第1話:夕方17時の丸投げ事務員、神々の調整係になる(後編)
転移魔術の光が収まると、私の足元は冷たい石畳に変わっていた。
そこは、周囲を荒れ狂う黒い海に囲まれた、世界の境界線――通称「黒山の孤島」。神々の怒りが直接雷となって降り注ぎ、常に魔獣が徘徊する、この世の終わりような場所だった。
(うわあ、前世の繁忙期の現場並みに荒れてるわね……)
冷たい風に吹かれながら首をすくめた、その時だった。
「――何者だ」
背後から響いたのは、鼓膜が凍りつきそうなほど冷徹な低い声。
振り返った瞬間、私は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、夜の闇を溶かしたような漆黒の軍服を纏った美しい男だった。
鋭く研ぎ澄まされた銀色の髪。冷徹な光を放つサファイアブルーの瞳。整いすぎた容姿はまるで氷の彫刻のようで、近づくだけで周囲の空気が数度下がるような、圧倒的な威圧感を放っている。
彼こそが、隣国である冥府の国を統べる孤高の皇帝であり、神々の暴走を武力で抑え込む前線指揮官――アルカイド・フォン・ドラグーンだった。
「王宮からの生贄か。それとも、あの無能どもが送り込んできたスパイか?」
アルカイドは抜刀すらしない。ただ冷たい視線を向けるだけで、普通の人なら恐怖で泣き崩れるような絶対零度のプレッシャーが私を襲う。その目は深く濁り、終わりのない激務に対する激しい苛立ちと人間不信が透けて見えた。
しかし、前世で数々の『ブチギレた理不尽な取引先』の対面対応をこなしてきた私にとって、この程度の威圧感は想定内だった。私は完璧な営業スマイルを披露した。
「初めまして、アルカイド陛下。私は本日付けで王宮を解雇され、こちらへ追放されてまいりました、元書記官のヒラリーと申します」
「……命乞いもせず、ふざけた自己紹介を。頭の狂った令嬢か」
アルカイドの瞳の奥に、不快そうな色が宿る。彼は私に関心を示すことなく、冷酷に告げた。
「お前のような無魔力の女が生き残れる場所はない。神々は今、信じられないほど機嫌が悪い。まもなくこの島は、神々の怒りの雷で焼き尽くされる。……死にたくなければ、私の背後から一歩も動くな」
彼が言い終えるよりも早く、ゴロゴロと天を衝くような不穏な雷鳴が響き渡った。
雨の神と雷の神のスケジュールが完全にバグり、感情が暴走し始めている証拠だ。アルカイドはため息混じりに剣の柄に手をかけた。また力尽くで神の怒りをねじ伏せるしかないと、諦めたような目をしている。
しかし、私はその雷のテンポを聞いて、ピンと通達の内容を理解した。
「いいえ、陛下。神々が怒っているのは、天候の順番が間違っているからです。雷の神様は順番を飛ばされて怒っているだけです。先に雨の神様へお伺いを立てれば、3分で収まります」
「……何を夢言を。神の天災を言葉で止められるわけがないだろう」
アルカイドが初めて不審そうに眉をひそめた。
私は支給されていた最後の羊皮紙を取り出し、前世の緊急クレーム処理書並みの速度で、神々のプライドを120%くすぐる完璧な文面の「スケジュール調整書」を書き上げた。そして、それを空に向かって掲げ、言葉の最適化で神々の領域へと送信する。
――3分後。
あれほど荒れ狂っていた黒い雲が嘘のように割れ、島には穏やかな月光が差し込んできた。
「な……んだと……?」
アルカイドが信じられないものを見る目で、私と空を交互に見つめている。
彼が何ヶ月も命を削って武力で抑えていた天変地異が、私の「1枚の書類調整」だけで完璧に片付いてしまったのだ。
私はペンを仕舞い、営業事務としてこれ以上ないほど輝かしい笑顔で彼に向き直った。
「お騒がせいたしました。これにて本日の緊急リスケ業務は完了です。アルカイド陛下、今日からあなたの人生の面倒なスケジュール、私がすべて綺麗に管理して差し上げますね」
アルカイドは驚愕し、やがてその綺麗な唇を歪めて冷たく笑った。しかし、その瞳の奥には、私という存在に対する強烈な『警戒』と、無視できないほどの『関心』がギラりと灯っていた。
「面白い。天災を紙切れ一枚で御する狂女か。……いいだろう、お前のその『管理』とやらが本物か、私の目の届く場所で試してやる」
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