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赤ーREDー  作者: 蒼治
四幕 PEACEFUL END
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64/91

4-9

いつか終わると知っていたが、その日が終わりの日だとは気がつけなかった。


 ナユタはぼんやりと眠るセツナを見ていた。

 異貌の薔薇瞳の塔は今日も静寂だ。気候が変わり温かくなって神都も巡礼者で賑わっている。神殿も多くの祭事を抱えにぎやかだ。しかしこの塔だけはいつもと変わらない。

 ナユタは時折ここに足を運ぶようになっていた。

 あの首飾りの一件で、セツナがほんの少し肉親として見られるようになってきていた。三十七代薔薇瞳ではなく、自分の姉として。おそらく彼女と語りあうことは無理だろうが、それでも彼女の思いを受け止めたいと思うようになってきていたのだ。

 多忙な日々、時間をぬうようにして彼女の顔を見にきている。サワもそれは良い変化だと思っているようだ。きっとセツナ様も喜んでいる、と言っている。今もここに来るよりは急いで寝たほうがいいのだが、それでも眠る前にと思って訪れた。

 ナユタは今は一人だった。サワがちょっとだけ席を外していいかと言って神殿に戻って言ったのだ。セツナの体を拭う布を、キリエに貰いに行くらしい。静寂の中、ナユタは自分も珍しく一人であると感じた。

 リョウは今、合同演習の準備にかかりきりだ。毎日会えば「カイエン許さん……」と恨み言を言っている。紅蓮は数日前、近場に夜見の血族が居るという情報を手に入れ、数名の守護団員を引き連れて出て行った。カイエンが来る以上、神都周囲の安全を極限まで高めておかなければならない。

「みんな忙しいみたいだよ」

 ナユタはセツナに語りかける。返答なき問いかけだ。

 眠気が押し寄せて来て、そろそろ戻ろうかと思ったが、サワが出て行くときに鍵をかけていってしまった。ナユタが出て行くにはこの塔を開け放っていくことになる。それも不安で、ナユタは帰るに帰れない。こっそり一人で出てきてしまったことを考えると、当然こっそり帰らなければならないのだ。キリエを怒らせたくない。

 ナユタは部屋の隅の覆いの向こうに、サワの寝台があるのを知っていた。簡易の粗末なものではあるが用は足りる。

「ちょっと借りちゃおう」

 ナユタはその布をめくり上げ、寝台にもぐりこんだ。そうやって見ると、姉妹二人でどこかに遊びに来て泊まっているような気がした。布から顔を出してセツナの眠る姿を見ていたナユタは少しだけ楽しい気分になって、布を下ろした。

 多忙な中、ナユタも疲労が蓄積していたのだろう。あっという間に眠気が押し寄せてきた。そのままとろとろと眠りの波に足先から浸ろうとしたときだった。

 扉が開く音がした。

 ああ、サワが戻ってきたのだ、と知覚することは出来たが、身を起すだけの気力がもうない。このまま少し寝たら戻るということでもサワは仕方ないなあ、と言って笑ってくれるような気がした。

 だが、ナユタの耳に入ってきたのは、サワのものとは思えない、疲労ばかりが立ち込めた重いため息だった。足音もサワの跳ねるような軽さがない。

 引きずるようにして、それはセツナの元に近寄ってきていた。ナユタは完全に目を覚ました。何かがセツナに近づいているのだ。ナユタは息を殺してわずかに布を捲りそっと外の様子を見る。

 そこに居たのは紅蓮だった。

 相変わらずの黒い服に、闇に落ちる直前の夕日のような赤い髪。彼はセツナの前にへたり込むようにして座っていた。サワの寝台は、セツナの足元側にある。紅蓮の横顔はか細い灯りではあるが良く見て取れた。

 かすかに反響している水の音は、紅蓮の血が床に落ちる音だった。ナユタは目を見開く。

 彼の服が黒いためにどれほどの出血かはわからないが、紅蓮は息をするのもやっとのようだった。頭に怪我を負っているらしく額から血が滴っていた。わき腹を押さえているところ見るとそこから血が溢れてるのだろう。

 ちょっと出かけたはずが、深刻な戦いであったようだ。ナユタはそこから飛び出していこうと思ったが、彼の表情の暗さにそれもできない。

「……もう少しだけ、生かさせてくれ」

 紅蓮は懺悔のようにセツナに向かって呟いた。彼の両手がセツナの背に回り、その血まみれの手が彼女を抱きとめた。

 セツナの首が力なく片側により、その無防備な首筋がむき出しになる。セツナ自身は今となっては人形のようで生々しさの欠片もない。だが紅蓮に出来とめられているその姿は、なぜかぞくりとする色香を放っていた。

 それが紅蓮と共にあるからだとナユタは気がつく。

 彼の手はただ添えられているだけなのに、指先に情欲がある。

 見てはいけないものを見てしまっているのだとナユタにもわかったが、目が離せない。紅蓮がその首筋に牙を立てたとき、嫌悪感に近いものを抱きながら、見つめ続けていた。夜見の血族が人を魅了するというというのも、吸血の際の性的快楽に近い麻痺というのも、初めて理解できたように思えた。薔薇瞳と魔犬という至聖の存在をもって思い知らされたのだ。

 セツナ自身は意識もないが、紅蓮の顔に一瞬恍惚とした満足感が走ったのまで見てしまった。嚥下する彼の喉の動きは止まらない。泣き出しそうになってナユタは自分の口元を押さえた。

 セツナの立場に。

 ナユタは愛しさを覚え始めていたセツナを羨む。

 わたしが彼女の立場になることは無いのだ。

 多少の時間差はあっても、セツナは紅蓮を連れて行ってしまう。

 紅蓮はようやく彼女の首筋から口を離した。肩で息をしているが、先ほどまで顔に滲んでいた苦悶はない。セツナの血だけが結局彼の怪我を治すのだ。

 セツナを再び横たえる彼の手の優しさにさえナユタは嫉妬した。

 怪我こそ治ったものの、彼はすぐに動けないようだった。そのまま片膝を立てて座り込む。紅蓮の長いため息と重なるように、ナユタの手元で布が裂ける音がした。

 あまりにも強い力でひっぱりすぎて、天蓋としていた布が裂けたのだと気がついたときには、ナユタはバランスを崩し寝台から転げ落ちていた。そのまま顔を上げれば、紅蓮と目が合う。

「……薔薇瞳……?」

 紅蓮の目は驚愕に見開いていた。そこにじわじわと湧き上がるのは羞恥だった。

 自身の飢餓。それを見られることを大抵の魔犬は嫌がるし、紅蓮も例外ではない。

「なんでここに」

「ごめっ……」

 ナユタはぺたりと座り込んだまま、紅蓮を見あげた。とっさに立ち上がった紅蓮はただナユタを見下ろしているだけだ。思わず謝罪してしまったのは、それが見てはならないものだとナユタでさえ理解してしまえるほど、本能と欲求がむき出しだったからだ。

「見たのか」

 紅蓮はナユタから目をそらす。

「わざとじゃないの!」

「……くそっ」

 珍しく紅蓮が何かを罵る。

「俺の卑しさを見て何が楽しい」

 紅蓮の言葉にあるものは、彼の羞恥心を隠すためにのナユタへのヤツ当たりだ。それはわかっているが、ナユタは胸が痛い。

 彼の飢餓など別にかまわない、ただ紅蓮のセツナに向かう痛いほどの想いに打ちのめされているだけだ。

 お互いにそれ以上言葉さえ発することが出来ず、ただ沈黙に耐えかねた紅蓮が足早に立ち去ろうとしたときだった。

「あれ、紅蓮様、いらっしゃってたんですか……ってすごい怪我ー!」

 サワが籠一杯の布を手に戻ってきたのだった。

「大丈夫ですか?」

「もう大丈夫だ」

「あ、ナユタ。そんなところにへたりこんじゃってどうし……」

 そこまで言ったサワもこの場の微妙な空気に気がついたようだった。

「あの……」

 きまずそうに部屋を横切って彼女はセツナのところまで来た。紅蓮が彼女を抱き起こしたために少しずれてしまった掛布を治そうとする。その背後でやはりナユタも紅蓮も言葉がない。

「……セツナ様……?」

 サワがふいに不吉な響きで彼女の名を呼んだ。

「セツナ様!」

 サワは紅蓮を振り返った。

「紅蓮様、ユージ様を呼んできてください」

「サワ、どうしたの?」

 泣きそうな声で、サワは言った。

「セツナ様、息をしてない!」

 その言葉を聞いた瞬間、紅蓮はあっというまに部屋を飛び出して行った。窓があればそれを破って飛び出して行ったに違いない勢いだ。

 ナユタもサワの横に駆け寄った。

 もともとすでに生者と言い切るにはか細い呼吸しかしていなかったが、それでもかすかに上下していたわずかな胸の動きさえ失われている。形のいい唇はわずかに開いているが、そこには呼気の流れも無かった。

 サワは動揺しているが、それでも終りが来たのだということはどこかで納得しているようだった。

 風に吹き散らされる花の香のように、セツナの命脈が尽きたのだとナユタは思った。

 姉妹だから、何か感じるものはあるのだろうかと思ったが、自分はあまり動揺していないとナユタは気がつく。本当は誰よりも動揺して泣き喚くべきなのだろうかと思ったが、そういった心持になれない。

 恋敵の死をまさか自分は喜んでいるのだろうか、よぎった恐ろしい考えは、それでも否定できた。そこまで恥知らずではなかったが、ただ困惑している自分がいる。

 紅蓮に連れられたユージが飛び込んできて、彼女のかすかな生を取り戻そうと必死に処置をしているのもただ見つめるだけだった。

「……終わるのですね」

 静かな声に振り返ってみれば、そこにキリエが立っていた。相変わらず彫像のような表情の無さ。

 彼女は一歩離れたところに立っているが、セツナの周囲の存在だ。紅蓮もユージもサワもキリエも。

 今ここで、自分だけが部外者のようにナユタは感じていた。




 守護団員が死んだとき、神殿では喪の鐘が鳴る。

 人々のために戦って死んだ人間の死を神殿は悼むのだ。しかし誰よりもその戦いに身を投じたはずの女は、静寂の中見送られた。

 葬儀の馬車を手配したのはキリエだった。

 女官が一人、病で死んだとされた。紅蓮とユージの手によって塔から下ろされたセツナは、すでに蓋が打ち付けられた棺に押し込められていた。

 ナユタは神殿の裏口にはいない。

 キリエは黒い紗で顔を多い、馬車に乗った。

 神殿は、神都からすこし離れた場所に墓を持っていた。歴代の薔薇瞳の墓地は、もちろん神殿敷地内に在る。しかし、巡礼に来て、そのまま神殿で死去したもの、帰る場所もなかった女官や守護団員など、他の者のために墓は必要だった。そしてセツナはそこに葬られることになった。まだ『第三十七代薔薇瞳』は生きている以上、彼女を神殿内に葬ることはできない。

 朝霧の中、ユージと紅蓮はそこで彼女を見送ることにした。

「それでは」

 キリエは静かに頭を下げると、馬に軽く鞭を当てた。すべるように馬車は動き出す。

「……終りが来たな」

 ユージの言葉は酷薄といえば酷薄だが、それでもそういわずにはいられない彼の迷いが透けていた。

「ロゥエレレイシアの処遇、さらに悩むことになるな」

 他人事のようにしか紅蓮は言えない。

「王都騎士団の連中が来る以上、彼女はそうそうに処分したいと思っていた。王子になにかあってからではことだからな。だが」

「ロゥエレレイシアについて、俺がはっきりわかることが一つだけある」

 紅蓮はユージの言葉を遮る。

「彼女は魔犬になどなりたいとは思っていない。それだけは確かだ」

「……意志無き者を魔犬にしても、どうせ上手くはいかない、か」

「少し待て。必ず白枯れ病の赤子はいるはずだ」

「そうだな。薔薇瞳がいない時代よりは、何倍もマシと考えるべきか」

 ユージは小さく息を吐き出す。

「……お前はセツナを見送らなくて良かったのか」

「俺が墓場で何かやっていたら目立つ」

「セツナを好きだったんだろう?」

 ユージは彼女が生きている間は一度も彼に問わなかったことを告げた。紅蓮はそれに答えないまま、ただキリエの乗る馬車の音を耳で探すように伏し目がちだ。

「お前がセツナの居ないまま生きている今に、疑問を抱いている気持ちはわかる。魔犬としても恋人としてもその喪失感は大きい。でも、お前ももうちょっと頑張ってくれ」

「今の薔薇瞳にために、か」

「わかっていてくれるんだな……だから、もうすぐ後を追うから、今は見送らなくていいなんて思うなよ」

 少しだけ見透かされているなと、紅蓮は嗤った。

 だが、今考えていることはそれだけではない。ユージに語るつもりも無いが。

「一年近くかけて、俺は彼女を見送った。だから今はここで十分だ」

 そして紅蓮は神殿にむかってゆっくりと歩き始めた。




「涙が出ないんだ」

 ナユタは外の深い霧を見ながら、呟いた。横にいるのはリョウだ。ユージと紅蓮が見送り、キリエが墓地に向かっている。サワは塔の片づけをしているはずだ。

 呼びつけたわけでもないのに、リョウが深夜ナユタのもとに訪れたのは、紅蓮が声をかけたためだと知った。

「リョウは、セツナを見送らなくて良かったの?」

「いずれ墓には参ります。でも今はいいです」

 二人で長椅子に並んで座り、短い会話を続けていた。

 結局今日はナユタは一睡もしないまま朝を迎えることになりそうだが、眠気も無い。

「それでも少し休まれたほうがいいでしょう」

「でも」

 そのときだった、部屋の扉が小さく叩かれた。一瞬顔を見合わせた二人だが、リョウが立ち上がる。警戒しつつ扉を開けたリョウは、すぐに表情を和らげ、相手を中に招き入れた。

「ナユタ様」

 入ってきたのはサワだった。まっすぐに近づいて手に握り締めているものを差し出す。

「これは」

 いつかサワが見せてくれた、セツナの持っていた十代薔薇瞳の首飾りだった。あの精密なつくりの女神が相変わらず美しい。

「これを、お渡ししようと思って」

 十代薔薇瞳の首飾りとそして対になるはずの女神官長がついていない鎖とともに、サワは差し出した。

「セツナが一緒に持っていくべきかとも思ったんだけど、でもナユタ様のものである女神官長は見つからないままだから。せめてこれだけでもと思って」

 サワはそのずしりとした質感のそれをナユタの手の平に押し込めた。

 ナユタはサワの目が真っ赤な事に気がつく。塔の片付けをしながらずっと泣いていたのであろう。

 血肉を分けたはずの姉の死だというのに、自分は涙ひとつ出ない。その薄情さにナユタは痛みを覚えた。本当はこの首飾りも、友人の遺品と言うことで、サワがもつことのほうが正しい用意さえ思える。

「……ありがとう、サワ」

 それでもナユタはそれを受け取った。拒絶すれば、サワがおそらく悲しむだろうと思えたのだ。

 白々とした朝の光が、霧を払うように部屋の中まで届き始めていた。

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