3章6話:残像
「桐村、真っ先に僕に電話くれたの、おまえだったよな、照を発見したのいつだ?」
僕は寒くて震えが止まらなかった。
桐村は鼻を啜った。
「あの夜、何度か目が覚めて。その度に外の様子を確認した。僕も実家に帰る予定だったから、電車が気になって外ばっかり見たんだ。そのとき西棟に灯りがいくつか漏れていた。それから一階のベランダに野路くんらが見えた。部屋に入ったのが見えた。何やってるんだって不思議に思った」
「デタラメ言うな!」
「僕は見てた」
野路の人を殺さんばかりの目つきも、桐村の覚悟の前では無意味だった。
「何か変なことをやらかすんだろうなって思って見てた」
「黙れよ!」
僕は野路と桐村の間に立った。
「てめえが黙れ」
「んだとこらぁっ!」
胸ぐらを掴まれる僕の後ろで、桐村がぶつぶつ話していた。
「……何かスマホで写真を撮り始めた」
「対象物までは知らないよ。ふだんから騒いでるこいつらのやることなんて、僕は関わりたくもなかったし、僕が起きてること、君らに気づかれたら面倒だと思って、確認はしなかった。でも君らはきっと、真井くんが落ちるところ見てたんだろ。じゃないとあのタイミングで写真を撮りには来れない」
「あのタイミングって、桐村、どういうことだ?」
僕は訊ねた。
「音がしたんだよ。何か、音が、地面に落ちたような音がしたんだっ」
「は?」
「後で、思えばってことだよ! 僕は6時半ごろにトイレに行って、雪が止んでたから帰れるなって思ったんだ。そのとき庭に何かあるって思った。何か落ちたなって思い出して、寒いけど、見に行った」
「何時だ?」
「だから、6時半ごろだよ!」
6時半……僕がLINEで連絡をもらったのは7時半ごろだった。
桐村が両手で目を拭う。
「ぼ、僕が触れたときは……もう、冷たくて……か、可哀想で……僕が、あのとき……音を聞いたときに、見に行っていたら」
僕は空を仰いだ。
そのとき久泉が不機嫌そうに言った。
「いったい何が問題になってるのか、はっきりしてくれよ」
は――?
なに言ってるんだ? こいつ?
「つまり俺が知りたいのはさ、真井の写真を撮ったのが法に触れるなら警察に突き出せばいいってことで、泣く理由が俺には分かんねえよ。桐村なんて、遺体見るはめになってさ、これって、結局落ちた彼の不運てことだろ。なんか俺らに責任あんのか?」
僕はしばらく唖然と久泉を見つめた。
野路が乾いた笑い声を上げ、僕は初めて久泉の顔を見るような気持ちだった。
「責任の話なんかしてねえよ」
僕は辛うじて声を絞り出した。
「だよな。俺、真井が窓から身を乗り出してるところ見たし」
今度はその場にいた全員が久泉を見て、呆気にとられた。
「いつだ?」
と、中山が驚いて訊ねた。
「トイレに起きたときだよ。吹雪てんのかって窓の外見たら、真井の部屋に電気がついてて、窓から身を乗り出してて危ねえなって思ったよ」
「で、どうしたんだ?」
中山が話を促した。久泉は邪気のない顔で言ってのけた。
「どうしたって寝たけど?」
僕は途方に暮れる思いだった。
「真井が落ちたって聞いたときは、アレじゃ落ちるよなって思ったしな」
「だよな。でさ、そのこと寮監に話したのか」
わかりきった推理の答え合わせをするように、野路は面白がった。
久泉は期待を裏切らずに応えた。
「聞かれてないから話してないぜ?」
「俺も俺も。誰か写真撮りましたかって聞かれなかったんだよ」
野路が言い終わるや否や、僕は身体を捻ると、思いきり野路のボディに拳を叩き込んだ。
「うげっ」
「伊織!」
野路がひっくり返ったところへ僕は飛び乗った。久泉に背中を蹴られて地面に転び、入り乱れて殴ったり蹴ったりして、ボコり合った。
それからはいつの間にか集まっていた寮生たちが僕らの仲裁に入って、僕らは引き剥がされた。
久泉が唾を吐き、悪気ないような顔をしていた。
「真井もなあ、生きてるときは静かなやつだったのに、死んだらこんな騒ぎの発信源て、やっぱ只者じゃねえな」
それが純朴そうに見える久泉が見た照の死のすべてだった。
こいつが、僕らの同級生か。
「何をしてる。やめないか!」
駆けつけた管理人が怒鳴った。
僕は歯を食いしばって、両足で地面に踏ん張って立っていた。
照は転落したから、助かってもひょっとしたら、もう前みたいには話せなかったかもしれない。それでも僕は、照に生きていてほしかった。
――こいつらを罰することはできるんか?
スマホは回収した。
録音はできていた。
でもこれが照のお祖父さんたちの耳に入ったら……とても、外に出せない。
▌// [LOG] 2019-02-28 19:45 JST
夜。
雨が降っていた。
傘は閉じたままだった。
雨の中を歩きながら、僕は瞼の裏に浮かんだまま離れない残像に囚われていた。
文化祭の後片付けのとき、照と坂道を走った。
駅前にあるコンビニに行きたいと言ったから。
あのとき照は壊れたブレーキの自転車に乗っていた。声を上げたときには身体が前に吹っ飛んでいて、助け起こそうとした僕の手も引き摺られてひっくり返ったのだ。
空の色は薄く、雲も薄く、山際から突き出た松の木に少し遮られていた。
照がどこか楽しそうだった。
変なテンションで、腹がよじれそうなほど笑った。
あんな時間はもう二度と訪れない。照の愉しげな声も僕の笑い声も広い空に吸い込まれて、もうどこにもない。
拓『照にも見せてやりたいよ。今日の夕暮れ、すげえきれい』
雨が瞬く間にスマホ画面を濡らしていく。
テル『すげえきれいなんだね』
僕はずぶ濡れのコートの袖で、画面の雨の粒を拭う。その手で目を荒っぽく擦る。鼻を啜って息を吐いたら、溺れかけた。
照……。
ふいに腰が曲がった。膝に手を置いて軽く叩く。膝が笑う。わななく唇から嗚咽が洩れる。
なんで涙が溢れてくる?
なんで息が苦しい?
なんでスマホを閉じられない?
なんでテルと話すことをやめられない?
雨の空を仰ぐと、残像の空はもうどこにもなかった。




