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恋が潜む食卓  作者: 稲井田そう
特製チャイと野菜たっぷりミルクスープ
14/21

排除の時間◆

 夏休みが明けた九月といえどまだまだ暑く、囲まれようとも廊下で過ごす気は起きない。俺は教室の扉側の壁に背を預け、スマホ片手に女子の話を適当に聞いていた。

「そういえば今月末って旅行だっけ? めっちゃ楽しみ! 珱介仕事入ってたりしてない?」

「どうだろ。でも撮影あるから途中で抜けるか遅れてくる感じにはなるかも。最初から最後まではいれないと思うよ」

「えー! やだー!」

 耳を貫く悲鳴に辟易しながらスマホを見るふりをして、窓際の席でじっと料理本を読む瑞香を盗み見る。

 キスをされた瑞香は初めのほうこそ俺を意識する素振りを見せていたけど、彼女は徐々に慣れてしまった。俺に慣れるのはいいことだけど、環境に適応する能力がありすぎる。


「ねぇ、なんか最近佐々木ちゃんこっち来ないよね」

「確かに〜どうしたんだろ。ずっと珱介珱介って休み時間終わると来てたのに」

「そうだったっけ?」


 集まっていた女子たちが首を傾げた。佐々木は今、友達同士で会話をしている。ただ七月の頃と異なり声は小さく肩を縮めるようにしていた。


 夏休みが明けてもう二週間経つけど、佐々木たちが水族館の一件を広める素振りは見せない。当然だろう。たまたま居合わせたクラスメイトに嫉妬丸出しの発言をした挙句、俺に否定されたのだから。河内の時みたいに一番効く形で罰を与えようと調べてみれば面白い瞬間に出くわしたし、あの顔もあと少しで見なくて済むこともあって清々しい気持ちだ。


「あれ、珱介今お仕事中?」

「ううん。ちょっと掃除の準備的な? スマホの容量重くて削除中〜」


 そう言って画像フォルダから佐々木の写真を開く。反射で周りからは見えないが、画面には奴が万引きをしている動画が再生されている。モデルをしているわけでもないのに持ち物をブランド品で固めているから、親が金を持っているのかと思えば住んでいたのは駅からかなり離れ、所々荒の見える汚い家だった。


 さて、いつバラしてやろうか。一番効く時がいい。


「あ」


 瑞香の声が聞こえて自然と視線がそちらに向く。声はささやかなものだったから、周りの人間は気付いていない。何があったのか不安に思っているとスマホにメッセージが入った。


≪今日芽依菜ちゃんのお掃除当番を変わったので、お掃除してから日野くんちに行きます≫


 朝真木が転んだか倒れたかで鞄が壊れ、園村が一緒に買いに行く話をしていて瑞香が交代を申し出ていた。瑞香の教室での会話は全部聞いてるから別にメッセージをくれなくてもいいけど、貰えることは嬉しい。


「どうしたの珱介? 仕事入った? 旅行駄目そう?」

「分かんない。まだ微妙かな」


 こんな他愛のない話を、家では瑞香ともしている。学校では出来ない。佐々木みたいな人間はどこにでもいる。


 瑞香は壊れてほしくない。そう考えて彼女を見ると、視界に河内が入った。


「五十嵐なんの本読んでんの? なにそれ料理……?」

「うん。栄養の本」

「へー五十嵐って料理するんだ……あっそういえば家庭科の時よく上手なやつ作ってたよな」


 でも、瑞香が壊れれば、傷付いて学校に行きたくなくなれば河内と遭わせずに済むのだろうか。


「珱介?」


 呼びかけにはっとして、慌てて何でもないと笑みを浮かべる。周りの女子は不思議そうな顔で俺を見ているのに、瑞香の視線は変わらず河内だけだ。


 佐々木を片付け終わったら、あいつも消そう。


 俺は他愛もない話をどうでもいい女子たちと続けながら、そう心に決めたのだった。




「上手くいって良かったなぁ……」


 俺の家で睡眠薬入りのチャイを飲んでしまったが為に眠る瑞香を見て、ほっと安堵の息を漏らす。エアコンの温度を下げ、五月に一緒に出かけた時に買ったブランケットを彼女にかけて瞼にキスを落とした。


「本当によく効くな……。そんな即効性無い奴だけど……身体は丈夫みたいなこと言ってたし、薬の耐性があんまりないのかな。瑞香ちゃんは」


 小鼻に触れるとむずがるものの、起きる気配はない。でもまさか、キスをする為に用意していた睡眠薬がこんな役立ち方をするとは。こんなに効くなら、今度使う時はもう少し量を調節したほうが良かったかもしれない。


「それにしても、本当に可愛いー……。早く起きないと俺に閉じ込められちゃうよ。いいの……? もう二度と外出られなくなっちゃうよ……? ねえ、瑞香……」


 瞼を舐めてみたり頬にキスをして、唇を撫で軽く指を口内に差し入れてみても全く起きる気配がない。触ったり眺めたりを繰り返しているけれど、全然飽きない。それどころか浅く胸が上下し無防備に眠りに落ちている彼女を見て、ひどく興奮する。このままどうにかしてしまいたい。強引に手に入れたい。


 瑞香の頬を軽く食むと、柔らかくてそのまま食いちぎりたい衝動に駆られた。ああ、可愛い。でも、別に俺は今日瑞香に触りたくて眠らせたわけじゃない。彼女が起きる前に佐々木を始末しておかないと。あれだけ念押ししたのに瑞香を校舎裏に連れ去った挙句詰め寄って、さらにスマホにメッセージまで送りつけて。


 俺が瑞香の受けとるメッセージを全て監視していたから良かったものの、少しタイミングが違えば瑞香は奴から送信された脅しのメッセージを見てしまうところだった。


 だからもう手段は選ばない。今からささっと学校に行って、佐々木の万引きを偶然目撃して、ドラマに響くのが怖い珱介を演じてこなければ。


「行ってくるね、次に起きたら佐々木なんて学校から居なくなってるから安心して」


 瑞香の手を取り、ぎゅっと握る。


 この手も愛おしい。触ってみると温かくて、しっとりしている。瑞香の手を自分の手と重ね合わせ、俺の頬に触れさせるようにして頬ずりをすると彼女はふと笑みをこぼした。


「駄目だよ笑ったら、もっと悪くて怖いことするよ」


 頬を舐めると、瑞香は何か夢でも見ているのか無邪気に笑う。


 この笑顔を守りたい気持ちに偽りはない。優しくして、幸せにしたいと思っている。でも屈服させて、俺なしでは生きられないようにして、理性を全部壊して、全てを奪って食べてしまいたいとも思う。相反する二つの感情がないまぜになる。欲しくて欲しくてたまらない。最終的に傍にいてほしいに帰結する。その繰り返しだ。全然ままならない。


 瑞香の頬を少し摘むと彼女は少し口を開いた。それがまた笑っているみたいに見えて、胸が苦しくなる。


「ごめんね、俺みたいなのが瑞香のこと、好きになって」


 相手が眠っている時にしか、好意が伝えられない。卑怯だとは思うけど伝えることがやめられない。謝っておきながら、俺はまた同じ機会が訪れたら今日と同じことをする。


「瑞香さあ、早く俺のこと好きになってよ。俺に殺される前に」


 本当に、身勝手な想いばかりが膨れ上がる。俺は瑞香の頬から手を離し、その場を後にしたのだった。




「大変だよ! 佐々木ちゃん万引きで退学だって!」


 それから五日後。学校に行くと教室は騒ぎになっていた。佐々木が退学処理されたことがクラスのグループメッセージで拡散されたのだ。たまたま奴が校長から直々に叱咤を受けているところをクラスでもかなり口が軽い女子たちが目撃したらしい。


 俺は特に何もしていない。昨日は校長室前の掃除当番で、仕事が入っていたから明るくてクラスの盛り上げ役の女子グループに変わりを頼んだだけだ。別に広めてもいないし、ましてやクラスのグループメッセージに佐々木のことなんて書いてない。


「まさかクラスから万引き犯の常習者が出るなんてね……、そんな風には見えなかったけど、案外そういうものなのかもね」


 そう言いながら瑞香をさりげなく見る。佐々木がいなくなったのに、彼女は浮かない顔だ。それどころかこの間家に泊まってもらってから彼女は元気がない。佐々木に何かされたショックだと思っていたけど、なんだか違う気がする。


「……ひのー」


 不思議に思っていると廊下から声がかかった。振り返ると真木で、珍しい状況に戸惑いを覚える。


「どうしたの真木くん」

「先生がなんかするって、すーがく」


 真木の言葉に、俺より先に周りの女子たちが不安げな反応を示した。「珱介大丈夫……?」「私代わりに行こうか?」と口々に代理を申し出てくる。


「大丈夫だよ。行ってくる」


 笑って躱して、俺は教室を出た。エアコンがないことで先週は暑さに耐えられないと閑散としていたのに今日の廊下は秋の涼風が吹き、生徒もスマホ片手に立ち話をしていてそこそこ出てきている。


「先生の用って何」


 真木は長い前髪を垂らしながらぐったりとした調子で歩いている。園村曰く面倒くさがりで省エネがちというけど、ここまで来れば病気だ。先日は科学の実験中に漫画みたいな爆発を起こしかけていたし、瑞香と園村は仲が良く結果的に真木と近づく形になるから、瑞香に危険がないか心配になる。


「えっと……わすれた……なんだろ、行けば分かるんじゃない?」


 要領の得ない答えに苛立ちを覚える。しばらく歩いていると職員室とは違う方向へ真木は進んでいく。「違くない?」と答えても「合ってるよ」の一点張りだ。強引に腕を引くか悩むものの、やはり瑞香と園村が仲がいいことで手出しができない。


「真木くんどこ行こうとしてんの?」

「佐々木のこと、消したでしょ」


 それまで病的な程猫背に歩いていた真木がくるりと振り返る。いつも気怠げな目をしていたのに、はっきりとした眼差しで俺は眉間に皺を寄せた。


「……何言ってるの真木くん」

「二十時過ぎに職員室で話してたでしょ。万引きしてる生徒を見たって」

「ああ、見られちゃったんだ。でも俺ドラマにかけててさ、不安で……」

「五十嵐瑞香にアプリ入れてるでしょ。バッテリー消費を抑える奴に擬態させてるスパイウェア」


 淡々とした口調に違和感を覚え周囲を確認すると、すべて仕組んでいたのか周りには誰もいない。


「何が目的?」

「五十嵐瑞香の精神の安定による園村芽依菜の安寧」

「……は?」

「お前が五十嵐瑞香を捕まえてれば、芽依菜は五十嵐瑞香を心配しなくて済むし、摂理が乱されずに済むから」

「別に捕まえる気だけど。っていうか何でお前が瑞香のスマホの状況知ってんの?」

「芽依菜のスマホに変な干渉があると俺に分かるようになってるから。あれ、バッテリー変に減るから勧められるものじゃないよ。今までよく削除されなかったね」


 普段、言葉を発するのが億劫だということが目に見えてわかるのに今の真木は別人のように饒舌に言葉を発している。確かに瑞香が不安で傷付いた時、園村は相談に乗るだろう。不愉快だけど同性の友達に俺がなることは出来ない。でも何故それを俺に言うのか。園村芽依菜を瑞香から遠ざければいいものを。


「あんまり、血が流れるようなことは起こしてほしくないんだよ。四月ならまだしも、もう五十嵐瑞香は芽依菜の友達になった。もうすぐ木の葉が赤くなる。芽依菜にとってデリケートな時期に変なことしないでほしい」

「デリケートって」

「河内とかはいいよ。何なら手伝うし。でも五十嵐瑞香は芽依菜の友達だから、そっちがその気なら今年いっぱいはこっちも邪魔をする」

「俺が瑞香を殺すわけないだろ。順調なのに」

「愛憎なんて一緒だし、期待してる分だけ裏切られた衝撃は大きい。それに、明らかに――」


 ――四月の時よりずっと、五十嵐瑞香への想いが強くなってるから。


 そう言われて、目を見開く。

 俺は瑞香のことが好きだ。でも、こんな想いを抱えているのは彼女がこちらを向かないからだ。俺は最初から頭がおかしくなるくらい彼女を好きだと思った。それよりもっともっととなってしまえば、とうとう俺は気が狂う。


「殺さないでね。まぁ、本当に最後の最後は制御できないだろうから、意味ないだろうけど……お願い」


 真木は頭を下げて、そのまま教室へ戻っていく。確かに瑞香と今は距離が離れている。でも順調だ。佐々木も消えたし、瑞香は家に泊まったのだ。どうでもいい男の家に泊まるような女の子じゃない。信頼は得ている。


 ――期待してる分だけ裏切られた衝撃は大きい。


 なのに、言われた言葉が頭から離れない。俺は悔しさかもどかしさか、正体が掴めない感情を潰すように手のひらを握りしめたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あ、あれ?なんか繋がってる気がするぅー これ多分理想郷で愛を紡ぐとか言うやつの世界観かな?えっ?違うかもしれませんがこういうの見つけたら面白いんですよねぇーありがとうございます [一言] …
[一言] 途中まで読んでの感想です。 (勿体なくてまだ最後まで読んでおりませんが) うん、真木君、やっぱりすごい子だ。 (短編集から読んでここに来てよかったです) そして、稲井田そう様、すごい! ヤ…
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