第五話 4
その日の夜、道後温泉街に泊まった僕は、寝床に入りながら、同窓会名簿を開いた。同窓会名簿は、高校を卒業して五十年経った卒業生に贈られた物らしく、今から約二十五年前に作成された物だった。その名簿を開いて見ていると、朝比奈真理の父、朝比奈龍太郎の欄は、空欄になっていた。名簿の最後のページには、空欄になっている人の消息を知っている人は事務局にお知らせくださいと書かれている。朝比奈龍太郎は、おそらく同級生には誰にも居所を教えていなかったのだろうと思われた。それか、教えていても黙っていて欲しいと頼んでいたのかもしれない。六十八歳の時点で、亡くなっている人は約一割くらいいた。それから二十五年の月日が経っているし、一体どれくらいの人が健在なんだろう?と不安になった。
翌朝、同窓会名簿の中で、まず、住所が愛媛県内になっている同窓生に連絡を取ることにした。電話番号まで書かれていないので、仕方がないので一軒一軒、出向くことにした。現代のように、ほとんどの日本人が高校に通ってる時代とは違い、この年代で高校に進学したのは、まだ半数以下だったので、人数的にも調べる数は多くはなかったが、それでも二百人は超えていた。そのうち、男性は約七割。百軒以上の家を回らねばならず、それを考えるだけでも途方に暮れた。女性の同級生に関しては、忙しい山本道代に電話をかけ、電話口の向こうで怒りまくっている彼女を説得し、わざわざ松山に出向いて担当して貰った。
しかし、何軒回っても同級生の家族に「とっくの昔に死んだがな」と言われ続け、生存している同級生に行き当たらない。唯一生きていた同級生も認知症を発症していて、まともに会話が出来なかった。山本道代が担当した女性に関しても、ほとんど同じ結果に終わった。しかし、まだ調査が終わったわけではなかった。今度は、県外に住む同級生の調査が残っていた。深い疲労だけが残り、僕と山本道代は松山を後にした。