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赤ーREDー  作者: 蒼治
四幕 PEACEFUL END
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71/91

4-16

彼女を追い詰めているのは、リョウだった。アーヴルラジューは一瞬とまどう。

 ナユタを抱えて、ロゥエレレイシアを助け出し、魔犬の追撃を振り切るのは非常に厳しいと思えた。

 ロゥエレレイシアの白枯れ病はアーヴルラジューの予想よりずっと進んでいた。おそらくここで捉えられている間、最初のころに粗末に扱われていたせいもあるのだろう。彼女自身に逃げる力量がない事は誤算だった。

 エィディアロメラ一人では、魔犬と戦いきれまい。

「ナユタ」

 アーヴルラジューは諦めてナユタを廊下に下ろした。紅蓮が来る前にと早口で語る。

「僕は本心から君を自由にしたい。僕が願うことは君と一緒に旅がしたい、それだけです。君が自分のいなくなった後の人の世を心配しているのなら、これがきっと力になるでしょう」

 アーヴルラジューは懐から出した機核をナユタに握らせた。

「詳細はまだ調べ切れていないが、三十七代目のために僕の仲間が用意したものです。きっと役に立つ」

 赤く鈍く光る球体をナユタは不安そうに見つめた。その額にせわしなく口付けると、アーヴルラジューは身を離した。

「君を本当に愛しているんです……君の生涯およそ残り五十年を僕に与えてくれたなら、僕らはこの先百年秋津国の人を殺さないと誓う」

 それが夜見の血族を彼自身が敵に回すことだとわかっていて、アーヴルラジューははっきりと約束した。

「そんなことを、言ってはいけない」

 ナユタの声のほうが震えていた。彼女の怯えをなだめるように彼は微笑むことが出来る。

「また来ます」

 アーヴルラジューは窓を開けた。




「ロゥエレレイシア!」

 リョウは必死で彼女を追いかけていた。空中庭園といっていいほどの広いテラスに二人は走りでた。

 夜見の血族であり、アーヴルラジューの婚約者であった女。しかしリョウはナユタとは違った存在であったが、彼女を心に置いていた。

 彼女のアーヴルラジューへの気持ちが一方通行だったことが、どこか自分と重ねて見えていたのだろうか。

 こんな騒々しい中で、さらに病態を悪化させたくは無かった。

「無茶をするな!」

「来ないで、リョウ」

 テラスの端に立ったロゥエレレイシアは泣きそうな顔で言った。

「きっと、あの人が来てくれたの」

「あの人って」

 それはまるで予言のようだった。

 リョウが問い返したとき、中央の建物を一瞬の足場として、アーヴルラジューがこのテラスに飛び降りたのだった。

「アーヴルラジュー様!」

 ロゥエレレイシアの声には、今まで見たことも無いほど、心が詰まっていた、あまりにも様々な感情が入り混じり、いったいそれがなんであるのか彼女自身にもわからないだろうほどに。

「アーヴルラジュー!」

「久しぶりですね、女守護」

 彼の姿を見た瞬間に、驚くほど容易くその枷は外れた。

 怒りや憎しみや恨みで、夜見の血族を殺すまいと思っていた。それこそがリョウの矜持だ。我々は憎悪でなく生存のために、夜見の血族を倒すのだ。そう思っていた。

 雑多な感情を向ける相手は、人間相手だけで十分だ。

 サイセイを殺したアーヴルラジューに憎しみを感じている自分は把握していた。だからこそ、完全に私人としてロゥエレレイシアと接するのは避けていた。アーヴルラジューへの憎悪で彼女を断罪したくなかった。

 それでも彼女と話すようになり、察する彼女の思いはリョウが抱く彼への憎しみを消してくれているようにさえ思っていた。ロゥエレレイシアはいつでも穏やかでリョウを拒まなかったのだ。

 だがそれは、一時しのぎでしかなかった。むしろ抑圧をうまくしただけ。

「アーヴルラジュー!」

 リョウは自分の放った言葉にある怒りを他人事のように遠く、だからこそ明瞭に感じていた。

「リョウ」

 アーヴルラジューの声に一瞬戸惑いが走る。

 彼にとってもリョウの存在は痛みなのだろう。リョウ自身は彼になんの感慨も抱かせないだろうが、リョウにはかならずサイセイの思い出が伴う。友人の死は確かにアーヴルラジューの心に刺さっている棘だった。

 別荘でサイセイが死んだ瞬間。

 憎しみも悲しみも、その瞬間が頂点ではなかった。サイセイの姿が消え、別荘を遠く離れ、そこで二人は互いに暗い感情を育んでいた。

 勝ったのは憎しみか。リョウの動きが一瞬早かった。

 彼女は自身の腰にある細身の剣を抜いた。金属のこすれあう音は鋭い悲鳴のような素早さで消える。茨石の白が、窓からこぼれる建物からのわずかな光に輝いた。

「リョウ!」

 叫んだのは窓際に立つナユタだ。リョウがアーヴルラジューを殺すこと、人が夜見の血族を倒すこと、もたらす結果は人にとって否定すべきものではない。

 しかしナユタの声は、それを否定する強さがあった。リョウの衝動をナユタは異と叫ぶ。しかしリョウの耳にそれは届かなかった。

 リョウは一歩を踏み出す。その勢いは自分の無事など顧みない無謀なものだ。しかし無謀なりに彼女の白刃はアーヴルラジューを捕らえていた。鋭い刃は彼の心臓を狙っている。一撃で命をとることは出来ないかもしれないが、足止めできる。そうすれば、ここは神殿だ、リョウの味方はいくらでもいる。

 リョウは体ごとぶつかっていった。

 アーヴルラジューはそれを見ていた。避けようかどうしようかそれを考えあぐねているような落ち着きだった。

 その眼差しにリョウはアーヴルラジューの後悔を知る。彼自身がサイセイの死をどれほど後悔しているかと。けれど、誰かの後悔で済む憤りではなく、リョウの勢いは止まらない。

「やめて」

 小さな声が聞こえたような気がした。

 そしてリョウの牙が突き刺さったのは、ロゥエレレイシアの胸だった。

 白枯れ病が進み、彼女の四肢はこわばっていた。走ることはおろか、歩くことさえままならなかったことはリョウだけでなくユージも確認してる。

 その不便な肢体を鞭打って、彼女はアーヴルラジューの前に飛び出していた。

「ロゥエレレイシア!」

 アーヴルラジューは叫んだ。その声でリョウはとっさに剣をひきぬいてしまう。

 ロゥエレレイシアは白い。もともと淡い夜見の血族の色素は、白枯れ病でさらに失われている。着ているものも、簡素な麻のワンピースだ。すでにこの世のものとは思えないほどおぼろな姿。

 けれど噴き出してその服を染めるのは赤だった。

 血の色は人と同じなのだと、リョウも息を飲んだ。

 ロゥエレレイシアはその傷を押さえた。けれど、足はもう彼女を支えることが出来ない。ロゥエレレイシアはそのまま跪いた。それなのに何かに屈することを拒むようにリョウを見上げていた。

「すみません、邪魔をしました」

「ロゥエレレイシア……」

 リョウは慌てて彼女を支えた。放り出された茨石の剣は、べったりとロゥエレレイシアの血をつけたままだ。

「違う、私はあなたを刺すつもりでは」

「いいのです」

 ロゥエレレイシアは笑っていた。

「もういいのです。あれほど待ち望んだアーヴルラジュー様との再会を果たすことが出来ました。しかもアーヴルラジュー様はまったく変わらず健やかなその姿。安心しました」

 彼女の声を聞いてアーヴルラジューも慌ててその隣によりそった。

「ご無事で何よりです」

「ロゥエレレイシア、しっかり!」

「できません。無理です」

 ロゥエレレイシアは傷口からも手を放した。その濡れた手で、どこか遠慮がちにアーヴルラジューの手をつかむ。

「もう一度会いたいと思っていました。アーヴルラジュー様は優しかったけど私を愛してなかった。それが憎かった。憎いのに嫌いになれなかった。だから素直に会いたいなんて言えなかったんです。愚かな私」

 アーヴルラジューの肩口にロゥエレレイシアは額を乗せる。

「でも会えてよかった。生きたいのか死にたいのか、それもわからずにずっと白枯れ病のまま立ち止まっていたんです、会えてよかった。もう望むことは何もありません」

 夜見の血族ならば、茨石製の剣とはいえ、一刺しでこれほど命に関わることはない。しかし白枯れ病も末期、彼女にはあまりにも重い一撃だった。

 ロゥエレレイシアの指先が脆い石が砕けるように壊れていくことに気がついたのはリョウだった。

 泣きそうになりながらその崩壊を食い止めようとするが、彼女の手では何もできない。

「優しいのね」

 ロゥエレレイシアは声を出して笑う。戸惑っていた何かが晴れたような曇りない声で。

「申し訳ありません。とても良くしてもらったのに。あの可愛い薔薇瞳にも」

「ロゥエレレイシア……」

 茨石のせいか、白枯れ病が一気に進んでいた。躯幹は砕けるほどにはならないが、内部から石の様になり、その機能を失っているはずだ。

 それなのに、ロゥエレレイシアは微笑む。

「さよならアーヴルラジュー様。もう行ってください。魔犬や守護団が来るわ」

「ロゥエレレイシア、一緒に」

「いつもは粋なのに、どうして今はそんな無粋なの?白枯れ病で砕けるところなんて見せたくないのよ、アーヴルラジュー様」

「……立ち去れアーヴルラジュー」

 リョウはその夜見の血族に吐き捨てた。

「今だけ、ロゥエレレイシアに免じて見逃してやる」

 振り返れば、エィディアロメラが紅蓮を振り切って建物から飛び降りて逃げていた。紅蓮もエィディアロメラを深追いするよりは、ナユタをさらったアーヴルラジューを追ってくるに違いない。

「ロゥエレレイシア……さようなら」

 アーヴルラジューは立ち上がる。さようならという言葉はあっという間に空気に溶けるが、そのまま辺りに濃く香るようで、三人は息苦しい。一歩退いたアーヴルラジューは、それでも去りがたいように立ち止まったが、躊躇と名がつく前に彼は身を翻し、テラスから駆け下りていった。

「さようなら」

 呟くロゥエレレイシアの微笑をみて、リョウは人が夜見の血族に勝てない何かを知ったような気がした。




 バルナバレグドは頭上でなにか騒ぎが起きていることに気がついていた。

 しかしそれに気をとられている暇はない。一人一人は脆弱であるが、集団、かつ、よく訓練された動きで彼を囲む守護団はそれなりに手ごわい。

 アーヴルラジューが無事ロゥエレレイシアを救いだし、薔薇瞳を手に入れたのかはわからない。

 せめてロゥエレレイシアがアーヴルラジューに再会できていればとバルナバレグドが願う。その代償として死ねるのなら、けして悪くない。

 本当なら、アーヴルラジューの横で微笑む彼女が見たかった。せっかくなら、愛されている彼女が見たかった。そこまで見られたなら彼ら二人が子を成して仲睦まじく生きるところを見たかった。

 別に相手が自分じゃなくていい。ロゥエレレイシアが幸せならと。

 自分を囲む守護団の輪が狭くなってきたことを知ってなお、バルナバレグドはどこか満足だった。

 死の足音が聞こえる、そう思ったときだった。

「無様だな、バルナバレグド」

 夜を裂く鋭い声が飛んだ。頭上からの声に誰もが見上げると、別の建物から、飛び降りてきた黄金の影があった。

エィディアロメラだということに気がついて、バルナバレグドは一瞬動きを止める。近くにいた守護団員の剣はその隙を見逃さない。バルナバレグドのわき腹をそれは貫通した。ぐっ、と低くうめいてバルナバレグドは片膝を付く。

「馬鹿者が」

 その守護団員の襟首を掴んだエィディアロメラは軽々と彼を突き飛ばす。手が離れたままバルナバレグドのわき腹に突き刺さっている剣を彼女はあまりいたわりも無く引き抜いた。冷徹に見下ろしているエィディアロメラにバルナバレグドは文句を言った。

「もうちょっと丁寧に」

「贅沢など聞かぬ」

 その剣でエィディアロメラは振り向きざまに襲い掛かってきた騎士団の男の剣を弾き飛ばした。エィディアロメラの強さはバルナバレグドとはまた違う。バルナバレグドは死することを望んだ上での強さだが、彼女は。

「何をぼんやりしている。アーヴルラジュー様は基本的はうすらぼんやりだが目的のためには一心不乱になることができる。貴様もこんなところでぼんやりしている場合ではなかろう」

 彼女は活路を開く強さだ。

「助けに来たのか」

「愚か者が」

 ただ彼女の強さをもってしても、押し寄せる神殿の守り達の数と勢いは押さえつけられるものではない。しかも彼女もアーヴルラジューの言葉を守っている。

「お前、本当は俺のことが好きなのか?」

「妾自ら嬲り殺したい程度にはな」

「なんできた?」

「貴様の死に名誉など与えん。犬死させられるときを狙っているだけだ」

 エィディアロメラは一瞬の隙を作り出した。人の中にようやく隙間を見つける。

「全ては後だ」

 エィディアロメラとバルナバレグドは、その人とは異質な跳躍力で、助走も成しに数メートルを飛び越えた。そのまま風のように神殿の階段を駆け下りていく。逃げた、という声も聞こえるがそんなことはかまわなかった。

「ロゥエレレイシアは!?」

「死んだ。アーヴルラジュー様はおそらく見取っているはずだが、あの方お一人ならば、なんとか逃げ延びるだろう」

「薔薇瞳は」

「仕方あるまい、次の機会だ」

「次もあるのか!」

「それは妾の言葉。二代続けて馬鹿王とは、妾も大概ついていない」

 沈黙のまま、しばらく二人は神都を駆け抜けた。

 そしてどちらともなく言う。

「まあ退屈しなくて良いな」




 リョウの手の温かみを最後、ロゥエレレイシアは感じていた。

 アーヴルラジューは最後まで優しい。危険を冒してまで、自分を助けようとしてくれた。それはかなわなかったが最後に会うことはできたのだ。

 ……彼の心にいる別の女がわかってしまったのは少し悲しいが、それでも自分にはもう関係ない明日の話だ。

 あの可愛い薔薇瞳を、アーヴルラジューは求めている。女のカンとしかいいようが無いが、わかってしまった。


『アーヴルラジュー、私があなたの連れ添いになるんですって』

『うん。ありがとう。でももし他に誰かいい相手がいたら、そっちに行っていいんですよ?』


 あれはいつの会話か。

 アーヴルラジューに愛されたいと願っていたが、それはおそらく叶わないことを知ったのはいつだろう。せめて生涯の伴侶になりたいと望んだがそれさえ彼の出奔で叶わなかった。いつか帰ってくるだろうと願ったが、それなのに自分の寿命はそこまでもたないことになった。

 せめて。


「私、魔犬となって人に屈するなんて、まっぴらだったんだわ」

 もう今なら、自分がどうなっても、満足できる。

 だから笑える。


 せめてもう一度会えたなら。

 唯一つの願を叶えて、ロゥエレレイシアは彼女の生の幕を閉じた。



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