貴族道中~一蹴~
「ぐふっ……突き抜けてくるとは、よほどですね……」
「バイバイ」
言葉に聞く耳を持たずにスィンが攻撃を続ける。2度目の蹴りの狙いは頭、攻撃が通ることが分かった今は躊躇う理由がなくなったのだ。
「ちゃんと見てれば避けられます」
重くなった弊害によって攻撃の速度は落ちてしまっている、そのせいでイシハラが攻撃を避けることができる速さまで遅くなっているのだった。ゆえにイシハラは余裕があるように振る舞う、まだ対応はできると虚勢を張る。実際はかなり焦っているのだが。
「ちゃんと見てれば? ふーん、たった2つの目で何が見えているのかな」
「が……は!?」
避けたはずの足が急激な変形を伴ってイシハラの首に叩きつけられる。不自然すぎる軌道に2つしか無い目という発言はスィンの正体を推理するのには十分だった。
「虫か……!!」
「それはどうかな」
言い当てられても特に動揺もしない、蟲毒姫蜂であることがバレようがそれは特に不利になるとは考えていないからである。しかし、スィンはここで警戒をすべきだった。相手は学会の一員である、学会に種がバレるということは即座に対応されるということであるのだ。
「ならこれです」
白い粉末のようなものを取り出すイシハラ、粉末の正体は殺虫剤の類である。これがスィンにぶちまけられたなら少なくとも戦闘の続行は不可能になる。進化によって耐性を得る前にイシハラに爆殺されるだろう。それを知らないスィンは攻撃を止めようとは思わない。
「さよならです」
「それはこっちのセリフ」
蹴りに合わせてイシハラが殺虫剤を仕込んだ。だが、それがスィンに当たることはなかった。
「お待たせ」
腕の復活を済ませたルームが間に入ったのである。遠目に見ていたルームは殺虫剤には気づいていなかったが、何かを仕込んだことは気づいていた。
「ルー、私だけで大丈夫」
「偶には格好付けさせて。ね?」
イシハラそっちのけで2人で話をする隙を見逃すイシハラではない、すかさず攻撃をしようとはしているのだがそれはヨツヤの攻撃によって妨害されていた。
「旦那さん、なんとかできる方法が見つかったのでありんすか。負けなくとも勝てない千日手になりかけているでありんすが」
「いくらでも時間をかけていただいて構いませんよ、小生は援軍が来ても勝ちなので」
援軍という新たな情報で動揺を誘う、しかしルームはそれに動じることは無かった。攻略法は既に見つけたという風にゆっくりとイシハラに視線を向ける。
「えっと、イシハラさんと言いましたよね。中和剤を差し出して2度と僕の目の前に現われないと誓うならここで帰らせてあげようと思うのですが。いかがでしょう、まだ死にたくないですよね、研究者なら尚更」
「その発言、小生を殺せると言っているようなのですが。それで合っていますかねえ」
「その通りです、僕はあなたを殺せます。問答無用でそうしても良いのですけど、一応勧告をしようと思いまして」
「嘘、ですね。小生のスキルが分からない以上確実な殺害方法など」
「いえ、分からなくて良いんです。僕はそんなものに興味はありません、僕が欲しかったのは時間だけですから。僕は腕を治す前に言いました、治ったら終わりにすると」
「言いましたねえ、それで小生をどうするんですか」
ルームは治った右腕をイシハラに見せつける。それは吹き飛ぶ前と全く同じように見える。
「それが何か? 自力での再生ができるからなんだというのです、それくらいならば学会にもできるものはいます。それでどうあって小生を」
「僕の身体には夜泣き茸が共生しています」
「は?」
夜泣き茸は希少な茸である。しかし、この希少性は夜泣き茸が弱いからということではない。支配者はそう何人もいらない、もしくは支配者は複数人いれば喰い合いが起こって淘汰され勝手に減るという摂理の結果だ。
「夜泣き茸が共生する身体を爆破した、それだけで学会の一員ならばご理解いただけますよね?」
「あ、あわわわわ……!?」
イシハラの顔が真っ青になっていく。全身が恐怖に支配され、動くことさえままならないありさまである。なぜイシハラはこのような状態になってしまったのか、それは至極単純な理由である、生きるか死ぬかが完全に握られたことを理解してしまったからだ。
「ど、どどうか、お慈悲を」
慈悲を乞う他にイシハラにできることはない。なぜならば菌類の支配者としての力を持つ夜泣き茸は胞子をコンマ数グラム付着すれば菌類に指令を出すことができる。そして、イシハラはその胞子をふんだんに含む宿主の身体を爆破した、しかも肌のすぐ側の至近距離で。それは確実な胞子の付着を意味している、これだけなら迅速な全力の対処でイシハラでもなんとかできたのだが時既に遅し。時間は無慈悲に経過してしまっていた。
「僕はもう条件を提示しました。何をすべきは分かっているはずですよ」
人間の身体にも当然菌は存在している、それもまた人間と共生関係にあると言っていい。だが、人間はそれらに指令を出すことなどできない、なるべくしてなる効果を得ているだけなのである。ここで夜泣き茸の悪辣さが発揮される、茸でなくとも菌類ならばある程度自由に動かすことができる夜泣き茸が人間の身体の菌を支配する。するとどうなるか、微妙なバランスのうえで成り立つ人間の身体などすぐさま不具合を起こして死ぬ。どのように死ぬか、どのように死ぬ可能性があるのか、知識が十分にあるゆえにイシハラは耐えがたい恐怖を味わうことになった。イシハラが今ほど己の知識を呪ったことはないだろう、夜泣き茸の犠牲者の死に様など知らなければ失禁しそうなほどの恐怖などなかったというのに。
「ここ、これです、これが中和剤です!!そして小生は2度と姿を見せません!!」
「よろしい、ではどこへなりとも消えてください。僕のことは他言無用ですよ? 分かってますね?」
「重々承知しております!!」
「うん、それじゃあさようなら」
「し、失礼いたします!!」
脱兎のごとく全力の逃走を図ろうとするイシハラの足から力がぬける、下半身の感覚が喪失したことから背骨の神経がやられたのだとイシハラは理解した。そして同時に死を予感した。同時に逃がしてくれるなどといううまい話はなかったのだと納得もしていた。
「待ってください、ロサ・ロサが治るまでは逃げられると困ります」
イシハラは歯をガチガチと振るわせながら今まで一度も祈ったことの無い神に祈りを捧げる、ああどうか助けてくださいと。せめて人の尊厳を持ったまま死なせてくださいと、原型を留めないゼリーになって死ぬのは嫌だと心から願っていた。
「ああっ、良かった。ロサ・ロサに後遺症でも残ったらどうしようかと思いましたけど。すっかり治りましたね」
ロサ・ロサの棘が刺さるのも構わずにルームは茨を撫でる、優しげなその表情は今まさに他人に死の恐怖を与えている存在とは思えない。
「確認ができました。それでは今度こそさようなら」
「へ?」
イシハラの身体に自由が戻る、まさか本当に逃がしてくれるとでも言うのかと言いたげな顔でルームを見る。
「どうしました?」
「しょ、小生を殺さないの、ですか」
「殺しませんよ? だってもうあなたは敵じゃないですから」
「敵、ではない……?」
「ええ。だって約束しましたよね? それに、僕の邪魔をする気もないですよね?」
そこには自信と信頼があった。それと同時に約束を破ったら殺すという意味も含まれていたが。イシハラはルームの中で自分はもはや虫けら程度の存在でしかないのだと理解した。
「その通りでございます、救っていただいたこの命は決して無駄にはいたしません」
それだけ言ってイシハラは今度こそ姿を消した。学会の中で夜泣き茸を宿した少年には近づくなという噂が流れ始めるのはこれから少し後のことであった。
「これで僕が必要になる事態っていうのは終わりかな? とりあえず2人を起こそうっと」




