6章2話:もう一度
──3月26日──
Wi-Fiが安定しない。
トレード中だったら泣くぞこれ。
実家のルーターは買い換え時期だと思うが、ここは有線LANで対応することにした。
玄関を出て行くと、真凜と鉢合わせした。
海岸沿いのカフェでメシを食った後、僕らは話が中途半端になったまま家に戻っていた。
「頭はどうだ?」
「言い方!」
「へいへい。どした?」
「いろいろ話が途中だったし、お昼ご飯作ったから一緒にどうかなって」
僕はレンタカーのキーを見せた。
「ちょっと出るぞ、車で話そう」
「うん」
真凜からタンブラーに入ったコーヒーを受け取って、レンタカーで山道を走り出す。カフェでじっと向き合って話すよりこっちの方が気が楽だ。
「昨日、聡司からLINE来たよ」
「へえ、おまえらもLINEするんだな」
「連絡事項だけ。でも昨日はYouTube見ておけっていうの。たっちゃんが荒れてるかもしれんから、様子見てくれって」
僕は噴いた。
「お見通しかよ」
「たっちゃん、引きずってたんだね。気づかなくてごめん。真凜ちゃん寮に入れたらなんて言っちゃった」
僕は真凜に〈ことつて〉のことも、寮生と喧嘩した理由も、照と一馬の関係についても何も話してこなかった。
おそらく聡司が少し、真凜に教えただけで。
思えば僕は一連のことを、誰かに話したことはなかった。
聡司は一緒にいたから僕に何かを聞くことはなかったし、触れてもこなかった。
僕が照について語らなかったように、聡司もまた自分の思いを語ることはなかった。弓道場で一度向き合ったとき以外は。
父や担任から、照とのことを聞かれたことはあったが、僕は当たり障りのないことを言っただけだった。
「真凜がちょうどいいのかもな」
「え?」
「照の話しをする相手っつうか、距離感ていうの?」
「ふふ。そうかもね。私、真井くんと話したことあるよ」
「え!」
想定外だった。
一瞬顔を向けて、慌てて前を向く。
「夏休みに入るときだよ。真井くんが写真撮ってて、たぶんおうちの方に見せてあげようとしたんじゃないかな。自撮り苦手そうだったから、撮ってあげるよって声をかけたらびっくりされた」
「ふっ、照に話しかけるやつって……部活の連中くらいだったからな」
「けっこう強引にあちこちで写真撮ってあげた。私のこと、ちゃんと認識してたよ。拓人の幼なじみでお隣さんだって」
「やべ」
涙腺が崩壊した。
「やだ。泣かないでよ。もらい泣きしちゃうよ」
真凜がハンカチを寄こしてきて、僕は思いきり鼻をかんだ。
そうして僕は初めて、照について言葉で語った。
話してみると、僕と照の付き合いはほんとうに短かった。4月の入学式からクリスマスまでの9ヶ月間だ。僕に新しい世界を見せてくれたのが照だった。進化したAIで照が何を作るか、見てみたかった。
真凜が声をしゃくり上げて泣いた。
「話してくれてありがとう、たっちゃん、でも、救われないね……」
「まだ15歳だったからな」
「その東谷くんて、真井くんを、蘇らせたいの?」
「蘇らせるか……すげえこというな」
「私、聡司からLINEもらった後、ライフアーカイブ・ラボ調べたよ。ホームページに彼のバーチャルが動いてて、コンセプトとか話してるの。ほら国会議員のAI安野さんみたいな」
僕も見た。AI安野は顔はイラストだったが、ライフアーカイブ・ラボはリアルな感じで作り込まれていた。動画に登場したときは違って、好青年に見えるようにしたのか髪の色は黒く、シンプルな服装だった。
一馬は照が作ったボットは改造しないと誓った。だが彼が自分で新しく造ることは可能だ。一馬は照のボットが持っている情報も取り出せるし、何より生まれてからずっと一緒だったのだ。写真やビデオ、学校の記録など思い出の大半を共有している。
その上で、照の成長曲線をAIに計算させて、人が成長するようにテルを成長させることはできる。
僕が照といっしょにテルの時を止めている間に、一馬はあがいていた。
テルに誰よりも執着しているのは一馬なのかもしれない。
伊織くん、〈ことつて〉の登録解除ボタン、必要か?
〈ことつて〉の解除はすなわち、自分の意志でテルと話すことをやめることだ。
その問いかけが必要なのは、僕だけじゃねえ。
一馬も同じだ。
「一馬に、会わねえとな……話をせんことには、わかんねえ。あいつの真意が」
「たっちゃん」
「ん。東京に戻ったら会うわ」
そう言ってハンカチをひょいっと投げたら、真凜が避けた。
「もう、鼻かんだのに。新しいの買ってよね」
「それ誕プレな」
「科目合格お祝いプラスで、近沢レースのハンカチ3枚」
「げ」
レース編みなんていう古風な趣味を持つ真凜は、一度僕がぶらっと入った店で買ったハンカチに感激した。
──3月29日──
奏が「買い物に行きてえ」というので、相変わらず僕と口を利かない空詩と、円滑油に真凜も誘った。真凜は4月から会社に復帰する。「アプリ使いこなせるか?」と聞いたら、大丈夫そうだった。
大型ショッピングセンターで、弟妹に小遣いを渡したら、奏が僕に小声で言った。
「兄ちゃん、俺は空詩が寮に入るの賛成や」
「畑、おまえひとりやらされるぞ?」
「風呂とか洗面所とかあいつ、長げえんだよ」
奏が顔をしかめ、僕は笑った。
男女の双子というのも厄介そうだ。
──4月1日──
空詩にどんな話ができるのか、僕にはわからなかった。
ただ明後日には呑気な両親が旅行から帰ってくるので、僕も東京に戻る日が近い。
頭ごなしに寮を反対した理由は、僕の問題で、空詩には関係ないことをはっきりさせなくてはいけない、そう思ったのだ。
とりあえず僕は寮のことで口を出さないと決めて、部屋をノックしたら不在だった。
「……入学式前の登校日か」
ホームページで調べたら、今年の入学式は4日の土曜だった。
僕が入学する前までは、入学式と卒業式は固定日だったが、平日だと保護者の参加率が減るため、3月4月とも第一土曜に変わった。
僕も2年になる4月の登校日にクラス替えを確認して、クジで入学式設営の係になった。
照の新入生代表挨拶が蘇って、やりきれなかったことを思い出す。
コロナのせいで、高校にきちんと通えたのは2年程度だった。
3年生の夏以降は大学受験対策にシフトして、学校の授業は捨てた。個別指導のオンライン塾に申し込んだ。まだ対応する塾が少なくて、予約がとりづらかったものだ。
卒業式も縮小されて、卒業生と教師だけ。下級生と保護者は参加できなかった。
僕はレンタカーで空詩を迎えに行くことにした。
途中で、日持ちする菓子を買った。学校で顔見知りの教師に会ったら挨拶しないわけにはいかないし、そもそも正門前で若い男が立っていたら目立つ。かといって駅前の狭いロータリーには駐車スペースが2台分しかない。埋まっていたらアウトだ。
つまり学校の敷地内にある来賓スペースに駐車するのが一番なのだ。
白耶麻高校あたりは雪が残っていた。
サクラの蕾も膨んではいたが、咲くのはもう少し先だ。
正門脇の来賓用駐車スペースに車を停めて降りると、肌寒い空気がトレーナーの丸首から忍び込む。
寒いなあ。
助手席に置いていたマウンテンパーカーを着て、スマホと菓子袋を手に歩き出す。
不法侵入にならないよう来客用玄関のガラスドアを開ける。
管理室から顔を出したおじさんが、「約束があるならここに名前を記入して」という。
「約束はないですが、卒業生で、ぶらっと」
「ぶらっとね」
バインダーの用紙に名前と住所、来校目的を書く。
卒業生記入欄があり、卒業時の担任名を書かされた。
すんなり出てこないものだ。
川上だよな、とつぶやきながら名前を書いたら、管理人が内線をかけた。
まあそうだよな。勝手に入れねえよな。
「おぉ、伊織か?」
元担任の川上の顔を見て、こんな顔だったかと今思いだした。
高校生と24歳の大人ではずいぶん変わるが、教師はあまり変わっていなかった。
僕がいたときは30代半ばで、今も40歳を過ぎたころ。大人になると老け込むタイミングがあるんだろう。
僕は会釈した。
「急にすみません」
「いや、妹が在籍していたな。何かあったのか?」
「……女子寮が空いたと聞いて、親の代わりに下見です」
川上は神妙な顔で頷いたが、それ以上は何も言わなかった。
「先生これ、みなさんで」
「おぉ、ありがとう。ほんとうに、大人になったな」
照のことで尖りまくった僕しか記憶ないのだろう。
川上は何度も頷いて、僕の背を叩いた。
女子寮の寮監にまで会うつもりはなかったが、下見と言ってしまったせいで、大ごとになった。
寮監といえば通常は住み込みの管理人のことらしいが、白耶麻では教師だった。
当時は当たり前だと思っていたが、浅尾が寮監を負担に感じていただろうことは今ならわかる。教師の仕事じゃねえからな。
女子寮の寮監が僕の対応をしてくれた。若い新人教師だった。
「忙しいのにすみません」
「いいえ。寮も新入生の受け入れ準備始まっていますから。お兄さんだけど、女子寮の中に入ってもらうわけには……」
「ええ、大丈夫です。……外観を見るだけです」
僕が答えていると、廊下に空詩が現れた。
「お兄ちゃん!」
「げっ」
いや、来たのだから会うのは構わないが、こっちが声をかける前に見つけられたくなかったというか。
「よぉ」
「何でいるの?」
寮監が空詩に言った。
「寮の下見よ。安全かどうか気になったそうよ」
空詩は虚を衝かれて絶句した。
僕は空詩と二人で、寮に向かう緩やかな坂道を上った。
「反対なんじゃないの?」
空詩が顔をしかめたまま言った。
「僕が1年のとき、男子寮で同級生が転落して亡くなったんだ」
「知ってるよ。覚えてる。お兄ちゃんが夜中に泣いていたことも、喧嘩して顔腫らして帰って来たことも」
「そか」
「でもそれとあたしの寮のことは別でしょ?」
「ああ。おまえが寮に入りたいなら、僕は反対しない」
「ほんと?」
「ただし! 金出すの父さんたちだからな、僕に期待するなよ」
「うん。お兄ちゃんが反対しないんなら大丈夫やと思う」
そうか……。
僕は寮を見たら、感情が高ぶってしまう気がしていた。
卒業のとき、男子寮の中庭に入れてもらって、照に花を手向けた。
それで区切りをつけたはずだったが、その後も照と一緒に卒業できなかった思いがずっと残っていた。
あのとき誰も裁かれなかったこと、自分が何もできなかったこと。
この先も僕は、その思いを抱えて生きていく。
一馬に会う前に、僕はその覚悟を問うためにここへもう一度、来たのかもしれない。




