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恋が潜む食卓  作者: 稲井田そう
番外編
21/21

春採れ

 写真を撮られる。あまり好きではない。幼い頃から盗撮は身近にあって、小学生の頃は学校で撮影された写真が高値で販売され、知らない他校の人間が持っていたり、写真を媒介してあらゆるトラブルに巻き込まれた。そして不愉快な存在──母親の写真の撮り方も今思えば、普通ではなかった。俺にとって写真は、ただただ、不利益を被るものだ。


 でもモデルを始めてから、撮影は一方的に受ける不利益ではなく、利益を得るための手段に変わった。


たとえば、宣伝広告や、雑誌の撮影とか。


「あれ、天上(あまがみ)さん」


 撮影スタジオのエレベーターに乗っていると、知人が乗っていた。


 天上──雑誌編集者だ。インタビュー企画で仕事をしたこともある。仕事以外でこちらに質問をしてこない、人との距離感を掴むことに長けた人間だ。出版社の社員とはいえ、女が好む顔で、撮影される側でも通用される面立ちだから、同じように面倒な目に遭ってきたゆえの処世術かもしれない。


 今、マネージャーは下で話をして、要するに俺は一人行動だった。


 下手な人間は密室で根掘り葉掘りプライベートの質問をしてくる。そんなプロ意識に欠けた人間はいない、なんて言われそうだが、実際に被害に遭っているとしか言いようがない。


「お久しぶりです。お元気でしたか」


 俺は好青年として見られるよう、笑みを浮かべた。


 別に愛想よく振る舞われたところで態度を変える人間でもないが、丁寧に接したところで距離を詰めてこないし、雑に扱われることを好む人間でもない。ただただ、「礼儀正しく気さくな日野珱介」を演じればいい。


「実は文芸局に移動になりまして……」


「文芸局……?」


 面倒になったなと思う。


 次に企画があれば、プライベートについて質問してくる人間が担当になるかもしれない。そうなったら面倒なことこの上ない。


 俺は窓ガラスに反射する自分の顔を横目に見る。先日、ルームツアーの企画があった。その為に部屋を借りようとしたが、事務所の意向で可能な限り怪しまれることはしたくないとオーダーがあり、そのまま家を使うことになった。


 俺の家は瑞香が出入りしている。


 瑞香の身を守るためとはいえ、彼女の痕跡を消す作業はとにかく不愉快だった。挙句の果てに、ルームツアーのインタビュー役が俺のファンだった。


 不躾な視線で部屋をじろじろ見られた末に、触られたのが、瑞香の調理器具。


 撮影が終わり、当日配送で全て買い換えた。


 瑞香のものを他人に触れられることすら、最近は嫌になってきている。そうした中でプライベートに詮索されたら、心穏やかではいられない。


「残念です、天上さんともっとお仕事ご一緒したかったのに」


「あ、でも、日野さんの映画の告知、ネットニュースで見ましたよ。実写化のお仕事とかで、もしかしたらお仕事をご一緒させていただく機会があるかもしれません」


 天上が言っているのは、夏公開のサスペンス映画だろう。元は漫画で、熱狂的なファンが多く、原作はゴア描写が多い。ただCGを多用すると安っぽく見えるため、撮影では普段のドラマや映画では撮らないようなカメラワークが多く、慣れるのに苦労した。


「ああ、確かに、文芸作品が映画になるの、すごく多いですもんね」


 文芸ならば実写の企画も多いだろう。


 ぼんやりしていると、エレベーターが停車し、話をしながら新しく人間が乗り込んできた。


「お疲れ様です」と、天上が声をかけている。編集者と……作家か何かだろうか。


 作家のほうはこちらに気付くと「日野珱介乗ってる!」と喜びを隠さない。編集者と今後の刊行作の話をしながらも、おもむろにスマホを取り出す。


 スケジュールの確認かと思いきや、無音カメラのアプリを起動していた。ああ、やっぱりと思う。


 それらは音は出ないものの、アプリのロゴさえ知っていれば、この人間は無音カメラのアプリを持っているんだなとすぐに分かるし、起動してロゴが画面に大きく映れば、決定打になる。


 SNSにでも投稿すれば、自分のしてきたこと全てが水泡に帰すのに。くだらない。編集者のネックストラップを確認すれば「早手」と書いてあった。


 やがて作家と編集者はエレベーターを降りた。二人ともこちらの顔を見るばかりで、天上尊が扉を開いていたことに気付かずそのまま去って行く。


 天上は特に気にすることなく閉めるボタンを押した。俺の目的地は最上階、先ほど天上は文芸に移動になったと言っていた。天上が先に降りるだろう。


「どうぞ」


 しかし、途中階で天上が開くボタンを押した。俺はまだ降りない。断りを入れようとすると──、


「すみません。助かります。ありがとうございます」


 天上の後ろにもう一人いたらしい。気付かなかった。暗い雰囲気の男だ。


 キャップの上からフードを被り顔を隠しているが、声でかろうじて男だと分かった。


 こっち側の人間だろうか。同業の中には、仕事の中で精神的に追い詰められこうなるタイプもいれば、元からこういうスタイルの人間もいる。容姿を万人受けするものに変えるため、顔にメスを入れ、傷跡が目立たなくなるまでの間……という物理的な問題のパターンもあり、様々だ。共通しているのは、皆カメラの前では、全てを偽るということ。


「では、失礼します」


 天上が男と共にエレベーターから降りていく。俺は「失礼します」と返して、軽く微笑む。


 演技で役柄を演じて、外では役者とモデル業を並行する日野珱介を演じる。たまに、自分は一体なんなのか分からなくなる。


 でも、分からなくなったほうがいいのかもしれない。


 俺の本質は、極めて──粗悪なものだから。




「珱介くんおかえりなさい」


「ただいま」


 ホテルや展示場、コンサートホールが立ち並ぶ観光都市の中に建つ高層階マンション。入居者は外国の単身赴任者か、家族連れと高齢者。同世代で国籍も同じ人間はまずいないことから選んだ場所だ。借りている部屋までは四回セキュリティチェックがあり、出入りする配送業者も、食事の配送サービスもかなりふるいにかけられる。


 入ることも難しく、ゆえに逃げ場もない。出るとしたら、飛び降りるかだ。


 そんな鳥籠の中で、朗らかに俺を迎えてくれる瑞香に、思わず頬がゆるむ。可愛い。そのまま何も知らないでいてほしい。両隣が空き室で、ベランダを伝い隣に逃げたところで、意味なんかないことも。何もかも。


「今日もいい匂いがする」


 瑞香の作ってくれた料理の匂いと、瑞香の匂い。人のみならず元々何かの匂いが嫌いで、ファブリックミストもルームフレグランスも、無臭か消臭のものを選び、空気清浄機を置いていた。


 でも瑞香が部屋に出入りするようになってから、部屋は瑞香の好きそうなアロマを焚いたり、なるべく彼女好みに染めるようにしている。


 出たくなくなるように。


 とはいえ、料理をするから、料理の邪魔にならない程度だ。


「うん。最近よくエレベーターで一緒になるおばあさんが筍をくれて、筍ご飯と、かつおのたたきと、菜の花のお浸しに、春キャベツと桜エビ、人参のサラダにしたんだ! あ、桜と豆乳のプリンも作ったんだけど、どうかな?」


「美味しそう。早く食べたい」


 俺は鳥籠の奥へ奥へと自分から進んでいく瑞香の後を追う。エレベーターで一緒になるおばあさん。


 一人暮らしか、家族と暮らしているか。瑞香を孫のように思っているのか、気になる。調べなければと、瑞香の可愛い背中を眺める。こんな風に、愛おしく思っていたら、不愉快だから。ただの親切なら妥協できる。そうでなかったら許せない。


 瑞香を傷つける人間は、いらない。でも瑞香を欲する人間もまた、俺だけでいい。




 手を洗いダイニングテーブルに到着すると、瑞香は「お料理温めてくるね」と行ってしまった。俺は瑞香に気付かれないように、スマホの無音カメラを起動して、キッチンに向かう瑞香を撮る。別に撮らずともこの部屋には、死角なんて一つもないほど監視カメラがついている。撮らずとも、動画を停止して切り抜けば保存できる。でも撮りたかった。


 瑞香が、楽しそうにしている姿を残しておきたい。実物には勝てないけど。


「瑞香さー」


「うん?」


「写真すき?」


「見るのは好き、でも撮るの苦手なんだよね……料理とか、冷めちゃうって思って食べちゃう」


「あ~分かる」


 他愛もない話をかわす。瑞香は料理を温めながら、俺は瑞香を撮りながら。


 しかし瑞香の料理は、実のところあまり撮ってない。瑞香自身がテーブルにスマホやカメラを持ち込まないから、というのもあるけど彼女の料理は、彼女の望むタイミングで食べておきたい。


 瑞香を撮っていると、やがて瑞香はキッチンの床下収納か何かをいじり始め、見えなくなってしまった。俺はカメラアプリを閉じ、今日、エレベーターで一緒になった作家のSNSを検索する。案の定だった。




 ──今日、二巻の打ち合わせで出版社さんへ行ったのですが、エレベーターで日野珱介と一緒だったんです! 超顔小さくて編集さんとエレベーターから降りた後も編集さんと盛り上がっちゃいました!




 ──あ! ちゃんと打ち合わせもしましたよ(笑) 三時間みっちり! ご馳走になった焼き肉です。超豪華! 一生の思い出にします! 二巻がんばるぞー!




 ご丁寧に焼き肉屋の写真まで掲載されていた。


 二巻ということは、何処の出版社か特定が容易い。俺がそこで打ち合わせした、何故打ち合わせしたのかという推理ゲームが始まる。写真の焼き肉屋の営業時間を調べると、18時開きだった。出版社からは車で5分、徒歩で15分程だ。この作家が3時間打ち合わせしたならば、大体12時以降、俺は出版社へ行ったと割り出せる。呟きを漁ればもっとだろう。


 俺の事務所は許さない行動だ。


業績二位、最近体制が変わったフォリアイアンならギリギリだが、俺が所属している刻井グループ経営のアビスノットでは、タレントは完全な商品として管理されている。ある程度性格に問題があっても黙認されるが、肖像権や著作権のほか、タレントの営業に邪魔だと判断された存在はすぐに対処される。




「自分が焼き肉になるなんて思わなかったんだろうな」


 呟くと、瑞香が「お肉?」と問いかけてきた。姿が見えない。キッチンが瑞香の声で喋っているみたいだ。そう考えるとキッチンまで可愛く見えてくる。


「いや、なんか……大変そうだなぁと思って、しがらみとか、他の……役者」


「え」


「付き合いで食事行かされたりとか? まぁ俺まだお酒飲めないから関係ないけど、これからしなきゃいけなくなるのかなって」


「あぁ……」


 瑞香は心配そうな声を発し立ち上がった。可愛い。顔が見えた。嬉しい。


「飲める体質かそもそも分かんないけどね、それに、最初にお酒飲む相手は瑞香って決まってるけど」


 瑞香は多分、俺と会わなければ、最初に一緒に酒を飲む相手は家族だったはずだ。妥協ラインとして俺、瑞香、瑞香の家族で飲むというのがあるけど、瑞香の初めては全部俺が欲しい。だから


、その時は二人きり。


 そして、その初めてを共有することはしない。


 瑞香の家族を安心させるため、彼女のやり取りを伝えることはあれど、絶対的なものは共有しない。大切なものは、抱えて、何処にも出さない。写真に残さない。


 だから最期は、瑞香を抱えて死にたい。どこか、海の底で。


 俺は窓の外に視線をうつす。このマンションからは海が見える。元々、オーシャンビューを売りにしていた。海は別に好きじゃないけど、内側は向かい側のマンションの生活が見えるから、誰も見えない海側を選んだ。


「あたたかくなってきたし、そろそろ海のほうでピクニックするのもいいかもしれないね」


「いいね! お弁当作ってもいい?」


「ありがとう。嬉しい、すごく嬉しい。瑞香大好き」


「珱介くん……」


 瑞香がはにかむ。俺のことを食いしん坊か何かだと思っているのかもしれない。否定はできない。食に対してではないけど、瑞香に対しては貪欲だから。


「出来たよー」


 瑞香は料理を温め終わったらしい。俺は彼女の手伝いに向かいながら告げた。


「いただきます」


 その人生も思い出も、何もかも。


 とる。

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