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米澤唐吉調査事務所  作者: 早瀬 薫
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第四話 1

 新宅正司は、毎朝、米澤調査事務所まで歩いて通勤している。事務所から歩いて十五分の所に、1DKのマンションを借りて住んでいるのだ。マンションのすぐ横には路地があり、事務所への近道なのでいつもそこを通り抜ける。その路地に一軒の古びた借家が面している。その借家に、母一人子一人の母子家庭の親子が住んでいる。その路地を通ると、いつも決まって、小さな少女と彼女の飼い犬が遊んでいた。五歳の少女の名前は蛯原莉子、犬の名前はココという。新宅正司は、通勤途中、少女とその犬にいつも、「莉子ちゃん、ココちゃん、おはよう!」と声を掛けた。少女も犬も新宅正司に懐いていて、ココはワンワンと吼えながら尻尾を振り、蛯原莉子は「お兄ちゃん! おはよう!」と笑顔で返事をする。


 新宅正司はそんな朝の恒例行事を終えると、米澤所長よりも三十分早く事務所に着き、メールが届いていないかパソコンをチェックする。しかし、届いているメールのほとんどが読むに値しない宣伝メールばかりで、肝心の調査依頼のメールは届いていない。分かっているのに、何故いちいち自分は落胆するのだろうと思う。そして、その落胆を振り払うかのように、電話に向かう。午前九時になるのと同時に、営業の電話をかけるのだ。彼はタウンページに掲載されている企業に、片っ端から電話をしていた。そうこうしているうちに、いつの間にか出社して来た米澤所長がデスクに座っていて、新宅正司の様子を呆れ顔で見ている。さっきからずっと、新宅正司は、「結構です!」と言われ続け、先方にガチャンと電話を切られているからだ。

 そんなことを立て続けに繰り返していたが、合間に、今度は電話がかかって来て、新宅正司は電話に出るなり「こちらも結構です!」と言ったが、「えっ? 何が結構なんですか!?」と電話の主はびっくりして訊き返したようで、新宅正司は「すみません! 間違えました!」とえらく血相を変えていた。そして、電話の主と話をした後、「分かりました! ご依頼ありがとうございます! 後ほど所長からお電話させて頂きます!」と元気良く会話して電話を切った。


「誰からだったんだ?」

「白石剛さんという方からです」

「白石剛? 知らないな……」

「本木勝義さんから紹介された方です」

「本木さんから頼まれたのか?」

「いえ、僕が本木さんにお願いしていたんです」

「えっ? もしかして、本木さんに営業しに行ったのか?」

「そうです!」

「そうって、そんな恥ずかしいことをしているのか! 誰がそんなことを頼んだんだ?」

「だったら、どんな方法があるんですか! 女性客はダメだって言うし! せっかく依頼が来ても断ってるんですから!」


 新宅正司にそう言われて、僕は、ずしんと落ち込んだのだが、うちの事務所の中で珍しく二人で大声で喧嘩していたのが気になったのか、山本道代と神崎美波が、いつの間にか窓に張り付いてうちの事務所の中を覗いていた。それに気付いた僕ば、慌てて外に飛び出すと、「なんで君は、そんなに俺達に干渉したがるんだよ! ほっといてくれ!」と山本道代に向かって叫んだ。

「別に干渉なんかしてないわ。今から、取引先のところへ伺う予定だから、偶々外に出てただけなんだけど? でも、大声が聞こえてきたら、覗きたくもなるわよ」

「それが干渉してるって言うんだ!」

「ああ、そうですか!」

「そうだよ! 君は、才色兼備で何でも持っていて、子供の頃からみんなに愛されて、今まで望んできたことは、なんでも簡単に叶うような人生を歩んできたんだろう? 全く羨ましい限りだ。ご覧の通り、俺には何もない。仕事の依頼もなく、従業員と喧嘩になるような情けない有様だ」

「はぁ? あなたに私の何がわかるの? あなたは私がどれだけ泣いてきたか知らないでしょ? 私は愛されたい人に愛されなかった。恋人にも肉親にも。それがどれだけ辛いことかあなたに分かる? 何も知らないあなたが、偉そうに他人の人生をとやかく言わないでよ!」


 山本道代の眼には涙が浮かんでいた。僕は、びっくりしていた。なんで朝からこんなくだらない喧嘩をしているのだろう? 僕の事務所が儲かっていないのは、断じて山本道代のせいではない。すべて自分のせいだ。そう思った僕は、山本道代に「すまなかった」と謝っていた。


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