1章1話:冬休みが終わったら
▌// [LOG] 2018-12-24 18:52:51 JST
冬
夕飯を終えた食卓を片付けながら、僕はしかめっ面をしていた。
小3年にもなる双子は手伝いもしないで、リビングのソファで、クリスマスケーキを食べ始める。
「おい! 食器は流しに運べっていっただろ!」
僕が怒鳴ると、双子は「きゃああ」「逃げろ」と言ってリビングを駆け回る。
「危ねえぞ! ツリーのコード引っかけんなよ」
弟妹はサンタを卒業して、両親が隠したプレゼントを探し回っている。
アホめ。僕が預かってる。寝るまで絶対に出さねえぞ。
「風呂入って寝ろ!」
休日でも夜勤がある母と、遠縁の訃報で九州に出かけて不在の父。
明日25日は終業式だ。三連休前にやってほしかったが、カリキュラムがキツキツらしい。
やっとケーキにありつきながらテレビを見ると、雪で運行中止になった特急が映っていた。吹雪で特急が見えねえ。
僕は慌ててスマホ画面に置いたショートカット〈ことつて〉をタップした。
テキストと絵文字だけで送り合うシンプルなWebアプリだ。
拓『照、大丈夫か? ちゃんと東京帰れたか?』
返信はさほど待たずにあった。
照『スマホなくして、探してる』
拓『え? 帰れなかったんか。いつから手元にない?』
照『昨夜のお風呂の後かも』
照は僕が通う白耶麻高校の同級生で、東京から来た変わり種だった。
ほんとうは金曜の夜に戻りたかったらしいが、寮の年末大掃除はサボれない。他県から来てるのは照だけではないから。
だが雪の状況では、他県勢は終業式が免除される。照も天皇誕生日の振替休日に帰ると言っていた。
拓『明日探すの手伝ってやるよ』
照『ありがとう。でも今夜中に見つける。明日始発で電車に乗りたい』
拓『そうか。見つかったら教えてくれ』
しばらく間があった。
照『拓人ってお雑煮なに入れる?』
拓『いきなりだな(笑) 伊織家は関西風で丸餅。煮る。味噌ベース。蟹の足のっける』
照『豪華! オレのところはすまし汁に焼き餅、シンプル。一馬の家は具だくさん。オバさんが北海道の人』
一馬、という名前が出た。照は無意識だろうが、『一馬は』って言葉が入る。
直接話すときには出たことがない。文字を打つときだけ、照は少し饒舌で、何でもない話をする。
拓『一馬って、幼なじみだっけ?』
かなり間があった。
ここはまだ触れてはいけない領域か。照は繊細で、近づいたかと思うと離れるやつ。都会っ子だ。
照『拓人にとっての、沖津くんみたいな』
へえ……。そりゃ、がっつり幼なじみだな。聡司とは生まれた病院こそ違うが、アホみたいに連んでて、真凜には悪いが、聡司がお隣さんだったらなぁとか思うほどだ。
拓『東京で遊べるといいな』
また少し間が空いた。
照『うん。あのね拓人』
そこでメッセージが止まった。僕は照の入力を待った。入力してる途中で送信するのあるあるだ。
照『会ったら話す』
拓『会ったらでいいのか?』
照『うん、直接話すよ』
珍しいことを言う。僕らは部活は一緒だが、部活に出ない照との接点は〈ことつて〉だ。照はちょい周囲から浮いていて、僕から会い行くのがほとんどだ。やっと打ち解けてきた感じだ。
照『冬休みが終わったら』
拓『わかった。休み明けに会おうぜ。……あ、メリクリ!』
照『うん。メリクリ』
その夜僕は、同級生とメリクリを送りあう気恥ずかしさで、ひとり笑った。
スマホを置いた後も、〈ことつて〉の画面をもう一度開いた。照の『うん。メリクリ』が最後に残っていた。
▌// [LOG] 2018-12-25 07:25:01 JST
雪の朝はそれと分かる静けさに充ちる。しっとりと冷えた空気と雪の匂い。「やべえ、寒い……」と覚めきらない意識の中で呟き、無意識のうちに身体を丸め込む。切れた電気毛布のスイッチを足の指で探り、オンに切り替えるのは習慣だ。アラームが鳴ればスマホを掴んで、2秒で解除するのは反射神経。次は5分後に別のアラームが鳴り出す。あと5分かと身構えて待つのはプレッシャーだ。今すぐ解除するかと一瞬思いが過ぎるが、そこは耐えて待つ。
だが、ちょっと嬉しいことに、バスのエンジントラブルでいつものバスが運休になった。終業式だし行かなくてもいい。臨時バスの目処も立たないっていう言い訳もできる。
蒲団の中でうずくまり、そのまま二度寝モードになりかけた。スマホの通知に気が付かなければそうしていた。
通知は照か。スマホ見つかったんかな。
スマホ画面のロック解除すると、通知はLINEだった。名前はキリだ。誰だっけ? 友だち追加はしたから、何かで関わったのだろう。
キリ『一組の桐村敦です。目が覚めたら電話くれ』
いつもマスクを着用してるアレだ。一組の元委員長だ。一学期の学級委員会で一緒だった。僕は二組の委員長だった。
「なんだよ、桐村がなんで電話寄こせっていうんだ」
アプリの無料通話ボタンを押したとき、僕は何の話か想像できなかった。僕らの間には委員会以外に接点がないから。
音声通話がつながって、ぎこちなく挨拶した。
「伊織だけど、おはよう」
電話の向こうはぎこちないレベルを超えていた。最初に溜息を吐かれた。
〝あの……あのさ〟
続く、震える声。
〝落ち着いて聞いてほしい〟
桐村はいつもどこか不満そうな声でしゃべる印象があったが、今の彼は怯えている。
〝……が、落ちたみたいだ〟
急に声がねじ込まれてきた。
今のはなんだ? 音声暗号文か?
声が小さくて、上手く聞き取れなかった。
「桐村、もっと大きな声で頼むよ」
彼の震えた声がずっと話をしていた。
〝パトカーとか救急車が来てる。すごく煩くて、どうせ運動部の連中が悪ふざけして、何かやらかしたんじゃないかって〟
「……なんの話だ?」
要領を得ない話だが、僕は寒気を感じた。
〝真井照が転落したっぽいんだよ……っ〟
部屋の中はひどく静かだった。
窓に白い物が触れて溶けていく音が聞こえるほどだ。静けさは僕の心臓の煩い鼓動も包み込む。
声が遠い。スマホの電波が悪いのか。それとも向こうの周囲が騒がしいのか。
「後ろが煩い」
〝だからっ、真井照が死んだって話だ!〟
僕の気持ちは凍りついていた。
「おまえ桐村だっけ?」
〝そ、そうだよ〟
「なんでそんな大事なこと、おまえが僕に言うんだよ。そういうことは照が言うことだ」
一瞬よりは長い沈黙の後、「ひ」と桐村の息を呑む音がした。
▌// [LOG] 2018-12-25 08:28:19 JST
「やべえ、寒い」
僕は両腕で身体をかき抱いた。
歯がガチガチ鳴る。ここは南極かよ。いや南極に行ったことはないけど。
――パトカーとか救急車が来てる。
――真井照が転落した
耳の奥で、桐村の不愉快な声が自動再生される。実際はかなり聞き取りづらかったが、反芻を繰り返した桐村の声は人工的な奇妙な機械音になった。
おい、ちゃんと話せ。質の悪いロボットの声になってるぞ。
スマホが着信したが、僕は無視して着替えを始めた。
肌に触れる指が冷たすぎだ。鳥肌が立つ。止まらない震えのせいで、薄っぺらなスクールシャツが掴めない。袖に通そうとした手が入っていかない。チッと舌打ちし、苛々とボタンを留める。シャツまで冷たい。ふと見たら乳首が立っていた。素肌だった。一旦シャツを脱いで、Tシャツを着るところからやり直した。次はカーディガン……じゃない。ベストだ。
Vネックのベストを着る。髪に静電気が起きた。先週末カットしたばかりでこざっぱりヘアだ。年に一回のトリートメント付きだぞ。クリーニングから戻ったばかりの制服のビニール袋を取り除く。ハンガーやタグを外すだけなのに、面倒臭くて腹が立つ。
服を着る。ただそれだけのことが、今はひどく困難だった。
大丈夫、頭はちゃんと機能している。桐村の話は呑み込めている。ただ、順番に処理するのに時間がかかっているだけだ。
桐村の情報が正しいとは限らない。人から聞いた情報が正確であることは滅多にない。何か要素が欠けているか、勘違いやミスがある。
そうだ、照に聞けばいいんだよ。
僕はよほど気が動転していたのだ。照とMacは一心同体。スマホが手元になくてもMacは見る。僕のメッセージにすぐ気づくはずだ。男子寮の騒ぎが本当であれば、照も飛び起きただろうから。
そこへ聡司が来て、確認が後回しになった。
代替バスのことだろうから、これも無視できない。
スマホを持ったまま玄関に出た。
聡司は雪の中自転車で来て、門前でずっこけていた。
「なにやってんだ」
僕は長靴に足を突っ込んで外に出た。鼻先にふわりとぼたん雪が落ちた。また降ってきた。
ふわふわ、ふわふわ。
ぼたん雪は大きくて重い。肌に触れるや否や雫となって、髪や頬をしっとり濡らす。
聡司が雪の上に尻餅をついたまま立ち上がらない。
「大丈夫かよ? 怪我しなかったか」
雪で滑らないように慌てずに近づいた。聡司を見ると、黒いダウンが濡れて肩先の色が変わっていた。
僕を見て、聡司がのそっと立ち上がる。尻の雪を払うと、少し呆けたように僕の名を口にした。
「拓人……」
ずれた眼鏡をかけ直す聡司の表情が強ばっていた。聡司は眼鏡かけたんだっけ? 僕は急にそんなことを考えた。毎日見てるのに聡司のズレた眼鏡が気になった。違う、ふだんはコンタクトだ。
倒れた自転車を立てて、ストッパーをかける。
すると聡司の手が僕の肩に伸びて、くるっと身体を翻した。
「わっ」と驚いて何か言い返そうとしたが、聡司が遮るように首を振った。
「聡司?」
目の色に不安げな色が浮かんでいた。何かを飲み込もうとしているのか、吐き出そうとしているのか、相反する感情に揺れている奇妙な表情だった。そこまで聡司が動揺しているのを見たのはいつぶりだろう。父親のがん告知を打ち明けに来たとき以来だ。
「真井が死んだ」
空の唸りのように、聡司の声が流れた。
「……はぁ」
「聞いてたのか?」
「知らん」
僕は玄関へ向かった。
聡司が追いかけてきたが、僕は長靴を脱ぐために強引に足を振った。
「照に聞く」
「でも拓人、その照が、死んだんだよ」
聡司がこれまでにないような優しい声で囁いた。表情はぐにゃっと歪んでいるのに。それはサイアクに優しい叫びだった。




