幕間 ― 世界樹の紋章
宿屋の天井ってのは、どこも似たようなもんだ。
木目を数えてりゃ眠くなる。……はずなんだが。
――視線。
まぶたを閉じたまま、俺は小さく息を吐いた。
「……何の用だ」
「起きておられるか、ダグラス殿」
目を開ける。
枕元に立っていたのは、案の定、シオンだった。
「夜中だぞ」
「左様。しかし急ぎにて」
「用件を三文字で頼む」
「今から」
「却下だ」
即答したが、シオンは微動だにしない。
「マスターがお呼びにございます」
「……マスターって、カイルの兄さんのアルドさんか? 下に来てんのか?」
「いえ。今より参る」
「どうやって――」
シオンは袖から小さな魔道具を取り出した。掌に収まる輪。空間が、嫌な音を立てる。
「それって、まじかよ!? 今からか!」
「是。準備を」
「準備って心の準備が――」
空間がねじれた。
⸻
気がつけば、土の匂いがした。
「…………」
夜気は柔らかい。虫の声。遠くで水の流れる音。
どう見ても、どこにでもある田舎の村だ。
「こちらに」
シオンは当然のように歩き出す。
「説明をだな――」
言いかけて、口を閉じた。
空気が、妙に澄んでいる。
澄みすぎている。
音が、吸われているみたいだ。
村の一番奥。森を背にしたログハウスの前に――五人。
その瞬間、背中の盾がわずかに重くなった。
戦闘の気配じゃない。
もっと根本的な、本能の警鐘。
(あ、これ関わっちゃいけねぇやつだ)
逃げ場はない。
シオンは静かに一礼する。
俺はため息をついて、その後ろについた。
夜の森は、静かだった。
風も強くない。
葉が触れ合う音が、遠くでひとつ鳴るだけだ。
五人の人影が、月明かりの下に立っている。
中央にいる黒髪の男が、一歩前へ出た。
「夜分に悪いね、ダグラスさん」
「……あんたがアルドさんか」
「ああ」
穏やかな声だった。
穏やかすぎて、逆に距離が測れない。
左隣、赤髪の女が静かに微笑む。
「まぁ……この方が、あの子の盾ですの?」
視線が触れた瞬間、肺が冷えた。
氷の気配。
だが敵意はない。
後ろで、灰色の長髪の青年が眼鏡を押し上げる。
「数値以上に安定した気配だ」
右では大男が腕を組む。
「ほう。悪くねぇ目だ」
最後に、紫髪の女が柔らかく笑った。
「守る人の匂いがするわ」
やめろ。そういう評価は落ち着かねぇ。
俺は盾に手を置いた。
暴れはしない。ただ、重い。
アルドが軽く手を上げる。
「みんな、そのくらいで」
静寂が戻る。
森は、何事もなかったように息をしている。
「今日は確認に来てもらったんだ」
「確認?」
「君が、本当に隣に立つ人間かどうか」
胸の奥が、わずかに軋む。
⸻
洞窟。
静かすぎる通路。
血の匂い。
――背負わないでね。
⸻
瞬きひとつで、森に戻る。
「……何の話だ」
「カイルは強くなる。きっと、君の想像より」
それは分かっている。
「強い人間は、孤独になりやすい」
風がひとつ、枝を揺らす。
「だから、隣に立てる人が必要だ」
俺は鼻で笑う。
「勇者に何ができるって言われる状況でもか?」
「そういう時こそ、だよ」
アルドは笑わない。
「君は強いから選んだんじゃない」
声は静かだ。
「“守るしかない”と決められる人だからだよ」
言葉が落ちる。
波は立たない。
ただ沈む。
⸻
洞窟。
伸ばした手。
届かなかった指先。
――嫌いじゃなかったよ。
⸻
息を吐く。
「……買い被りだ」
「そうかな」
追ってこない。
否定もしない。
「もう一つ」
アルドが近づく。
盾に、そっと指を添えた。
拒絶は起きない。
中心に、根のような紋が浮かび上がる。
絡み合い、静かに刻まれる。
「おまじないさ」
「……その手の言葉が一番信用ならねぇ」
「少しだけ、立っていられるように」
それだけだった。
力が溢れるわけでもない。
ただ、足の裏が地面を掴む感覚が増す。
「じゃあ、カイルを頼む」
「あぁ」
「シオンも」
「ついでに四天王の子守りまで頼むやつがいるかよ」
小さな笑いが夜に落ちる。
アルドが最後に言った。
「ダグラスさん。君の方は大丈夫かい?」
一瞬。
⸻
血で滑る指。
崩れる岩。
伸ばした手。
届かなかった。
――背負わないでね。
⸻
俺は空を見上げる。
「あぁ。俺はもう大丈夫だ」
痛みは消えていない。
だが、立っている。
「なんだ、心配してくれんのか」
「それはそうだよ」
少しだけ目を細める。
「君はもう、カイルのもう一人の兄だからね」
鼻で笑う。
「……父親って言われなくてよかったぜ」
それで終わりだった。
気づけば、森には誰もいない。
風だけが残る。
⸻
宿屋の部屋は暗い。
盾の中心に、確かに刻まれている紋。
指でなぞる。
消えない。
隣の部屋から、足音が近づいた。
扉が開く。
シオンが立っている。
「……何だ」
「起きておったか」
真顔だ。
じっとこちらを見る。
「某は幼子ではないぞ」
唐突に、そう言った。
間。
「……は?」
「守るだの何だのと、聞こえておったゆえ」
腕を組む。
「某は剣を預けておる身だが、預けきってはおらぬ」
真面目だ。
本気で言っている。
俺は小さく息を吐く。
「分かってる」
シオンは少しだけ顎を上げる。
「ならばよい」
そう言って、扉を閉めた。
静寂が戻る。
盾に目を落とす。
刻印は、薄く光を宿している。
俺は天井を見上げる。
「……分かってねぇな」
誰に向けた言葉でもない。
だが、口の端はわずかに上がっていた。
眠りは、静かに落ちてきた。
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