書架の間の極限状態と、放課後の甘い奪還
【シーン1:午後15時10分、大型書架の最奥(心拍数オーバーヒート)】
『——あ、歴史の資料ってこの棚だっけ?』
『うん、奥の方にあるはずだよ。確か中世ヨーロッパのコーナーにあったような……』
書架の反対側から聞こえる同期生たちの足音と会話。
板一枚隔てただけの至近距離で、涼香と樹は極限の緊張感に包まれていた。
「……っ……」
涼香は樹の胸元に完全に体を押し付け、自分の両手で樹の口元をそっと覆いながら、自らも瞳を大きく見開いて息を殺している。
高鳴る心臓の鼓動が、重なり合う胸越しにドクドクとダイレクトに相手へと伝わっていく。
(やばい……心臓の音が大きすぎて、絶対に向こうに聞こえてる……!)
樹が冷や汗を流しながら動かずにいると、涼香の琥珀色の瞳がじわじわと涙目になっていくのが分かった。
照れくささと「見つかるかもしれない」という背徳感で、彼女の耳の先から首筋にかけては熟したイチゴのように真っ赤に染まり上がっているのだ。
カツ、カツと、足音が二人のすぐ裏側の棚の前で止まった。
『あ、これこれ。この本探してたんだよね』
『良かったじゃん。じゃあ閲覧室に戻ってノートまとめようぜ』
『うん。あ、そういえばさっき夏目先輩が法学のコーナーにいただろ? やっぱオーラ凄すぎない?』
『分かる。高嶺の花すぎて、同じ空間にいるだけで緊張するわ……』
ふたりの足音が遠ざかり、図書室の重い扉がカチャンと閉まる音が響く。
「……ふぁ……っ……!」
完全に気配が消えた瞬間、涼香の緊張の糸がプツンと切れ、そのまま樹の胸の中へ倒れ込んだ。
樹の口元を塞いでいた指先が力なく滑り落ち、彼女は樹のTシャツをギュッと掴みながら荒い吐息を漏らす。
「……し、死ぬかと思ったわ……っ……!」
「涼香……大丈夫? 顔、ものすごく赤いよ……」
「当たり前でしょう……っ! 誰のせいでこんなスリルを味わったと思っているの……っ!」
涼香は上目遣いに樹を睨みつけたが、潤んだ瞳と真っ赤な頬のせいで全く威厳がない。
むしろ「可愛すぎる威嚇」にしかなっていなかった。
「樹くんが……急に腰を引き寄せたりするから……っ。私、声が出そうになって……本当に理性が吹き飛ぶかと思ったんだから……っ」
「ごめんごめん。でも、涼香が甘えてきたから……僕も我慢できなかったんだよ」
「〜〜〜〜っ!」
照れくささに耐えきれなくなった涼香は、樹の胸に顔を埋めて「うぅー」と声を押し殺して悶えた。
【シーン2:午後17時半、夕暮れの帰り道】
大学を出て、最寄り駅へと続く夕開きの並木道。
オレンジ色の夕日が街並みを優しく包み込み、長々と伸びるふたりの影が重なり合っていた。
大学の敷地を出た瞬間、涼香は待ってましたと言わんばかりに、樹の左手をギュッと両手で抱きかかえてきた。
「……涼香、外だし誰かに見られるかも……」
「もういいの。大学の外なんだから、私はいま『樹くんの奥さん』だもの」
涼香はプイッと横を向いて頬を膨らませたが、その手は決して樹を放そうとしない。
指と指を絡め合わせる「恋人繋ぎ」に持ち直し、満足そうにふふっと微笑んだ。
「今日の図書館でのお仕置き……まだ終わっていないんだからね」
「え……? まだ続くの……?」
「当然でしょう? 私をあんなにドキドキさせて、破滅しそうにさせた罪は重いわよ。……今夜は家についたら、私の気が済むまで……膝枕と『あーん』のフルコースなんだから」
「それって僕のお仕置きじゃなくて、僕をさらにダメ人間隔絶にするためのご褒美なんじゃ……」
「黙りなさい。旦那様は私に飼い慣らされていればいいの」
涼香は小悪魔のように可憐に笑うと、樹の手にキュッと力を込めた。
【シーン3:夜の20時、甘い『奪還』のフィナーレ】
樹の部屋に戻り、夕飯と入浴を済ませたふたり。
ベッドの上で、涼香は昨夜以上に樹にぴったりと密着し、樹の胸元に顔をうずめていた。
彼女の濡れた髪から漂う甘い柑橘系の香りと、部屋着の柔らかい素材が、樹の感覚をどこまでも優しく包み込んでいく。
「……ねえ、樹くん」
「ん?」
「私ね……大学で『夏目先輩』でいる時間より、ここで『樹くんの涼香』でいる時間の方が……100倍好きなの」
涼香はそっと顔を上げ、琥珀色の瞳でまっすぐに樹を見つめた。
その瞳には、昼間の冷徹な氷山の面影など欠片もなく、ただひたすらに樹を愛おしむ甘い光だけが宿っている。
「だから……私をずっと、あなたの側に繋ぎ止めておいてね?」
「……言われなくても、絶対に離さないよ」
樹がそっと涼香の頬を撫でると、涼香は気持ちよさそうに目を細め、自分から唇を重ねてきた。
昼間の図書館での緊張も、学校でのスリルも、すべてはふたりの愛をより深く、甘くするためのスパイスに過ぎない。
完璧な氷山先輩に心も身体も甘く飼い慣らされていく、幸せな夜が静かに更けていくのだった——。




