甘いお仕置きと、朝の誓い
【シーン1:深夜1時、樹の部屋のベッドの上】
薄暗い部屋の天井に、加湿器の微かな蒸気が月光を浴びてゆらゆらと白い影を描いている。
外の静寂が深まるにつれ、二人の吐息と衣類が擦れ合う小気味よい音だけが、密室の熱量をじわじわと高めていた。
涼香は樹の胸元の上に完全に覆いかぶさるような姿勢で、琥珀色の瞳を熱っぽく潤ませながら樹を見下ろしている。
普段の大学で見せる、一切の隙を許さない「夏目先輩」の面影はどこにもない。
乱れた黒髪の間から覗く白皙の首元はほんのりとした桜色に染まり、樹のTシャツをギュッと握りしめる細い指先には、どこか照れくささと切なさが同居していた。
「……ねえ、樹くん」
「ん……? どうしたの、涼香?」
「私ね……時々、すごく怖くなるの」
涼香は樹の胸に頬を擦り寄せながら、小さな声でぽつりと漏らした。
その声は、昼間の凛とした美声とは打って変わって、消え入りそうなほど儚い。
「大学にいる時の私と、ここにいる時の私……あまりにも違いすぎて。もし、みんなにこの無防備でワガママな姿が見つかったらどうしようって……。ううん、それ以上に……こんなにダメな私に、樹くんがいつか呆れてしまわないかって……」
樹の心臓が、キュッと締め付けられるように痛んだ。
全校生徒の憧れの標的であり、完璧を演じ続けなければならないプレッシャー。
彼女が抱えてきた孤独の深さを、樹は誰よりも理解していた。
「呆れるわけないじゃないか」
樹は腕を回し、涼香の華奢な背中を抱き寄せた。
彼女の体温と、甘いシャンプーの香りが胸いっぱいに広がる。
「完璧な『夏目先輩』も素敵だけど、僕の前でだけ弱音を吐いて、夜中にウーロン麺を食べたり、お料理を失敗して落ち込んだりする涼香が……僕にとっては世界で一番愛おしいんだ。僕が好きなのは、肩書じゃない。僕の隣で泣いて、笑って、甘えてくれる『涼香』なんだよ」
「……ツキ……っ……」
涼香の目から、ぽろりと大きな涙の粒がこぼれ落ち、樹の胸元を濡らした。
「ずるいわ……そんな素敵な言葉を言われたら……私、本当にあなたの奴隷になっちゃう……」
「奴隷じゃなくて、僕の『妻』でしょ?」
「……うん……っ! あなたの……世界で一番幸せな妻よ……っ!」
涼香は愛おしさに耐えかねたように、樹の首元に両手を回すと、自分の唇を樹の唇へと強く押し当てた。
涙の味がほんのり混ざる、けれど今までで一番熱く、甘く、深い接吻。
二人はお互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も唇を重ね合わせた。
【シーン2:深夜2時半、甘いお仕置きのフィナーレ】
「……はぁ……ふぅ……っ……」
熱い接吻が一段落し、涼香は樹の胸の上で肩を上下させながら息を整えていた。
顔は熟したリンゴのように真っ赤で、琥珀色の瞳はトロリと蕩けている。
「……ねえ、樹くん」
「なあに?」
「お仕置き……まだ終わっていないわよ?」
涼香は小悪魔のような微笑みを浮かべると、自分の右手をおもむろに樹の右手に重ね、二人の薬指に輝くプラチナリングをカチリと触れ合わせた。
「今日の私のハンバーグ……甘すぎたでしょう?」
「うん、かなり甘かったね(笑)」
「だから……樹くんの口の中も、心の中も……私の甘さで全部いっぱいに塗り潰してあげる。……あーんして?」
「え……?」
涼香は自分の指先に、テーブルに残っていたバニラアイスの小さな一滴(※昨夜の残り)をほんの少しだけつけると、照れくさそうに樹の唇へと差し出してきた。
「ほら……昨日、樹くんが私の唇を舐めたみたいに……今度は私が、樹くんに『甘い毒』をあげるの……」
樹は言われるがままに口を開け、彼女の指先から甘いバニラの風味を受け取った。
そのまま、涼香の手首を優しく掴み、彼女の指先をそっと唇で包み込む。
「〜〜〜〜っ!?」
涼香の全身がピクッと跳ね上がり、瞳が大きく見開かれた。
「き、樹くん……っ! 自覚なしにそういうことするの、本当に反則よ……っ!」
「涼香が『あーんして』って言ったんじゃないか」
「うぅ……もうダメ……私、限界……」
照れくささに耐えきれなくなった涼香は、樹の胸元に顔を突っ込み、そのまま樹の体首筋に小さく「はむっ」と甘噛みをした。
「……痛くないお仕置き。これで、私の勝ちね」
「……参りました、涼香お嬢様」
二人は顔を見合わせ、静かな部屋の中でくすくすと声を殺して笑い合った。
夜の深まりとともに、二人の心はどこまでも深く、密接に結びついていくのだった。
【シーン3:翌朝7時、眩しい朝光と秘密の登校】
「——ん……っ……」
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝の光が、部屋を明るく照らしていた。
樹が目を覚ますと、すぐ目の前には涼香の安らかな寝顔があった。
樹の腕を抱きかかえるようにして熟睡している彼女は、まるで毛布に包まれた小動物のように愛らしい。
樹がそっと彼女の頬を撫でると、涼香は「……んぅ……」と小さな声を漏らし、ゆっくりと琥珀色の瞳を開いた。
「……おはよう、樹くん……」
「おはよう、涼香。よく眠れた?」
「うん……すごく深くて、素敵な夢を見ていたわ。……樹くんと、ずっと一緒にいる夢」
涼香は目をこすりながら微笑むと、樹の額にちゅっとモーニングキスを落とした。
しかし、壁の時計が「7:15」を指しているのを見た瞬間、彼女の表情が素早く引き締まった。
「……大変! あと30分で準備しないと、大学の朝の生徒会ミーティングに遅刻しちゃうわ!」
涼香はガバッと跳ね起きると、慌ただしく服を整え始め、一瞬で「夏目先輩」のモードへと切り替えていく。
「樹くん! お洋服にシワがないか確認して! 私、先に洗面台を使うわね!」
「あはは、さっきまでの甘えん坊さんはどこにいっちゃったの?」
「む……っ! 学校では私は『完璧な生徒会長』なの! ……でも」
涼香は洗面所へ向かう足を止め、ドアの影からそっと振り返ると、樹に向かって最高に甘い笑顔を浮かべた。
「……放課後、いつもの場所で待っているわ。私の大好きな旦那様」
朝の光の中で交わされる、ふたりだけの秘密の約束。
仮面を被る昼も、全てを脱ぎ捨てる夜も——二人の愛しい日常は、これからもずっと続いていくのだった。




