2章5話:一蓮托生
◇ // [LOG] 2019-02-18 14:00 JST ――沖津聡司
寒いな。
聡司は弓道衣の合わせ目から忍び込む風に身震いした。
射場には屋根もあるし地面も板の間だが、的場は吹きさらしだ。冬の弓道場など気合いで乗り切るしかないところだ。
弓道はいかにも武道なところが気に入っている。的に中てることが目的ではない。中てたか中てなかったか、その結果より射の過程に向き合うところが。
今日は的中率が悪い。
集中しろ、集中だ。
足踏みをして、両足の親指を結んだ線上に、的の中心がくるようにする。焦るとつい基本がおろそかになる。
はっ。強く息を吐くと、自分のリズムをイメージした。身体の中心に行くほどに力を込め、足先指先から力を抜く。人がどうイメージするかは知らないが、聡司の中で弓道は波紋を描くイメージだ。そうやって弧を描くように弓を構える。
ピンと張った弦の抵抗が左肩に乗る。
的が波紋に見える。
その中心に向かって、矢を、離れ。
的中するときは矢が離れた瞬間に分かる。
パン──
「まるであのときの風船だね」
後ろで正座して見ていた真凜が言った。
「声かけんなや。見学者」
「いいじゃない」
聡司は余韻の中で、静止しながら思い出していた。
子どものころ、三人で出かけた先で風船をもらったことがあった。
ところが真凜の風船が割れた。すぐに拓人が、やる、と自分のを差し出した。真凜は拗ねていらないと断ったが、拓人は突然自分の風船を割ってしまった。びっくりする二人の前で、ニッと拓人は笑った。
「こういうの、いちれんたくしょうっていうんだぜ。しなばもろともとか」
幼稚園児だった。当時拓人は祖父母の影響で、変な四字熟語をいっぱい知っていた。使い方があっていたかどうか、そこまでは二人とも覚えていない。
ふぅ……。
弓をおく。調子が上がらない。
矢取り道に行こうとしたとき、真凜が言った。
「変な写真があったって、寮の子から聞いてない?」
聡司がこそこそ調べていたように、真凜もまた女子のネットワークで調べてきたらしかった。
「5、6年前にね、男子寮の庭で骨折した生徒がいるんやて」
「へえ」
「サッカー部の寮生が自主練に使ってたんやて。そのころは地面がアスファルトで、怪我もしやすいさけ、運動部が使うの規制されてたの。でも骨折の後、保護者会が問題視して、地面は取り替えられた。今は特殊な合成を施したゴム製みたい」
「それがなんだよ?」
「ゴム製で、雪も積もってたのに、どうしてクッションにならなかったのかなって……」
真凜が両手で顔を覆って泣き出した。
「あ……、泣くなやぁ……」
日曜の休日は基本的に部活は休みだが、3月に個人戦を控えている部員が、許可を得て来ているだけだった。
「たっちゃんが、ずっと真井君のこと考えてるから」
「……しょうがねえよ。真井はGSじゃ、誰とも話さなかったみてえなのに、拓人だけは仲良かったから。何か気が合ってたみてえだしな」
「真井君、人としゃべるときに極度に緊張するんだって、GSの子に聞いたことあったよ」
「……へえ、何かストレスでも抱えてたんだろうな」
矢を取ってきて、再び一連の動作に入った。
ふいに、浮かぶ景色があった。
その景色は真井照が死んだと聞いたときから始まった。
あの夜は規則を破って潜り込んだ寮の一室にいた。
カーテンの隙間から見た窓の外は吹雪いていた。すると久泉が顔を赤くして近づいてきて、「あれ、天才くんの部屋」と指を差してケラケラ笑った。
驚いたのは酒が持ち込まれていたことだった。
やばい。まずい。
すぐにも帰りたかったが、最終バスが出た後だった。家に向かうバスに乗るためには、学校最寄りの白耶麻高校前駅から白耶麻中央駅に出る必要がある。電車は動いていてもバスがなければ、帰る手段がない。手を挙げてタクシーが来るのは都市部だけだ。雪の降る夜、ハイヤー会社に電話をかけても掴まりはしない。
入り交じる運動部員らの片隅で、聡司は寝た。
この日は休みで、寮監や管理人も消灯に煩くしなかった。深夜まで騒いでいようと巡回にも来ない。
誰かの足や手で顔を蹴られて目を覚ました。熟睡とはほど遠いが、始発の時間を確認した。LINEに姉からの着信が残っていた。それも一度や二度ではない。
窓から雪の気配がして、駅まで行くのも大変そうだなと思いながらカーテンを少し開けた。
向かい合う東棟に一つ、灯りが漏れていた。
久泉が指差した真井の部屋だった。
まだ起きてるのか? 徹夜かよ。そんなことを思った。
それから窓が開いているようにも見えたが、風が強く、虚空を埋め尽くす雪で真っ白だった。
窓が開いているわけがない。吹雪が入り込んで部屋がぐちゃぐちゃになる。
寝る前にコンタクトを外していたせいで、よく見えなかった。眼鏡をかけてまでは確認しなかった。
玄関ロビーからこっそり出た。中庭に出る戸口だか窓枠だかが、ミシッと音を立てた。そのとき中庭のクリスマスツリーが点灯されたままなことに気づいた。管理人の消し忘れだと思った。ツリーの明かりが届かない場所で、濃い影があった気がした。
今思えばあのとき、あの庭に、真井は倒れていた。
だがどんなに思い出そうとしても、聡司にはわからなかった。倒れている人を見たのかどうか。いや、あの影は人だったのだろうかと、ずっと考えている。
電車の始発が迫っていた。
時刻は午前5時だった。
▌// [LOG] 2019-02-18 15:15 JST
弓道部のほうから校舎に向かって、コートとマフラーでだるまになった真凜が歩いていた。
僕はとっさに身を隠そうとしたが、真凜は寒そうに急ぎ足で渡り廊下へ走って行く。
珍しいな。聡司に会いに行ったんか?
ガキのころは三人一緒が当たり前だった。とは言っても真凜は女子だったから、いつの間にか離れていった。それでも家に帰れば僕と真凜は一緒にメシを食って、聡司とは違う感じだった。
一方、聡司と真凜が二人で会っているのは見たことがなかった。
高校生にもなると微妙やな。
触れんとこ。
「こんにちは、失礼します」
僕は大声で言って、弓道場の扉をガラッと開けた。
スリッパがないので、靴を脱いだら靴下のまま奥へ入った。
「拓人!」
見るからに寒そうな恰好の聡司が駆け寄ってきて、もらい震えした。
「どうしたんだよ」
僕は聡司を見ると、間髪入れずに言った。
「おまえ、僕に話あるよな?」
聡司は俯くと、はぁぁぁ、と長い息を漏らした。
由実姉から聞いた直後は怒りで気が狂いそうだった。
だが幼なじみだからって、寮にいたことを話さなかったからって、僕は聡司にどう怒りをぶつければいいのかわからなかった。
何で怒るのかと、開き直られることを恐れていたんだ。
僕らの対話は短かった。
聡司からあの夜寮にいたことを打ち明けられ、僕は今日聞いたばかりの話をした。
「真井が、転落した後も生きてた……」
呆然となる聡司に、スマホに保存した写真を見せた。
聡司は少し目を向け、直後に僕のスマホを奪い取り、食い入るように画像を見た。
「これ……」
「あの夜、倒れてた照の写真だ」
「は……っ?」
「この写真を撮ったやつと持ってる連中がいる」
「ま、待て」
聡司の瞳が激しく揺らいだ。顔を振り上げて、ハッと口を押さえた。「……真凜が、ゴムって」と呟き、僕に迫った。
「生きたって? この、写真、撮ってるやつらは、なんだ?」
「殺人者だよ!!」
聡司の言葉にかぶせるように僕は叫んでいた。
「許さねえ。僕は絶対こいつらを許さねえ」
僕から地の底で這うような呻き声がでて、聡司が崩れ落ちて地面に手をついた。
「俺……俺……最終に乗れんくて、寮で寝たんだ。姉貴の着信があって迎えに来てくれって頼んで、始発電車に乗った。寮を出るとき、庭を見たんだ。ツリーが点灯されたままで、そのとき……俺は見たかもしれない」
「照をか?」
「わかんねえよ。ツリーに目がいったし、あたりは漆黒や、真っ暗なんやぞ。でも、それでも影があったんだ。ツリーのせいで、もし……あの影の中に人が倒れていたんなら……」
そのまま尻餅をついて、聡司は両手で頭を抱え込む。
――おまえなら絶対助けたはずだ。おまえなら
「倒れてる人間がいるなんて思いもせん。夜明け前で、真っ暗で、ツリーのイルミネーションが、雪を染めてた以外は」
聡司は嗚咽を噛み殺した。
その真っ暗な夜の闇のなかでも、たぶん、ツリーのイルミネーションで気づけたやつはいたんだ。写真を撮った誰かもいて、そいつは照を助けんかった。




