終章(第二部完):翠月の幕開け
グロリスへ戻ってきて、俺が最初に向かったのは学園長室だった。
現地実習の報告のためだ。
ノックをして中へ入ると、ハウゼンさんはいつも通り穏やかな笑みを浮かべていたが、俺がマルヴェルで起きた一連の出来事を話し始めると、その表情は次第に静かなものへ変わっていった。
事件についてはハウゼンさんも新聞や知り合いを通じてある程度の話は把握していたらしい。
だが、あの男――ハノイルの話になるとハウゼンさんは初めてその顔が曇った。
「……そうか。 事件に深く関わっていたとは聞いておったが、まさかあのハノイル君が……」
確かハウゼンさんは以前から蒼海の銀翼の人達と交流を持っていたと聞いている。
そんなハウゼンさんにとって、ハノイルの行いについては思うところがあったのだろう。
そして今の俺にとっては事件の黒幕以上の意味を持っている。
「ハノイルは、俺が知りたいこと……千年前の時代について、何か知っているかもしれません」
俺が千年前のものであることを知っているのはハウゼンさんとベアトリーチェさんしかいない。
だからこそ、こんな話ができる人も自然と二人に限られる。
その言葉に、ハウゼンさんはわずかに目を見開いた。
「……なるほど。 詳しいことは分からぬが……アベルマス君にとっては何よりも追わないといけないことであると」
ハウゼンさんは顎鬚を撫でながら少し何かを考えるように目を伏せた。
「あの事件以来ハノイル君の行方は王国からも追っている。 指名手配も出ておる。 何かしらの進展があったらこっちらにも情報をくれるようワシの方から交渉してみよう」
ハウゼンさんは静かに言う。
「……ありがとうございます」
そう答えに感謝の気持ちがあるのは確かだったが、少し後ろめたさを感じずにはいられなかった。
そうでなくてもこの時代で目覚めてからはハウゼンさんに世話になりっぱなしだ。
また借りを作ることになる。
そう思うと、素直に喜んでばかりもいられなかった。
今の俺では、どうにもならないことが多すぎる。
ハウゼンさんはそんな俺の気配を察したのか、わずかに目を細めた。
「気にする必要はないぞ。 今回の件にアベルマス君が関わってしまったのにはワシの責任もあるしのう」
その言葉に、俺は小さく頭を下げるしかなかった。
「ありがとう、ございます」
その後はマルヴェルで経験したことを話したりしながら、ゆっくり時間を過ごした。
・ ・ ・
それから数日が過ぎた。
夏季休暇の終わりが近づいているとはいえ、まだ寮の中は静かだった。
生徒は皆帰省しているため、広い寮の中は人の気配が存在しない。
最初のうちはその静けさに落ち着かなさを覚えていたが、気づけばそれにも慣れ始めていた。
そしてまた数日が過ぎた頃。
生徒たちが一人、また一人と寮に戻り始めた。
仲間のうち、最初に寮へ戻ってきたのは、意外にもラミアールだった。
「ラミアール、帰って来たのか」
寮のラウンジで鉢合わせした彼にそうそう声をかけると、ラミアールは振り返り、いつものように芝居がかった笑みを浮かべようとして――どこか覇気のない表情を浮かべた。
「……ああ、我がライバルアベルマスか。 久しぶりだな……」
ひどく疲れたご様子だった。
相変わらず整った顔立ちではあるが、目の下にはうっすら隈があるし、普段なら無駄にきらきらしている雰囲気も今日はかなりくすんで見える。
「……何かあったのか?」
思わずそう聞くと、ラミアールは乾いた笑いを漏らした。
「……なに、君が気に病むほどのことではあるまい。 そうとも……我は平気だ……」
「……そ、そうか」
そこまで言って、ラミアールは遠い目をしたまま自分の部屋の方に戻って行った。
貴族にとって、休暇とはどういうものなのかは知らない。
ただ、あの顔は明らかに休みを満喫してきた者の顔ではなかった。
気にはなったが、あまり人の事情に踏み込むのも良くない。
……まあ、とりあえず命に関わるような深刻なものではなさそうだったし、深く考えないようにしよう。
そしてまた数日が過ぎるとソニア、イチ、最後にニナが寮へ帰ってきた。
皆がそろう頃にはもうラミアールもいつも通りになっていたから多分大丈夫だろう。
他にも生徒たちが戻るたびに、静かだった寮の空気も少しずつ賑やかさを取り戻していった。
何でもない会話。
それぞれの帰省先での出来事。
休暇の間に食べたものや、見たもの、面倒だったこと。
その中で一番元気だったのは、やはりイチだった。
「いやあ、今回の夏休みは良かったぞ! 特にアベルと一緒に現地実習できた事は本当にいい経験だった!」
「え? アベルくんと?」
イチのいかにも自慢したそうな顔につられたのか、最初に食いついたのはニナだった。
ソニアとラミアールも興味ありそうな雰囲気でイチを見つめている。
どう見ても本人が話したいように見えるくせに、もったいぶるイチの態度がため息が出る。
代わりに俺のほうで簡略に諸々の事情を説明した。
期末試験ができなかったので、その代わりに民間ギルドの現地実習をすることになったことや、その過程でイチと一緒に活動するようになったことなど。
それを聞いて。
「なにそれ! イチくんだけズルい!」
ニナがむっとした顔をしていた。
「フハハ! 羨ましいだろ! これは俺がアベルの親友だからこそのこと!」
「いや、ただの偶然ではないか」
ラミアールが呆れた顔で突っ込みを入れた。
まあ、偶然だよな。
「うう! ズルいズルい! イチくんばっかり!」
ニナが悔しそうに唸りだしたと思ったら、何故か少し恨むような目でこちらを見てきた。
……俺、悪くないはずだが。
いつものようでいて、どこか久しぶりな空気だった。
「それで、その現地実習で何をしてたの?」
ソニアが話をせかすように聞いてくる。
イチは武勇伝でも語るみたいに現地実習のことを語った。
迷宮での依頼や海岸警備の仕事。
そして――
「あ、そっか……マルヴェルってあの事件の……」
自然とあの事件のことにも触れざるを得なくなった。
隠された迷宮で行われた非人道的行為。
異教徒の暴走による誘拐と実験。
その果てに生まれた犠牲者たち。
正に王国中を騒がせた大事件だった。
「その件、わたしたちも新聞で見たわ」
ソニアが表情を引き締める。
「王国中でもかなり衝撃的な扱いだったもの。 港町の地下であんなことが行われていたなんて、って」
「アベルくんたちがその事件に……」
場の空気が少し重くなる。
イチがチラリと俺の方を見た。
俺も何も言わない。
あれは、武勇伝のように、面白半分で語るようなものではない。
ラミアールが静かに呟いた。
「……何にせよ、生きて戻ったのならそれでいい。 犠牲になったものたちへの悼む心は忘れてはいけないが」
「そうだね。 うん! アベルくんとイチくんが無事でよかったよ!」
「同意見だわ。 そうだ、ニナさんは夏休みどうだったの?」
気を利かせてくれたのだろう。
皆のその気遣いに、今は素直に甘えることにした。
・ ・ ・
翠月第一巡六日、月曜日。
夜空を見上げれば、そこに浮かぶ月の色はもう蒼ではなく、淡い翠へ変わった、その最初の月曜日。
始業式の日が来た。
久しぶりに入る教室は、いつもより少し騒がしかった。
寮ではすでに顔を合わせていたクラスメイトも多いはずなのに、教室という場所で改めて見ると、妙に懐かしいような感覚があった。
ざわついた空気の中、やがて朝礼の時間になり、担任のレイラ先生が教室へ入ってくる。
そして、その後ろに続いて現れた人影を見た瞬間。
教室が、一気に沸いた。
「えっ……可愛い!」
「うわ、誰だ?」
「綺麗……」
「おお、すげえ……!」
特に男子たちの反応が露骨だった。
感嘆の声があちこちで漏れ、女子ですら目を奪われたように見つめている。
俺も、思わず目を見開いた。
流れるような銀髪が、光を受けて柔らかく艶めく。
整った顔立ちに光る、翡翠色の瞳。
マルヴェルで過ごした時間が頭の中で再生された。
「……ルネル?」
間違えるはずはない。
それは、ルネルだった。
前の席を見ると、イチは分かっていたみたいだった。
ルネルへ小さく手を振り、それからこちらをちらりと見てにやにやと笑ってくる。
こいつ、知っていて黙っていたな。
「今日からこのクラスへ編入することになったルネルさんです。 ルネルさん、簡単に自己紹介をお願い」
レイラ先生に促され、ルネルは前へ一歩出る。
「ルネル・オルカ」
それだけだった。
……いや、短い。
必要最小限にもほどがある。
ルネルらしいと言えばルネルらしいが……
だが、それでも教室の熱はまるで冷めなかった。
「はいはい。皆さん落ち着いて。 ルネルさん、あそこの空いている席に座ってください」
ルネルは短く頷いて、周囲のざわめきなど最初から耳に入っていないみたいに、静かに歩き出した。
その視線が、どこか妙に真っ直ぐこちらへ向いているような気がした。
そして彼女は、俺の後ろに新しく増やされていた席の前で止まる。
そういえば、机が一つ増えていたな、と思っていたがこういう事だったのか。
ルネルは静かに腰を下ろす。
その直後。
くい、と後ろから制服の裾を引かれた。
振り返ると、ルネルが小さな声で言う。
「……よろしく」
どうしてここに来たとか、もう目の事には慣れたかとか、その後どうだったとか。
色々と頭の中に浮かぶ言葉はいくつかあったけど。
「……あ、ああ。こちらこそ」
結局、それだけ答えるのがやっとだった。
突然すぎる再会に、頭の整理がまるで追いついていないらしい。
・ ・ ・
教室での短い騒ぎが落ち着くと、今度は始業式のために大講堂へ移動することになった。
廊下へ出るなり、案の定というべきか、周囲の視線はことごとくルネルへ集まった。
何人かは声をかけようとしていたが……
ルネルはごく自然な動作で俺の右側へ並び、そのまま歩き始めた。
そのせいで、近づこうとしていた連中は何となく出鼻を挫かれたように立ち止まる。
対して、俺の左側にはいつの間にかニナが入り込んでいた。
「初めまして!私ニナっていうの! ルネルちゃんって、マルヴェルから来たのよね? 寮生活とか大丈夫そう?」
いつもの調子で人懐こく話しかけてくる。
「……たぶん」
そしてルネルは相変わらず口数が少なかった。
「そっか。 わからないんだよね? 大丈夫! 何かあったらいつでも言ってね!」
「ん」
「ルネルちゃんは――」
俺を挟んで二人の会話が続く。
主に話しかけるのはニナで、ルネルは短く回答するだけのものではあったが。
……それなら、別に俺を間に挟まなくてもいいのでは――と思ったが、右のルネルも、左のニナも、なぜか自然に俺の腕を掴んでいるせいで離れられなかった。
何がしたいんだろ、この子たちは。
そんな調子で何も言えないまま歩いているうちに、大講堂へ着いた。
大講堂は、高等部と中等部の全生徒が集まってもなお余裕があるほど広かった。
中等部は一階で、1年生から前に座るようだった。
ざわめきの中でも全員が席につく。
俺の左右にルネルとニナが、その後ろにソニア、イチ、ラミアールが座った。
いつもの五人の輪にルネルがいることが少し不思議な感じだった。
やがて、壇上へハウゼンさんが姿を見せた。
いつもの柔らかな笑み。
けれど、今日はどこか普段より輪郭の鋭い空気をまとっているように見えた。
始業式の挨拶自体は簡潔だった。
長い休暇を終え、再び学びの季節が始まること。
それぞれが新たな目標を持って励んでほしいこと。
そういった話を終えると、ハウゼンさんは一度場を見渡し、それから続けた。
「それと本日は、皆さんに改めて紹介する人がいます」
ざわめきが少し強くなる。
「皆さんもご存知の通り、白の地下聖堂は現在もなお閉鎖状態にあります。 調査そのものは一区切りつきましたが、再開放の可否判断、そして再開後の経過観察を含め、王国より当学園へ協力者が派遣されることとなりました」
白の地下聖堂。
その名が出ただけで、空気がわずかに張り詰めた。
「ヴィクターラス・エルド・ヴァイスマン博士です」
その名が呼ばれた瞬間、大講堂の空気が変わった。
さざ波のようだったざわめきが、一気に大きくなる。
「えっ、あの?」
「本物か?」
「ヴァイスマン博士って……?」
「王都でも有名な……」
周囲が一斉に騒ぎ出す。
さすがの知名度のようだった。
後ろに座っていたラミアールに至っては、目を輝かせている。
「おお……! これは正に天運!」
壇上へ上がったヴィクターラスさんは、そんな周囲の熱をものともせず、簡潔に一礼した。
「――紹介に預かりましたヴィクターラス・エルド・ヴァイスマンです。短い間ではありますが、よろしくお願いします」
それだけ。
だが、その短い挨拶のあと、彼は講堂全体をゆっくりと見渡した。
大勢の生徒たちの顔の上を、視線が滑っていく。
そして。
――あの人の視線が、確かに俺へ向けられたことだけは、妙に鮮明だった。
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