2章4話:生きていたんだ
▌// [LOG] 2019-02-18 11:20 JST
城のお堀公園を横切りながら、僕はマフラーをぐるぐる巻きにした。水辺で雪を被ったボードを見ると、いっそう身体が縮こまる。
新聞記者は調べても名前がわからなかった。が、転落事故のニュースを検索したら、速報を伝えるアナウンサー沖津由実が映っていた。聡司の姉だ。
一人で動くため、真凜から電話番号を聞いて、約束を取り付けた。
日曜とあって、オフィスビルは静寂に包まれていたが、近くのテレビ局や新聞社の人間らしきIDカードを下げた人たちが往来していた。
指定されたカフェはオフィスビルの一階にあって、ナイショ話がしやすそうなボックス型のテーブル席が多かった。
未成年の僕が入っていいのか戸惑う雰囲気だ。もっとカジュアルな場所というのが、どうやらない。女性店員に待ち合わせだと告げると、「高校生ね。伊織さん?」と名前を確認された。
待たせちゃいけないと思って、1時間も早く着いたはずだった。もう来てるんか。
ランチを取る合間なら話せると言われていたのだった。
ドキドキしていたら、「早く着いたらランチ出すように言われたの。好きなものでいいそうよ」と言う。さすが大人。僕と聡司より12歳年上だ。
その声は、女性店員の後について席に案内されているときに聞こえてきた。
僕が横切ったテーブルから、
「真井氏のお孫さん、かわいそうにな。しばらく息があったんだよ」
風邪を引いたような男の声が聞こえたのだった。
足を止めたら、テーブルの男がコーヒーカップを片手に持ったまま僕の視線に気づいて、ふっと顔を向けた。
「なんだ?」
「今の話!」
男の声と僕の声が重なった。
テーブルには中年と若い男がいて、中年のほうが僕を見て、「うわ」と言った。
「ひょっとして、白耶麻高校か」
僕は早口で真井照の話かと確認し、中年男は頭を掻きながら「どこまで聞いた?」と溜息を吐く。「ヤバいですって」と若い男が僕を一瞥するが、僕はその場に居座って、話してくれるまで動かないとテーブル脇にしゃがみ込む。
「きみは彼とどういう関係?」
「同級生。自殺の噂があるけどおかしいから。調べてる」
中年男は僕を椅子に座らせた後、小声で言った。絶対外部に漏らさないことと、大御所作家の孫だから、不用意な発言をすると訴えられるぞと脅された。
――彼は窓から落ちた直後はまだ息があったそうだ。地面がな、柔らかいんだよ。コンクリートと違って、学校や公共施設に使われるらしい。それと雪が積もってたおかげで即死を免れた。その結果、彼は意識があるまま、誰にも気づかれずに倒れていた。ただあの寒さだ。長くは持たなかっただろうが、落下直後に救護活動が始まっていれば、彼はひょっとしたらひょっとして……てな話だ。その作家さんが心痛で連載を一ヶ月休むらしいんだ、それでつい話をしてたんだ。
生きていた。
照は、転落した後も、冷たい雪の上で生きていた。
僕は脱力して、そのままカフェを出た。街路樹に積もった雪が風に吹かれて、白い塵のように舞っている。吐く息も白い。
やべえな、膝に力が入らねえ。
固まったシャーベット状の雪が、すげえ冷てえ。
ガクガクする膝を叩いて歩き出す。
若い男が心配して僕を追いかけてきた。
「きみ、大丈夫か。カフェで誰かを待ってたんじゃないのか? お父さんか?」
イントネーションに訛りがない。首都圏の人だとわかる。
急に照の訛りのないしゃべり方を思い出した。
照は人と話すのを苦手にしていた。そのことに気づいたのは、GSの女子生徒らに声をかけられた後だった。何だろうなと思いながら、照がいつもちょっとだけ詰まるのが気になりだした。
ネットで調べてみたがよくわからなくて、保健室の先生に相談しに行ったことがある。
──彼は話さないのではなくて、話せないのよ。精神的なものらしくてね、伊織くんとは話せているから、ほっとしてるのよ。新入生代表だって、学校側はずいぶん悩んだのよ。声がでるのかって、でも彼が引き受けたのよ。何かきっかけがあればって思ってたらしくてね……
──生きていたんだ、照は落ちた後も
なんでだよ。
なんで……
寮には何十人も生徒がいた。それでも深夜のことで誰も気づかんかったって?
ははっ、気づいたやつがいたから写真がある。そいつは、殺人者も同然だな。
若い男が懸念するように眉根を寄せた。
「寮の子たちを責めないほうがいいよ」
写真を撮ったやつがいるんだよ。
照の両親には絶対見せられねえ写真が。
「ちょっと、うちの弟に何してんのよ!」
由実の怒鳴り声が響き渡った。
いつから由実姉の弟になったんだよ。
「違う。この人は親切にしてくれたんだ」と言って由実の袖を引っ張った。
直情型だ。これでよくアナウンサーになれたよな。
若い男はセミロングのスタイル抜群の女を見て、「沖津由実だ」と驚きながらカフェに戻っていった。
その背にありがとうございましたと礼を述べると、由実はやっと落ち着いた。
「由実姉、僕帰るわ、時間割いてくれてありがと」
「帰る? なんでよ?」
「用事片付いたし」
バスの時間を調べていなかった。スマホを見ながら歩き出すと、由実にガシッと腕を掴まれた。
「待ちなさいよ」
ドスの利いた声に、思わずシャキンと背筋を伸ばす。
「聡司のことだけど、いい?」
「あ、うん」
「聡司、悪いやつと連んでない? 高校に入ってから」
「へ? いや、そんなことねえよ。行きも帰りもいっしょやし」
「それ、クリスマスイブの夜も一緒だった?」
僕らは風よけのある近くのベンチに座った。スタンド売店でホットドッグを買ってもらい、かぶりつく。
由実はコーヒーを飲みながら、
「白耶麻なんて遠いところに通ってるから心配なわけ。あいつ、私のところに泊まればいいと思ってんのよ」
「そらな」
由実のマンションからなら30分圏内だ。
「イブ、あんたちゃんと家に帰ったんだね?」
「家に帰ったも何も、休みやった」
「ああ……世の中はそうよね」
「イブに何かあったんかよ?」
「夜にね、父さんが倒れたのに、あいつと連絡つかなかったの。そしたら午前5時よ! こっちはやっと眠れるってときに電話してきて、雪が降ったから、友だちの家に泊まったっていうわけ。憧れてた弓道はじめて調子に乗ってるのよ」
「そうかよ」
弓道部への憧れはほんとうだ。白耶麻に行くと言い出したのは、聡司が先だ。強豪ではないが、高校の中では一番の施設だ。中学のとき野球部にいたが、消去法だ。いやそうだった。運動部は男子は野球、女子はバレー、他は水泳と吹奏楽しか選択肢がなかったから。
弓道部に入ってからは毎日ご機嫌で、張り切って練習に行く。イブも部活に行って、帰りに友だちの家に泊まったんだろう。
──ほんまに? 泊まったら、僕に話しそうやけどな。
ふと、僕の中に風が吹き抜けた。
「イブの翌朝って、聡司はこっちにいたぞ。バスが運休になって、僕のところに来たんだ」
「私が連れ帰ったからよ。駅でピックアップしたのよ。終業式が25日なんだから、その後でクリパすればいいのに」
確かにそうだ。翌日休みの25日の夜クリスマスパーティーするほうが楽だ。僕が友人を泊める側ならそうする。
「拓人」
由実が斜めに揃えた足を、僕の膝に寄せてきた。
「なに」
「寮に泊まってないよね?」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「死亡推定時刻……深夜から夜明けだったからよ──」
由実の不安が僕にも伝わった。
寮生でもないのに寮に入ること自体、規則違反だ。しかも休みの日の寮なんて、緩いに決まっている。
「聡司は関係ねえよ。もし寮にいたら僕に言ってるって」
そうだ。聡司なら言う。
「そうよね。拓人がいつもいっしょだから安心だわ」




