3-4
その日は朝から大騒ぎだった。
別荘にいる間中、ナユタは質が桁違いによくなっただけで、故郷にいたときと同じような着心地のよい楽な服装を、リョウはひたすら動きやすい格好でいた。
それを改めるようにリョウはナユタにそれなりに着飾っていきましょうと申し出た。神都からここに来るときに、リョウがナユタのものを一揃い持ってきたらしいのだ。
「何があるかわかりませんからね」
と彼女はそれをしまいこんでいた箪笥から出してきた。
がさつなようでいて、実はキリエなみに気が回るのではないかと、ナユタはリョウを見直した。
深みの在る紫色のドレスに黒のビロードでアクセントが施されたドレスをナユタに着させたのはリョウだ。久しぶりのドレス用の下着は、ナユタの息を詰まらせる。
「ちょ、ちょっと苦しすぎるような……」
「ああーそれ下着のせいじゃありませんね」
リョウは曖昧にため息をついた。そのままナユタを残して一端部屋を出ると裁縫道具を持ったオリエを連れて戻ってきた。
「本当は母さんのほうがこういったことは得意なんだけど」
オリエは一端緩めたナユタのドレスの脇を覗き込む。ああこれなら直せる、と言うと、いきなり縫い目に糸きりバサミをわずかに入れた。
「オリエ?」
「待っててねー」
魔術のような手際のよさで、オリエはナユタのドレスの胸周りをわずかに緩めて縫い直した。そして満足そうに笑っていう。
「よかったわねえ。一部もちょっぴり成長したみたいよ」
そ、そうかな、とナユタが自分のその辺りをうつむいて凝視している間に、オリエはリョウの肩を掴んでいた。
「さあお嬢様も支度しないとね」
「私は別に、いつもの服で……」
「王都であんな男みたいな身なりをしていたら、余計目立ちますよ!?」
病だったことなど嘘のようにすっかり元気になったオリエはいつも以上に楽しそうにリョウをつれて出て行った。リョウはどこかうんざり顔だ。
先に着替えたナユタはそのまま居間に向かう。
「おっ、ナユタ、そうしているとオヒメサマみたいだ」
からかい半分ではあれど、サイセイが声をかけてきた。キリエから、散々気の利いた返事を習ったにもかかわらず、結局ナユタができたのは照れ笑いだ。ニキもおぼろながらその姿を認め、孫でも見るかのように目を細めた。
「ラジューは?」
「部屋です」
「ちょっと行ってくるって伝えてくる」
ナユタは居間を出てサイセイとラジューが本を山積みにしている書斎に向かった。扉を開けたとたん、美しい音楽が耳に飛び込んできた。
「ラジュー?」
「ああ、ナユタ」
ラジューは顔を上げた。その手にあるのは、調律の終わった琴だ。彼の手は、弦をはじきゆったりとした静かな音楽を紡ぎ出していた。
「あ、直ったんだね!」
「おそらくこれで正しいと思います」
ナユタは彼が指定席にしている窓際によった。その途中で裾をひっかけ、本の山を一つ崩してしまう。
「ああ」
慌ててそれを積みなおした彼女にラジューは歩みよってきた。
「珍しいですね。そんなうっかり」
「ちょっといつもより自分が大きくて」
ナユタはラジューの手をとって、自分のドレスのスカート部に触れさせた。
「ね、かさばっているでしょう」
「でもとてもいい布のようです。きっとナユタは美しいでしょうね」
「そんなことないんだけどさ。え、えっとでも馬子にも衣装、とか」
ふわりとした布に触れていたラジューの手がするりと上がった。ナユタの細く折れそうな腰に自然と回される。
もう一方の手をラジューはナユタの手に合わせた。そのままナユタの腰を引き寄せる。
「ラジュー?」
「僕もダンスはちょっと得意だったんですよ」
音楽はない、けれど、何かが耳にあるように、ラジューは歌いながらステップを踏み始めた。ナユタにあわせたのか、基本の一番簡単なステップだ。しかし彼の優美さはその単純さだからこそ際立った。
その歌はナユタは聞いたことのない歌だ。普段、どうと言うことなく聞いていたラジューの声が、低く柔らかく響く美声だということに初めて気がついた。
「ラジュー上手ね、歌もダンスも」
返事代わりのその穏やかな笑みは言葉がなくとも洗練されており、そう言われ慣れた者独特の自信を伴っている。自分がそういった洗練された返事が出来るようになるのだろうかと、ナユタは少し落ち込んだ。いつも褒められると、うろたえて落ち着きない返事しかできない。
と、ラジューがナユタの腰に回した手に、わずかに力が込められた。歌が止まる。
「ナユタ」
「え?」
「このまま帰ってしまうわけじゃないですよね」
ステップを止めてナユタは彼の顔を見上げた。彼の顔に滲んでいるのは隠しきれない苦悩だった。
「どうしたの、ラジュー。まだ帰らないよ。明日にはここに帰ってくるもの」
ナユタはその手でラジューの頬に触れた。
「本当ですね」
「なんでそんな子どもみたいなこと言うの?」
「寂しいからです、あなたがいないと」
いきなりぶつけられた彼の率直な言葉にナユタは目を見開いた。自分の顔が朱に染まるのを感じる。右目を失い左目は白濁しているとはいえ、ラジューのその顔立ちは、夜見の血族の特徴が色濃い非常に整ったものだ。そんな美丈夫にいきなり好意ともとれる言葉を告げられて、嬉しいとか思う以前にただ動揺してしまう。
「え、えっとあの」
「ナユタは僕がいてもいなくても同じですか」
まるで嫉妬のような感情が混ざった言葉にいたっては、どう返していいのかすらわからない。
そのとき廊下のほうから聞こえたサイセイの声はナユタにとっては救いのようだった。
「リョウの準備ができたみたいだよー」
「あ、ラジュー、わたし行かないと」
そっと彼の胸に手をあてて身を引き離す。
「……気をつけて」
「あ、ありがとう」
ナユタは困惑したまま部屋を飛び出した。
ラジューの見えぬ目に、小さな陰りがあることに気がつかないまま。
王都は、まだ冬といえ、別荘に比べたら比較にならない温かさだった。
「本当に、リョウ……綺麗……」
「あまりまじまじと見ないで下さい」
王都には半日ほどでついた。
黄昏にはまだ早い時刻、ナユタはリョウを伴って、王都のもっとも華やかな町並みを歩き始めていた。
この人は美しいと思っていたが、実際オリエによって着飾られたリョウは、女のナユタですら見とれてしまう美貌だった
実家を飛び出したときに切り捨てた長い髪をオリエが取っておいて、飾り髪にしておいたらしい。地毛との境がわからないように取り付けられたそれが、高く華やかに結い上げられていた。光沢のある黒いドレスは、町で目立たないようにと思ったらしいが、彼女の艶の在る髪と白い肌をむしろ目立たせている。
ナユタは顔の上半分を帽子から垂れた黒いレースで覆っている。ナユタは目の色を隠すために必要不可欠だが、なぜかリョウまでそれを使っているのは、彼女自身にも自分が目立ちすぎるという自覚があるためであろう。
しかし唇と顎だけとなっても、彼女の美貌は隠しきれていない。
二人は人で賑わう町を歩き、綺麗な布を使った小間物屋や、衣料雑貨の店などを見て回っていた。
ナユタ……ではなく、リョウの身なりや言葉遣いで店のものは、この二人がやんごとない階級のものだということを察し、丁重にあつかった。何を言わずともそれだけの態度をとらせてしまうリョウにナユタは憧れる。
歩きつかれた二人は、こじんまりとした店で茶を飲んでいた。目立たぬ場所にあるが、その食器の美しさから、高級さがうかがい知れた。案の定出された茶は、神都でも出されたことのないほどのいい香りを放つものだった。
「リクウェの南方のものだと思いますよ」
リョウはおいしいと感動するナユタに微笑みながら説明した。そのナユタは上質の砂糖が大量に詰まれた砂糖壷に夢中だ。砂糖は花の形を模して固められ愛らしい菓子のようでさえある。それをこのままガリガリ齧りたいと思っていることは、リョウには筒抜けになっている。
「すぐ菓子が来ますよ」
リョウはナユタに目を細めた。
リョウが王都に住んでいたころ、ほとんどの店はリョウの家に出向いてきたから、彼女もあまり町にでることはなかった。こうして歩きまわることはリョウにとっても楽しいことだ。しかもナユタはつまらない矜持などないから、見るもの全てに素直に感動している。
特に彼女は買い物もしなかったが、たくさんの美しいものや珍しいものを見て、それだけで十分満足していた。
楽しい、はずだが、リョウには一片の不安があった。
別荘を出る直前のナユタの様子だった。
着飾ったリョウに感動しつつも、どこか心ここにあらずと言った様子だ。馬車に乗って景色を見ているうちにいつもの調子を取り戻したが、あの落ち着きのなさは普通ではなかった。
出かける直前、リョウが階段を降りて来たとき、居間にはナユタはいなかった。だとすればサイセイの部屋か、しかしサイセイは居間にいた。
ラジューは何をした?
リョウはその推察のまま、ナユタに尋ねたりはしない。尋ねても彼女がラジューを庇うことはわかりきっているからだ。
サイセイが信頼しているし、ナユタも嫌っていないからラジューがあの家にいることも自由にしていることも認めている。リョウもラジューはそんなに悪い相手でもないと思い始めてさえいる。
しかし、ここしばらくは、彼の気持ちが見えてしまうことがあって、リョウはかえって警戒心を強めていた。
ラジューはナユタを好きなのだ。
友愛なんてものではなく、どこか執着心を伴った恋として。
普段なら人の恋愛に首をつっこむような無粋なリョウではない。しかしさすがに話が違う。リョウとサイセイとはまた異なった深刻な事情で、二人が一緒になることはとても難しい。ナユタが薔薇瞳であり、ラジューが夜見の血族である事実は変わらない。そして二人が添い遂げるならナユタは女神であることはできないだろう。
いまのところナユタはそういった色恋沙汰にうといらしく、ぼんやりとしているが、ラジューが本気でナユタを手にしたいと思ったとき、ナユタの意志は関係なくなる。
もういっそ、ラジューにナユタの正体を告げるか、とリョウは考え始めている。
リョウはナユタを主として仕えようと決めたが。
……その実、ナユタのことがもう可愛くて可愛くてこりゃたまらんとか思っているのだ。
いつもどこかおどおどしている彼女にふがいなさを感じる一方、その謙虚さが愛しくて小動物のように可愛がりたくなる。もの知らずなところに不安を覚える一方、それを恥じていろいろなものを学ぼうとしている素直さに、もうなんだがしらんが超応援するから! とか思ってしまう。
だからもしナユタがラジューに恋をしているのなら、それを引き離すのは胸が痛む。痛むが彼女に薔薇瞳でいてもらわなければ仕える意味がない。
まだナユタがラジューに特別な好意をもっていないなら、今のうちに引き離してしまうと思っている。ナユタにはリョウが何かに気がついていることを知られたくない。
ナユタが薔薇瞳としればラジューは諦めるかもしれない。
だが。
もし逆に煽ってしまうことになったら、とリョウはそれを恐れていた。
「ナユタ」
幸せそうに菓子を食べているナユタにリョウは知らぬふりして声をかけた。
「ナユタは今幾つなのですか?」
「えっとね、十五歳か十六歳。セツナが十七歳ならそのくらいだと思う。あのね、わたし孤児院の前に捨てられていたから、誕生日とかよくわからないんだ」
リョウとしては、ナユタははたして色気付くような年齢なのだろうかという興味で聞いてみたのだが、思わぬ彼女の不運まで飛び出してきてぎょっとする。リョウの表情をみてナユタも失言だったと思ったらしい。
「あ、あのね、でも全然なにも不幸じゃないんだよ。わりとすぐにお父さんとお母さんが引き取ってくれたし。村はねえとても楽しかった。あ、でも別に今が嫌ってわけじゃなくて、ユージはよくしてくれるし、守護団の人達は優しい。キリエはすごく怖いけど、あっ、すごくじゃなくてちょっとだけ怖いよね……ってことじゃなくて、キリエは厳しいだけなんだよね。リョウとも仲良くなれたし……仲良くなれた……よね……?」
言えば言うほど『わたし、失言してる!?』と青ざめていくナユタに、リョウは笑ってしまった。
「仲良しと思ってもらえて嬉しいです」
目に見えてナユタは安堵した。
「でもキリエが怖いというのなら、紅蓮も怖いんじゃないんですか?彼も厳しい人だ」
紅蓮の名が出たとき、リョウの予想外な事に、すっとナユタの表情が曇った。
「う、うん……でも紅蓮は、わたしを嫌っているから、あまり近寄らないようにしようかなって……」
「嫌っている?」
リョウが北方から帰ってきたとき、思いつめたようにユージにナユタを休ませろと食って掛かっていた紅蓮の姿をリョウは思い出した。
あんな必死な紅蓮をみたのは初めてだ。とても嫌いな相手に対しての行動ではない。
「なぜ紅蓮が自分を嫌っていると思われるのですか?」
「わたしがバカだから……」
ナユタは菓子を置いてうつむいた。
「紅蓮が悪いんじゃないんだ。わたしがもうちょっとちゃんとしてればなあって」
「あなたはあなたにできることをやっていたと思いますが?」
「でもあの人ほどは出来なかった」
ナユタが名を伏せたのは街中だということを配慮したためだろう。
『あの人』に込められた複雑な感情にリョウはナユタを気の毒に思う。
ナユタが比べられるのは、あのセツナだ。比類なく有能だった薔薇瞳。そして彼女はこれからけして失敗することがない。
ナユタより早く、リョウはナユタの気持ちに気がついた。
ナユタは紅蓮が好きなのだ。いまだ淡く漠然としていても、きっと彼女は紅蓮を慕っている。だからこそセツナに対して複雑な気持ちでいる。
紅蓮は、殆ど表情を変えないし、言葉に出すこともなかったが、彼がセツナを愛していたことはリョウはなんとなくだか感じ取っていた。兄妹のように育ち、互いに依存していたとも言える。紅蓮にとってセツナは特別も特別だ。彼のその思いをもナユタはうっすら感じているのだろう。
紅蓮にしてもラジューにしても。
どちらにしても、ナユタの恋の相手としては不許可だ。
リョウは微笑んで、優しくナユタの話を聞きながら決めていた。
……ナユタには、もっと別にいい人がいるだろうに、いやいるに違いない、ていうか、いないなら探して見せよう!
別に薔薇瞳は、恋愛を禁じられているわけではない。
成すべきことさえきちんとしていれば誰も文句は言わない。ただ、いくつか問題があるが故に、むしろ恋愛に夢中になる薔薇瞳は少ないとも言える。
まず薔薇瞳は不妊なのではないかと思われるほど、子を成さない。だからこそ血縁間で薔薇瞳である可能性は高いにも関わらず、薔薇瞳の血統と呼ばれるものは存在しないのだ。そして薔薇瞳は役目を放棄できない以上、薔薇瞳の恋人は神都に入るしかない。自分の人生と子孫を放棄して女についていく男は少ない。
また薔薇瞳と魔犬の関係の深さも、一般の男が嫉妬する要因になる。
しかし!
リョウはその有能さでもって考える。
しかし、今までそういった男がいなかったわけではない。仲睦まじく薔薇瞳を支え、神都で生涯を共にした薔薇瞳の恋人だっている。たった三代前の第三十五代薔薇瞳とその幼馴染の青年がそうだった。大丈夫、そういう男きっと絶滅してないから!
まず、あんまりぼんくらなのは嫌だ。ナユタがよくても私が許さん、なのである程度知識がある人間がいい。顔はまあ十人並みでいい。平民でもいいけどある程度階級が上のほうが、ユージが文句を言わないだろう。かといってあまり大貴族だとそっちの親族から文句が出る。跡継ぎである男もまずい、従って希望次男以降。守護団のなかにもいそうだが、私より弱い奴は嫌だ、ナユタがよくてもやっぱり私が許さん。
それにせっかく今王都にいるんだし。
そうだ、今日の夜に。
親切なんだか不親切なんだかわからないことをリョウが思案していると、ナユタは気分をかえようとでもするかのように聞いてきた。
「今日はあとはどこかにいくの?」
「後は宿に向かいましょう。そこは食事が大変おいしいんです。でもナユタどこか他に寄りたいところはありますか?」
「……あっ」
ナユタはずっと考えていたと思われる短い間でもって言った。
「あのね、糸とか毛糸とか布とか売っている大きな店とかあるかな」
「……ドレスをご希望なら、神都に来てもらえば」
「そういうんじゃなくて。あの……オリエとニキにはお世話になったから。お土産にと思って。王都ならあの村の周辺にはないような綺麗なものとかあるかなって」
自分の物は何も買わなかったのに、そんなことを気にかけていたのかとリョウは微笑んだ。
「あの二人にはお気遣いなく」
「でも、わたし、あとはもう何もできないから」
「……じゃあちょっとこの店のものにでも聞いてみましょう。そういったことには私もあまり詳しくありませんから」
あまり遠慮してもナユタは身の置き場がないだろうと察してリョウはそう答えた。




