再会の縁結び
◆◆◆
日野くんの家で彼と一緒に食事をしてしまった私は翌日、赤々と染まった紅葉が映る車窓に揺られていた。
電車は勿論、宿泊体験学習のある行楽地へと向かっている。
学校の最寄り駅から到着まで大体二時間あるということで、今朝はいつもより登校時間が早くなってしまった。皆いつもの制服姿ではなく私服姿で、座席に座ったり扉側に固まったりして楽しそうに話をしている。
「大丈夫? 真木くん頭ふらふらして来たらすぐ言ってね」
「ん」
そして芽依菜ちゃんといえばいつも通り真木くんのお世話をしていた。
真木くんもパーカーにパーカーを重ね着したような服を着ているせいか、いつもの制服の時とあまり変わらないように見える。
あれこれ不安そうに瞳を揺らしている芽依菜ちゃんが私服姿でいることで、なんとなくいつもと違うことがわかるくらいだ。
二人を横目にぼーっと景色を眺めていると、近くの女子たちが話を始めた。
「今日そういえば日野くんいなくない?」
「仕事らしいよ」
「まじか……残念」
彼女たちは、以前佐々木さんと仲良くしていた子たちだ。
いつもクラスの中心にいたけれど、佐々木さんが万引きで退学してしまってからは落ち着いたというか、あんまり派手に笑い声をあげたりだとかそういうことをしなくなった。
「っていうか日野くんのドラマのキス見た?」
「見た! 相手のあの?、なんだっけ。前から三番目くらいにいる子、この間特番に出てた子。すごい羨ましかったしちょっと嫉妬しちゃった」
「分かる。この間インタビュー見たけどさ、夏休み明けすぐの撮影だったらしいよ。全然そういうこと言わないからびっくりしちゃった」
「いーなー仕事で珱介と付き合えるとか。前世どんだけ徳積んだんだろー!」
盛り上がる彼女たちの話に気分が沈んできた。今日は日野くんがお休みだしと気を抜いていたからかもしれない。
テレビとか雑誌でも活躍していて、その場にいなくても話題に上るような人だということは分かっていたはずなのに。彼が頭の中にちらついて離れない。
本当に、ただ女子たちが日野くんの話をしただけで、気分が落ち込むなんて駄目だ。はやく彼のことを好きでいることをやめたい。そうしたらまた彼にちゃんと向き合って料理が作れるのに。
私は自分の想いが消えていくのを祈りながら、壁に身体を預け電車が目的地へ到着するのを待っていたのだった。
◇
「じゃあ、ここから先は自由行動だ。ただし夕方前には戻ってくるように」
大きな博物館の前で、先生が整列したクラスの皆を見渡す。
あれから無事目的地に到着した私たちは、博物館で展示を見て併設された食堂でお昼ご飯を食べた。
そしてこれから先は自由行動の時間。事前に配られたしおりには十七時までに今日宿泊するホテルに戻り、フロント近くにいる先生の点呼を受け夕食、お風呂、就寝と書かれている。
今は大体十三時過ぎだから、集合までには四時間自由時間がある。
「瑞香ちゃん、一緒にいこ」
芽依菜ちゃんに呼びかけられ、私は彼女の元へと向かった。その隣には真木くんがいる。
元は芽依菜ちゃんと二人で回る予定だったけれど、真木くんもいたほうがいいんじゃないと彼女に提案した。
なんとなくだけど芽依菜ちゃんは真木くんと離れて息抜きするよりは、真木くんと一緒にいてお世話をしているときのほうが気持ちが安定している。調理実習の時を見ていると、下手に離れているほうが芽依菜ちゃんは疲れてしまうような気がした。
「とりあえず、お土産屋さんとか見たほうがいいよね、しおり見たんだけど、明日って朝起きてご飯食べて集合したらそのまま帰るみたいで、買い物の時間とか無さそうだったから」
芽依菜ちゃんはしおりに添付された地図とスマホの地図を見比べている。私は彼女に同意して、真木くんも異論はないようだった。
「とりあえずお土産屋さんが集中しているっぽい大通りに出て……」
彼女の先導に従ってついていく。落ち着いた暖かみのある木造の建物が並ぶ通りに出ると、お饅頭や卵、名物! と大きく記されたのぼり旗が立ち、色んな食べ物の匂いがあちこちで香り始めた。
ふっくらと小麦を蒸したような香り、甘く煮詰めた香り……いい匂い。
きょろきょろと見まわしながら歩いていると、不意に真木くんが足を止めこちらに顔を向けた。
「めーちゃんの、おともだち」
真木くんは気怠けな瞳で私を映している。芽依菜ちゃんは地図とにらめっこしていてどんどん進んで行ってしまった。
私が彼女を呼び止めようとすると、真木くんが「じゃあね」と呟いた。意味が分からず彼に問いかける寸前、誰かが私の手を後ろから掴んだ。
「え、日野く……」
振り返ると私の手を掴んだのは日野くんだ。帽子を被り眼鏡をかけて、マスクをする……かつてないほどに重装備の日野くんがいる。
「どうしてここに――、えっ」
言い終える前に日野くんは私の手を取り駆けだした。後ろから「芽依菜には言っておくから安心しなよ」と静かな真木くんの声が聞こえる。
私はその声を背に、日野くんに連れられるがまま建物と建物の間にある路地へと入って行ったのだった。
◆◆◆
息を切らしながら日野くんに腕を引かれ駆けていく。裏路地に入ってどれだけ走ったか分からないけれど、彼は徐々に速度を落とし始めてきた。そしてちらちら私より後ろのほうを確認しながら、とうとうその足を止める。
「もうここまで来ればクラスの奴らにも会わないかな。ごめんね五十嵐さん。走らせちゃって、疲れたよね?」
日野くんはそう言ってつけていたマスクを取り、眼鏡を上着のポケットに入れる。
私が半ば呆然としながら「何で」と呟くと、彼は何てことないように「仕事抜けてきた」と笑った。
「えっ、えっ!?」
「今日近くで撮影しててさ、午前の分は早く終わったんだけど、午後の撮影場所がまだ空いて無くて。長めの休憩貰えたから、五十嵐さんとデートしたいなーって思って」
日野くんは私の手を引いてゆっくりと歩きだした。彼は楽しそうに「この先にさあ、縁結びの神社があるから行きたいんだー」と前方を繋いでいないほうの手で指さし始めた。
「すっごいご利益あるらしいよ。運命の人見つかってない人は見つかってー、もう好きな人いる人はその人と結ばれて、恋人同士で行くとずーっと一緒にいられるんだって」
「そうなんだ」
はしゃぐ彼の様子に気持ちが暗くなるのを必死で抑える。
以前恋愛に関して消極的……みたいな感じだったのに、今こんなに楽しそうにしているということは好きな人が出来たのかも知れない。
ずきりと胸を痛めていると、彼はこちらを見て「行きたくないの?」と首を傾げた。
「ううん。運命の人見つかればいいなと思ってるよ」
「ん、ということは五十嵐さん好きな人いないの?」
「勿論だよ。私は美味しいもの食べられればそれで幸せだから」
きちんと、私は笑えているだろうか。不安になりながらも声に出すと日野くんが確かめるように見つめてきた。
「河内のことはいいの?」
「えっ?」
突然飛び出てきた名前に私は唖然とした。
何で今河内くんの名前が出てきたんだろう。
私は河内くんのことが好きだなんて一言も言っていない。完全な誤解だ。すぐに訂正をしようとして、はっとした。
日野くんが、私が河内くんを好きだと思っているならそのままでもいいのかもしれない。
万が一、私が日野くんを好きであることが伝わってしまえば、日野くんに対して大きなトラウマを与えてしまう。
今まで作った料理に何か入れていたなんて思わせてしまって、今後料理全てが駄目になってしまうかもしれない。そうなったら彼は今後何も食べられなくなってしまう可能性だってある。
……昨日だって宅配に怯えていたわけだし。
「否定しないの?」
「と、とりあえず行こう! 縁結び神社!」
否定はしない。河内くんのことは別に何とも思っていない。周囲に広まってしまったら河内くんが私なんかに好かれているとから揶揄われてしまうけど、日野くんは広めたりなんかしないだろう。
私がはぐらかすように笑うと日野くんは私の手を握る力を強めた。
「日野くん?」
「行こう、縁ちゃんと結んで、いらないのは切ってもらわないとね」
「うん」
あれ、縁を、切る?
どことなく不穏な声色に私は疑問を抱きながら、私は日野くんと共に神社へと向かったのだった。
◆◆◆
「ここで、好きな人と結ばれますようにってお祈りするんだよ」
日野くんが真っ赤なしめ縄がぶら下がった神社を指さしながらこちらに笑いかける。
あれからしばらく歩いた私たちは縁結び神社に辿り着いた。有名な場所らしく道中見かけたお土産屋さんや和菓子屋さんには縁結びを全面に押ししたお饅頭やお煎餅、お酒が売られていて、ペア物のストラップなんかも見かけた。
神社に近づくたびにカップルっぽい人たちの姿もたくさんいて、有名なところなんだと分かる。でも不思議と一人で来ている人の姿は見当たらなかった。
「清めるのはあそこみたいだねえ」
日野くんがそう言って私の肩に手を回した。手を洗ったりするのは普通の神社の時と同じ作法らしい。私は日野くんと一通りきちんと清め終えると並ぶようにしてお賽銭箱の前に立った。
でも周りはどう見てもカップルに溢れていて、なんとなく場違いな気もしてくる。
戸惑っている間にも日野くんは手を合わせ始めた。私も初詣の時にしている時と同じように礼をして手を合わせる。
けれど、別に河内くんのことは好きじゃないし、運命の人に会いたい気持ちもない。
日野くんを好きな気持ちを消してほしいとも思うけれど、それはここですべきじゃないお願いだろう。となるとすべきことは一つだ。
……日野くんが好きな人が、日野くんのことを好きになって、二人が幸せでいられますように。
もしかしたら、もう日野くんのことを好きな人は彼のことを好きかも知れないけど、とりあえず縁結びの神様なのだから、ニュアンス的に分かってもらえるだろう。
一生懸命お祈りし終えると、日野くんも終わったらしくこちらに顔を向けていた。
「終わった?」
「うん、日野くんも」
「俺も終わったよ。じゃあ行こうか。お土産とか買おうよ」
日野くんに手を取られついていく。周りを見るとやっぱり恋人同士しかいない。縁結びというより、元からある縁を強化する……という方が有名なのかもしれない。
早速こうして来たわけだし、ホテルに戻ったら調べてみよう。私はなんとなく違和感を感じながらも、縁結び神社を後にしたのだった。
◆◆◆
「ふー」
あれから日野くんとお土産を買った私は、ホテルへと戻り割り振られたホテルの一室のベッドに横になっていた。
もうお風呂も入って髪も乾かし終えたし、消灯まですることがない。
今の時刻は大体二十時過ぎで、消灯が義務づけられている時間まではあと二時間ある。
部屋は一人一部屋割り当てられ、他の子たちはどこかの部屋に集まったりしてる子もいるらしい。でも芽依菜ちゃんは多分真木くんのお世話をしている気がするし、どこに行く気もしない。
「とりあえず、神社について調べてみようかな……」
ベッドのサイドボードに置いていたスマホを手に取り、私は日野くんと一緒に向かった神社の名前を検索した。
「え?」
でもなぜか、トップ画面には恋愛パワースポットの文字と共に「恋人と絶対行きたい!」「カップル限定!」と強烈な文言が並んでいた。
日野くん、間違えたのでは。
嫌な予感がしてクリックを続けていくと、やはり今日一緒にいった神社はカップル限定のものらしい。
誰か運命の人との絆を強めるというより恋人同士で行って二人の永遠を願うもののようだ。では恋人同士じゃない者同士で行けばどうなるのかとサイトを進んでいくと、不意に画面が着信を知らせるものに切り替わった。
中央には「日野くん」と表示され、彼からの着信を通知している。慌てて私はベッドから飛び起き通話ボタンを押した。
「はっはい」
「あ、五十嵐さん?」
「うん、五十嵐」
電話の向こうの日野くんの声は、なんだか焦ったように聞こえる。
「悪いんだけどさ、部屋に行ってもいいかな、五十嵐さんの泊まってるホテルの」
「えっ」
彼の全くの予想外の言葉に絶句した。返事が出来ないでいると「泊まるはずだったホテルが押さえられてなくて、それで雨降ってきちゃって、今ホテルの近くにいるんだけど……っ」と日野くんはどこか走っているような様子で話を続ける。
窓の外に視線を向ければ、雨粒がぽつぽつと窓を叩いていた。
「うん、大丈夫だよ。たっ、タオルとか用意しておくね!」
「ありがとう……わっ」
スマホを耳に当てながら備え付けのタオルを出していくと、電話越しにばしゃん、と水がかかったような音が聞こえてきた。
「日野くん?」
「はは、ちょっと転びそうになって」
「焦らなくていいから、濡れないようにね! 部屋番号は……」
階層も含めて部屋番号を聞き取りやすいようゆっくり伝えていく。彼はメモをしているのか、反芻するように繰り返した。
「わかった。ありがとう五十嵐さん。今からそっちに行くからね」
「うん。タオルたくさん用意してお風呂のお湯も溜めて、あっためておくから」
「……五十嵐さん」
改めるように声をかけられなんとなく私は動きを止める。次の言葉を待っていると、電話越しに彼の雰囲気が変わった気がした。
「ごめんね」
あまりに昏い声に目を見開くと、電話はそこで途切れた。
雨も降っていたし、要件も伝え終わったから電話を切っただけだ。きっとそうであるはずなのに、どこか私は日野くんの様子に違和感を覚え胸騒ぎを感じていた。




