2話 単一法則の簒奪者(ワン・トリック・ファントム)
「フック設定」――それは、クレーンゲームにおいて最も運の要素が強いとされる極悪システムの一つだ。
アームの先についたS字フックは、移動の反動で振り子のように揺れる。
その揺れを予測し、下にあるプラスチックの網目にピンポイントで引っ掛ける。
常人ならば「タイミングの運ゲー」と吐き捨てて散財するだけの代物だ。
だが、空腹で研ぎ澄まされた俺の眼【絶対物理領域】の前では、すべてがスローモーションで可視化されていた。
右手でジョイスティックを握る。
狙うは、網目の中心から三番目。
あそこを引っ張ればカップ麺タワーの土台が崩れ、大雪崩が起きる。
「……風を読むな。法則を読め」
誰にも聞こえない声で呟きながら、スティックを右へ、そして奥へと弾く。
ウィーン、という安っぽいモーター音と共にアームが移動し、狙った座標の上でピタリと停止した。
フックが揺れている。
右、左、右。
周期はおよそ1.2秒。
空気抵抗とアームの振動を補正し、最適解となる降下タイミングを導き出す。
「そこだ……ッ!」
降下ボタンをターンッ!
と無駄にスタイリッシュに叩き込む。
アームが下がり、揺れていたS字フックが、俺の計算(という名の筋記憶)通りにプラスチック網の三番目の穴へスポリと入り込んだ。
ガガガガッ!
アームが上昇し、網を強引に引き上げる。
土台を失った黄金のパッケージたちが、重力に従って次々と落下口へと雪崩れ込んでいく。
ドスッ、ボスッ、という鈍い音が、俺の耳には天使のファンファーレに聞こえた。
「……ミッション・コンプリート」
前髪を軽くかき上げ、冷たい目で取り出し口を見下ろす。
(よっしゃああああっ!
これで三日、いや四日は生き延びられるぞ……ッ!
)
内心では歓喜の舞を踊りながら、俺は無表情のまま戦利品をエコバッグに詰め込んだ。
完璧な仕事だった。
これで俺は誰とも関わることなく、また暗い下宿でカロリーを摂取する孤独な生活に戻る――はずだった。
「あのっ……!」
不意に、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにいたのは一人の女子大生だった。
ゆるふわなブラウンの髪に、明らかに仕送りの額が違うと分かる仕立ての良い秋物コート。
俺のような陰キャ理系とは絶対に関わらないであろう、芸術学部あたりの華やかな人種だ。
そんな彼女が今、獲物を仕留めたばかりの俺を、まるで神様でも見るかのようなキラキラとした瞳で見つめている。
「す、すごいです……! 私、ずっと見てました!」
「……何がだ?」
俺は極力低い声で、警戒心丸出しの返事をした。
まさか、不正行為だのと因縁をつけられるのか?
俺は正当な物理法則に従ってカップ麺を落としただけだぞ。
しかし、彼女の口から飛び出したのは予想外の言葉だった。
「あの揺れるフックを完全に制御するなんて……! まるで重力と慣性を支配しているみたいでした! あなた、もしかして……伝説の『鷲』の方ですか!?」
……は?
わし?
イーグル?
鳥?
「あの神の如き手口……お願いです! 私がスポンサーになりますから、あの台を攻略してほしいんです!」
彼女――紬と名乗ったそのお嬢様は、興奮気味に俺の手をガシッと握りしめてきた。
どうやらこの女、俺がただ「飢えを凌ぐためにフックの周期を暗記しただけの特化型素人」だということに全く気づいていないらしい。
それどころか、俺のことを、すべてを計算し尽くす凄腕のゲーマーだと盛大に勘違いしている。
「断る。俺にメリットがない」
俺は冷たく言い放ち、手を振り払い、背を向けて歩き出そうとした。
他人のクレーンゲームを手伝って、俺のカロリーが一つでも増えるのか?
否、時間の無駄だ。
しかし、彼女の次の言葉が俺の足を完全に縫い留めた。
「お、お願いします! プレイ資金はこちらで全部出します! それに、もし獲ってくれたら……報酬として、今月の食費を援助しますから……ッ!」
「……契約成立だ」
俺は振り返り、即答していた。
氷の数式で構築された俺のプライドは、他人の金で食う飯という圧倒的な質量の前に、開始数分であっさりと崩れ去ったのだった。
さあ、カロリーを懸けた聖戦の始まりだ。
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