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恋が潜む食卓  作者: 稲井田そう
抹茶フレンチトースト
11/21

波乱の水族館デート

 日野くんから水族館へ行く誘いを受けた翌日。私は休日で賑わう最寄り駅のターミナルに立っていた。盆も明け夏休みも終わりに向かっているからか、辺りはキャリーケースを引く家族連れよりお土産の紙袋を持って行き交う人々のほうが多い。


 彼は始め、私の最寄り駅から一緒に行こうと言ったけれど断っておいて良かった。高校の近くを歩くならまだしも、この人込みの中電車まで一緒に乗ってしまうのは危ない。


 万が一写真を撮られてネットにアップされたら彼の評判が落ちてしまう。


 商店街を歩くのとはわけが違うし、何となく慣れてしまってきているけれど相手は芸能人にカテゴライズされる人だ。


 きっと彼は十分すぎるほどに気を付けているだろうから、私はその倍気をつけなきゃいけない。


 間違っても、足枷になったりしないように。


 ふと目の前のカフェの窓を眺めると、そこには反射された私が映っていた。


 今日はどんな格好をしていくべきなのかすごく悩んだ。


 日野くんは部屋着ですらお洒落だなと素人目にも分かる服を着ている。あんまり変な恰好をして彼に恥ずかしいと思われたくない。かといって選んだ服がすごく気合を入れてます! みたいな感じになるのもとても困る。


 料理はいつも通りがあるけれど、今まであまり洋服に興味をもってこなかったせいで基準は「変な人だと思われないように」だった。


 今まではそれでいいと思っていたけれど、今日という日を迎えることになって、そういった基準で服を選んでいたことをすごく後悔している。


 窓の反射に映り込む私も暗い顔をしていて、顔に出してはいけないと慌てて気を引き締めた。


 シンプルなトップスにロングスカート。色々スマホで検索してみて何となく普段の自分にしっくりくるような組み合わせにしてみたけど正しいかわからない。


 もっとパンツみたいな、スカートじゃないほうが良かったかもしれない。悶々としていると、肩に手を置かれた。


「お待たせ」


 日野くんがこちらを覗き込んでいる。今日は伊達メガネをかけていて、格好もすごく大人っぽい雰囲気だ。爽やかな色のワイシャツがよく似合っている。なんだかいつもと違う人のように感じていると彼は私のほうを見て微笑んだ。


「今日も可愛いね。じゃあ行こうか」


 緊張しつつ彼の後を追おうとすると、手を差し出された。


「手、繋いでもいい?」


 今日はドラマの練習だ。たぶんその為なんだろう。恐る恐る手を取ると彼は私の手をぎゅっと握り返した。


「ありがと、五十嵐さん。今日もよろしくね」


 日野くんは水族館へと歩いていく。私も手を繋ぎ返して、心臓が今日潰れませんようにと祈りながら彼の隣を歩いていった。


◇


 日野くんと共に大通りを歩いて十五分、辿り着いた水族館の中は私が想像していたものとは異なっていた。


 薄暗いのは小さい頃家族で行った景色と同じだけれど、天井には浮かぶようにカラフルな照明が設置され、足元は花が咲くようなプロジェクションマッピングで彩られている。水槽も僅かに淡く青く発光してどこか幻想的だ。


「ここ、週替わりで企画展もやってるらしくて、小学生が体験学習しに来るような感じとは雰囲気違うから、五十嵐さんと落ち着いて見られるかなって」


 日野くんは小さな魚たちの群れが悠々と泳いでいく水槽を眺めてからこちらに目を向けた。


 あれから、彼と手は繋いだままだ。


 ドラマの撮影の練習だし、我慢しなきゃいけないことだけど恥ずかしい気持ちがある。さらに周りは明らかに恋人同士で来てますみたいな人達ばっかりで、距離も近く居た堪れない気持ちになる。


「ね、五十嵐さんあの魚見て、光ってる」


 日野くんが示す先には小窓を覗くような水槽があった。一緒に近づいてみると、彼と肩が触れそうになり急いで距離を取る。


「どうしたの、五十嵐さん。魚怖い?」


「い、いや」


「なら、もっと近く来ないと見えないよ。ほらここからなら見やすいから」


 腕を引かれぐっと日野くんとの距離が近くなった。


 彼は魚を興味津々に見つめていて、その黒い瞳に水槽の照明が反射しているところまでくっきりと見える。頬にじわじわと熱が集まってきて、途端に今彼と繋いだ手が熱くなっていないかとか、汗をかいているんじゃないかと不安になってきた。


「日野くん」


「ん?」


「やっぱり手離していい……? 私、あ、汗かいちゃったりとかするかもだし」


 私の言葉に彼は視線を落とした。繋いでいる手を柔く握るような確かめるような動きをして、また視線をこちらに戻す。


「全然、っていうか五十嵐さんの手、ひんやりして気持ちいいからいいよ。握ってると安心するし。っていうか俺のが汗やばくない? 平気?」


「えっ、日野くんは大丈夫だけど……」


「じゃあ行こ。見て、あっちクラゲの展示だって。俺クラゲ大好き」


 彼はそう言ってすたすた歩いていく。手は繋がれたままだから、引っ張られるみたいに私も彼の後を追った。


「俺さ、別にクラゲに最初興味なかったんだけど、五十嵐さんがきゅうりと和えたやつ作ってくれてからめっちゃ好きなんだよね」


「ええ……」


 今日野くんがクラゲに興味を示しているのは、食用目的で……?


 私だってさすがにその視点では水族館は見ていなかった。食べる魚と見る魚は別だ。しかし彼はとても大きな球体型の水槽の中を泳ぐクラゲを見て目を輝かせている。


「美味しそ、何人分あるんだろうね」


 もしかして日野くんは、私より食べることが好きなのでは……。


 嬉しそうに笑う横顔を横目に、水槽の中を縦横無尽に浮遊するクラゲを眺める。


 透明なはずのクラゲは赤や紫、黄色や緑など様々な光源を受け泳いでいた。極彩色の光に照らされ人の目を引くクラゲもいれば、中には光に当たらずふよふよと漂うクラゲもいる。


 色んな光にあたっているのは、日野くん……なんだろうな。


 見ていて何となく切ない気持ちになっていると、横で「食べ放題だ」と日野くんがぽつりと呟き、複雑な気持ちになった。食用と鑑賞用の区別が曖昧になっていって、スーパーの鮮魚コーナーを見ているような気持ちになっていく。


 明日の献立はクラゲを沢山買って、中華サラダにしよう……。


 心の中で決めていると、日野くんは「あっちでイカ見れるって」と私の腕を引いた。


 もしかして、煮物になってほしい……とか思ってたり……?


 私はとりあえず明日の昼と夕食はイカの煮物とクラゲの中華サラダに決め、彼と共に水族館を見て回ったのだった。



◇



 日野くんと一緒に手を繋ぎながら館内に併設されたレストランへと歩いていく。


 展示室をゆっくりと巡った私たちは、どちらからともなくお昼を食べようという話になった。

 大体時刻はお昼を過ぎ。混雑のピークは過ぎているだろうし、今日は休日だけど館内はごった返しているわけでもない。丁度いい時間だろう。 


「五十嵐さんは今何食べたい気分?」


「なんだろ……、カレーかなあ? 博物館とか美術館とかもだけど、こういう場所来るとカレー選びたくなるんだ」


 何となくだけど他のお店とか出てている味とも違う気がする。味が給食とかで食べた時のカレーと似ている感じがして、こういった場所に併設されているレストランに来るとカレーをよく頼んでしまう。


「他には?」


「他? 他は……なんだろ」


 カレー以外に食べたいもの、メニューにもよるけど……。ラーメンとかかな……?


 冬よりも、私は夏のほうがラーメンが食べたくなることが多い。多分小さい頃海水浴やプールに行くたびに、お昼ご飯はラーメンを食べていたからだろう。


 確かお父さんが沢山汗をかいた日は醤油が美味しい……なんて言っているのを見て、なんとなく夏と言ったらラーメンというイメージが定着してしまった。


「ラーメンかな」


「じゃあ、俺はラーメン選ぶから、半分こずつにして食べない?」


「日野くんは食べたいものないの……?」


「うん。五十嵐さん以外が作った料理って、わりとどれも同じ味じゃない? ラーメンもカレーも大して変わんないよ」


「そ、それは変わるんじゃないかなあ……」


 日野くんは平然としているけれどラーメンとカレーは全然違う。味も違うし……確かにしょっぱいのカテゴリとしては一緒だけど麺と御飯だし入ってる具材だって違う。


 私以外が作った料理、全部同じ味って……。


 彼の中で一体何が起こっているんだろう。


 とにかく今の彼の状況はあまり良くない気がする。最近朝お腹が空いた時用と予備に作り置きをしているけれど、ちゃんと減っていたし彼は朝ご飯を食べる習慣が出来てきたとも言っていた。


 一度、病院を勧めたほうがいいかもしれない。考えていると、明るく可愛い声が彼の名を呼んだ。


「あれ、珱介?」


 咄嗟に繋いでいた手を離す。声の聞こえてきたほうへ顔を向けると、そこには佐々木さん、そしてクラスは違うけれど見覚えがある他のクラスの女子たちや男子たちがいた。


 河内くんの姿もある。彼女は女子バスケ部に入っていたから、バスケ部の集まりなのだろう。


 佐々木さんはたたたっと駆けてきて、私を見ると首を傾げた。


「あれ、なんで五十嵐さんが珱介と一緒にいるの~?」


「えっと……」


 佐々木さんは不思議そうというよりは不満そうだ。


 他のみんなも突き刺すように私を見ている。河内くんだけは訳が分からないといった顔だけど、不信感を与えて探られてしまうのも時間の問題だ。


 早く、早く何か言わないと、誤解を受けてしまう。


「普通に」


「私、か、家族で来てたんだけど、はぐれちゃって、そしたら日野くん、見かけてっ」


 上擦るようになりながらも必死に頭を動かして佐々木さんに弁明する。


 一瞬日野くんの言葉を遮ったような気もするけど、これで大丈夫なはずだ。ぎゅっと手のひらを握りしめていると、彼女の周りの女子たちは「なんだあ」と張り詰めた雰囲気が柔らかなものに変わっていった。


「二人とも教室で話してるの見たことないしさ、逆に付き合ってるのかと思ってびっくりしちゃった」

「ね、なんか全然絡みないほうがそれっぽい雰囲気あるよね」


 しかし、佐々木さんだけは納得がいっていないようでこちらを白けたような目で見ている。


 とにかく私だけでもこの場を離れなければ。日野くんに変な噂が立ってお仕事の邪魔になってしまったらまずい。


 一歩後ずさろうとすると、突然佐々木さんは「でも」と鋭い目でこちらを見た。


「まぁ五十嵐さんと珱介じゃ、全然合わないもんね。雰囲気とか。ほら、珱介はさ、華やか系って感じだけど、五十嵐さん地味系……じゃなくて、大人しい系だもん」


 ――ごめん。今悪い言いかたしちゃったね。冷たさを帯びて付け加えられた言葉が、すっと心に刺さった。


「う、うん。そうだよ……っ」


 佐々木さんの言葉に同意しながらも、ずきずきと心臓が痛む。日野くんと話をしているときとは違う、切り傷みたいな痛みだ。


 彼女の言っている言葉は正しい。正しいのに、まるで知りたくなかったことを無理やり聞かされたみたいな、今すぐこの場から逃げたい気持ちでいっぱいになった。


「え、えっと。私そろそろお母さんとお父さん、探してくるね。……じゃあ」


 踵を返して、人の行き交う通路に紛れながらその場を後にしていく。


 一瞬振り返ると日野くんは呆然とこちらを見ていて、私は振り返ったことを後悔しながら走り去ったのだった。



◇



 遠くのほうで、軽やかにイルカが輪をくぐり、水飛沫をあげなから宙を舞っている。


 その様子を私は観客席の最後尾の更に後ろ、通路とも言えない場所で眺めていた。


 皆から逃げしばらくはどこへ行ったらいいかも分からなくてトイレにいたけれど、迷惑になるからずっとはいられずここにいてしばらく経つ。


 水族館から出ようとも思ったけど、家族と一緒に来ていると言ってしまった手前佐々木さんや他の皆と鉢合わせしてしまうことが怖い。


 この場所より後ろは従業員さんの出入り口で皆の目はイルカに釘付けだし、出入り口で鉢合わせするより言い訳がしやすい。


 仮に佐々木さんたちがイルカを見に来たとしても、すぐこの場を後にすれば見つからないはずだ。


 溜息を吐いて足元を見つめる。靴だっておかしいところがないようにと、服装と合っているか沢山確認した。


 トップスも、ロングスカートも、バッグも、髪形も。でもそもそも合ってないのは私と日野くんが並んで歩くことだ。


 実際佐々木さんや他のみんなは不思議そうにしていたし、今日はたまたま運が良かっただけで彼に迷惑をかけることになっていたかもしれない。そう考えると酷く申し訳なくて、惨めな気持ちになった。


「はあ」


 これからどうしよう。閉館時間は確か二十時で、今は十四時。佐々木さんたちは水族館が閉まるまでいることはないはずだ。


 いつ水族館を出れば鉢合わせせずに済むだろう。二十時になるまでここで待っていたほうがいいのかな。いつの間にか電源を消していたスマホを起動させていると、突然横から手首を思い切り引っ張られた。


「見つけた……っ」


「えっ」


 ぎりぎりと私の腕を握りしめる、手。


 目で辿っていくとその人物は紛れもない日野くんで、息を乱しながらこちらを睨むみたいに強く見つめていた。


「ひ、日野くん……?」


「良かった。五十嵐さん……」


 荒い呼吸を整えながら、日野くんはほっと安堵した様子で私を見る。額には汗が滲んでいて掴まれた手首から伝わる熱も酷く熱い。もしかして、いや、もしかしなくても彼は私を探しにきてくれた……?


「……私のこと、探してたの……?」


「当然でしょ? っていうか捨てていかないでよ。屋内は探し辛いから本当に……ここにいることしか分かんないんだからね」


「う、うん、ごめん……」


 屋内は、探し辛い……? いや、今はとにかく日野くんに謝らなきゃ。頭を下げようとすると彼は首を横に振った。


「謝るのはいいから。っていうかあの女バスたち放置してた俺に原因あるし。本当に、嫌な思いさせてごめん。あいつら、必ず俺が何とかするから」


 そう言って、日野くんは頭を下げた。慌てて止めようとしても彼は頭を上げない。肩に触れて無理矢理顔を上げさせようとして、ようやく彼はこちらに視線を合わせた。


「本当ごめん……今日あいつらここに来るなんて分かってなくて……そういうのも調べておけばよかった……。五十嵐さんが地味系とか、好き勝手言わせて」


「ううん、日野くんが謝ることじゃないよ。確かに私はほら、日野くんみたいにすごい人じゃないし、仕方ないことだよ。当然っていうか」


「仕方なくなんかないよ。あいつらどうせ五十嵐さんに嫉妬してるだけだし。五十嵐さんに勝てないの分かって悔しさでああ言ってるだけで、五十嵐さんは全然地味系でも何でもないし、あいつらにあんな風に言われていい存在じゃないよ。俺と五十嵐さんが合わないなんて、絶対そんなことない」


 日野くんの強い言葉に、さっきまでざわついていたはずの心が嘘みたいに穏やかになっていった。


 彼とは世界が違う。それは今もきちんと理解しているのに、佐々木さんに言われて穴の開いた場所がじわじわ埋まっていき、あれほど強かった胸の痛みが引いていく。


「ああいう奴一番嫌い……、よりによって五十嵐さんのこと馬鹿にして、ただでさえ気持ち悪いくせに。死ねばいいのに」


「そ、そんな」


「死んだほうがいいよあいつ。死んでくれないかな、今すぐ……今すぐ……!」


 日野くんは、呪うような声で顔を歪めた。そんな姿がなんだか見ていられなくて恐る恐る肩に触れると、彼はぽんと自分の額を私の肩に乗せた。縋りつくような熱が伝わってきて、背中をさする。


「もういなくなんないで」


「え……」


「ばーって、五十嵐さんが走ってった時、すごい嫌だった。探してる時、このまま全然口とか聞いてもらえなくなったらどうしようって怖かった。もうこのまま会えないとか、俺捨てられたんだって……、悲しかった。もう、やめて」


 日野くんが私の手首を握りしめながら、掠れ声で話す。その声がなんだか泣きそうな声に聞こえて、私は戸惑いと罪悪感を覚えた。


「ごめんね、日野くん」


「謝んなくていいから、もういなくならないって約束して」


「……うん、約束する」


「本当?」


「うん」


「嘘ついたら……?」


 先程とは違う、試すような声に言葉が詰まった。日野くんは「その時は俺の言うこと、一つ聞いてくれる?」と問いかけてくる。


「なんでも、俺の言うこと一個だけでいいから聞いて。そしたら、俺、大丈夫だから」


「うん。分かった。そうする」


「……言ったね」


 口角を上げながら彼は私の肩から顔を上げた。心なしか胡乱で、一切の光を遮断したような瞳にも見える。子供っぽさも、大人っぽさもない無機質な感じに、私は不安になった。


「えっと……」

「じゃあ、デートの続きして。イルカ見よ?」


 手を引かれるまま私は日野くんに連れられ観客席へと向かっていく。彼はなんだか機嫌が良さそうだ。一緒に観客席へ歩いていくと、彼は「あ」と思い出したように呟く。


「日野くん?」


「五十嵐さん、足元気を付けてね。なんか今滑りそうになったからさ。五十嵐さん道連れにするとこだった」


「うん、ありがとう……。えっ」


 ぱっとまた強く腕を引かれた。咄嗟に日野くんのほうに顔を向けると、そのまま光が遮られ、唇に柔らかいものがあたる。


 私の唇のあたりを日野くんの唇で押し付けられるようにされ、ただただ目を瞬いた。


 これは、つまり。


 脳が徐々に状況を理解していく間に、私の唇と日野くんの唇は離れていった。彼は私と同じ驚いた顔をして「ごめん!」と即座に謝る。


「五十嵐さんが転んだらいけないと思って引っ張ったら……ごめん、強く引っ張りすぎちゃって……。大丈夫? 唇怪我してない? 本当ごめん。ぶつかると思ってなくて……痛かった? 血とか出てないけど、切れた感じある?」


「えっと、だ、大丈夫。日野くんは?」


「俺は怪我とかないよ。ごめんね五十嵐さん。本当にごめん。どうしよう、許してくれる? えっと、じょ、除菌シートあるけど拭く? それともトイレで顔洗いたい?」


「うん、そんな気にしないで……、こちらこそ、えっと、転ばないようにしてくれてありがとう」


 日野くんは心底申し訳なさそうな、取り返しのつかないことをしてしまったという顔をしている。パニック状態だ。


 その様子を見て私は「大丈夫」と彼を安心させるように繰り返すけれど、全然大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。だって今のは、今のは完全に……。


「じゃあ、えっと、イルカショー見よっか……。ごめんね、今度から無理に引っ張ったりしないから。痛い思いも絶対させない」


 でも、私の百倍焦りを外に表わす日野くんを見て、私は心の中が嵐のようになっているのを無理矢理抑え、全然大丈夫じゃない「大丈夫」を繰り返しながら彼と共に観客席へと向かったのだった。



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