第四話 8
次の日の朝早く、僕と新宅正司は埼玉に向けて朝早く出発した。手には手作りの看板を持っていた。段ボールで作られた看板には、「チケットをゆずってください!」と大きく書かれていた。もうこうなったら、会場が開く前に行って、チケットが余っている人を直接探すしか手がないと思っていた。白石夫妻には、チケットの入手は無理だとは思うが、出かける準備だけはしていて欲しいと頼んでいた。
開場十時間前だというのに、さいたまスーパーアリーナの前には、多くの人が集まっていた。グッズも販売される予定だし、メンバーが会場に入る瞬間を見たいと思っている追っかけも多く存在しているようだった。中には若い女の子もいて、その少女達の姿は、その昔の母と白石小夜子の姿を彷彿とさせた。何としてでも、白石小夜子の願いを叶えたい思いでいっぱいになった。
しかし、午後三時を過ぎてもチケットは入手できなかった。僕は、その時点で断念した。今回の依頼は叶えられなかった、白石夫妻に謝りに行くべきだと思い、そのことを新宅正司に告げた。新宅正司は、残念だというような悔しそうな顔をしながらも、「公演が始まるまでチケット入手を諦めたくない」と言ったので、会場でのチケット入手を新宅正司に任せ、僕は、東京の白石宅へ向かった。
白石宅へ向かう途中に事務所があるので、僕は事務所に寄った。加賀美佐助や山本道代にもチケット入手を頼んでいたので、無駄だと思ったが、様子を聞きに行きたかったのである。案の定、加賀美佐助は、チケットの入手は出来ていなかった。
山本道代の事務所を訪れると、やはり山本道代も「ごめん、頑張ってあげたけど、駄目だった」と言った。
「そうか、無理を言って済まなかった」
「寝てないんでしょ? 目の下が真っ黒だわ。これから白石さんに謝りに行くの? その前に、少しゆっくりしたら? コーヒーを淹れるから飲む? ほうじ茶のほうが良かったっけ?」
「いや、コーヒーでいいよ。ありがとう」
いつもなら、おそらく断っていただろう。それなのに、僕は山本道代に礼を言い、素直に彼女の行為に甘えた。
山本道代の淹れたコーヒーは苦かった。しかし、温かかった。心からほっとした。しかし、そう思っていたのも束の間、静寂は突如として破られた。
気付けば、平林真奈美が突然現れ、喚き散らしている。彼女は、大きなゴミ袋を投げ捨てるように僕の前にボンッと置いた。僕はその光景に、なすすべもなくただ呆然と眺めていた。
「お前が団子の櫛を折って捨ててないから、団子の櫛が手に刺さった! どうしてくれるんだ! 損害賠償請求するぞ!」
平林真奈美は、そう叫び僕を睨みつけていたが、僕は「そうですか、それはすみませんでした」と素直に謝った。僕がそう言ったものだから、驚いた平林真奈美は山本道代に駆け寄り、「どうしたんだよ。いつもと様子が違うよ」と言った。すると、山本道代は事情を説明し、「依頼人のチケットがどうしても手に入らなかったから、落ち込んでいるのよ」と言った。
「なんのチケット?」
「キングスクラウンというバンド」
「えっ? キングスクラウン?」
「ええ、そう」
「そのチケット、私、持ってるよ!」
「ええっ! ほんとにっ? で、でも、でも、今から行くんでしょっ?」
「うん、まぁ、そうなんだけど、余命幾ばくもない人の願いを叶えてあげないなんて、そんなの人間のすることじゃない! よしっ、譲ってやるよ!」
「ええーっ! 平林さん! なんて良い人なの!」
そんな会話が僕の目の前で交わされ、僕はただびっくりして二人を眺めていた。しかし、僕は、すくっとソファーから立ち上がり「ありがとうございます! この御恩は一生忘れません!」と言い、平林真奈美の手を両手で力強く握り返した。
「この恩は倍返しで頼む!」
平林真奈美は、にっこりしながらそう言った。
その後すぐに、平林真奈美からチケットを譲り受け、白石宅に届けようとタクシーを走らせていたら、不意に携帯が鳴った。新宅正司だった。チケットが手に入ったと彼に報告しようと電話に出たら、開口一番「大変ですっ!」と新宅正司が大声で叫んだ。
「どうしたんだ?」
「チ、チケットが……」
「チケットがどうしたんだ?」
「三十枚も手に入りましたっ!」
「はぁっ!?」
「昨日、ツイッターで呟いたじゃないですかっ! 余命幾ばくもない人の夢を叶えてあげたいので、チケットを譲ってくださいって。そしたら気付いたら、ダイレクトメールが一気に三十件も来てて、みんなチケットを譲るって言ってくれてるんですよっ!」
僕は、新宅正司のその言葉を聞いて、急に熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
偏見なんか持たないほうがいい。
世の中、良い人は多い、本気でそう思った。




