第十一章・3
―3―
ドアをノックする音に、灯は寝転んでいたベッドの上で、身を硬くした。
「灯? 俺だけど。……入るよ」
鈴が部屋に入ると、灯はベッドの上、壁の方に顔を向けて、枕を抱いて丸まっていた。
鈴はそのベッドの端に腰を掛ける。
「ふて寝?」
少し笑ったような声で鈴が言うと、
「鈴様の馬鹿」
壁の方を向いたまま、すねた灯が呟いた。
「うん。ごめん」
「……」
悪いとなんか思っていないくせに。
灯の枕を抱きしめる腕に、力がこもる。
だって、鈴のおかげで三人もの少女が助かったのだ。
それが悪いことのはずがない。
そんなことは灯も分かっている。
「灯」
「……」
「頼みがあるんだけど」
「……」
「今日はもう、眠りたくない気分なんだ」
「そんなの、ずるいっ!」
声を荒げて起き上がった灯に、鈴はにっこり笑った。
「やっとこっち向いた」
「……」
灯が頬を染める。
「まだ怒ってる?」
訊いた鈴に、灯は視線を落とす。
「灯はやっぱり、俺にあの時、常磐さんの頼みを断って欲しかった?」
灯は小さく首を横に振った。
少女たちを見殺しにするような選択が、いいはずがない。
灯のためにそんな選択をもし鈴がしたら、勝手なものできっと自分は後悔するのだ。
「良かった。灯はそういう奴の方がいいのかと思った」
にこにこと笑顔で言った鈴の言葉に、決まりの悪そうな顔をする灯。
「私がどう思っても、鈴様には関係ないでしょう?」
「なんで? 俺は嫌だよ。灯がそういう奴の方がいいって言ったら」
それこそ、なんで? と訊きたかったが、やめておく。
「よく、世界中を敵に回しても君だけを……とか言うけど、俺なら世界中を味方につけてやるのに」
珍しく子供っぽい鈴の言葉に、灯は少し可笑しくなる。
ベッドの上の大きなクッションに背中を預ける鈴の顔を、灯は覗きこんだ。
「本当に眠りたくないの?」
「うん。ずっと読みたかった本があるんだけど、邪魔ばかり入ってちっとも進まないんだ。ラストが気になって仕方ない」
鈴が持っていた本を灯に見せる。
灯はベッドに投げ出された鈴の足の上に、頭をのせた。
鈴は右の手の平を上に向け、それを灯の目の前に差し出す。
灯はその手の上に自分の左手を重ね、滑らせると、鈴の手首に指を絡めた。互いの手首を掴むような形になってから、何かを考えている灯に、
「取ってくれないのか?」
鈴が不思議そうに訊いてきた。
分かっているのだ。
鈴が本当は、それほど起きていたいと思っているわけではないことは。
本を読みたいなんていうのは、ただの口実だということも。
これは定期的な確認なのだ。
鈴がちゃんと灯を必要としているということを、形にして示してくれているだけにすぎない。
それがなくなったら、おそらく自分は必要のない人間なのだと思ってしまうだろう。
鈴は優しい。
それはいいことだ。
でも、それが哀しい。
なぜなのか。
優しくされる理由が分からない。
「鈴様……」
「ん?」
チラと見上げると、鈴が穏やかに自分を見下ろしている。
その顔はまだ男と呼ぶには幼く、格好いいというよりは可愛いと呼ぶ方が似合う。
握った手首は細く、これ以上力を入れれば折れてしまうのではないかと思うほどで、灯よりも華奢に見える。
頭をのせた足も、灯の頭を支えるには頼りない。
それでも。
「私、鈴様が好き」
言って灯はまた視線を落とす。
「俺も灯が好きだよ」
「……?!」
灯は思わず体を起こして鈴を見た。
鈴はそんな灯に小首を傾げる。
今、鈴はなんて言ったのだろう。
「今、なんて?」
無意識のうちに、口に出してそう訊くと、
「……灯が先に言ったんだろ」
鈴は不服そうな声で言って、少し赤くなり顔を逸らした。
「取ってくれないと、もう、俺、眠りそうなんだけど」
繋がれた手を催促するように揺する。
灯は再び鈴の足に頭をのせた。
自分はどういうつもりで、あの言葉を口にしたのだろう。
それに、鈴の言葉がどういう意味のそれなのかも、不確かだ。
それでも、今はなんだか気分が良かった。
鈴が自分を好きだと言った。
それだけで、今は満足だった。
自然と口元が緩んでくる。
灯は鈴の手首を握る指に、力を込めた。
「おやすみ、灯」
耳に心地よい鈴の声を聞きながら、優しく穏やかな眠りが体を満たしていくのを感じて、灯は目を閉じた。
【夢わたり《其の弐》・完】
お読みいただき、ありがとうございました。
【夢わたり・其の弐】はここで終わりです。
お話は【夢わたり・其の参】に続きます。