第三話 12
本木勝義は、ぴったり十五分後、桐山陽介を伴って事務所に現れた。髪の毛を真っ黒に染め、仕立ての良いスーツに身を包んだ体格の良い桐山陽介は、以前とはまるで別人のような紳士になっていた。桐山陽介も、本木勝義も満面の笑顔だった。
「いや、本当に、米澤さんには感謝してるよ。私の期待以上の働きを桐山はしてくれている。これで、うちの会社も安泰だろう。私もね、会社経営していると今まで色んなことがあったよ。食中毒で全店休業に追い込まれた時は、これで自分の人生も終わったかと思われた。でも、それは、どこの会社でもあることだろう。一番大切なのは人材だ。実は、ピンチに陥った時こそ、会社が成長できるチャンスなのかもしれないと学んだ。ピンチの時の誠実な対応が、その後の会社の評価を高めることもあるんだよ。それは、誠実な人間なくしてできないことだ。実はね、この間、私がうっかりダブルブッキングをしていたんだが、桐山がそれに気付いて、事前に先方にそれはそれは丁寧に対処してくれた。逆に向こうに感謝されたくらいだった。私の目に狂いがなかったよ」
本木勝義がそう言うと、桐山陽介は、はにかんだように笑った。
「君もそうだよ。君は、手がかりがない中、諦めずに桐山を捜し出してくれた」
「いや、そうでもないんです。大間では足止めを食らいましたが、それ以外は案外すんなり解決したんですよ」
「いや、それでも、時間がかかってるよ」
「まあ、そうかもしれませんけど……」
「君のお父さんも、そういう人間だったな。頼んでもないのに、忙しい時は店を手伝ってくれて、閉店まで客の面倒を一生懸命みてくれていた。うちの不出来な息子の勉強の面倒も、見放さずにとことんみてくれた。アイツは本当に、どうしようもないヤツで、和吉君に家庭教師をして貰うまでは、『進学できるところは、どこにもありません』と、担任に匙を投げられるくらいだったんだよ。それなのに、高校受験も大学受験もストレートで良い学校に進学させて貰えた。あのへそ曲がりをあそこまで鍛えてくれたなんて、親でも出来ないことだった。和吉君は、スポーツマンだったろう? サッカーなんてやったことがなかったんだろうに、うちの息子のサッカーに付き合ってくれて、いつも二人で公園でサッカーボールを蹴ってたよ。それが良かったのかもしれないな」
「そうだったんですか……。僕には、父の記憶があまりないもので……。でも、祖父から、スポーツが得意だったとは聞いていました」
「和吉君のお父さんは、不動産の事業を引き継いで欲しかったようだが、和吉君はお父さんの反対を押し切って、高校の体育の教員になったんだよ。その後、結婚の報告もしてくれてね、幸せそうだったな。静枝さんのことも一番尊敬する人だと嬉しそうに話してくれた。何でもできる青年だったが、でも彼が素晴らしいのは、何に対しても誠実だったことだよ。だが、そのことを彼に言ったら、『そんなことはない、それは誤解です。自分は親友から恋人を奪って結婚するんです』と
言われて、彼にはそんな一面もあるんだと、ちょっとびっくりしたけどね。まぁ、それは、彼の謙遜だったんだろう」
僕の知らない若い頃の父の話を聞かされたのは、予想外の嬉しい出来事だった。父と母が幸せな結婚をしたという事実は、何故か僕をほっとさせた。しかし、同時に父に対する不信感も芽生えた。祖父の米澤唐左衛門、叔母の米澤綾子の話を聞いている限り、亡くなった僕の父、米澤和吉は、心技体に優れた完璧な人間だった。いくら近しい関係だったとはいえ、身内ではない執事の森山熊三でさえ、父のことをいつも褒めていたのだから、そこには贔屓目があったわけではないことは分かっていた。父は、多くの人に愛されるべき人間だったのだろう。けれども、彼は、親友を裏切った。海東光次を裏切って結婚したのだ。その事実が、僕を動揺させていた。
いつも夢を見ない僕が、夢を見ていた。
僕は五歳だった。
幼い自分の横に母がいて、僕は母と手を繋いで二人でどこかに向かっている。
着いた先は、マツ婆ちゃんの団子屋だった。
「明日お父さんとお花見をしましょう」
母は、笑顔で僕に言った。
僕は、夢を見ながら涙を流していた。




