2 「楽園への切符」
楽園への道のり……
今日は10月5日。本日をもって12歳になったぼくは、家の前まで迎えに来てくれた神父様の車に乗せられ、楽園へと向かっている。
「ダフィー君。もう少しで到着するからね」
「は……はい! 」
ぼくの視界は今、アイマスクによって塞がれている。神父様が言うには、楽園の場所は絶対機密であり、そこに行く者は全員必ず、例外無く目隠しを付ける決まりになっているらしい。
ここまで来て、ぼくが楽園行きを拒むような男なのかと思われているようで、少しだけ気落ちしたけど、神父様の「すまない、これは形式的な決まりなんだ。君を疑っているワケではないから安心してくれたまえ」という言葉に救われた。
「……不安かな? ダフィー君」
「いえ! 大丈夫です! これ以上の名誉のコトはありませんから! 両親もぼくが楽園に行くことを知ったら、大喜びしてくれました。昨日はいつもなら行かないようなレストランで送迎会をしてくれましたし」
「はは、よかったじゃないか。私も君を推薦した甲斐があったよ」
「はい! 神父様のご期待に沿えられるよう、一生懸命頑張ります! 」
とは言ったものの、ぼくは本当のところさっきから心細さで心臓が落ち着かなかった。
これからは両親から離れ離れになって楽園で生活することになるのだ。メグジェシカ教徒にとってそれがどれだけ名誉なこととされているとはいえ、イキナリ私生活が激変することにはやっぱり抵抗がある。
でも、学校で他の生徒にバカにされ続けているようなぼくの存在を必要としてくれ、親愛なるメグジェシカ様の下でご奉仕できると考えると、高鳴る鼓動は少しずつ治まっていくような気がしてきた。
大丈夫だ。きっと上手くやれる……
「さあ、着いたぞ」
車のエンジンが切られ、静寂が生まれる。ぼくは今、風や雑踏の音すら聞こえない空間にいるのだ。多分屋内……それも地下なんじゃないか? と予想した。
「ダフィー君、目隠しを取って車から降りたまえ」
神父様に言われるがまま目隠しを外すと、眼球を突き刺すかのような強い光が、封印されていた瞼の隙間から飛び込んで来た。
「うっ……」
車内のフロントガラス越しに見えたその光景は、まさしく四方八方が白・白・白……床も壁も天井も、全部「真っ白」な空間だった。まるで巨大な牛乳パックの中に閉じ込められてしまったかのようだ。
呆気にとられながら車から降りると、神父様は「さあ、こっちだ」とぼくを促し、壁の前に立った。
「神父様……ここは? 」
「この先に、楽園への道がある」
「道……? でもそこには壁しか……」
「まぁ、見たまえ」
そう言って神父様は、おもむろに壁の一部に右手を押しつけた。すると突然、壁面にアミダクジを思わせる光の線が走り継ぎ目すら無い真っ白な壁が両開きに開かれ、その奥へと続く空間が露わになった。
「スゴい……! 」
おそらく壁には神父様の指紋や静脈を認証する装置が仕組まれていたのだろう。それを読みとった機械が反応して、扉を開かせたのだ。
まるでSF映画に登場するハイテクノロジーを思わせる演出に、ぼくの心は否応無く高まった。
ぼくは楽園という名の響きからして、前近代的で牧歌的なイメージを抱いていたのだけど、どうやらそうではないらしい。むしろ自分の想像を超えるほどの高い文明で築かれた場所なのかもしれない。
ハイテク好きなぼくにとって、これは嬉しい誤算とも言える。
「さぁ、奥に入りたまえ」
「はい! 」
扉の奥はさっきまでの真っ白な部屋とは違い、薄暗かった。天井から照らされる小さなライトの照明が唯一の光源だ。
神父様も同じくこの部屋に入り込むと、音もなくゆっくりと扉が自動的に閉まり、室内はより一層の暗黒に包まれてしまった。スグそばにいるハズの神父様の姿すらよく見えなかった。
「……怖いかい? 」
「いえ……大丈夫です。それよりも、楽園へはこれからどうやって向かうのでしょうか? もしかして、この部屋はエレベーターになっていて、ぼくたちはこのまま運ばれていくのでしょうか? 」
「ふふ……それもなかなか面白いね。確かに楽園への道はこの部屋そのものではあるが、エレベーターではない」
神父様はゆっくりとしゃがんで、今度は床に手を当てた。再びアミダクジの光を発すると、この部屋に仕組まれた、何らかの装置が機動されたようだ。
「うわっ! 」
天井から突如スポットライトが照らされ、その強い光にぼくはたじろいでしまった。
「見たまえ、ダフィー君。これが楽園への扉[エッグシリンダー]さ」
神父様が[エッグシリンダー]と呼んだ物を視界に入れた瞬間。ぼくは目の前の事態を全く把握出来ず、声を発することもなく、ただただ突っ立ってそれを見下ろしていた。
長さは2m以上はあるだろうか? 真っ白で、つなぎ目が一切無い巨大な円筒形が床に横たわっている……これが楽園への道? これがエッグシリンダー……?
「驚くのも無理はないだろう……これぞまさに楽園へと通ずる唯一の装置なのだ」
「この大きな筒で……一体どうやって? 」
「今から君はこの中へと入ってもらう」
「この……この中にですか? 」
楽園への道は、自分が想像していたものとは大きくかけ離れていて、なかなかスグに受け入れることは出来なかった。もうちょっとこう……教会の地下に隠された秘密通路だとか……楽園へ乗り込む為の秘密の会員証だとか、ロマンのある展開を思い浮かべていたぼくにとって、目の前の殺風景な白い筒はあまりにもそっけなく[色気]がなかったからだ。
「神父さま……この筒は一体何なのでしょうか? この筒に入った途端、地下通路へと運ばれて、ベルトコンベアーのような装置で楽園へと運ばれるのでしょうか? それともロケットで打ち上げられたりだとか……」
「怖がる必要はない……入れば分かることだ」
神父様はぼくの質問に対し、一切笑うことなく、ただ淡々と筒の中へ入ることだけを促した。全ては入ってからのお楽しみ……ということなのか……
こうなればもう、腹をくくるしかない。
「わかりました……この中に入ればいいのですね? 」
ぼくのその言葉を聞いて、神父様はニコリと口の端を上げる。そして筒の底部分に手を当てると、それに反応してエッグシリンダー上半分が扉のように開かれる。
「さぁダフィー君、入りたまえ」
「……はい……」
恐る恐る筒の中を覗くと、その中には機械的な装置も、魔術的なシンボルも一切何も無い……ただの真っ白な空間が待ち受けていて、それが逆に不安を誘った。
ぼくはぎこちなく筒の中に足を入れ、そしてゆっくり、慎重に腰を下ろし、そのまま仰向けに横たわった。棺桶の中に入ったらきっとこんな感じなのだろう……と、この時思った。
「これでよろしいでしょうか? 」
「うむ。問題ない……それではダフィー君……」
「はい……」
「フタを閉めるぞ」
「……はい」
不気味なほどに音も無く、ゆっくりと閉ざされるエッグシリンダー……光が入り込む隙間が無くなり、ぼくは完全に密閉されてしまったようだ。
「ダフィー君」
筒の外から神父様のくぐもった声が聞こえる。
「このエッグシリンダーは、楽園へ行くため、ひいては新たな人生を始めるため……新たな生命へと生まれ変わる為の神聖なる装置だ。君はこの後スグ、雛鳥が卵から孵るように、全く新しい肉体を持って筒から解放される……」
「新たな……肉体……? 」
「そうだ……その時、君が今まで持っていた常識が全てひっくり返るだろう……でも大丈夫だ……私が君をしっかりと導く……」
「はい……」
「それでは、ダフィー君…………楽園で会おう。待っているぞ」
次の瞬間、ぼくは筒の中に異変が起こっていることに気が付いた。
「うわっ? 」
何か[なま暖かい]液体がどんどん筒内に流し込まれている。液体は背中から胸へと満たされ、あっという間にぼくは体全体を飲み込まれてしまっていた。
このままでは溺死してしまうのは明らかだった。でも、どういうワケなのか……一切パニックも起こさなかったし、死んでしまうのでは? という恐怖心すら微塵も感じられなかった。
この時、ぼくは[胎内回帰]という言葉を思い浮かべた。
母親の体の中にいた時代を懐かしむ感覚……暗く狭い中でも、不思議な安心感が、ぼくの体を包み込んでいた。
……ああ、どんどん意識が遠のいていく……
もはや両手両足の感覚すら無くなって来ている……
楽園に行けず、このまま死んでしまってもいいとさえ思うほどに、不思議な心地よさがあった。
そして、ゆっくりと思考の中が灰色となる……
その時一瞬……夢の中で出会った少女の、ボカシがかかった顔が脳内にチラついた……
楽園に行けば……分かるのかも知れない……
あの子の……
あの子の正体が………………
……………………
………………
「……フィー君……」
……ん……?
「ダフィー君……」
……誰? ……
「ダフィー君……起きたまえ」
誰かが……ぼくを呼んでいる?
「ダフィー君。大丈夫か? 」
この声は……
……神父様!?
「ダフィー君! 」
長い長い夢から醒めたような感じだった。ぼくが再び目を開くと、心配そうに顔をのぞき込む、神父様の顔があった。
「神父……さま……? 」
「よかった……無事みたいだね」
「神父様……ぼくは……一体……? 」
「ダフィー君……喜びたまえ」
「……というと……! 」
「その通り、楽園へようこそ」
どうやらぼくは無事、楽園へとたどり着いたらしい……
気持ちを改めて自分の状況を確かめると、ぼくはフタの開かれたエッグシリンダーの中に座り込んでいて、体中が粘液でベトベトだった……しかもどういうことか……全裸の状態で……
「神父様……これは一体? 」
「説明は後でしよう……まずは奥の部屋でシャワーを浴びてきなさい。そしたらこの服に着替えるんだ」
ぼくは言われるがままにシャワーを浴びて、渡された衣服を身に纏った。その服は、前近代的な真っ白なロングローブ。それを着込み、鏡に映る自分を眺めると、厳格な僧侶にでもなった気がして少し面白かった。
それにしても、ぼくが再び目覚めた場所は……エッグシリンダーこそはそのままではあったけれど、部屋の様子がまるで別の世界だった。
石造りで、それこそぼくが思い描いていた牧歌的な世界観そのものの部屋で、まるで数百年前にタイムスリップしたのかと思うほどだ。しかし、シャワーの作りだけは近代的な趣を残していたのでどことなくアンバランスな感じもあった。
「よく似合っているぞダフィー君」
「ありがとうございます……! 」
「それではついてきなさい。楽園にたどり着いた君を、祝福する準備が整っているからね」
「は、はい! 」
エッグシリンダーの置かれた部屋を後にし、ぼくは神父様と共にどこか別の場所へと移動した。
不思議だった……
ぼくが歩く床も壁も天井も……ここにたどり着く前に歩いた殺風景な真っ白な空間とは打って変わり、ファンタジー映画に登場する古風な洋館を思わせる造りと装飾になっている。ぼくはたった数分の内に、全く別の場所へと導かれたことになる。
どうやって移動したのだろう? あの筒の中には人間を強制的に眠らせる装置がついていて、その間に筒ごとトラックか何かで運ばれたのだろうか……?
考えても考えてもハッキリとした答えは出てこない。偏差値の低いぼくにとっては難しすぎる問題だ……ぼくは無理に稼働させた脳をなだめるように、後頭部をそれとなく撫で上げた。
「ん? 」
その時、ぼくの後頭部に何らかの違和感があったことに気が付く。
固くて冷たい……金属のような感触の[何か]が、ぼくの頭皮に張り付いている?
カサブタだろうか? と、その張り付いた物をポリポリこすっても剥がれる様子は無い。一体何だろう? と後頭部の違和感に夢中になっているうちに……
「さぁ、着いたぞ」と神父様の声が聞こえた。
「は、はい……! 」
ぼくは意識を急いで現実にシフトし。頭のコトは後で誰かに見てもらおう……と、ひとまず忘れることにした。
「ダフィー君……この先で待っておられる方が、誰なのかは分かっているね? 」
「この先……? 」
ぼくと神父様が立ち止まった目の前には、宮殿を思わせる格調高い装飾が施された、大きな両開きの扉だった。そして、そのノブに刻まれた女神の彫刻を見て、神父様の言葉の意味を理解した。
「まさか……いらっしゃるのですか……? この扉の向こうに……[あのお方]が……!? 」
「もちろん。その通りだ」
ぼくはその言葉を聞いて、鼓動が一気に高まった。まるで心臓でバスケットボールをしているような高揚感で、全身の血液が鉄砲水の如く巡り回った。
「粗相のないようにな」
「はい! 」
[ザ・サイレント]の新作が発表された時のような高揚感! 神父様がゆっくりとその扉を開き、奥におられるであろう……あのお方と同じ空間へと導かれる。
「うわあぁ! 」
扉が開かれ、ぼくが足を踏み入れた瞬間、地鳴りのような音の空気圧によって全身が締め付けられた。
「おめでとう! 」
「ようこそ楽園へ! 」
「歓迎します! 」
「来てくれてありがとう! 」
「君も仲間だ! 」
100人……いや……300人はいるだろうか? 劇場を思わせる広大な空間に、ところ狭しと揃った大勢の人間が、ぼくに向けて拍手と歓迎の言葉を投げかけてくれたのだ!
「し……神父様……! これは? 」
「全員君の楽園入りを歓迎してくれているんだ。さぁ、奥へ」
鳴り止まない拍手の中、ぼくは神父様に続いて赤いカーペットの上をぎこちなく歩く。こんなに大勢の人たちに囲まれた経験なんて産まれて初めてのことだったので、とても緊張した。きっとぼくの顔は真っ赤に染まって不器用なニヤケ面になっているだろう。
この会場には2階・3階部分のバルコニーまで設置されていて、そこからもぼくを見下ろす人々の姿が見えた。老若男女、様々な人種の人間が確認出来たが、全員が例外なく、ぼくと同じようなローブ姿だった。この服装は、楽園に住む為の制服のような物なのだろう。
あふれるほどの祝福の中、長く伸びたカーペットを歩き続けると、巨大な女神像の下に置かれた荘厳な玉座が見えた。
そこには、ぼくよりも一回り小さな体で、光を発するかのように上質な白い布を纏った女性が座っている……
間違いない……頭にヴェールを被っていて顔が見えなかったけど……その存在が何なのかはハッキリと分かる。多分、ぼくの両目が潰れていたとしても、放たれるオーラだけでその存在を確認出来ただろう。ぼくはそのお方を目にした瞬間、自然とひざまづいてそれ以上歩くことが出来なくなってしまった……
「……ダフィー君? どうしたんだ? 」
突然膝をついたぼくに、神父様も驚いてしまっていたらしい。ぼくの元へと駆け寄り、肩を抱いて助け起こそうとしてくれた。
「すみません……つい……」
しかし、改めてあのお方の元へと近づこうとするも、足が震えてしまって上手く立ち上がることが出来なかった……大勢の注目を浴びた緊張からかもしれない。
どうにかして歩こうとするも、その一歩を踏み出すコトが出来ない……まるで突然歩き方を忘れてしまったかのように……
「あれ……? おかしいな……そんな……」
神父様の肩にすがり、どうにかしようとまごついている内に、突然会場中にどよめきが生じたことに気が付いた。
一体何が? と視線を[あのお方]の方へと向けると……
なんと……
信じられないことに……
あのお方が……
女神[メグジェシカ様]が……!
その身、その足で自ら歩み……こちらに向かってくるではないか……!?
「メグジェシカ様……!? いけません! 自ら信者の元へと近寄ろうとは……あってはならないことです」
神父様が焦りながら女神様の歩みを止めようとしても、聞く耳持たずに構わずぼくに近づいて来た…………まずい……
自分の想像を遙かに越えた嬉しさで……気を失いそうだ……!
「……大丈夫……ですか……? 」
女神様がぼくにお声を掛けてくれた! フルートの音色のような、体中に染み渡る声だった。
「……申し訳ありません……! 大丈夫です! 大変ごお恥ずかしい姿をお見せしました! 」
「本当に……? 」
女神様はそうつぶやき、ついに……なんと……
顔を覆っていたヴェールを露わにし、そのご尊顔をぼくに向けてくれたのだ!
「女神さ……ま……!? 」
ぼくは……今日まで、信じることができなかった。
何を信じられなかったって? それは、映画やマンガでよく見られる、人がショックで気を失ってしまうって描写のコト。
目の前で人が死のうが、傷つけられようが、確かに精神的なダメージはあるだろうけど、意識を失うってコトなんてありえるのか? とぼくは今までバカにしていた……
でも、今日……この日を持って、ソレができなくなってしまったのだ。
なぜかって? 簡単だよ……ぼく自信、あまりのショックで気を失ってしまったから……
ぼくのあこがれの存在……メグジェシカ様のその顔を見て……ハッキリと思い出したんだ……
曇った鏡をピカピカに磨いたように……くっきりと浮かび上がったんだ……
夢の中でぼくを助けてくれた少女の顔が……
それが……
信じられないことに……
女神メグジェシカ様と……全く同じ顔だったんだ……
ダフィ・ノーツの数奇な運命……




