強奪恋愛◆
計画は、恐ろしいほど上手くいった。夏休みが始まったことで瑞香は俺の昼食や夕食を作りに家に来るようになったし、誰にも見られない環境で二人きりだ。ドラマを持ち出せば水族館に行くことだって了承してくれた。彼女は全く俺を拒まない。不安気に瞳を揺らし心配をして受け入れる。計画が上手くいくことはいいことのはずで、不安なんてないはずなのに俺の心は乱されたままだった。
「お待たせ」
盆を終えやや活気が収まってきた駅前で、じっとショーウインドウを見つめる姿に声をかける。瑞香の私服は彼女が家に来てくれることで何度もみた。可愛さを前面に押し出すというより品の良さそうな服装を好む。でも今日はいつもと違い明るい色合いの服装だ。ハーフアップを止めるものが黒ゴムではなくバレッタに変わっている。
鏡の前で何度も「日野くんに迷惑をかけずに済む服は……」「えぇわかんない……」「雑誌買っておけばよかった……」と何度もスマホとにらめっこをして選んでいた様子を見ていたけど、やはり実物は感動が違う。それに瑞香は服選びに時間をかけない子だったのに、俺の為に服を選んでくれたのが嬉しくて抱きしめたくなった。
「可愛い」
いつだって、毎日、毎秒だって可愛いけど。最近は上手く言葉に出来ていなかった言葉が、デートに浮かれているのかすんなり出てきた。そのまま手を繋いで水族館へと向かっていく。
伊達メガネをかけているけど白昼堂々手を繋いで歩いているなんて夢夢思わないのか気付かれる気配はない。瑞香を俺に慣らすために定期的に手に触れているけど、慣れないのは俺のほうだ。少しだけ冷たくてさらさらしてる彼女の手は水仕事で指先がほんの少し肌触りが違う。たまらなく愛おしくて口に入れたくなって、子供か何かかと苦笑してしまった。
「日野くん」
「何でもないよ。水族館に行くの初めてだからちょっと浮かれてて」
そう言うと瑞香は驚いた顔をした。
「あんまり興味なかったんだけどね。五十嵐さんの料理とか食べてたら生きてる姿はどんなかなって気になっててさ」
「そ、それは……」
俺の言葉に彼女は複雑そうな顔だ。でも、別にこれは嘘じゃない。前まで魚に興味なんてなかったのに捌かれている様子を間近で見て、動いているのはどんなものかと気になるようになった。
そのままパンフレットを見ながら「あそこには海のお魚がいるみたいだよ」「こっちには川魚で」と俺を案内する瑞香の隣を歩く。合間合間に俺もあっちに綺麗な魚がいると近づけそうな場所へ誘導しては、警戒されないように食欲を表す発言をする。
「ひ、日野くんお魚そんなに好きだったんだね……」
「うん。五十嵐さんが美味しい料理を作ってくれるおかげだよ。俺が食い意地はるようになったの、五十嵐さんのせいもあるからね?」
今まで何も感じなかったのに。欲しくなかったのに。俺に飢えと渇きを与えた。
「えっと気持ちは嬉しいけど、日野くんのことそんな失礼な感じに思ってないよ。食べて貰えるの嬉しいし」
じゃあ瑞香ごと貰っても、許してくれるのかな。
光源は鈍い青の照明だけで顔に影が落ちてが見え辛いためか、仄暗い想いが胸を巣食う。暗闇に引きずり込んで連れ去ってもばれなそうだからそんな考えが浮かぶのか、これが俺の本性なのかわからない。今は順調なはずだ。そんなことはしなくていい。このまま距離を近づけていけばきっと彼女は手に入る。
でも、これ以上どうやって関係を進めればいいんだろう。四月から弁当を作ってもらうようになった。夏が訪れた今彼女は俺の家で過ごすようになった。でも、それからは……。
一緒に住んでもらう、付き合ってもらうためにどうすればいいんだろう。告白をする? 気持ちを伝えてもし拒まれたら?
前までは監禁一択だった考えに迷いが生まれていることに気付く。瑞香を見ると後ろ髪をひかれるようにクラゲの展示に目を奪われていた。ふわふわと白い塊が左右どちらに行くわけでもなく浮いている。
あれと一緒だ。どっちつかず。もう瑞香は家にいるのだから薬で眠らせてそのまま外に出さなければいいのに。どうして俺は毎日毎日彼女を家まで送り届けているんだろう。
瑞香の手を握りしめながら歩く。しばらく水族館の展示を見てレストランに行くことになったけど、彼女はまだ俺が強く手を握っていることに気付かない。何を食べるか話をしていると後ろから声がかかった。その瞬間彼女の手がぱっと離れてしまう。
振り返ると佐々木や他のクラスの連中がいて、瑞香が俺の手を離した理由を理解した。理解したのに考えが追い付かない。いや違う。今は瑞香を守らないと。はっとしている間にも佐々木は勝ち誇った笑みを浮かべ瑞香を見ていた。
「まぁ五十嵐さんと珱介じゃ、全然合わないもんね。雰囲気とか。ほら、珱介はさ、華やか系って感じだけど、五十嵐さん地味系……じゃなくて、大人しい系だもん。……あ――ごめん。今悪い言いかたしちゃったね」
「う、うん。そうだよ……っ、え、えっと。私そろそろお母さんとお父さん、探してくるね。……じゃあ」
瑞香は人混みに紛れて走り去ってしまう。取って代わるみたいに佐々木や他の女子が俺の腕をとってはしゃぎはじめた。「珱介」「珱介」と呼ぶものだから周りは徐々に俺を見てざわつき始めている。
今すぐ瑞香を追いかけたい。でもこのまま佐々木を置いていけば、俺が瑞香を追ったと噂が広がり学校が始まった時何をされるかわからない。俺はいい。どうなろうと。でも瑞香が今までの人間たちみたいに傷付けられることだけはあってはならない。
「佐々木さんたちさ、五十嵐さんに何か嫌なことされたことでもあるの?」
ぼそりと呟く。周りはまだ俺の変化に気付くことなく「えーあんまり絡みないよね?」と話をして俺に笑顔を向けてきた。
「なら、なんであんな風に人が傷付く言い方をしたの? 地味系とか。それに佐々木さんに同調するみたいに皆笑ってたよね。そういう態度って良くなかったんじゃないかな」
「え〜、でも……別に私五十嵐さんと珱介が一緒にいると思ってびっくりしてさ」
「そうだよ佐々木ちゃん悪気あったわけじゃないし。いっつもはっきり言っちゃう子だからさ」
「俺佐々木さんがあんなに悪意ある言い方してるの初めて見たけどね。皆だって学校での姿しか分からないけど、今日のは普段と全然違う馬鹿にするような笑い方に感じたけど」
俺の言葉に佐々木たちが気不味そうに顔を見合わせた。しかし河内が「そんな言わなくても」と場を和ませる雰囲気を出した。俺が睨むと「お、怒るなよ」と焦りを見せ、その態度により苛立ちを覚えた。
「悪いけど、俺もうこういうこと初めてじゃないんだよね。ただ話をしただけでその子が悪く言われたりとかきついことされたり、悪意に晒されるの。高校では流石に無いだろうと思ったけど、まだあったんだねこういうの」
「ご、ごめんね珱介、私五十嵐さんに謝るから、許してくれる?」
「許すか許さないかは五十嵐さんが決めることだよ。それに、こういうことするならもう俺に話しかけてくれなくていいよ。高校では皆と仲良くできると思ったけど、裏切られた気持ちだ」
あくまで、自分が裏切られた痛みが強いと主張する。瑞香を庇っていると思われれば、彼女が危ない。「じゃあ」とその場を後にして、瑞香の姿を探す。スマホで位置を確認して水族館にいることは分かったもののどこにいるかは分からない。出入り口を一応確認してから辺りを駆けて彼女の姿を探す。
本当に、どうして今まで俺が求めずとも人はこちらにやってきたのに、俺のほしい人は手に入らないんだろう。
瑞香に会いたくて仕方ない。傷付けたことを謝ってすぐに助けに入れなかったことを謝って、彼女が佐々木を気にしないような言葉をかけなければいけない。しなければいけないことが沢山あるのにただ瑞香に会いたいという感情ばかりが先行する。広い館内を虱潰しに探していると、とうとうイルカのショーが行われる屋外の展示ドームに寂し気な後姿を見つけた。
「見つけた……っ」
逃げられないように腕をつかむ。瑞香は俺を見て驚いていた。自分が探しに来ると思われていなかったことに、身勝手なほどの切なさを覚える。抱きしめたい衝動を何度も押し殺して謝罪をすると彼女は自分を否定してしまう。俺と一緒じゃないことを当然と思ってほしくない。彼女にだけは当たり前に思っていてほしい。俺はこんなに好きなのに。
「ああいう奴一番嫌い……、よりによって五十嵐さんのこと馬鹿にして、ただでさえ気持ち悪いくせに。死ねばいいのに」
なのに、口から出るのは瑞香への好意ではなく彼女を怯えさせる呪いの言葉。まだ俺は拒まれるのが怖いのか。拒まれたら強引に手に入れればいいのに。
触れたい。触れたい。先週瑞香に練習と称して触れたけど全然足りない。あの時はまつげが触れそうな距離にいたのに。一瞬にして彼女は俺の元を去ってしまった。苦しくて抱きしめたくて胸がいっぱいで、もうどうしようもなくなって瑞香を抱きしめる。記者ならまだしも周りの人間に撮られたら彼女に迷惑がかかるのは十分理解しているのに、いっそのこと俺の体の中に彼女をしまい込んでしまいたいとありえないことを願う。
「もういなくならないって約束して」
「……うん、約束する」
目に見えない。でも約束が欲しい。絶対が欲しい。瑞香が俺の元を離れない確実な未来が欲しい。いつまでも抱きしめてはいられず、そっと彼女から身体を離す。イルカショーを見ようと誘って階段を下りているうちに、夏の湿った風が頬を撫でた。
約束が欲しい。瑞香の、絶対的なものが。いずれは貰ってほしいと思っていた。でも今は強く強く奪いたいという感情が胸を占めていく。
「五十嵐さん、足元気を付けてね。なんか今滑りそうになったからさ。五十嵐さん道連れにするとこだった」
「うん、ありがとう……。えっ」
エスコートをするふりをして、瑞香の腕を強く引く。俺より三段上にいた彼女はふわりと俺の元に落ちてきた。そのまま肩を支え衝撃を緩めながら唇を重ねる。瑞香は目を見開いているだろうことが何となく分かったし、俺が目を閉じていることになんて気付かないんだろうなとも思う。
「ごめん!」
謝っても、許されないことは分かっている。でも瑞香は許してしまう。結局俺が彼女を利用して一番傷付けているのだろうと思いながらも、俺は申し訳なさそうな顔をして心の中で喜びを覚えていた。