5-9
「……セツナには好きな人がいたの?」
言いかけたナユタはそこで気がつく。アーヴルラジューは『僕の仲間がこれをセツナのために用意した』と言っていた。それが単なる友情で終わらないことなど、すぐに察するべきだったのに。
「……彼女は夜見の血族が恋人だった……?」
「そうです」
「キリエはそれは知っていた?」
ナユタは薄暗い中、キリエを見つめていた。彼女の手にある蝋燭がかすかな空気の動きで揺れる。キリエの表情の変化が光の加減かそれとも感情のブレなのか見極めることはできない。
「知っていました。かなり前から」
「知っていたのに、止めなかったの?まるで……キリエじゃないみたい」
ナユタの言葉にキリエは自嘲とも言える口調で答えた。
「そう、私らしくもありませんでした」
それが間違いだったとキリエはこぼす。
「けれど、セツナ様を可哀そうだと思ってしまった」
「一体なにがあったの?」
キリエは今まで伏せていたことを話すことにためらいはないようだった。ナユタが外に出ようとするのなら、それを話してでも止めるつもりでずっと考えていたに違いない。
「セツナ様は完璧な方でした。たまに愚痴をこぼしたり、闇にまぎれて町に遊びに行くこともありましたが、それでも不満はすべで自身の中に収め、表に出すことはなかった。私がここに来たときにはすでに彼女は揺らぎない薔薇瞳様であられたんです」
キリエとセツナがどんな関係だったのか、それは今まで聞いたことがなかったとナユタは思う。しかし互いの領分を侵さず、迷惑を掛け合わない、そんな節度ある関係だっただろうことは伺えた。
「私が彼と会っているセツナ様を見つけたのは本当に偶然です。亡くなる一年前くらいでしたか。街の外れの墓地でした。不慮の死を遂げた守護団員への定期的な墓地の掃除は、私の自発的な行動です。月に一度行っていたのですが、たまたまその日、墓地に落し物をしたことに気がつき、深夜に戻ったんです」
「そこで」
キリエが今まで自分の息子を葬った紅蓮や薔薇瞳、そして教団をどう思っていたのか謎だった。本当は、教団を憎んでさえいるのではないかと。
彼女の今の話には差し支えてしまう問いであるため、ナユタは口にすることはできなかった。しかし、今その疑問は解けたように思う。
キリエはそれでも、教団に対し、感謝はしているのだ。そうでなければ誰に頼まれたわけでもないのに、行き場のない守護団員の墓の掃除などするまい。だから、キリエは紅蓮のこともセツナのことも、嫌っていたのではない。ただ距離があっただけだ。
そのセツナの死。
「彼と話しているセツナ様を見て、私ははじめて彼女も人間だったのだと気がついたんです」
キリエは多くは語らない。けれど、キリエの言葉は、教団と民衆がセツナを見て考えていたことの象徴であった。
わがまま一つ言わず、失敗もせずに君臨していたセツナの人間味。
「たしなめるべきだとはわかっていました。見た瞬間から、私達の知らぬところでセツナ様と彼は親交を深めていたことがわかってしまったんです。仮に彼が夜見の血族でなかったとしても、薔薇瞳として許されないくらい、彼女は彼に依存していた。セツナ様の完璧さは、私達をたばかる点でも実に有能だったわけですね」
「ユージも知らないのね」
「おそらく」
キリエは続けた。
「本当に、止めるべきだったのだと今なら思います。でも、あの時は彼がセツナ様の唯一の失ってはならないよりどころだとわかってしまった以上、うかつに口をはさめなかった。薔薇瞳であることの苦痛を、彼女は彼に会うことですべて解消していたのでしょう。それを責めればセツナ様の心の均衡が保てるのかどうか……私には判断つきかねました」
「じゃあ、セツナにはなにも……?」
「……本当に私らしくもない」
何もいえなかったことをキリエは恥じていた。
「私たちはあまりにもセツナ様に頼りすぎていました」
「じゃあ、あの……私に厳しかったのは」
おそるおそるナユタは口に出した。最初のころの、尋常ではないほどのキリエの厳しい態度を思い出す。
「今度は間違えまい、と思ったんです。私は間違いなくあの時、セツナ様をたしなめ、紅蓮とユージに打ち明けて、あの夜見の血族を殺すべきだった。それができなかったことは本当に日々の後悔でした。だからあなたが現れて、私はやっと自分が救われるような気がしたんです。あなたが正しい薔薇瞳として生涯をまっとうすれば、私の犯した失敗はなかったことになると」
だから。
キリエは始めてそこで微笑んだ。
ナユタが初めて見る彼女の笑みは、ぞっとするほど自虐的なものであった。
「あなたがあのアーヴルラジューを知り、彼がまたあなたに恋しているとわかったときは、穏当に衝撃でした。私はまだ何一つ許されていないとわかったんです」
「誰が」
ナユタはかすれる声で言った。
「誰があなたを許さないの」
「私自身の失敗そのものが」
そして沈黙が部屋を支配する。
許されていないのだと知ったキリエは、今までの自分のやり方ではだめだと悟ったのだろうか。
「許しというのは」
ナユタはしばらく考え、そしてさらに言葉を選びながら話した。
「結局、自分の中にしかないのね」
イルネが死の際で許すまいと言っていたときのことを思いだす。
ユージが君のせいじゃないといい、紅蓮も自分を責めるなと言った。けれど今も許されている気はしないのは、自分で自分が許せないからだ。
キリエの抱えていた痛みは、ナユタにも理解できた。
「セツナは幸せそうだったんだね」
「それは、とても。ですから、セツナ様が塔から落ちたとき、私には信じられなかった。考えられるのはあの夜見の血族がセツナ様を裏切ったのだろうということだけでした」
「アーヴルラジューが、彼は、セツナをここから出したいと願っていたと言っていた。普通の意味で、裏切るとかそういったことをする人じゃないと思う」
あの赤黒い石は、やはりセツナに対する夜見の血族である彼の精一杯のできることだったのだ。
「あなたは、あの夜見の血族……アーヴルラジューを信じているのですか?」
キリエの言葉には、セツナと同じことになるのを不安に思う響きが隠しきれていなかった。
「よくわからない。でもセツナとわたしは少し違う、わたしはアーヴルラジューと一緒にどこかへ逃げるとかそういうことは考えていないから」
「……私は今でも後悔しています、どうしてあの時、セツナ様と彼をひきはなすことができなかったのかと。薔薇瞳として見える部分が完璧ならば、見えないところで夜見の血族とあっていても目をつぶろう、そんなふうに思ってしまった自分の姑息さを軽蔑しています」
キリエは忘れていたようにため息をついた。詰めていた息を吐き出してようやく楽になったように見えるのは、隠していたことをうちあけたということもあるのだろう。
「私が申し上げられる立場ではありませんが、あなたが戻ってきてくれて本当によかった」
「そういってもらえてわたしは嬉しい」
間髪入れないナユタの言葉に、キリエは伏せていた目を上げた。
「わたし、いつだってセツナのようにできないって思っていたけど、わたしなりに出来ることがあるんじゃないかと思って戻ってきたから」
それはまだ何一つ見つけていないが。
「……私を責めないのですか?」
「何が正しかったのかなんて、わからないもの」
今、自分がここにいることですら正しいかどうかわからない。だからキリエの過去の判断を責めることなどできない。
ナユタの以後の無言を考えてから、キリエはかすかに頭を下げ言った。
「……あなたの名が呼ばれないことが、私は口惜しい」
その言葉は、キリエの偽りない感謝なのだろう。
ハルキは苦い顔をしているトモオ老人に、礼だけは丁寧極まりない態度で告げ、図書館を辞した。
図書館司書の知る秘密は、漠然としていたがそれでもカイエンの興味をひくことであろうとは予想できた。
夜見の血族は人のために存在している。
それが秘密だった。
かつて起きた千年前の大戦。
末期には人は己が手で起こした戦いをやめられないだけでなく、自分たちが作り出したものさえ制御することが出来なくなっていた。
それゆえに、なんとか動きを封じることはできたのもの、完全な破壊にはいたらなかったそれを倒すためのものを何者かが夜見の血族という形で残したのだと言う。
「夜見の血族自体は人の敵」
ハルキは今聞かされたことを反芻しながら夜の王宮庭園を横切っていく。ただそぞろ歩きをしているようだが、その頭の中では非常に深く思索がめぐらされていた。
「ならば、白枯れ病こそが、人の、世界の味方か」
カイエンと争うほどの優秀さは、彼のなかで答えを引き当てる。
「白枯れ病を継続させるために、夜見の血族を必要としたが、そのために彼らが人を喰らうことは容認せざるをえなかったということか」
幾多の人間を何世代にもわたって犠牲にすることさえ止むを得ないとするほどの、敵が存在しているのだろうか。
そもそも自分の考えが正しいかどうか、すべてそれは憶測でしかない。だが、ハルキは自分のたどりついた結論に背筋が冷たくなるものを感じていた。
キヌイチから聞きたかったことはすべて聞けた。
彼の小屋を辞し、リョウは最寄の村に向かって、馬を進めていた。今日はそこに泊まり、また明日神都を目指す。
神都までは一週間近くかかるだろう。
海には朱色の果実のような太陽が落ちようとしていた。
キヌイチのことを考える。
彼は積極的ではないものの、人に仇なす夜見の血族に組して生きている。それを許すわけではないが、自分には断罪もできなかった。今思えば小屋の入り口ではじめてリョウを見たときの彼の驚きの表情の意味はよくわかる。
そこには驚き以外に安堵が確かにあった。
彼も疲れていたのだろう。
「私が彼を裁くと思っていたのか」
リョウはため息まじりに吐き出した。
「期待されても困ることを」
キヌイチは人の世を捨てた。捨てた先で、イゼッテアルシャという夜見の血族に拾われたようだが、それは永劫ではなかった。結局行き場を失ってあんな場所で一人でいるしかない。もともと人の世を捨てたという選択自体が愚かだったのかもしれないが、彼が開こうとした世界は、サイセイとアーヴルラジューを思い出させる。
目的の崇高さは違うかもしれないが、みな昨日と違う明日を求めた。リョウはそこにいくらかの尊敬の念を持たざるを得ない。
けれど、それは自分の責任として、現状を受け入れるだけの覚悟がなければならないはずだ。なぜキヌイチの後悔を、リョウが裁かなければならない。
「波の音が」
あたりまえのことに、今気がついた。
リョウはふと馬を止めた。
海岸沿いの道だ。ずっと繰り替えし、波は打ち寄せている。その音が初めて耳に入ってきた。
「一人で海に来るなんてはじめてだ」
ぼんやりと赤い光景を見つめる。
そして気がついたのは、これは。
「私ははじめて一人で旅に出たんだ」
貴族の娘でなく、そして守護団を離れ、ただ一人ここまで来た。そのことに気がついて、リョウは自分の願いがかなかったことを知った。ずっと旅に出たかった自分を思い出す。たった数日といえばそうなのだが、それでも唯一つの旅だった。
かつて「誰かが私の作った道で進んでくれればそれでいい」とサイセイに語ったことがある。けれど気がついたら、自分自身がその道を進んでいた。
涙はでないまま、ただふと微笑が浮かんだ。
「私は願いをかなえたよ、サイセイ」
それだけ呟いた。




