オートクチュール
ラブストーリーを書いてないと窒息する体質なので…すみません、新作です。読んでくれると嬉しいです。
布が擦れ合う微かな衣擦れの音。小気味よく響くハサミの旋律。
物心ついた時から、僕の世界はいつも洋服と共にあった。
実家の小さなテーラーで嗅いだ、アイロンの焦げたような匂いと真新しい布の香り。
新宿の服飾専門大学で、眠い目を擦りながら仲間と語り明かしたデザインのイデア。
中堅のファストファッションブランドに就職し、やがて任されるようになったブランド内ブランド。
そこで発表した、優雅でありながらどこか毒を孕んだアバンギャルドな別ラインは、僕の色彩感覚と情熱のすべてを注ぎ込んだものだった。
評価はうなぎ登りだった。ついに独立を果たし、明日は僕の名を冠した初めてのコレクションが開かれる――その前夜のことだった。
「お前さえ……お前さえいなければ!」
プラットホームに響いた狂気じみた声。背中を押された強烈な衝撃。
振り返った視界の端に映ったのは、僕の才能を愛し、同時に激しく憎んでいたライバルデザイナーの歪んだ顔だった。
警笛が鼓膜を破る。迫り来る鉄の塊。
ああ、まだ作りたい服があったのに。あの美しい布地で、誰かを輝かせる最高のドレスを仕立てたかったのに。
痛みを感じる暇もなく、僕の意識は深い暗闇へと沈んでいった。
「アッシュ……! おお、良かった、気がついたか!」
次に目を開けたとき、鼻を突いたのは地下鉄の鉄の匂いではなく、染料と羊毛の温かな匂いだった。
視界の先で涙ぐんで喜んでいるのは、見知らぬ中年のおじさん。
いや、見知らぬ人ではない。
『よかった、お前が熱で死にでもしたら、田舎の親御さんにどう顔向けすればいいか……』
そのしゃがれた声を聞いた瞬間、二つの記憶が頭の中で激しくスパークし、ぴたりと一つに重なり合った。
そうだ。前世で電車に突き落とされた僕は、中世ヨーロッパのようなこの世界で「アッシュ」という青年として転生していたのだ。
田舎から王都の高名な仕立て屋に丁稚奉公に出され、血の滲むような修行の末、ようやく一人前の衣料職人としてオーダーを受け始めたばかりの青年。それが今の僕だった。
ここは、貴族の衣服を主に取り扱う高級洋品店。そして目の前で鼻をすするおじさんは、厳しいが愛情深い親方だ。
熱から回復した僕は、すぐさま針と布を手に取った。
指先が、布の感触を確かめる。前世の現代日本の知識と、アッシュとして培ってきた職人の手捌き。
その二つが融合したとき、僕は自分の内側から底知れぬインスピレーションが湧き上がるのを感じた。
この世界の布地は、現代にはない独特の光沢としなやかさを持っていた。僕は無我夢中で服を作った。
前世で培った現代的な洗練されたシルエット、アバンギャルドな色彩感覚を、この世界のエレガントな様式美へと落とし込んでいく。
「アッシュ、あなたにお願いしたいのだけど……」
僕が仕立てたドレスの噂は、またたく間に王都の貴族たちの間に広まった。
アッシュとしての僕は、どうやらなかなかの美青年らしい。麗しい見た目を目当てに、採寸にかこつけて言い寄ってくる貴婦人も少なからずいた。
「奥様、その美しい瞳には、もう少し深みのある真紅のドレスが似合います。さあ、メジャーを当てさせてください」
甘い誘惑は優雅な微笑みと共にうまくいなし、僕はただひたすらに「極上の服」を作ることだけに没頭した。天才的な仕立ての腕前は口コミで広がり、店の顧客は日に日に増えていった。
そんなある日のことだった。
カラン、と重厚なドアベルが鳴り、店の空気が一変した。
ざわめいていた他の客たちが、息を呑んで道を空ける。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
彼女は、王国の騎士団長を務める公爵令嬢、レオノーラ。
身の丈は並の男を遥かに凌ぎ、すべてにおいて規格外に「でかい」女性。厳格で無口な性格と、その威風堂々たる体躯ゆえに、社交界では『筋肉ゴリラ』などと陰口を叩かれ、冷徹な女だと恐れられている存在だった。
実際、彼女の顔には「私など場違いだろう」というような、微かな諦めとコンプレックスが影を落としていた。
だが、僕の目は違った。
(……なんてことだ)
僕は、震える手を強く握りしめた。
圧倒的な長身。引き締まった体躯。堂々たる骨格。
周囲の人間には威圧的に映るその姿は、前世の記憶に照らし合わせれば、パリやミラノのランウェイを歩く、超一流のトップモデルそのものの完璧なプロポーションだった。
「ドレスを、仕立ててほしい」
低く硬い声で告げた公爵令嬢を前に、僕のデザイナーとしての血が、かつてないほどに激しく沸き立っていた。
お読みいただきありがとうございました。
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