第16話:不可解なエラーログ
「……待って。何よ、この数値」
【終身愛の誓約書】への内定を承諾し、事実上の婚約者となってから数日後の午後。
私は物理的に連結されたデスクの左側に座り、神々からの定時通信データをファイリングしていた手を、ペンを握ったまま完全に止めた。
これまでは完璧に最適化され、青空の美しいインデックスを維持していた魔導鏡の画面。
だが今、その最奥から、世界の天候システムを揺るがすような不気味な黒い魔力インクの波形が、ジリジリと音を立てて吐き出されていたのだ。
【警告:プロトコル未定義――上位権限による強制アクセス要求】
(これは神々の気まぐれによる八つ当たりなんかじゃない。システムの根幹である『世界の契約規約』そのものを外部から書き換えようとする、悪意に満ちた意図的なサイバー攻撃よ……!)
「ヒラリー」
真隣から、空間そのものを凍りつかせるような低い声が響いた。
アルカイド陛下が漆黒の軍服の襟元を微かに緩め、サファイアブルーの瞳に冷酷な国家指導者としての鋭い眼光を宿して、私の広げた図面を見つめている。
陛下はいつもなら私を強引に自分の席へ引き寄せるが、今はそれをしなかった。
私の知性が本物の戦場を検知したことを、その卓越した王の直感で瞬時に察したのだ。
「天界からのノイズか。あの無能どもを片付けた後だ、何かが動くとは思っていたが」
「ええ、陛下。エリオット様たちのような間抜けなデータの改ざんとはレベルが違います。極めて冷酷でロジカルな『上位の存在』が、我が冥府の国へ狙いを定めてシステムを潰しにきています」
緊迫した空気が執務室を満たす。
無理に残業を止めようとする過保護な甘えはそこにはない。ただ、私を未来の正妃として、そして対等なプロフェッショナルとして全面的に信頼する、男の強い熱量がそこにあった。
アルカイド陛下は私のデスクの端を力強く掴み、私の瞳をまっすぐに見つめた。
「お前が戦うと言うなら、私は皇帝としての全ての軍事力と魔力をお前に預ける。あやつらの狙いが何であろうと、私が力尽くでねじ伏せてみせる。……世界を最適化しろ、ヒラリー」
「ありがとうございます、陛下。バックオフィスをナメた不法なアクセスなど、1ビットの容認もいたしません」
私は完璧に冷めきった、けれど闘志に燃えるビジネススマイルを浮かべ、最高級の魔導ペンを走らせた。
前世の孤独なオフィスでは、どれほど大きなシステム障害を一人で処理させられても、誰も私の分析を信じてくれず、ただの便利な道具として孤立無援で戦わされた。
なのにこの世界で最強の男は、私の知性を誰よりも高く評価し、すべての魔力を私にリンクさせて最強の盾になろうとしてくれている。
胸の奥が、これ以上ないほど熱い信頼と、絶対に揺らがないホワイトな連帯感で満たされていく。
「ふふ、私のバックアップ体制は世界一頑強ですね。安心感が違います」
「当然だ。お前は私の命の核だからな。お前を揺るがすバグは、この手で一切残さず削除してやる」
アルカイド陛下はそっぽを向きながらも、私の左手薬指の指輪をそっと握りしめ、サファイアブルーの瞳に狂おしいほどの熱い決意を宿した。
その手のひらから伝わる確かな熱量が、私のすり減っていた前世のトラウマを優しくデバッグしていく。
パチパチ……と魔導通信機から黒い火花が散り、部屋の温度が急激に下がり始める。
世界の魔導サーバーを独占しようとする狡猾な天界の黒幕(上位神)との、論理と命を懸けた決戦のタイムライン。
その未曾有の崩壊の予兆が漂う中で、私と陛下は互いの視線を交わし、絶対に負けない鉄壁の防壁を組み上げ始めるのだった――。
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