機会(熟れ)
「お帰り」
「ええ、ただいま戻りました」
仕事を終えたあとのルーフェルの姿を見て、安堵の息を吐く。
男からしてみれば、大丈夫だろうという確信はあったが、それが裏切られることもあるということをよく知っている。
こんな世界では、それはよく起きるということだ。故に、なにか不測の事態があれば自ら動くつもりであった。
連れて来られたこの世界を恨んでいるわけではないし、この世界の住民が嫌いなわけではない。
ただわざわざ召喚してくれた神が嫌いなだけである。
ルーフェルが姿を見せたという効果は、絶大だった。
おかげさまで、東方伯が今まで以上に活発に動き出している。
今までは、正直隙を見つけるのもなかなかにしんどい活動が多かったが、これでこちらも積極的に動けるようになるだろう。
ひとまずの目標は達したというところだ。
安宿にルーフェルがいるなどとは、想像していまい。なおかつ、正体がばれないように手も打ってある。
男の魔法は、正直なことを言えばレベルが低いものばかりだ。男自身が使える中では、防護系統の魔法と、幻惑系統の魔法となる。
魔法といっても、様々なものがある。
武器や防具に直接作用する付加呪文もあれば、直接相手に叩きこむタイプのものもある。
種類は様々であり、それそれ自分の適性にあった魔法を扱えるようになるわけだ。
複製魔法などは、重宝されるし、伝達魔法――所謂テレパシーなどは、目覚めるものも少なく、かなり希少な扱いをされている。
この世界の根本は、魔法から成り立っていると言ってもいいぐらいだ。
その中でも、男の魔法の中で、幻惑魔法はともかく、防護魔法の使い手は非常に多い。
この世界の呪文の中では最もありふれており、よく使われているものだ。
男も、召喚された身として、忌々しい加護以外にも戦える手段は用意していた。
それぐらいできなければ、さんざん呪っていた加護頼りだけの男になってしまうからだ。
「ご苦労だったな」
「いえ、いろいろと試すことも出来ましたし、私にとっても、有意義でした」
「なら、よかった」
ルーフェルの瞳を覗くと、その目にはまだはっきりと冷えきった怒りが存在しているのが見て取れた。
「俺が謝るのも、あれだが――」
「貴方とあの英雄共は別です。謝罪はいりません」
自分の世界にいたもの達がああも好き放題をして、ルーフェルの一族を貶めたということについては、罪悪感が拭えない。
だが、これも自分の勝手な感情であるというのは理解している。
自分に謝られたところで、ルーフェルの心が晴れるわけもないのだ。
そこから意識を引き戻し、今回の狙いを考える。
ルーフェルが現れた事により、首謀者はひとまずルーフェルだという形が取られるだろう。
男自身は一度、彼ら自身に殺したと認識されているはずだ。それも、神自らが確認してまでだ。
最初に宣戦布告に近い真似をしたのは、疑わさせるためである。
殺した、生きているはずはないという意識が枷になるからだ。
男の性格を知るものであれば、わざわざそんなマネはしないというだろう。
自ら生きていると明かすなど、バカにしか過ぎないと。また身を晒すなどと。
そこへ、仮初めの首謀者であるルーフェルを表にだす。
東方伯は、安心すると同時に、ルーフェルを再び手中に収めるチャンスと捕らえるだろう。
加護の力と代償によって、東方伯もその辺りに対する注意は、低下している。
裏を、考えなくなってきているとでも言えばいいのか。
――それは好都合だが。
殺す機会が徐々に熟していってるのはいい。
あとは、殺す際に 出来るだけこの土地の一般人たちを巻き込まないようにすればいい。
実際、自分と東方伯で殺し合えば被害がどうなるかわからないのだ。
東方伯を討つのはルーフェルと約束しているため、ルーフェル自身の手で動くが、失敗した場合は救助しに行かなければならないのだ。
その際に自分と東方伯で戦闘が起きれば、どうなるかは分からない。
ひとつ言えるのは、確実に碌なことにならないということだ。
「ルーフェルが姿を見せたのと、ドドマが姿を見せたのは正解だったな」
「ドドマ、ですか?」
「ああ、そうか。ルーフェルには見せていなかったな。新入りさ」
とんとんと、自分の左半身を叩けば、ルーフェルはそれだけで理解したらしく、頷く。
「グドにはちょいと調べ物をしてもらっている」
「グドに?」
「戦についてなら、あいつは優秀だ」
実際、戦に関して言えば、グドは相当優秀だ。
あれだけの実力をもった女は、今のところ自分の手元にはルーフェルぐらいしかいない。
惜しむらくは、戦闘狂な部分というところか。
「それは、理解していますが」
「なら気にするなよ」
グドのことだけを考えるのであれば、まず大丈夫だろうとは思うが、ルーフェルが気にするのには、違和感がある。
いつも言い争ってるか、罵倒しあっているような所があるが、意外に仲が良いのだろうか。
だとすれば、それは良いことなのだが。
「気にしてはいません。ここまで行動を起こして、下手なところで失敗するのだけは避けたいだけです」
「大丈夫さ」
安宿のベッドに寝っ転がり、男は答える。
「焦ることはない。東方伯は確実に出てくる。一度逃したルーフェルをもう一度捕らえる機会を逃すつもりはないだろうし」
まず、出てくる。
もはや、あの男は加護の呪いの餌になっている。
呪いにより精神すら侵食されて、踊っている。壊れたからくり人形のようにだ。
同情はない。神に踊らされているだけの人形に与える慈悲などは持っていない。
男にとって、東方伯はかつての仲間ではなく、明確な敵の一人だった。
ルーフェルの一件もそうだが、あまりにもやりすぎていた。恨みがどれほど溜まっていることか、本人は気づいていないのか。
やりすぎていた。もう止まることもないだろう。
男がしてやれることといえば、あとはその苦しみから開放するために、殺すことぐらいだ。
もう、殺すことにも倦んでいるぐらいには殺してきたのだ。
人を殺すということが、どれだけの大罪かを考えに考えて、何度も嘔吐しつづけたが、もう慣れてしまった。
麻痺していると言ってもいいだろう。延々と殺し続けていけば、それは嫌でも慣れていく。
手段であり、目的を達成するためにも必要なのだ。今更嫌悪感など抱いていられない。
「そうだ、俺は、俺達は殺すことでしか目標を達成できないんだ」
「ええ――そうですね。私達は似たもの同士です」
ルーフェルに、お前は違うだろう、と言おうとして口を手で塞がれる。
「いいえ、似たもの同士です。否定、なさらないでくだい」
「……ああ、そうだな」
言葉を返すことはできなかった。
確かに、似ているかもしれない。
「グドがそろそろ帰ってくる」
「はい」
「いよいよだぞ」
この場の空気を紛らわすように、男はつぶやいた。