第四話 9
キングスクラウンの来日公演があった翌日の午後、僕は、白石宅の居間にいた。白石剛によると、昨晩の公演は、あんなに広い会場なのに熱気が籠り、みんなでキングスクラウンの Love Of My Life という曲を大合唱して大いに盛り上がったそうだ。ドラムスのジョン・テイラーが五年前に事故で亡くなっているし、今回の公演も奇跡的に実現したらしい。とにかく、七十歳を過ぎているのに、ボーカルのスティーブン・プラントの歌は圧巻だったそうである。「コンサートに行けて本当に良かったわ。願いを叶えてくれてありがとう」と白石剛の横で、車椅子に座っている白石小夜子は笑った。心なしか、この間見た時より、白石小夜子の血色は随分良くなっていた。両頬に薄っすら赤みが差し、色艶が良くなっている。どうみても、後一ヶ月も命が持たないようには見えなかった。キングスクラウンは、やはり偉大だった。
「唐吉君、本当にありがとう。五十年前に主人と出会った時のことを思い出したわ。静枝ちゃんと二人でキングスクラウンの追っかけをやってて、そのおかげで私は主人に出会うことが出来たの。武道館での初来日公演の時、偶々、私達は、友達と来ていた主人と隣り合わせの席になったの。コンサートが終わった後、ファミレスで静枝ちゃんと遅い夕ご飯を食べてたんだけど、斜め向かいの席に主人と友達が座ってて、それに気付いた主人が、一緒の席でコンサートの感想を言い合おうって提案してくれて、大いに盛り上がったわ。その後、何故だか、またコンサートで会えるだろうという気もしてたからか、連絡先も交換せずに別れたの。でもね、その後、私はどうしても主人のことが忘れられないでいたのね。分かってるのは大学一年生ってことだけで、どこの誰だか名前も分からなかったから、もうずっと悶々としてたわ。でも、奇跡が起こったの。静枝ちゃんが受験する予定の大学のオープンキャンパスに行ったとき、大学で彼を見かけたような気がすると言ったのよ。その後、静枝ちゃんもその大学に入学したし、彼女が主人を探し出してくれたの。ロック好きだから、捜すのは簡単だったと言ってたけどね。だって、主人はロックバンドを大学の同級生と組んでたから、ロック同好会を覗いたら、すぐに見つかったと言ってたわ。もちろん、主人はあの夜のことを覚えててくれて、それで私と付き合うことになったのよ。静枝ちゃんは友達思いの本当に良い子だった。静枝ちゃんの息子さんがこんなに立派になって、私の最後の願いを叶えてくれたなんて、本当に嬉しいと思ってるの。唐吉君、本当にありがとう。あの世に行ったら静枝ちゃんに報告するわね。だからね、そんなあの子があんな事件を起こしたなんて、私には信じられなかった。あの子が崖から飛び降りて亡くなったときいた時、ショックで私も当分の間立ち直れなかった。静枝ちゃんのお父さんも、『身分が違いすぎる、静枝は苦労する』とずっと結婚を大反対していたけれど、和吉さんは本当に良い人で、私は心配なんかしていなかった。結婚した後も、本当に幸せそうだったの」
「父は良い人間だったんですか? 父は親友から母を奪って結婚したのではないですか?」
僕は、思わず白石小夜子にそう訊いていた。
「奪ったように見えたかもしれないけれど、人が人を好きになるということは、そんなに単純なことじゃないわ。静枝ちゃんはきちんと海東さんに謝って、別れてくださいと伝えてた。勿論、和吉さんも海東さんに謝ってた。それは奪った奪われたじゃないでしょ。だから、真面目な静枝ちゃんが事件を起こしたのは、絶対に何か理由があったんだと私は思ってる」
「母は良い人間だったんですね?」
「そうよ。とても良い人だった。静枝ちゃんは桜が大好きで、見た目は、桜のように可憐で美しかったけれど、とてもお茶目な人だった」
白石小夜子は、どうしても僕に伝えたかったのだろう。無理をしていたのだろうに、長い時間をかけて、僕に若かりし母のことを話してくれた。僕は、白石夫妻に何度も何度もお礼を言われたが、「お礼を言うのはこちらです」と言い、白石宅を後にした。
それから、一週間後、白石小夜子は、容態が急変して亡くなった。
葬儀に参列し、白石剛に挨拶すると、白石剛は、「唐吉君のおかげで、小夜子は幸せな最後を迎えられた。本当にありがとう」と言った。
母を良く知る人に出会えたことで、僕は、母を嫌いながら、本当は母はどこかで生きているのではないかと淡い期待を抱くようになっていた。しかし、白石小夜子の、母が投身自殺したという言葉は、僕の心臓を打ち砕いた。検察官になったのは、父と母の事件の真相を知りたいがためで、いつでも資料を見ることが出来たのに、僕はファイルを開くことが出来なかったのである。
あの日の午後、はしゃいでいた白石小夜子は、余命幾ばくもない病人にはとても見えなかった。それなのに一週間後、容態が急変し、白井石小夜子は帰らぬ人となった。母と僕を繋ぐ人が亡くなったという事実は、一層の喪失感を僕にもたらした。




