第一部 越後の夜明け 第一章 黎(れい) 明(めい)
≪序≫ No.1
(1)時代的背景
この物語は、凡そ470年前、北国・下越後の地、戦国乱世半ばにて、小豪族の子として生まれ育ち、16歳で家督を受継いでより、激動の生涯を貫いた戦国男児の一生である。
現在の新潟県・下越にあたる日本海沿いに凡そ4里(約16Km)の弥彦山連山がある。その最北端に位置する長者原山(現、角田山)の麓に稲島氏の居城があった。城と云っても当時は、山の中腹に築かれた砦のようなものである。
禄高凡そ4,300石、家臣団370余名の小豪族の三男として天文4年【1535年】4月16日幼名小太郎として、まだ山肌に雪が残る春の日にこの物語の主人公は生まれた。
応仁の乱【1467年】以後、天下は乱れ、群雄割拠の中、60年余が経た今、ここ越後の地もその間、守護・上杉氏と守護代・長尾氏の争いが30年近く続き、その後も、50余りの国人衆の争いが20年ほど続いていた。
稲島氏は三条氏(斎藤家)の禄を食み、室町幕府成立後、6代続き今の当主、小太郎の父・与五郎俊秋となる。(稲島氏の詳細な発祥は本篇に記したい。)
(2)生立ち
俊秋の父、俊兼は西蒲原一帯を治めた三条の斎藤氏に就き、新津の秋葉氏との戦で勲功を立て、領土を拡大した。しかし、後継ぎ達は病や戦場で討ち死し、男子に恵まれず唯一残ったその子・俊秋も病弱で一族を率いるには家臣たちも、もどかしかった。その為、近縁の豪族たちとの姻戚を結びながら勢力を保持していた。
小太郎の母は父の2人目の側室として近隣の岩室から向い入れたが、正室が病死した後、側室から正室に向えられた。
父・俊秋には実子として、7人の子女がいたが、先の方に2人、次の側室には2人、小太郎の実母から3人であった。
先の方の嫡子は17歳の初陣のおり、戦死してしまい、その娘もすでに近くに嫁いでいた。次の側室の2人は、男子が早死にし、実家との不和で、本人はすでに女子を連れて里に帰っていた。
小太郎(稲島俊高)には実母から出た弟の喜久次と妹の三和がいたが、その母は3年前に病の為、他界してしまっていた。そして更に16歳の今、父・俊秋が亡くなった。
この頃三条の斎藤氏は、近隣の嫡男(長男)達を、半ば人質同様に4~5年づつ武芸・学業の修行に出させたが、小太郎も11~15歳まで奉公して、帰郷したばかりであった。
・・・若き日に父母を失い、戦国の世の、生き血を啜る非情の世に、越後の片田舎の小豪族として一族を率いながら、平和の世の夢を育む若者が、荒波を喝破し、人生の大海に船出しようとしていた。・・・
< 目 次 >
第一部 越後の夜明け
第一章 黎 明
(一) 初 陣
(二) 仁箇山合戦
(三) 父の残したもの
(四) 向陽に誓う
(五) 妹
第二章 天の花嫁
(一) 駆け引き
(二) 和納の戦い
(三) 夜 襲
(四 )三匹の白狐
(五) 改 革
(六) 義兄弟の絆
(七) 中之口川の合戦
(八) 天の花嫁
(九) 初 夜
第三章 光の戦士
(一) 反 撃
(二) 夜明けの救出
(三) 疑 惑
(四) 五 家 評 定
(五) 義 父
(六) 亀城 籠城戦 Ⅰ
(七) 亀城 籠城戦 Ⅱ
(八) 亀城 籠城戦 Ⅲ
(九) 決戦 嵐の奇襲
(十) 光の戦士