初陣 仁箇(にか)山合戦(がっせん)
≪第三話≫ No.4
戦評定には、当主の小太郎俊高、叔父で後見人の横山重光、家老の佐野久衛門俊種、母方の姻戚で侍大将の真島弥七郎、兵糧・武器管理の遠藤佳美、財務管理(勘定方)及び目付役の吉田三左衛門、小姓から当主の側役となった清水寅之助、若輩ながら小太郎の命で弟の喜久次も参加した。
評定は始めから古参の者たちが主導権を握った。特に後見人の横山重光は自らが当主の様に振舞う。「評定の必要はあるまいて。すぐにでも籠城の支度をせよ。久衛門!」「後見人殿の云われる通りで我らの勝ち目は先々代の築かれたこの城に立て籠る事のみでござるよ。」遠藤佳美も声を合わせた。
「弥七郎、白根方は今何処まで来ている。」横山重光が真島弥七郎に尋ねた。「はっ、松野尾砦を囲む頃と思われます。」「ならば、明日の朝にはここを囲むな。」重光の声に一同息を込めた。
家老の佐野久衛門俊種が重い口を開く。「白根の佐藤政綱は強かな男。長者原城の屈強さは既に存じているはず。味方の柿島信吉と組んだのもこの城を落とすのではなく我らを閉じ込めておいて領土を押える手筈と見まするが。・・・」「仮にそうであれ今、打って出れば奴らの思うがままよ。ここは忍んで時を待つしかあるまいて。」横山重光は口髭と顎鬚を交互に引っ張りながら、一同を叱りつける様に睨んだ。
俊種が小太郎に座を向けながら「お屋形様、籠城で宜しゅうございますな。」と決議を促した。小太郎は静かに顔を横に振った。一同が唖然と小太郎を見つめた。・・・
≪第四話≫ No.5
小太郎は静かに顔を横に振った。「わしは打って出る。」小さかったがはっきりした声である。一同が思わず顔を向けた。「な、なにを云う!?」横山重光が膝を打って吠える様に云った。「今の我らの戦法はこれしかないのじゃ!!・・・おぬしはまだ戦を知らぬ。当主になったとは云え名ばかりぞ。今はわしらに任せておけばそれで良い!!」重光は采配は自分が執ると断言していた。
しかし、家老の佐野俊種は小太郎を見据えた。小太郎はそれに一目もせず、「わしはこの城は好かん。叔父御殿たちはここで守れ!わしは手勢を引連れて仁箇山に籠る。」仁箇山とは長者原城眼下の仁箇沼を囲む周囲1km四方、高さ30m 程の丘陵である。
「ばかを申せッ。ただでさえ少数の我ら、兵を分けられようぞッ」重光が吐くように云った。「我らは一致団結してこの不落城に籠るのが常策じゃッて」一同に同意を求める様に叫ぶ。「戦は勝つか負けるかじゃ。どうせやるならやり易いほうが良い。わしは出る。」小太郎は少し力んで云った。「小太郎ッ、戦はガキの喧嘩ではないぞ!ましてお前は、三条から戻ったばかりぞ。ここはわし等に任せておけッ」
重光の言葉に俊種が割って出た。「横山様、お屋形様の戦法も面白いかも知れませんぞ。白根方も当方が籠城すると思い、油断をしているはず。恐らく兵を分けて攻め寄って来ましょう。・・・そこを奇襲すれば好機が生ずるかも知れませぬ。」「おゝ、みすみす領土を盗られるより一恥掻かせてやりましょう!」
間髪入れず側役の寅之助が叫ぶ。「戦はそれ程甘くないぞ!若い衆が思うほどな」水を注す様に兵糧・武器管理の遠藤佳美が言葉を挟んだ。「まぁしかし、上手くいかなければ逃げ帰ってくれば良いではござらぬか。はっはっはっ」勘定方及び目付役の吉田三左衛門の一言で評定が決まった。
「わしは100程、連れて行く! 弥七、兵の配置を考えろっ」「はっ」小太郎が決断すると弥七郎も力強く答えた。
≪第五話≫ No.6
評定の後で小太郎は弥七、寅之助、喜久次を呼んだ。「此度の戦はわしの初陣じゃ。己の力を試してみたい。」三人は頷いた。「お寅、キク、お前達は村の若い衆を30人ほど集めて来い。手慣れな者が良いぞ。弥七、おぬしは槍と弓矢を集めてくれ。・・・それから、城に内通者がいるやも知れぬ。俊種に用心する様に伝えよ。」三人は命を受け其々に動いた。
城内は一気に慌しくなった。時は辰の刻(午前8時)を過ぎていた。寅之助たちに一刻(2時間)後、城門前で落ち合う事を約し、小太郎は直ぐに甲冑に身を固めた。父の残した代々当主が身につける伝来の紺糸威の物はあったが、敢えて、母が拵えてくれた元服前の簡素な鎧兜を身に纏った。
小太郎は上背があった。6尺(約180㎝)近くあり、当時の男たちは5尺(約160㎝)ほどであったから頭一つ出ていたが、細身で少し華奢に見えた。しかし、目鼻立ちがくっきりしていたのでその聡明さが全体を補うことが出来た。甲冑を身に着けた姿は凛々しく威厳があった。
その後、皆の前で口を滑らした嫌いな長者原城の中を一巡して歩いた。何故嫌いなのか自分でもよく解らない。頭の上を覆い被さる大屋根のせいか。築城20年余りなので其れ程古くはないが、何度となく戦場の中で火責めに会い、あちこちと焦げた跡が残っている。
更に敵を業と城中に入れて混乱させ、撃退すること数度、まだ生臭い血の匂いが残っているような薄暗い城の中である。小太郎が城内を進む度に家臣たちは新しい当主に頭を下げた。微笑む者も多少いたが、殆どの者たちは無言で緊張の中にいた。この戦が自分たちの命運を決めるものである事を皆知っていた。
武者溜り・武器庫・馬舎・それに兵糧庫と一通り見終って最後に評定の間の廊下から繋がる「八角楼」と呼ばれる物見用の天守閣に登った。
≪第六話≫ No.7
天守閣の三層の階段を駆け上がると、そこに家老の俊種がいた。二人は一目した後、並んで眼下の越後平野を見渡した。四月の若葉が野を覆い惨事がなければ吸い込まれる様な美しい越後の山野である。広い越後平野の先に、遠く東に会津の山々が見え、西には立山連峯さえ望める。春の靄は少しあったが良く見えた。
「敵が観えるな!松野尾砦を囲んでいる・・・援軍を送らぬのか?」「残念ながら・・・」小太郎の問い掛けに俊種は小さく答えた。「久衛門、何故、俺に味方した・・・」俊種はふと小太郎を見ながら少し笑みを混ぜた顔色で答えた。「我らはお屋形様の力量を見定めなければなりませぬ。先代はご病状ながら先々代の威光でなんとかもちました。しかしこの度は俊高様の器が問われましょう。誤まてば後がありますまい。・・・」静かな口調ではあるが、小太郎の心を抉った。
長身の小太郎は上から覗くように俊種を見つめた。「俺をどう見た、久衛門。」「お若いのでまだ判りかねますが、・・・面白いお方だと・・・失礼ながらお見受け致した。」
「面白い男だと?・・・そうか、まぁよいわ、俺もまだ自分自身が良く解らん!・・・だが、久衛門、この戦、俺は必ず、勝つ!」
「存分におやりなされ。勝つか、負けるかは時の運!我らはお屋形様に賭け申した!」
「久衛門、城内の内通者に気を付けろ。」
「心得てござる。」「俺は下に行く。後は頼んだぞ。」
佐野家は代々稲島氏に仕える家柄であったが久衛門俊種の時、特に功績を立て三代の当主に仕える腹心となった。その久衛門が腹を括ったのである。小太郎は既に五十を越える祖父のような年柄の家老の想いに安堵した。
(二)仁箇山合戦
≪第七話≫ No.8
佐野久衛門と別れて、小太郎は城門に出ると弥七や寅之助たちが待っていた。城内の兵120人、村から集めてきた若衆がざっと30人。皆、総大将を待っていた。村の若者たちは、手に手に一間(180cm)ほどの竹の束と縄を持っていた。
小太郎は一同を半円に座らせ全員に声が届くように喋った。「村の衆、よく来てくれた。礼を云うぞ。」そこには懐かしい顔が沢山あった。子供の頃は近くの山野で時を忘れて遊びまわったものだ。多少の身分の違いはこの時代は問題ではなかった。幾つかの作戦を述べた後、小太郎は全員を立たせ「この戦、我らが勝敗を握っている!臆せず我について来い!!」「おおォ~!!」一同は其々の持ち場に向った。
小太郎は正規軍を二つに分けた。50人を真島弥七郎に預け、北国街道の村の入口に向わさせた。長者原城の正面下の上堰潟は、現在よりも数倍の面積で水面を形成していたので、北国街道から稲島の集落に入るには、上堰潟と仁箇沼に挟まれた狭い街道を通らねばならなかった。
村には既に殆んど人気が無かったが、弥七達がそこに着いてみると里人の屈強な者達が組を作り、村はずれの街道端に防御用の壕を作っている。
上堰潟と仁箇沼の凡そ20間(約40m)に貯水用の下水堀が繫がっていて、有事の為に弓型に掘られていた。その内側に塹壕を施す。さらに藁袋に土砂を入れ積重ね、足らない箇所は古木や材木・時には箪笥などの家財道具など使えるものは皆積重ねていく。云わばバリケートである。弥七たちが着いた頃には半ば作業が進んでいたので一挙に捗った。
≪第八話≫ No.9
小太郎は本隊70人と若い衆30人程を連れて予定の地点に向った。この地方には信濃川の河流が時に蛇行し、時には氾濫して長い年月を掛けて出来た湿地帯があり、潟や沼が数多く点在している。代表的なものが福島潟・鳥屋野潟・佐潟である。現在、近くの佐潟は野性生物保護のラムサール条約指定地にもなっていて沢山の野鳥が飛来する。しかし小太郎たちが向った仁箇沼は自然の陥没で雨水や雪が解けて溜まった天然の貯水池であった。現在は一部土岸工事が施され、仁箇堤と呼ばれている。
小太郎たちはあちら、こちらに雪が残る山道を足早に進んだ。標高30m程の小山である。目的地には直ぐに着くだろう。途中、山間から見えた最前線の様子は松野尾砦から黒煙が上っていた。20人程で守っている前衛基地である。800余りが一挙に押寄せれば、一溜りもない。
城内では、笑顔もあった若い衆も緊張の度合いが増して来たのが分かる。今は誰も口を開かない。小太郎が振返って喋った。「与三郎、なぁ(お前)かかをもろうたか」与三郎と呼ばれた図体のひと際大きい里人が、答えず俯いていると隣りにいた小男ながら頑強そうなほうが答えた。
「小太郎さー、こやつこの間、隣り村からすんげ~ェべっぴんの嫁ごをもろうたすけェ、鼻の下、なげえこと、なげえこと・・・」皆、昔の頃の調子でどっと笑いが噴き出た。「冨作、小太郎さーじゃあんめえ、御大将さますけェ」「留吉、今日は昔の小太郎さーでいいすけェ。気楽にやれや~」小太郎が答えると、男たちの肩の力が抜けた。
仁箇沼を真下に見る丘陵の天辺に着いた。敵の白根方も必ずここを通過する拠点である。小太郎の指示の下に何組かに分かれて戦準備が始まった。
≪第九話≫ No.10
二刻(4時間)ほどでほぼ支度が出来上がった。時刻は申の刻(午後4時)を少し回っていた。小太郎は皆が作業している間に、戦況を確認し敵の動きを計った。仁箇の頂上から近辺の様子がよく捉えられる。
街道沿いの弥七の組は昼過ぎには戦備えが整って腹ごしらえも済んでいた。弥七に会いに下に降りて、再度手順を確かめると小太郎は皆の所に戻った。
こちらでも腹ごしらえの最中であった。明治以降、日本人の食生活が西洋の影響を受け、一日三食になっていたが、それまでは二食が普通であった。戦場では携帯の食物が中心で、干し飯・魚や海草の干物・それに練り味噌や梅干しなどを添えて食べた。
小太郎が本隊に命じたのは、起伏のある仁箇山の地形を巧みに利用し、丁度瓢箪型の陣地を、持ってこさせた竹棒と縄で柵を張り巡らせ、その周囲には泥堀を作らせた。この山は小太郎や連れて来た村の連中にとって、知り尽くした嘗ての遊び場であった。この瓢箪陣も小太郎が編出した戦ごっこの戦法であった。隣村の子供らとこの丘で毎日のように遊んでいたのである。
「小太郎ッ、戦はガキの喧嘩ではないぞ!」と横山重光が叱責したが、何を隠そう小太郎の計はそれそのものであった!しかしだからこそこの戦法を吾の陣に用いたかったのだ。これから、何度も戦いをせねばならぬ。小勢とはいえ、一族の主、最後は誰にも頼る事が出来ない、非情の世である。
(今は、我とここにいる者達を信じてやるしかない!)父の急死以後、小太郎は一人自らに云い聞かせていた。
物見の者が急を知らせに来た。「お屋形様!敵が竹野砦を攻撃し始めました。!」竹野砦は、5つある味方の砦の一つでこの仁箇山の南側登り口に本城の正面の守りとして備えられている。そこに守備兵として25人が配置に就いていた。・・・いよいよ敵が来た。一同に緊張が走った。「来たぞ!皆抜かるな、配置に着け!!」
≪第十話≫ その1 No.11
(予想より、少し早いかもしれぬ。白根方は様子を伺いながら確実に攻めて来るはずではないのか? 今夜中に長者原城を囲むのか?内通者がいれば、一気に落ちる。・・・)
城方・佐野久右衛門から、伝令が来た。佐藤方は、三方に分かれて突き進んで来ている。本隊500は、上堰潟と仁箇沼の間を通る北國街道の幹道を、250の別働隊は、竹野砦を囲む、残りの100は、支城・平沢城に押さえの為に向かっていると云うのであった。
小太郎の頭の中を思案が駆け廻った。(よ~し!この一刻が勝負じゃな・・・)卯月・4月半ばの日没は午後6時頃である。(明るい内に勝敗を決めねばなるまい)
小太郎は伝令の者に下の弥七たちにも敵の襲来を教え、更にこちらは早目に仕掛けて出る事・又、敵の本隊の奇襲も用心する様に伝えた。そして、予め指示した様に一刻は持ち堪えるように厳命を出した。
山間に傾きつつある日輪を横目に見つつ、30人の手勢を率いて南側の斜面に向った。100間(約200m)も行かない内に眼下から竹野砦を囲む白根方の兵士たちの雄叫びが聞こえてきた。ざっと見て伝言の如く250人ほどはいる。100坪足らずの囲い塀をした砦の中で20数人の味方の兵達が必至で応戦している光景が目に飛び込んだ。
「良いか!今から切り込むがわしが合図したら我らの陣地に駆け戻るのだぞ!良いな!深追いはすなっ」小太郎の声に全員が無言で頷く。一同は素早く駆け降り、近づくと一斉に雄叫びを挙げて突進した。
小太郎は坂道を駈け下りながら、左手を高く上げて下した。その合図を確かめて寅之助たち数名は土手の上から弓を射った。突然の来襲に敵は驚いたが少数と見るやこちらに向かって斬り込んできた。暫し応戦したが、頃合いを見て小太郎が「皆、引け!」と叫ぶと一同が其々に山を登り始めた。若く健脚の者を特に選んでいたので皆逃足は速かった。
振返ると小太郎たちを追って数十人が押寄せて来ていた。元来た道を駆け上がると、暫く走って、喜久次たちが待っている陣地の入口が見えた。それを確認すると小太郎は再び、一人敵の群れの中に斬り込んだ。