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不思議な街・森之蝶と朱海麗学童

第1話 不思議な街・森之蝶と朱海麗学童


私は、学童保育で働いて七年になる。


子どもたちのおやつの準備に、連絡帳の管理、保護者への対応。毎日やることは山ほどある。


子どもたちはとにかく元気だ。時には、その勢いに圧倒されてしまうこともある。


「先生、見て見て!」

「先生、今日のおやつなに?」

「ねえ、こっち来て!」


あちらこちらから声が飛んでくる。


「ちょっと待ってね! 一人ずつお話ししよう?」


そんな慌ただしい毎日を送りながらも、私はこの仕事に誇りを持っていた。


子どもたちの笑顔や、楽しそうな笑い声。昨日できなかったことが、今日できるようになる瞬間。


そうした小さな成長を見守れることが、私にとって何よりの喜びだった。


——ところが、ある日のこと。


「紅先生。ちょっといいかな?」


上司に呼ばれ、私は顔を上げた。


「はい、なんでしょうか?」


「実はね、紅先生の異動が決まったんだ」


「……異動、ですか?」


「うん。地方の施設に移ってもらうことになったよ」


「あっ、はい。わかりました」


私は、とっさにそう答えた。


まさか、自分が地方へ異動することになるなんて思ってもいなかった。


せっかく家から近い職場を選んだのに、わざわざ遠くへ移ることになるなんて。


正直、不安はあった。


どんな街なのだろう。

どんな人たちがいるのだろう。

新しい職場の子どもたちは、どんな子たちなのだろう。


考え始めると、疑問ばかりが浮かんでくる。


それでも、行ってみなければわからない。


私は気持ちを切り替え、引っ越しの準備を始めた。


荷物を段ボールに詰め、必要なものを整理する。引っ越し当日には、荷物をトラックに預け、私は一人で電車に乗り込んだ。


窓の外には、都会ではなかなか見られない景色が広がっていた。


赤や黄色に染まった紅葉。

遠くまで続く青い海。

山々の間を抜けていく線路。


車窓から眺める景色は、どこか別世界のようだった。


「……きれい」


思わず、そんな言葉がこぼれた。


不安な気持ちも、しばらくは忘れられそうだった。


いくつかの路線を乗り継ぎ、電車はやがて終点へと近づいていく。


そして、目的の駅に到着した。


森之蝶駅。


私はホームに降り立ち、駅名を確かめた。


そこは、想像していた地方の街とは少し違っていた。


駅を出ると、レトロな洋風の建物が立ち並び、昔ながらの商店街が広がっていた。洋食屋や喫茶店が軒を連ね、木製の看板や古びた街灯が、独特の雰囲気を醸し出している。


まるで、明治や大正時代にタイムスリップしたかのようだった。


街を歩く人々の多くは現代的な服装をしている。けれど、中には古い時代を思わせる服をまとった人たちもいた。


「へえ……。不思議な街」


私は、思わず辺りを見回した。


見慣れない景色に心を奪われていたが、ふと、お腹が空いていることに気づいた。


「そういえば、朝からあまり食べていなかったな……」


ちょうどそのとき、通りの向こうに一軒の洋食屋が見えた。


看板には、かわいらしい文字で「ミルキー」と書かれている。


おいしそうな料理の写真も飾られていた。


「ここにしようかな」


私は扉を開けた。


「いらっしゃいませ!」


店内から、明るい声が響いた。


木の床に、落ち着いた色合いのテーブル。壁には古い時計や絵が飾られている。


どこか懐かしく、居心地のよい空間だった。


「こんにちは」


「こちらのお席へどうぞ」


「はい。ありがとうございます」


私は案内された席に座り、メニューを開いた。


ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、クリームシチュー……。


どれもおいしそうで迷ってしまう。


しばらく考えた末、私は店員に声をかけた。


「ハンバーグとオムライスをお願いします」


「かしこまりました」


やがて、料理が運ばれてきた。


ふっくらと焼き上がったハンバーグには、艶のあるデミグラスソースがたっぷりとかかっている。隣には、黄色い卵に包まれたオムライス。


ボリュームたっぷりで、見るからにおいしそうだった。


「いただきます」


私はさっそく食べ始めた。


ハンバーグは柔らかく、ソースとの相性も抜群だった。オムライスも卵がふわりとしていて、思わず笑みがこぼれる。


「おいしい……!」


そのとき、厨房から店主らしき男性が出てきた。


「お姉さん、見ない顔だね。どこから来たんだい?」


「都会から来ました」


「そうか。わざわざ都会から、ここに何しに?」


「仕事の異動で来たんです」


「へえ、それはご苦労さま」


「ありがとうございます」


私は一度箸を置き、気になっていたことを尋ねた。


「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが……」


「なんだい?」


「ここに、朱海麗学童(すみれがくどう)という施設があると聞いたのですが、ご存じありませんか?」


その名前を口にした途端、店主の表情がほんの少し変わった。


「ああ……。あそこか」


「ご存じなんですか?」


「知っているとも。あそこは一見、普通の学童に見えるんだがね。ちょっと妙な噂があるんだよ」


「妙な噂……?」


「ああ。夜になると、謎のものが出てくるって話さ」


私は思わず聞き返した。


「謎のもの、ですか?」


「そう。何が出るのか、はっきり知っている人はいないらしいがね。昔から、そんな噂があるんだ」


「そうなんですね……。ちなみに、保護者の方々からの評判はどうなんでしょうか?」


「それが不思議なことに、評判はいいらしい。子どもたちも楽しそうに通っているそうだよ」


「そうなんですね。なんだか、不思議な学童ですね」


「ところで、あんたはそこに何か用があるのかい?」


「はい。実は、そこに勤務することになったんです」


「なんだって?」


店主は、少し驚いたような顔をした。


「これから、あそこに勤めるのかい?」


「はい」


店主はしばらく私を見つめたあと、静かに口を開いた。


「……そうかい。まあ、仕事をするぶんには問題ないだろうがね」


「?」


「夜には気をつけなよ」


その言葉が、妙に心に引っかかった。


「あの、それはどういう……」


「さあね。昔からの言い伝えみたいなものさ」


店主は、それ以上詳しく話そうとはしなかった。


私は少し気になりながらも、食事を終えた。


「ごちそうさまでした。いろいろ教えてくださって、ありがとうございます」


「なあに。気をつけて行きなよ」


店主は紙を取り出し、朱海麗学童までの簡単な地図を描いてくれた。


私はお礼を言い、店をあとにした。


商店街をまっすぐ進めば着くと聞いたのだが、慣れない街のせいか、途中で道がわからなくなってしまった。


「……あれ? こっちで合ってるのかな」


私は地図を広げ、周囲を見回した。


すると、少し先に一人の女性が歩いているのが見えた。


うす狐色の服をまとった、美しい女性だった。


長い髪が風に揺れ、落ち着いた佇まいが街の景色によく馴染んでいる。


私は思い切って声をかけた。


「あの、すみません」


女性が振り返った。


「はい、どうされましたか?」


透き通るような声だった。


「朱海麗学童に行きたいのですが、どこにあるかご存じですか?」


女性は、柔らかく微笑んだ。


「この先をまっすぐ歩くと、突き当たりにありますよ」


「あっ、そうなんですね! ありがとうございます。助かります」


「いいえ。お気をつけて」


女性はそう言うと、再び歩き始めた。


私は、その後ろ姿を見送った。


「……きれいな人だったな」


あんなに美しい女性を見たのは初めてだった。


どこか上品で、どこか不思議な雰囲気がある。


まるで、この街の秘密をすべて知っているかのような、不思議な人だった。


私は首をかしげながらも、教えてもらった道を歩いていった。


しばらくすると、商店街の突き当たりに、大きな洋風の建物が見えてきた。


「あ……!」


私は足を止めた。


建物には大きな窓があり、玄関には装飾の施された扉がついている。まるで古い洋館のようだった。


そして、入口には看板が掲げられていた。


朱海麗学童。


間違いない。


ここが、これから私の働く場所だ。


「……ここが新しい職場か」


私は建物を見上げ、深呼吸をした。


不安もある。


けれど、それ以上に、これから出会う子どもたちへの期待があった。


「よし。頑張ろう!」


私は玄関へと歩み寄り、扉に手を伸ばした。


このときの私は、まだ知らなかった。


この学童に隠された秘密も。


夜になると本来の姿を現す、不思議な責任者のことも。


そして、この街での出会いが、私の日常を大きく変えていくことも——。

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