5章4話:死人テスト
▌// [LOG] 2019-03-25 11:00 JST
真井家を訪問して2時間が経っていた。
僕と真井の祖父さんの話は尽きなかった。
巧は孫の高校生活について知りたがり、僕は出会いから25日の朝のことまで、話せるだけ話していたからだ。
和算書の話は特に盛り上がった。照が関わったことだから。
和算書の図形を見せられて、ポカンとした。
僕も聡司も理系の頭だと思っていたが、間違いだった。
除が割り算(/)で、乗はかけ算。天元術では未知数を天と表す——つまりXだ。変数にわざわざ天地の名をつける感覚が僕にはよくわからないが、江戸の話だから仕方ない。
つか、このころ西洋数学は伝わってなかったんだっけ?
照はそれをデジタルで表現した。
たぶんだが、得は戻り値(return)とか、自乗は二乗(R ** 2)とか。
巧が自慢げに見せてくれたブラウザの図形は、万華鏡のように美しかった。
やがて僕は不思議に思っていたことも訊ねた。
「保健室の先生に、照の吃音の症状について訊ねました。どうも照が浮いていると思うことがあって」
僕は客観的な意見として、聡司へ視線を投げた。
「俺は真井くんとは話をしたことはありません。すれ違えばニコッと笑ってくれて、会釈しあったんですが、彼が拓人と話すようには話したことがありません」
「照とはネクタイを貸してあげたのがきっかけですが、けっこうすぐ、友だちになって、僕には話しかけてもくれました。保健の先生が、一人でも話せる友だちができてよかったわと言われたのが印象に残っています」
話していてもどこか目の奥が冷ややかだった巧の視線が、ふとやわらいだ。
「雰囲気だろうね。顔も何も似ている要素はないが、ネクタイの話を聞いて一馬に似ていると思ったよ」
「……え、行動が、ですか?」
「そうだね……よくわからないが、感覚的なものだ。そうだ、きみ、長男で弟や妹がいるだろう?」
「います! 8つ年下の双子の弟と妹が」
「うん、それかな。照は一人っ子なせいもあるが、一人が好きでね。誰かと何かを分け合うのは苦手だ。世話焼きなんだろうね。きみ」
僕が世話焼き?
ほんまに?
巧は照が分け合うことは苦手だと言ったが、照は分け合うというより、与える側だった。
一馬のために毎月東京へ帰った。
お祖父さんのためにwasanフォルダを作った。
僕がプログラミングに戸惑っているだろうと想像して、慣れない方言調べて「今だんね?」と深夜に送ってきた。
照はいつも誰かとつながろうと動いていた。
自分が動くことで広がる歓びを知っていた気がする。
それも天然で。
だが僕はどうだろう。
寮生と殴り合ったときも、浅尾を追及したときも、テルとの会話も、全部照を失った穴を埋めるためだ。照のために動いたことはあっただろうか。
「拓人」
ふいに、聡司の肘が突いていた。
思念に沈みかけて、祖父さんが何か言ったらしいのに聞いていなかった。
「一馬に顔を出すように伝えたんだが、来ないそうだ」
一馬の話をしていたのだ。
僕はどう反応したらいいかわからない。
彼に聞きたいことはたくさんあった。
たとえば照のパーソナルAIボットについて。
――でもそんなこと今重要なんか?
照の片割れだった一馬こそ、照の死と向き合うだけで精一杯だろう。他の誰の言葉も聞きたくないはずだ。僕も彼に伝えられることがあるとは到底思えない。
真井家で昼食をとることになり、鯛茶漬けが振る舞われた。
名店の料理人がやってきて、目の前で鯛を裁いてその場で作った。
僕と聡司はその光景に圧倒された。
す、すげえ。
僕が照から好きな食べ物を聞いていたのが嬉しかったらしい。
やばい。
照本人ではなく、テルに聞いたんだよな。
……言えねえ。ボットのテルが教えてくれたなんて。
ともあれ、僕らは生まれて初めて食べる鯛茶漬けに感動した。
あったかくておいしい物が腹に収まったら少し心が凪いだ。
嵐が去った後みたいに、僕は久しぶりに心が穏やかになった。
照が過ごしたリビングでお茶漬けを食べる寂しさ以外は。
そのせいか僕の中から自然と言葉が出た。
「ごめんなさい。真井さん」
祖父さんには迷惑だろうが、僕は謝りたくなったのだ。
巧は湯飲みを手にしたまま首を捻る。
「なんだね? 藪から棒に」
「僕、寮生たちと喧嘩して、僕は寮生じゃないからその、いろんなことが疑心暗鬼で」
僕は言葉を濁したものの、隣で聡司が複雑そうな顔になった。
巧は寮という閉鎖的な空気を思い出したように頷く。
「からかわれたことは容易に想像がつくよ。私も作家として、そういうシーンはたくさんかいたものだよ」
なるほど……。
実際に受け止めるのは別の話だが、年の功ってやつか。
伊達に長く生きてねえんだ。
「何が言いたいかと言うと、僕は照のために何かしたことって、あんまなかったから。照のほうがいつでも僕を先回りして、気にかけてくれていて、世話焼きなのって、照だと思う」
お茶漬けの湯気のせいで鼻水が出そうになって、お手伝いさんにティッシュ箱をもらった。
「それはね、思いやりというんじゃないかな」
思いやり。
僕は聡司と顔を見合わせた。
「そうか、思いやりです」
僕らも湯飲みを手にして、香ばしいお茶の香りを吸った。
「死人テストは知っている、かな?」
「はい。……照に教わったんですけどね」
僕は弟妹によく叱る。
飲んだコップを置きっぱなしにするな。
プレステ出しっ放しにするな。
照に愚痴ったら、照が笑ったのだ。
「そ、それ、アクションにつながらない」
「アクション? 片付けりゃいいだけだぞ」
「それ、それ、具体的に示す」
「ん?」
飲み終えたら、コップはキッチンへ運び、水に浸す。
ゲーム機で遊んだら、立ち上がったついでに、元の場所に置く。
○○するなではなく、具体的な行動を伝える。
プログラミングと同じだね、と言うのだった。
「サーバーを停止させない」なんてコードは書かない。
「稼働率を99.9%以上に維持する」と伝えないと。
――じゃあ、テルは?
テルは待つだけだ。
待つだけなら死人でもできる。
だが、僕が話しかければ動く。
「えらい」と打てば「辛い」と返す方言ボットがそれだ。ルールさえ仕込めばその通りの結果を返す。
「飲み終えたとき」は「コップをキッチンへ運び、水に浸す」という結果を返す。
照が深夜に「今だんね?」と気遣ってくれたのとはまったく違う。
死んでいる人間でもできることを、テルはやっている。
でも照の代わりは、テルにはできないのだ。
巧が微笑んだ。
今日初めて見せた笑みだった。
「照はもう怒りたくても喧嘩したくてもできない。伊織くん、沖津くん、きみたちが照の代わりに怒ってくれたこと、忘れない。ありがとう」
▌// [LOG] 2019-03-25 13:30 JST
真井家を辞したのは、昼を過ぎたころだった。
門扉のところでもう一度、巧に頭を下げた。
照の家。
心機一転、地方へ旅立った場所。
東京に帰る度に、白耶麻へ行くたびに通った道。
照の家はすぐ見えなくなって、僕と聡司は大きく息を吐いた。
「真井にそっくりやったな」
「うん。照の祖父ちゃんて感じやったな」
聡司が顔を寄せて、小声で訊ねた。
「ネクタイ、いいのか?」
「いいんだ」
僕と祖父さんはネクタイの話をしたが、どちらからも返す返さないの話はでなかった。
「アレはもう照のものだし、お祖父さんもそう思ってる」
「そうだな」
僕はあのネクタイを数時間締めただけだった。
それに照の部屋に僕とのつながりが残っていることが、今はすげえ嬉しい。
聡司を待たせて、道路の片隅で〈ことつて〉を開いた。
拓『まだ東京やけど、今から帰る』
テル『観光終わったの?』
拓『なあ、東京の土産ってもらったことないな』
テル『東京の土産、渡したことない。毎回忘れる。次回楽しみにして』
拓『東京の土産。おすすめ教えて』
テル『いつも買うコロッケパン。碑文谷の***』
僕はスマホを閉じた。
駅に向かう途中で古びたパン屋があり、想像したおしゃれな店とは違った。
「土産にコロッケパン買うか」
聡司が少し笑った。
「コロッケパンておまえ、奏と空詩が怒るぞ」
「僕が食う」
「自分の土産かよ」
駅の改札に入るとき、僕は一度だけ振り返った。
照が見ていた景色を、目に焼き付けるために。
商店街の看板と、その奥に続く住宅街。
ここはもう、僕らの来る場所ではない。
東京駅から乗った東海道新幹線の下り、僕は車窓(E席側)に座った。
春らしい暖かさで、空は晴れていた。
窓からは雪をいただいた美しい富士山がくっきりと見えた。
聡司は目を閉じていた。イヤフォンを差して音楽を聴いていると思ったら寝息を立てていた。
真井の祖父さんに報告したことで、聡司的には一区切りがついたのだ。
僕は――
拓『和算書見たぞ。現代人にわかるようにしたやつだったけど』
テル『和算書はお祖父ちゃんが好き。填圓の問題見た?』
拓『……なんだっけ。大きな円の中に、中くらいの円が2個横に並んでて、その隙間に小さい円がちょこんと乗ってたやつ?』
テル『定番だよ。図形の美しさもだけど、解法の鮮やかさが有名なんだ。三平方の定理だけでこの「術」を解読できる。……和算書の面白いところって、補助線を引いて直角三角形を作る作業とか、全部言葉で説明するところ。術を短く簡潔に書くのもいい。図形は複雑に見えるのに。まるでコードみたいだよね。可読性が高くないと、相手にされない』
照は何でもコードに置き変えて説明する。まるで僕がコードを例にしないとわからないと思っているかのようで。以前は僕がプログラミング部だからだと思っていた。
違った。照は僕を通して一馬を見ていた。
祖父さんの推測では、一馬のひどい言葉にショックを受けて、相手に何をどこまで話したらいいのかわからなくなった照。その照は一馬に無視されても冷たくされても、自分が今何を作っているか伝えていて、少しでも一馬の反応があると嬉しくて、また頑張って話しかけた。一馬のやろう、おめえが一番ボットみてえだ。
〈ことつて〉で僕と話すことで胸の最奥にある、繊細な繭の秩序を保てたのかな。
そこに救いはあったんかな。
闇に光は差したんかな。
僕は照の役に立ってたんかな。




