながら応えた。

「え~、だって。お前が小鳥を口説きに行ったって父様がおっしゃるからさ。ね、綺姫?」

 口元の餡を指で拭いながら、少年は隣の自分と同じ貌をした少女に同意を求める。

「そう。わたくしたちの貴重な後学の機会を逃したら大変だと思って。ね、紫芳?」

「来てみて良かったよ。最良の反面教師っぷりを拝見できたから」

「ほんと、勉強になったわ。将来、絶対に役立ててみせるから期待してて?」

 綺姫と呼ばれた少女は小首を傾げ、肩で揃えた癖のない真珠細工のような髪を揺らした。兄と揃いの紫紺の眼を面白げに細めて、ありがとうと上品に宣う。

 青風はあんぐりと口を開いたまま、遥か遠くにおわす白君を少し怨んだ。

 二人が邪魔しないよう引きとめてくれると請け負ってくださった奥方様から、今頃さぞかし大きな雷を落とされているだろうと思うと、少しだけ清々…… 同情するが。


 ウマウマと餅を貪るこの双子は、青風の主――冬王の御子だ。


 いずれはどちらかが冬王の称号を継ぎ、四季を調律しなければならない。だが、今は二人ともやりたい放題、好き勝手に遊びまわっている。

 こと、この里には青風と同じく二人とも頻繁に訪れているようだ。彼らの母である白の后――椿様が、この里の出だからだろう。

 そもそも六年前、青風が小鳥によって無様に捕縛されてしまったのも、妃の存在に起因する。

 小鳥が青風を捕まえたのは、村里を出て人外の世に渡ってしまった椿への橋渡しを欲してのことだった。


「でさ、青風。これからどうするの?」

 最後の草餅を平らげ、手の甲で唇を拭いながら紫芳が訊いた。綺姫がそれに合わせるように、頬に手を添え小首を傾げて見せる。

「求婚する時に贈り物も無いのは、女性に対して失礼だ――― って、母様が気を利かせて用意してくれた花飾りはもう無いものね」

「こう言うのって、きっかけ作るのが難しいんだよねー」

 うんうんと頷く二人の母、椿は異族の中にあっても一際目立つ美しい女だ。

 それこそ、白君は彼女が童だった頃から執着……もとい一目惚れをし、健気に通い続けていたというのだから、気の長い話だ。

 まあ、青風も、他人のことを言えた義理ではないのだが。

「あ~あ。この調子で青風がもたもたしてるなら、俺が小鳥を嫁に貰いたいよ」

「あら、それならわたくしだって。わたくしが男だったら、ぜーったい青風みたいな男に渡したりしないわ」

 二人は両親譲りの美しい貌で憎々しい毒を吐きながら、揃って吐息をついた。  

 彼らはこの里に来ては小鳥にべったり甘え、始終張り付き回っている。小鳥の方も憧れの椿の子であるこの双子を殊更可愛がっていた。こちらが妬けるほどに。

 紫芳、綺姫という彼らの(あざな)も、小鳥が名付けたものだ。彼女の双子への溺愛ぶりは、名前の懲りようを見ても明らか。延々唸りながら何とか考えついた後、知恵熱で倒れてしまったという間抜けな逸話もある。

 捻りもへったくれもない名を付けられた青風としては、かなり面白くない。

「ちょっと、青風! 自分のことなんだからもっと意見出しなさい。わたくしたちが作戦案に磨きをかけてあげるわ」

「綺姫の言う通りだよ。そんな風だと、あの紅嶺とかいう紅い髪の眼鏡男に小鳥を取られちゃうぞ?」

 邪険にするわけにも行かず適当に聞き流していた青風も、二人の口から当たり前のようにあの男の名が出た瞬間、目を見開いた。

「―――みっ、みっみ」

「なんか瀕死の蝉みたいだぞ、青風」

「見てたわ、もちろん。一部始終を面白おかしくね。あなたが無様に慌てふためいてるところも。ねー、紫芳」

「あれは大減点だね。不審者から颯爽と庇えないなんてさ」

 青風は子供たちの言葉に、喉を詰まらせた。自分の顔が熱を持っていくのが分かる。

 それと共に、思い切り邪魔してくれたあの紅嶺とかいう男に対する怒りが再び湧き上がってきた。

 あの男さえ割り込んで来なければ、もしかすると今頃、この小悪魔たちの生贄にならずに済んでいたかもしれないのに。

「にしてもあの男、〈聖眼持ち〉だなんて驚いたよ。ねぇ、綺姫?」

「ほんとうに珍しいわよね。わたくしたち、小鳥以外の〈聖眼持ち〉に会ったのは初めてだわ」

 青風とて、それは二人と同じだった。

〈聖眼〉―――それは、常人の目には映らない、異界に属する存在の姿を捉えるという、類稀なる才の一つ。

 本来、人間の目で精霊の姿を捉えることは出来ない。小鳥が青風たちと繋がりを持つことが出来たのは、ひとえにこの才のお陰なのだ。

 ―――もっとも、この方面の才ゆえに、彼女は里の人間から杜の鬼子と呼ばれ、忌み避けられているようなのだが…… 。

「ま、聖眼のあるなしはともかく、あの眼鏡男の十分の一くらい青風に大胆さがあればねー。話はもっと簡単なのに」

 そんなことは自分が一番分かっていると、青風は心の内でこっそり拗ねる。

 結局、問題はそこなのだ。だから、六年も通い続けているにも関わらず、未だに想いを口にすることが出来ない。

「あら、あんまり簡単過ぎちゃ面白くないわよ」

 そう言う綺姫と、それに同意する紫芳には悪いが、どうか簡単に終わって欲しいものだと天を仰ぎながら青風は徐に立ち上がった。

「あれ。どこ行くの?」

 小悪魔の問いに、ギクリとしながら、青風はぎこちなく答える。

「ちょっと……所用がございますので」

「あ、小鳥に会いに行って再挑戦するの? だったら俺たちは影から見守っとかないとね」

「ちゃーんと後ろで分からないように見てるから、心配しないで」

 ……やっぱり来るのか。

 げんなりしなから双子に背を向け、彼はいつもの約束の場所へ向かった。



 青風を見送った二人は、彼には決して見せなかった真剣な表情を浮かべた。

 人気の無い草原で、紫芳はポツリと呟く。

「……俺さ、小鳥はちゃんと青風のこと好きだと思うよ」

 己の片割れの言葉に、綺姫も頷いて言う。

「わたくしもそう思うわ。……でも、小鳥は異界(こちら)には来ないかもしれない」

「そうだね」


 その時、自分たちが大好きなあの二人はどうなってしまうのだろう。


あの人(、、、)のこと、青風は知らないもんな」

 うん、と元気なく返して俯く綺姫の手を、紫芳は安心させるように握った。



『――― 何か出来ることがあるなら、力になってあげなさい』



 そう言って自分たちを送り出した、遠い地の両親に想う。


 いい大人の色恋沙汰に、子供の労力まで引っ張り出してくれるなよ、と。





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