1-2-2 風の少女セレナ
果てしなく続く草原を、柔らかな風が撫でていく。その風に乗って、一本の風車がゆっくりと回っていた。空は広く、地平線の彼方まで雲ひとつない青に染まり、静かで穏やかな午後だった。
この辺境の小さな村で育った少女、セレナーディア・アークウィング──人呼んでセレナ。
セレナは村の高台に座り、風に揺れる草をぼんやりと眺めていた。彼女の生まれ育った村は、地図にも載らないような場所にある。時折旅人が通りすぎることはあっても、村人のほとんどは外の世界を知らない。魔法の技術も乏しく、古い生活様式のまま人々は慎ましく暮らしていた。
だが、セレナには特別な才能があった。風を読み、風を操る力──それは彼女が生まれながらにして持っていた魔法だった。村の人々はその力に助けられてきた。夏の干ばつには風で雨雲を導き、冬の嵐の前には警告の風を送り、病人には清らかな風で癒しを与えた。
かつて大嵐が村を襲いかけたときも、彼女は風の流れを逸らし、家屋ひとつ損なわせなかった。
その日以来、風は守るためにあるものだと、彼女は疑わなくなった。
「村から出てはならない」
父の言葉は、いつもその一言だった。村の守り神のように大切にされていたセレナは、幼い頃からその役目を教え込まれた。外の世界は危険だ。魔法を持つ者は利用され、奪われ、消されることもある。風の力は村にとってかけがえのないもの。それを失えば、村は生きていけない──父はそう信じていた。
だがセレナの心には、別の風が吹いていた。
「私の力が必要とされる場所は、きっとこの先にある。もっと遠く、もっと広い世界で……私は私の風を吹かせたい」
誰にも言えないその想いを、彼女は草原を吹き抜ける風に乗せて、何度も空に放っていた。村の中では、彼女の力を本当の意味で理解できる者はいなかった。ただの便利な魔法として頼られる日々。その中で、彼女は孤独を感じていたのだ。
そしてある日、その想いが揺らぐほどの知らせが舞い込んできた。
次期女王選定戦の告知。教団から各地に送られた通達には、満十五歳の少女たちを対象に、伝説の魔法デバイスをめぐる争奪戦が行われること、そしてその勝者が女王候補として選ばれることが書かれていた。
その瞬間、セレナの中で何かがはっきりと形を持った。
「これだ……これが、風が私を導いていた理由なんだ」
女王になれば、辺境の村も忘れられずに済む。風の力を正しく評価してもらえる。いや、それだけじゃない。風を通して見た世界の広さ、その美しさや儚さを、この国のすべての人に届けたいと、そう思ったのだ。
「私、行くわ。止めないで」
父の静かな反対に対して、セレナは初めて強い口調で言い返した。彼女の瞳は、これまでの少女らしい優しさを湛えながらも、奥底に確かな決意の光を宿していた。
「風はね、止めようとしても止まらないの。だから、私も止まらない」
彼女の狙うデバイスは、「天蠍の弓」。
空気を震わせ、風の流れに乗せて矢を放つそれは、まさにセレナのためにあるような神器だった。風の導きを信じ、誰よりも早く戦場に現れ、そして誰よりも正確に標的を射抜く──そんな未来が彼女には見えていた。
選定戦は、ただの名誉のための争いではない。セレナにとっては、自らの力を、そして存在を証明するための唯一の道だった。
村を離れるとき、彼女はふと空を見上げた。風は今日も変わらず、彼女の頬を優しく撫でていた。まるでその背中を押すように。
「風よ、私を運んで。新しい世界へ──」
少女は静かに歩き出した。けれど、その歩みは確かに風と共にあり、誰よりも自由だった。
そしてその風が、誰かを傷つけるかもしれないという想像を、彼女はまだ持っていなかった。
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