5章2話:照がいた場所
▌// [LOG] 2019-03-25 07:45 JST
通勤ラッシュでおびただしい人の流れが目の前を交差していた。
僕らは早めにチェックアウトして、ロッカーに荷物を預けたが、そのせいでシミュレーションしたルートを外れていた。
真井邸の最寄り駅は宿泊した新宿駅から4駅目、乗車時間は20分だが、ホテルの場所がまずかった。駅がでけえ。田舎の高校生に新宿のホテルを予約したのは父だ。自分が泊まったからわかりやすいと思ったらしいが、僕らからすると迷路だ。
職場や学校へ向かう人間が一気にターミナル駅に集中する時間帯で、恐ろしい速度で波が押しよせ流れていく。そのせいで方向感覚がわからなくなった。
僕らは昨夜のうちに新宿駅構内を歩いて、地下通路を体感したはずだった。
ネットでググったら「新宿ダンジョン」とか言われてて、初見の僕らは潜ったが最後、出られねえと考えたからだ。
「昨夜とぜんぜん違げえ」
「歩いたのが21時過ぎてたからな」
「めちゃくちゃ人だらけだったじゃねえか」
「ラッシュは終わってたんだろ。デパート系は閉店してた」
蟻の巣に紛れ込んだ気持ち悪さで、僕は具合が悪くなった。
「大丈夫か、拓人」
「水飲めば平気」
と言って水を取り出そうとしたら、流れ弾のような子どもとぶつかった。
小学生かよ……こんなところ歩くなよ。つぶされっぞ。
おろおろする僕と違って、都会人はぶつからない。同じ速度でそれぞれの流れに乗ってスムーズに移動する。
まるでゲームの世界だな。
「新宿三丁目まで歩くぞ」
「丸の内線の新宿駅じゃねえのか?」
「学芸大学駅に接続するのは副都心線みたいだぞ。地下を歩けばいいらしい」
僕もルート案内を見て、聡司の案に同意した。
丸の内線新宿駅から新宿三丁目まで1分で乗り換えだったから。
「東横線って聞いたのに。副都心線ってなんだよ」
「渋谷で線の呼び名が変わるってさ」
僕は尊敬した。
こんなダンジョンを毎日くぐり抜けて会社や学校へ行く都会人を。
照が生まれ育った東京は、建物も車も人も犬も目に入るすべてが過剰だった。
最寄り駅の改札口を出ながら、都会に疲れたから白耶麻のど田舎に来たと言われても信じる。
聡司に言うと、彼は首を傾げた。
「そうかな。真井にとってはこれがデフォルトだろ? 縁もゆかりもねえ白耶麻に来るなんて、極端すぎる気がするけどな」
「極端か……」
確かに、振り幅がありすぎる。僕らが思う以上に照にとって白耶麻が寂しい場所だったとするならば、照はあえてそういう場所を選んだってことだ。
最寄り駅から照の自宅までは徒歩約10分。この徒歩時間は道を知っている人間が早歩きした場合の計測値だ。
迷わないためにもタクシーに乗ることも過ったが、やめた。
照が過ごした街を自分の足で歩いてみたかった。
商店街の賑わいが消え、急におしゃれな高級住宅街になった。
ドラマ撮影でもしていそうな碑文谷公園があり、少し迷いながら樹影に囲まれた一軒家に辿り着いた。
深い生垣に挟まれた凝った作りの白い門扉、「真井」の表札。
監視カメラ付きのインターホンを鳴らすと、女性の優しそうな声がして、僕らは門の中に入った。
石畳のアプローチを歩くと、玄関までかわいらしく整えられた柘植の木が並んでいた。
僕らを案内したのは中年の少しふくよかな女性で、通いのお手伝いさんだった。
▌// [LOG] 2019-03-25 09:15 JST
拓人の知るどんな家とも違う高貴な香りが漂うリビングで、優雅な家具に囲まれ、優雅な紅茶セットでクセのない紅茶とケーキを振る舞われた。
ゆっくり召し上がれと言われたが、緊張しすぎて、ケーキの味はわからなかった。
やがて照の私服とよく似た恰好の祖父さんが現れた。
照が年を取ったらそんな感じだろうという細身の上品な姿に、僕は目が離せなかった。裾の折り返しが独特のデザインパンツを履きこなすのもおしゃれだ。
照は私服がシンプルなトレーナーやジップアップで、色もモスグリーンや青やグレーの二色使いが多かった。
自分で選んでるのかと僕が聞いたら、「お祖父ちゃんが買ってくる」と言っていた。
僕らは立ち上がり、僕が弔いの言葉を伝えた。
が、喉が張り付いたようになって、声が突っかかる。
「座りなさい。伊織くんと、沖津くんだね」
僕らは頷き、巧に一礼してソファに腰を下ろした。
「私は照の祖父で、真井巧だ。孫が世話になりました」
祖父さんが頭を下げた。
「い、いえ。照に、照くんに世話になったのは僕です。僕も彼も宵っ張りで、夜遅くに話すっていうか」
「話す?」
「メッセージツールです」
「そうかい。あの子はLINEはしなかったから、私とは電話で話したよ」
「お祖父さんとは話せたのですか?」
僕はストレートに訊ねた。
巧の表情がふっと厳しくなり、僕が「すみません」と慌てて謝ると、微かに首を振り、静かに言った。
「私とは話せたよ。だから最初は気づかなかったのだ。学校から連絡を受けて、照が突然言葉が出なくなったようだと聞いてな。すぐに病院に連れて行ったが、心因性吃音と言われた」
「差し支えなければ、その、いつごろの話ですか?」
すると巧は僕らを別室へ案内した。
照の部屋だった。
比較的大きな窓がある明るい部屋だった。
中に入ったとたん、何だか照の匂いがした。
寮の部屋はすっかり痕跡が消えていたが、部室や図書館裏で照と話したときの匂いを思い出した。
やべえ、照の部屋だ。
僕は俯いて、歪む視界を正そうと頬を叩いた。
ローボードでベッド部分が仕切られて、高校生にしては大きな机にモニターが二面、外付けのキーボードが三つ。そんなに必要なのか? ゲーム機、地球儀、世界地図のパズル、テーブルに将棋台があった。壁に埋め込まれた本棚は半分が洋書で半分が学術的な本だった。図鑑、科学、宇宙、生物が多い。
遺影と遺骨を置く台もあった。
「自分の部屋でのんびりしたいだろうから」
と、巧は言った。
僕は聡司と並んで、座布団の置かれたところに正座した。
照のにこっとした笑顔の写真が使われていて、僕はそれを見つめながら、まだ照の死が信じられずにいた。終業式の朝から今日まで、何度も何度も照の死を聞かされ、寮にも行って、寮生ともやりあって、浅尾とも話して、東京まで来たのに、まだ実感がわかなかった。
僕でそうなのだ。
祖父さんは受け入れられないだろう。
隣で聡司が俯いて、ハンカチで鼻水を抑え、嗚咽を噛み殺した。
「あ、葛餅」
僕はリュックの中から県内で一番の老舗店で購入した葛餅を出した。
僕の後ろに座っていた祖父さんが、
「よく知っていたね。照が?」
「はい。好きな物を聞いたら葛餅って言われて、最初は鯛茶漬けって言うから、それは無理だなって」
「そうか、鯛茶漬けか」
「お祖父ちゃんと食べたって」
「ん……あの子の両親は多忙でな。幼いころから私といることが多かったんだ」
僕は葛餅をお供えして手を合わせた。
その後で、あらためて祖父さんに向きを変えた。
「照の部屋にしては、きれいな気がします……」
僕の素直な感想に、祖父さんの強い光を宿した目が僕を捉えた。
「おや? きみは、照の部屋に入ったことがあるのか?」
「いえっ」
悪いことはしていなくても、ドキッとする。
「聞いただけです。僕はその、きれい好きで、部室に行くと最初にするのが掃除で……照が、自分で、ぐちゃぐちゃだって言ってたんです」
「そうか……ははは、寮に帰る前に整頓させるようにしていた。あまりにひどいと、泥棒でも入ったのかと思うだろうって言ってね」
「そうですか」
僕はふと机の上をもう一度見た。照の愛用Macがない。
「照のMacは……」
「ああ……それなら、照の幼なじみがいてね、彼にあげたよ」
「あげたというのは……初期化して? それとも」
「一緒に見て、バックアップを取った後で、削除するものは削除して、渡した」
「……」
巧は肩を落としたまま僕を見た。眠れていない顔だった。クマができて頬が痩けている。ネットにある写真はもっと色艶がよくて、今でもスキーができるほどの健脚の持ち主らしい覇気があった。
「伊織くん、教えてくれないか」
「はい」
「照は、どうして転落したんだろうな? 何でもいい。私に……私が納得できるような」
言葉を途切れさせて、巧は顔を背けた。
「すまない」
「いえ……」
僕は膝の上でぐっと手を握った。
「僕は……寮にいなかったので、僕の、想像ですが」
「ああ」
「照と初雪が降った日、12月7日です。二人で出かけました。照は雪対策のブーツを買って、翌日学校周辺を散歩して、快適に歩けたと僕に話してくれました」
「ほぅ」
「そのとき照が、窓に、小鳥が来てるって言ってて」
「ほぅ、すると冬鳥か」
「ジョウビタキです。照のスマホに写真があると思います」
「それは! 鳥の写真なら見せてもらった」
巧が素早く反応し、慌てて部屋を出て行った。
どうやら照は祖父さんにも見せていたのだ。かわいいってずっと言ってたもんな。
戻って来たときには照のスマホを持っていた。
照が高校で撮った写真を彼は毎日眺めていたのだろう。
巧が眼鏡をかけて写真フォルダを開き、僕は確認した。
窓を開けて、窓枠に止まっているジョウビタキを撮影したものだ。
聡司も覗き込み、ハッと言う。
「この写真の撮り方って、身を乗り出してないか?」
僕は窓の位置を脳裏に浮かべて、ハッとした。
巧が前のめりになった。
「身を乗り出した感じなのかね?」
僕らは頷いた。
「寮の、照の部屋を見ました。確認したかったから、なんで落ちたんだろうって。照の窓の半分は机が置かれていて、モニターや物が塞いでいたと思うんですが、僕は実際の部屋の雰囲気がわからなくて」
すると巧が照の写真フォルダを探して、僕らに見せた。
「私に部屋の写真をメールで送ってくれたことがあってね。こんな感じだ」
僕の想像したとおりだった。机には左にモニター、右に教科書を立てるラックがあった。
モニターの後ろはカーテンがあるが、日中は開いていて、窓枠が見える。
照が鳥の写真を撮ったとき、開閉できる窓を開けて、机側に向かってスマホを向けた角度だった。
「俺、あの朝、照くんの部屋の窓が、開いてる気がしたんです」
「なんだって!?」
「すみません!」
聡司が突然ガバッと額をついた。
土下座……
「眼鏡をかけていなかったので、よくわかりません」
聡司は自分が寮に規則を破って泊まったこと、始発電車に乗るために寮を出た話をした。その話はしないと決めていたのに、祖父さんに話さずにはいられなくなったのだ。
「そうか……言いたいことはわかったよ。話してくれてありがとう。きみらは、照が、鳥を助けようとしたと考えたんだな」
「……そう、です」
巧は眼鏡を外して、深く長い溜息を漏らした。
「そうか……そうか。照には焦らず帰って来なさいと言ったんだが、朝一番の電車に乗るからって言うんだ。気が急いてもいたんだろうな」
「あの、真井さん」
聡司が言った。
「照くんはどうして、そんなに急いで帰りたかったのですか? 何か大事な約束があったのですか?」
聡司は父親が倒れたと聞いて、始発で帰りたい理由があった。だが照は急ぐ理由がない。長い冬休みだから。そう思っていた聡司はどうしてもそこが知りたかった。
一方僕は、毎月帰省する理由を知りたかっただけだった。
が、言われてみれば確かに、始発で出るほど急ぐ理由はないようにも思えた。
「ふむ、まあ話してもよかろう。あの子には無二の親友である東谷一馬くんがいる」
「名前だけは聞いています」




