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赤ーREDー  作者: 蒼治
五幕 BLOOD SWORD
73/91

5-2

北方から戻ってきたという右翼団長リョウに休暇が与えられたのは、神都の中で一騒動あってからわずか一週間後のことだった。

 白枯れ病にかかっていた女の夜見の血族が、神殿の中で逃亡騒ぎを起こしたのだった。しかも彼女の仲間と思われる夜見の血族も神殿内に入り込み、一時は甚大な被害を出すかと思われた。

 しかし、その女夜見の血族が騒動の中命を落とすと、彼らは比較的静かに神都を去ったのであった。

 あの夜見の血族達は、白枯れ病であった女を助けに来たのだろう、それが神殿内の幹部のなかで一般的な判断になっていた。

 その一件については、半日も必要とせず全ての収拾はついた。しかしこれから夜見の血族達がどうでるかわからないのが現状である。事態は緊張を抱えている上、神殿内では王立騎士団との合同演習が続いている。そんな最中、右翼団長が休暇など誰かの目から見てもおかしい。

 降格か。

 そんな噂は神殿内を走った。

 だがそれもおかしい。騒ぎの発端となった白枯れ病の夜見の血族を打ち倒したのはリョウである。彼女がそれを成しえたからこそ、薔薇瞳にも王子にもなんの被害も及ばずにすんだのだということは幹部のみならず、神殿内の大勢が判断しているところである。昇進ということなら話はわかるが、彼女が降格など道理からしてありえない。

 そしてそこで、神都内の人々の口の端に上るのが、以前の噂の再燃だ。

 セツナとリョウの不仲。

 一時二人は和解したように見えたが、それは終わりのあるものだったのだろう。結局二人は気が合わないのだ。とそれはまことしやかに囁かれた。

 夏の初めの話である。




「リョウ!おいリョウ!」

 タカネが呼んでも、リョウは振り返らなかった。タカネの彼女を追う勢いに、神殿の回廊を歩く神官がぎょっとして道を開けた。

 神殿の裏に向かう回廊は、夏を間近に控えた植物達の深い息遣いが聞こえるほど、緑の濃さを増していた。それを背景として彼女はまっすぐ歩く。

 そこに迷いはない、ないが。

「なんだ、騒々しい奴だな」

 そういって面倒くさそうに振り返ったリョウを見て、タカネは困惑を隠し切れない。

 リョウは、神殿内ではほとんど脱いだことの無い守護団の制服を、今は身にまとっていなかった。

 質のいいさっぱりとした衣服に、寒さ除けと言うよりは雨避けのために目の詰まった長いマントを羽織っている。それはまるで旅支度である。

「お前、休暇って……」

 リョウはふっと片方の眉を上げるように道化た顔でタカネを見た。

「タカネはまだその報告をうけていなかったのか?」

「いや、受けていた、受けていたけど、まさかそれが真実とは思っていなかったんだ」

「そうか。まあそんなわけで団長になってから一度もそんなもの貰ったことがなかったが、初めての休暇だ。せっかくだから楽しんでくるよ」

 リョウはいつもながらのあっけらかんとした物言いでそれだけ言う。先日の騒動で彼女の額にはまだ青あざが残っていた。強くなり始めている日差しの青黒い影の中で、彼女は特に何事もなかったように微笑んでいるが、タカネにはそれが気に障った。

「休暇ってこの状況でありえないだろう!」

 人が聞きつけたら驚くような強い言葉だった、リョウはそんなものに今更驚きもしないが、タカネのしつこさには閉口しているようだった。

「何が言いたいんだ」

「だって、お前がロゥエレレイシアを倒したんだろう?それは本来感謝され賞賛されるべきことであって、こんな降格ありえないだろうが」

「降格とはひどいな。休暇だと言っているのに。ご褒美だよ」

「また、セツナ様と仲たがいしたのか?」

「阿呆」

 リョウは彼の右の肩口を拳で軽く叩いた。

「そんなんじゃない。彼女は私を嫌っても降格なんてしなかったよ。彼女の正義と私の正義は異なったがそれでも互いを嫌っていなかった」

「じゃあ」

「とにかく今回は休暇だ。私も楽しんでくる」

「なぜだ、俺には理解できない。ロゥエレレイシアを倒して薔薇瞳様を救ったのはお前なのに」

 タカネとは研修生時代からの付き合いだ。そのころから親切で正義感に溢れていたことを彼女は思い出していた。

 しかしロゥエレレイシアの名が出て、彼女の気持ちは小さな波紋が次々と立つ。揺らぐ感情を隠し彼女は答える。

「はたして」

 ゆっくりとした言葉だった。

「はたして彼女の死は、間違いないものだったのだろうか」

 かすかに呟くと、リョウはタカネの反応を見ることもなく歩き始めた。彼を置き去りにして神殿のさらに奥、ひっそりとした回廊の終わりへと歩いていく。

「おい、帰ってくるのを待っているからな!」

 タカネは叫んで、彼女のまっすぐに伸びた背を見送った。

 ふと、リョウの語る薔薇瞳が、だった、と過去形だったことに気がつき、彼は違和感を覚えたが、それを再び問いかける前に、彼女は遠ざかっていた。




「どういうつもりだ」

 ナユタはユージに問い詰められていた。彼の表情はナユタが今まで見たことが無いほど、険しくこわばっている。しかしナユタも負けていない。ここに来てから随分たっている。

 彼女にも譲れないものがあるという決意がみなぎっていた。

 ユージは執務室に居た女官や神官たちを全て下がらせている。窓から低く差し込んでくる夕日は、床を赤く染めていた。ナユタの着る儀礼用の白い衣装も朱である。大きな帽子を外し手にしたナユタは彼に答えた。

「その質問の意味がわからない」

「なぜ、リョウを、放逐した」

 短く切った言葉の一つ一つに、ユージの苛立ちが見え隠れする。

「放逐なんてするわけがないじゃない。ただ、彼女には休暇を与えただけよ」

「この状況でか?」

 ユージはいよいよ我慢できなかったように睨んだ。彼もまたリョウに与えられた休暇をいぶかしんでいる。

 神殿内の賢しいものの中では、リョウのこの休暇にはユージの意図があるのだろうという話になっていた。ユージの密命を受け、リョウはどこかに旅立つのだろうと。しかしその実ユージも、今回は何も関わっていないのだ。こっそり問われて、何もかもを把握しているような顔ではぐらかしながらも、知らない自分にユージは苛立ち、それは当然ナユタにむかう。

 今回のリョウの一件についてはナユタがひっそりと決め、彼女のペンでもってそれを文書として命じ、守護団の幹部に提出してしまったのだ。

 今までナユタのサインの意味など、ユージの代筆でしかなかったのだが、彼女も一年を経てその仕組みがわかってきた。それにキリエからセツナの書体をまねて字を教わっても来た。それが今、こんな形で実を結んだというわけだ。

 薔薇瞳の名で出される文書より強いものなど、神殿内には存在しない。

 ユージが気がついた時には、すでにその命令は発効済となっていた。

 合同演習中で、カイエン王子がいる、そして先日は白枯れ病の夜見の血族に関して一騒ぎあったばかり。

「……私は君を心配して言っているんだ。今すぐ、リョウの休暇を取り下げろ」

「もう遅いわ、リョウは出かけてしまった」

「君は何を考えている!」

 いつもにこやかなユージが激昂していた。

「君を守るものが少なくなるんだぞ!」

「そんなことくらい知っている!」

 ナユタも怒鳴った。一度きつく唇を引き結んだ後、彼女は今まで見せたことのないような薄い笑みを浮かべた。

「……確かにユージの言うとおり、実は放逐と言っていいのかもしれない」

「……どういうことだ」

「守護団員は、怒りで夜見の血族を殺さない。人々の恨みつらみを引き受けるけど、彼ら自身の恨みを晴らすために守護団にいることはできない」

 それはもちろんユージも知っている。守護団員というのはあくまでも、薔薇瞳と人々のために夜見の血族と対峙する。彼らは訓練と茨石によって大きな力を持つことができるが、その個々が個人的な恨みのために動いたら規律が乱れ、夜見の血族から『人々』を守れなくなるからだ。

「……リョウは私的な感情でロゥエレレイシアを殺したのよ」

「……彼女は君を守るために」

「そういうことにしておきましょう」

 ナユタはユージを説き伏せていた。

「リョウに一体なにがあったんだ?」

「それは語らない。でもわたしも私的な感情で動く彼女をここには置いておけない。リョウもここにいることは望まなかった」

 ナユタの目に何か光るものをユージは見つけた。

 彼女とリョウがこの一週間で何を語り合ったのかはわからない。しかしあの頑固なリョウがその決定に従ったということは、おそらく何か理由があるのだろう。

 かつて、リョウはセツナを慮り、あの無意味ともいえる命令で北に下った。けれどナユタとリョウの関係はいまやセツナとリョウの関係とは違う。彼女の別荘であった何かはしらないが、友情といっていいものが二人にはある。

「……私にこの決定を信じろ、と君は言っているんだぞ、理由も語らずに」

「その代わり、別荘で何があったかは話します」

 ナユタはこの一週間頑なに拒んでいた話をようやくする気になったようだった。ユージには打ち明けないですめばいいのにと、いままで秘密にしていたことを。

「あの夜見の血族……そうとう始祖の女王の血が濃いと思われるあの夜見の血族については」

「それも含めて」

「……リョウは戻ってくるのか」

 再度確認するように、ユージは尋ねた。

「すくなくともそう信じている」

「私は正直……まだ君の言葉を信じられないが」

「……ユージはいつからセツナを信じたの?」

 突然問い返されて、ユージは戸惑った。まっすぐ見つめてくるナユタの眼差しはたしかにセツナと似てそして異なる。セツナは薔薇瞳としてひたすら真摯に、ナユタは。

「……そんなの忘れたよ」

 ユージの声にいつもの軽さが戻った。

「……しいていうなら、かつて王宮で王と初めて薔薇瞳として対峙した彼女は、十三とは思えない立派な態度だと思った」

「じゃあ十年かかったのね。それならわたしも十年待たせても平気ね」

「どういうことだ?」

「わたしだって薔薇瞳として立派になるにはせめて十年待ってもらわなきゃって思ったのよ。ユージがわたしを信じられないのは、仕方ないもの。だから別にリョウが戻ってくるってあなたが信じて無くてもいい」

 ナユタの道化た微笑に、ふとユージにも笑みが浮かぶ。

「……まあ、私が死ぬ前にはよろしくたのむ」

 ユージはふと身を翻し、テーブルに置いてあった、ガラス壺に入った果実水を手にした。

「長い話になるのだろう?」

 自ら杯に注ぎながら彼はナユタに告げた。

「そうね」

 ナユタも近づいてくる。

 ナユタは人として誠実に、ユージと接する。ナユタを信じたいとユージは思い始めていた。




「出かけるのか」

 そして、神殿の隅で、リョウは紅蓮に問いかけられていた。

「相変わらず気配のしない男だ」

 リョウは立ち止まった。

 夏となって草木が生い茂る神殿だが、その裏の入り口はひっそりとしていて無法に育った雑草が辺りの湿度を上げていた。

 夕日は今、その朱の一片を地の果てに残すのみである。

「休暇をいただいたからな」

「薔薇瞳は何を考えているんだ?」

 紅蓮はめずらしくナユタへの不満を抱えていた。

「……俺がいまや頼りない存在に成り果てようとしているのに、どうして信頼しているお前を手放すのか、理由がまったくわからない」

「彼女に直接尋ねたのか」

 自分を追放しようとしているナユタではなく、目の前の紅蓮に怒りを感じているように、リョウは少し苛立った声音だ。彼女のその反応に驚いたのは当の紅蓮だった。

「いや、まだだが」

「……まあそうだろうな。お前はナユタにはまるで何も言わない。それでナユタの本心がわからないと言っても仕方ないだろう。自分を見せずに他人を知りたいなど、ずうずうしいにもほどがある」

「……何か、彼女に頼まれたのか」

「しるか。自分で尋ねろと言っている」

 リョウはそっけなくそれだけ言うとため息をついた。

「ただ」

 闇の中、周囲には人気が無い。そんななかからこっそりと出て行くだけのいたたまれない理由もリョウにはある。

「私も、右翼団長である、などと胸を張って言うことは、今はできない」

「……それは」

「ロゥエレレイシアが受け止めた剣は、本当はアーヴルラジューへのものだった」

 リョウは胸の痛みを吐き出すようにためらいがちに言った。

「怒りで茨石を振り下ろしたことを私は恥じる」

「アーヴルラジューというのは、サイセイを殺した夜見の血族だろう。知人を殺した相手にあって、動揺しないでいられる人間はいない」

「人間は良くても、右翼団長には許されまい」

 リョウの言葉は自分で自分を追い詰めたものが持つ響きがあった。彼女は休暇と言う名の業務停止を命じられて、少し安堵しているようでさえある。今、彼女は神殿に入り込んだ夜見の血族を倒し、彼女の仲間を追い払ったということで、功労者扱いである。神殿内の評判も高くなる一方だし、王都からも王子を結果的に守ったということで、勲章が与えられてもおかしくないくらいの礼状が来た。

 ぎゃくにそれが彼女にとっては、わずか一週間で音を上げるほどの苦痛だったのだろう。

「多分今、ここにいても私はナユタの力になれない。紅蓮、ほんの少しだ。少しだけ私に物事を整理する時間をくれ」

 紅蓮に「死ぬな」と「守れ」を両立しろという難題を投げかけていることを知りつつ、リョウにはその選択肢しかない。

 リョウは長いマントの下から、鞘に入ってなお鋭さを残すそれを取り出した。押し付けるようにして紅蓮に渡す。

「これは」

「茨石の剣だ。ロゥエレレイシアを刺したものだよ」

「これは右翼団長の証みたいなもので」

「今の私のは重い、一瞬だけ紅蓮に預ける」

 受け取った紅蓮は困惑したままその教団の紋章が入った剣を見つめた。

「まあ、紅蓮にも重いだろうから、いずれ返してもらうが」

 それが彼女の今の精一杯の軽口だ。

「……しかたない、預かっておく。しかし俺も自分の剣があるから邪魔だ。早く取りに来い」

「承知した」

 紅蓮がそれを自分のマントの中に収めるのを見て、リョウは少し安堵したようだった。固い表情は直らないが、ようやく彼女はかすかに微笑らしいものを浮かべた。

「じゃあ、後をよろしく頼む」

「……生真面目だな。ユージくらい、気楽になれ」

「それはそれで問題があるだろう」

 最後になんとか、いつものような会話をして。リョウは裏の木戸を出て行った。

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